2019年4月30日火曜日

化学物質の拡散

平成の終わりの日を記念して、大先達、中島正さんの一文を紹介したいと思います。


中島正さん(1920-2018年)は、を与えず自然を与えよ」の考えを実践し、自然環境の中で生かした自給的な小規模養鶏を生涯にわたって実践し、のちにそれは「自然養鶏」と呼ばれ、『自然卵養鶏法』(増補版は2001年)は、薬を使わないで鶏を育てる人のバイブルとなりました。


その中島さんが、1992年2月、有吉佐和子没後15年に、『土と健康』という日本有機農業研究会の会報に、「化学物質の拡散」という一文を載せました(記念講演もありました)。

私も含めて、化学物質の拡散には長年見て見ぬふりをして過ごしてきましたが、海を漂うマイクロプラスティックの問題など、問題が深刻化しているにもかかわらず、ペットボトルの生産・使用、各種噴霧材(殺虫剤だけでなく消臭剤なども含む)の生産・使用などは増え続けているように見受けられます。
今一度、その危険性を認識しなおしたいとの思いで、中島さんの「化学物質の拡散」の全文を掲載することにしました。
中島さんがこの文を書かれたのは四半世紀も前のことですが、状況はあの頃よりずっと悪くなり、私たちの体内には、プラスティックが蓄積しています。

以下、中島さんの文「化学物質の拡散」です。


化学物質の拡散

 『複合汚染』(新潮社、有吉佐和子著)という本を忘れてはいけない。この本は確か数百万部出ている筈なので、日本中至る所にまだ沢山蔵って(しまって)あるに違いない。チリ紙交換に浸ったり、焼却されたりは勿体ないと思う。
 持っている人はもう一度読み返して、「汚染」の実態を再確認し、持っていない人は借りて読むか、再販を注文してでも読んで戴きたい。
 この本が出たのは昭和五十年だから、二十数年前の話である。「そんなもの、もう古い」と思う人があればとんでもないこと、読み捨てられ、忘れられてその挙句、「汚染」の実態はあの頃よりはるかに深刻になっているのだ。
 人類は多分、汚染からの脱出方法が見つからないまま、破滅を迎えるのではないかと思われる。(だとすれば、今更読み返してもどうにもならないのだがーー)とまれもう一度認識を新たにして、みんなでどうすれば汚染を食い止められるか、考えてみるべきである。その結果どうしても脱出方法がみつからなければ従容として破滅に就くべし。
                   × ×

 オゾン層破壊や原発のゴミも、解決のめどは全く立たず、ますます危険度を高めているが、この稿では化学物質だけに限って考えてみようと思う。
 合成化学物質はいったん製造されたら必ず環境に拡散されるものである。製造してそのまま永久に倉庫に保管しておかない限り、これは使用した途端に環境に散らばるのである。環境に拡散させずに使用することはできない。
 例えば殺虫剤を噴霧するとき、虫だけに吹きかけることは不可能で、必ず空気や大地にその大部分は散らばって行く。除草剤にしても同じである。たとい旨く虫や草だけに吹きかけたとしても、虫や草がダウンしたのち、薬剤は虫や草の遺体から環境に広がっていくのである。経口投与したものでも、糞や尿から拡散していく。洗剤などはストレート。
 だから化学物質の拡散を防ぐには、使用段階ではムリで、これは必ず製造段階で止めなければならないものである。つまり「製造をやめる」より他に方法はないのだ。
 ところが、その種類ざっと二〇〇万種といわれる合成化学物質、うち商業的に生産されているものは約一〇万種(有害性を疑われる物質は三万種)といわれているが、これ程多種多様に(大量の代表格は農薬、化学肥料、洗剤、塗料など)人間生活の隅々まで浸透して、便利で豊かな生活に貢献しているものを、いま生産段階で止めることは至難の業である。
 およそ化学物質の生産を止めるということは、即市場の崩壊(近代文明や繁栄生活の崩壊)を意味するのである。化学物質は貨幣と並んで、都市機能を活動させる重大要素である。貨幣は都市の血流であり、化学物質は都市のホルモンである(機器類は骨格か)。
 都市の繁栄ーー即ち贅沢生活の根幹合成化学物質を、若し追放しようものなら、恐らく産業界はじめ都市住民は(そして都市化された田舎住民も)猛然と反撥し、追放に手を貸したものすべてを(それが政治であろうと、草の根運動であろうと)打倒しなければ止まないであろう。
 因みに、化学物質二〇〇万種の内、大部分の一九七万種は要検討外ではあるが、それが無害のレッテルを貼られていても、これらはすべて一つの例外もなく、「自然界には存在しない」人口物質である。故に人体に取り込めば、必ず排除しなければならないーー即ち同化の利かない異物である。
 この異物の排除作業には、主として腸壁や肝臓や腎臓が当たるのだが、ただでさえ過脂肪やアルコールなどの処理で大童となっている所へ、さらに多種多様の合成化学物質を排除しなければならないとすると、これらの臓器の荷重負担は避けられず、やがて機能低下を招く恐れが出てくる。近い将来肝臓病がガンを抜いて、死因のトップに立つであろうという予測は、この理由による。
                   × ×

 「合成化学物質なんか拡散は仕方ないとしても、身体に取り込まないよう注意すればいい」と思う人もあろうが、どんなに綿密な注意を持っても、それは強引に人体に侵入してくるものである。
 前に、合成化学物質は一旦つくられたが最後、必ず環境に拡散すると書いたが、その散らばった物質は、又必ず雨水に洗われて川の流れに入ってくるのである。洗剤のように直接川に入るものはもちろん(下水道に流しても結局は川へーー浄化については後述)、農薬のように大地に撒くものも雨と一緒に川へ入るし、塵芥処理場へ送って埋め立てしたものも、焼却処分した残りの灰も、雨や地下水に洗われて流れに入ってくる。
 故に川はあらゆる化学物質を集めて流れ、海へ運んでいるのだが、この水を水源として都市の人々は引用しているのである。人体の七〇%は水なので、体細胞の大部分を汚染水で賄っていることになる。
 「上水も下水も浄化処理されているから大丈夫」と思っても、(上流の都市の下水が下流の都市の上水となる)実はこれらの処理に万全の信頼は置けない。物質によっては四〇%しか排除できないものもあり、一〇〇%安全というすぐれた浄化装置はあり得ない。この飲料水を介して化学物質は、強引に身体に侵入してくるのである。(下水を浄化処理した後の残物は、投棄すればゴミとなって雨水に洗われ、焼いても灰のゴミとなり、空中へ舞い上がった煙も例外ではなく、呼吸と共に人体に入るばかりか、雨と一緒に地表に落下してくる)
                   × ×

 化学物質の人体潜入に、もう一つ「生体濃縮」という現象がある。これは『複合汚染』で詳しく書いてあるので、ここでは簡単に述べるとーー
 拡散した化学物質は雨水に洗われて、川から海に運ばれ海はたまり場となっているが、何せ広大な海洋のこと故、化学物質は充分に薄められて、許容量を超えるようなことはないと、これまで人々はタカをくくってきた。しかし海水に薄められた化学物質は微量でも、常に魚体に取り込まれ、そのまま魚体内に滞留していく。これを生体濃縮という。
 その魚を人間が食べて、今度は人間に生体濃縮が起こるのである。これを防ぐ術はない。
                   × ×

 米、ボストン大学のオゾノフ教授は、人類が化学物質の中に置かれている状況を、「エンパイア・ステートビルから飛び降りた人が、一四階あたりを落下中、ともあれ今は快適です、と言っているようなものだ」と表現した(一九九二年五月二四日、中日新聞サンデー版)。更にオゾノフ教授は、「われわれが地上に落下するまでに残された時間は少ない。またその時どんなことが起こるか判らないし、それを発見できないのかもしれない」
 --つかの間の繁栄の行く先は、地上へ激突するのか、それとも救命マットに助けられるのか、又は神風が横なぐりに吹いてどこかへ連れ去っていくのか、皆目いまは見当がつかないというのである。
 が多分、九九.九%までは地上へ激突する公算が大であろう。化学物質が全世界に亘って急ピッチで増産され、そして増産された分だけ確実に、(使用しても投棄しても)必ず環境に拡散され、更にどんなに防禦しようと、これは必ず人体に潜入してくる・・・・・残念ながらオゾノフ教授の見解は正鵠を得ていると言わざるを得ない。
                  × ×

 さらに悲しむべきことには、有吉さんの書いたころにはなかった「環境ホルモン汚染」という新手の危機が、地球生物を脅かしはじめた(一九九七年一一月二一日、NHKスペシャル)。
 それによると、日本の海岸付近に広範に棲息するマキ貝が全国的に激減し、富山県のマキ貝漁業専門の漁師は、今年に入って一日中漁をしても一匹も捕獲できない日が目立つようになったという。
 これは環境ホルモン汚染によるメスのオス化という現象が、広い範囲で現れているからである。長崎大学の調査によると、六〇個のマキ貝の中オスが三〇個、オス化メスが二七個、メスはたった三個しかなかった。この傾向はマキ貝の殆どほとんど絶滅に近い状況を物語っているという。
 環境ホルモン汚染ーー人間が豊かな生活を享受するために使用している合成化学物質がその元凶であった。化学物質自体はホルモンではないが、ホルモンと同じように動物の生殖機能にもぐり込んで、異変を起こさしめるというのである。マキ貝の場合は船底に塗る塗料(船底に貝の付着するのを防止する塗料)が原因と判明した。
 生殖機能を狂わせる化学物質は、直接毒作用をもたらすものや、発ガン又は催奇性物質などとは比較にならないくらい低濃度でも、確実に生体内でホルモンバランスを崩していく。許容量などは関係なく、ホルモン並みの微小な物質がたった一個あれば、充分生殖異変をおこさしめるのである。
 海は広く大きく包容力があると思い込んで、すべての化学物質を海へ海へとタレ流しにしていると、やがて海中生物の悉くが生殖異変を生じ、毒物による直接被害の起こる前に、環境ホルモンで全滅するのではないかと危ぶまれる。極めて微量でも威力を発揮するとなれば、いま全面製造停止しても、もう遅いかもしれない。
 マキ貝の他、都市河川の代表格多摩川で鯉をしらべたら、オスのメス化現象が多く見られたという。都市河川は無数の化学物質を含んでいるので、いまのところ犯人は判らない。
 米、フロリダ州の湖沼に住むワニが、最近著しく減少しはじめたので調査した結果、オスワニの生殖器が半分ほどに委縮していることがつきとめられた。原因は曽て農場で使用されたDDTが、大地から川へ、川から湖へと流れて、じわじわとワニの生殖作用を狂わせて来たのであった。DDTは禁止になって久しいので、拡散後かなり年月が経ちしかも雨水で薄められているのに、環境ホルモンは効力を発揮し続けているということになる。
 イギリスでは、羊毛の洗剤に含まれているノニルフェノールという化学物質が川へ流れ、そこに棲む魚の生殖に異常を及ぼしているという。
 ことは人間以外の動物だけでは済まなくて、人間それ自身にも及んでいることが、デンマーク、コペン大学の研究で明らかになった。長年の調査によって、過去五〇年間に人間の精子の数が小さくなり弱弱しくなっていることも、画面に表れていた。
 米、ボストン大学の研究によると、食品缶詰の内側にコーティングされているプラスティックの原料中、ビスフェノールAという物質が、女性ホルモンを加えると、乳ガン細胞を増殖せしめることが突き止められた。ビスフェノールAという物質は、入れ歯の樹脂にも用いられているという。
 化学物質は、使用して悪影響が出てから(AF2やDDTなど)あわてて調査し、禁止するのでは遅い。使用前に調査して安全と確認後使用すべきである。ところが化学物質の毒性を調査するには、一年間に八件から一五件がせいぜいであるという(NHK)。
 だが合成化学物質は、一年間に一〇〇〇件ものスピードで開発されているので、これを全部チェックすることは不可能である。
                   × ×

 以上簡略して引用したが、ただ紹介するだけでは仕様がないので、これによって「どのように対応すべきか」を研討しなければならない。
 第一の対応ーー化学物質の有害性をすべて調査して、有害なものは法で製造使用の禁止措置をとるということ。これは従来より一部採用されてきた方法ではあるが、このやり方が著しく効果のないことは、前述のように調査が開発に追いつかないことによって示される。その上明らかに有毒性の強いものでも(例えば殺人的猛毒の除草剤など)、便利と安逸のために大目に見られているという事実によっても示される。すべての人間が「安易に就く」という人間性を放棄して、抑制と耐乏に徹しない限り、この方法は奏功しないと思われる。
 第二の対応ーー少なくとも要検討の化学物質三万種は、調査を待たずに製造禁止にすることだが、これも前述のように、都市繁栄の命脈(贅沢生活の根幹)を断つことで猛反対を食らい、到底実現は不可能。
 第三の対応ーー使用する側の人々が自粛し、合成化学物質の使用を忌避するということ。消費が抑制されれば、生産も抑制されるのは当然だが、松くい虫駆除のように、頼みもしないのに行政と製薬が結託して空中散布を強行したり、農協の栽培歴に従って、茎や稲に定期共同散布させたり・・・・苦肉の策でバラ撒きが行われることも覚悟しておかねばならぬ。更に、使用の自粛と一口に言っても、実践のできる人は九牛の十毛程にすぎぬことも覚悟すべきである。ことに洗剤の使用自粛など、ナニ程の人が行い得るであろうか(洗剤の毒性については『複合汚染』参照のこと。これは殺虫剤並みの毒物であるという)。
 かくして残念ながら、いずれの対策も顕著な効果は期待できず、オゾノフ教授の言うように、「われわれに残された時間は少ない」のであり、やがて地上に激突して相果てる時がやってくる。少なくともその時が来るまで、人間は化学物質の恩恵を拒否する勇気は持たないと思うのだ。
 発ガン物質でガン死が一〇〇人に一人や五〇人に一人くらいでは化学物質は微動だもしないであろう。これが一〇人に一〇人となって、はじめて化学物質は駆除されるのである。尤もそのときは、製造すべき人々も、使用すべき人々もすべてガンで死に絶えるが故に、駆除は当たり前であるのだがーー
 日本のマキ貝が全滅したり、フロリダのワニが生殖不能になったり、オランダの若者の精子が半分に減ったり・・・・するくらいのことでは、化学物質はビクともしないであろうが、海が合成化学物質でドロドロになって、海生動物が絶滅してはじめて、化学物質は製造中止になるのである。尤もそのときは、魚を食った人間が生殖機能を失って絶滅している筈だから、製造が止むのは当然である。

(補足)
 人間とはずいぶん愚かなもの、この期に及んで(疑いもなく目前に死の汚染は広がり続けているのにーー)尚消費の拡大だとか、景気の浮揚だとか、人類の生存にとってどうでもよいこと(というより、まさにそのどうでもよいほど汚染を増殖させていくのである)に浮かれ調子となっている。そういうものを、人類の滅亡と引き換えにのさばらせてはならないのだ。
 よしんば、化学物質を全部追放して、多くの会社が潰れ、失業者があふれ、都市生活が崩壊しても、人類が全滅するよりましではないか。
 乏しきを領かち合って、細々と耐乏生活に甘んずれば、破滅は乗り切れるのだ。失業、それは仕事の分配不公平の問題であって、景気だとか活性化だとかいうまやかしの問題ではない。景気を煽って(政府に札束をバラ撒かせ)さらなる儲けを搔き集めようともくろんでいる者の、これは奸策であったのだ。
(以上)


94歳で上梓された『都市を滅ぼせ』(2014年、双葉社)の冒頭には、
 これは暴言ではない。都市を滅ぼさなくては人類が滅ぶのである。都市は実にあらゆる公害の元凶であり、諸悪の根源であったのである。
 都市をそのままにして公害だけを追放しようとしても、それは徒労に終わるしかない。環境破壊(地球公害)は都市機能の活動そのものであり、それは言わば都市の止むに止まれぬ呼吸作用であり、同化作用であり、排泄作用なのであった。
 真に都市(地球)公害を追放しようとするなれば、まず都市そのものを滅ぼさねばならぬのである。
と、書かれていてます。
一人一人が自分の食べるものは自分でつくろうとも書かれています。

中島さん亡き後も、依然、「従容として破滅に就くべし」状態ですが、中島正さんの言葉を、せめて忘れずに暮らしていければと思っています。






12 件のコメント:

かねぽん さんのコメント...

おはようございます。
中島氏の言っている事に全く同感します。
僕も服を買う際になるべく化学繊維を避けるようにしてきましたが、最近はそれも難しくなってきました。有名ブランドのジーパンにまで化学繊維が使われるようになってるんですよ。
どこかのマッドサイエンティストが化学物質を食べる怪獣を生み出してくれたらいいんですけどね。
あと毎回春さんのブログを見ていて思うのですが、これだけの内容の記事が只で読める事に幸せを感じます。

さんのコメント...

かねぽんさん
ありがとうございます。
ブログはちゃらっと読みたい人もいるかと思っているのですが、「化学物質の拡散」は読んだ時からとげのように引っかかっていたので、何かの機会にと思い掲載しました。
先日は食品にこだわっている方たちが我が家に食料を持っていらっしゃいましたが、それでも包装はプラスティックばかり、誰もが好むと好まざるにかかわらず、化学物質から逃れられない生活を送っているというのに、弱小企業(たぶん)のストローだけをやり玉に挙げていていいのか、忸怩たる思いで生活を送らざるを得ません。
化学繊維と言えば、長くアクリルのたわしで食器を洗えば、石鹸を使わないでも油汚れが落ちると言われていましたが、あれも細かい繊維が落ちて、体内に入ることがわかってきたそうです。何でも分かってきてからの対応では遅い、やっぱり化学物質すべてを疑って生活しなくてはと思ってしまいます。
それでガンになって死にたくないとか何とか言うのではなく、憂いなく生活したいし、すべての生物にきれいな地球を残したいです。

昭ちゃん さんのコメント...

 人それぞれの考えがあり昔が良い訳ではないけれど
昭和一桁の「知足安分」を生きた私にとっては
どう処分されるかわからない戦後の日本を
世界のレベル、それ以上まで復興させたエネルギーのツケかなっと、、
「東京に原発を」こんな本もありましたね。


さんのコメント...

昭ちゃん
のし上がるということは、その陰でいろいろなことが起こるということでもあります。
足るを知るは、足るを知るにはほど遠い私の座右の銘でもあります。

karat さんのコメント...

まさに「従容として破滅に就くべし」状態です。野生動物の生態フィルムなどを見ているとかなり辛い思いがわいてきます。環境がだんだん良くなるということがないから。北海道のクマだって追い込まれています。人間は仕方ないです…自分たちのしたことですから…。
 かつて、20年ほど前に「京都議定書」のニュースが新聞をにぎわしたとき、紙面にはもっともなコメントを多数残したのに、それが終わった次の日の新聞第一面は「長野冬季オリンピックの準備着々と進む…」といったニュースで、ジャンプ台か何かの会場の写真だったのを今でも覚えています。
私はその大手新聞社の節操のなさに驚き呆れたものです。だったらまずエネルギーの大量消費のオリンピックを止めたら…と思ったものです。
自分の世代はペットボトルだの紙おむつだの罪悪感を持って使っていますが(使っている!)、次の世代はどうでしょう。もう紙おむつは普通です。では布おむつがいいのかというと、今の日本では洗剤や水の消費という問題もあります…、人間が生きているだけで環境は悪化するんだな…。
 まさに「従容として破滅に就くべし」です…。ただ、未だ吞気に自分が生きているうちは大丈夫なんて思っているのがいけないのですが…。

hiyoco さんのコメント...

スーパーでは、プラスチック削減を目的にレジ袋有料化になっているところが増えていますが、商品はプラのトレイやビニール袋に包装されているので、結局それらを捨てるためにレジ袋が必要というしっくりこない部分があります。
台所から下水へと流れる油分が固まって海岸に打ち上り、それをアディーが喜々として食べてるんだろうなぁ(もう今は砂浜に辿り着けないけど)、といつも思っています。自分や次の世代に返ってくるとわかってはいるけど、どうしても便利に負けてしまう自分がいます。

Bluemoon さんのコメント...

昨年6月にネットニュースで見た映像です。
http://mpegmedia.abc.net.au/news/video/201803/CNb_BaliDive_0503_512k.mp4

きれいな地球を残したいと思います。中島正さんの本を読んでみます。

さんのコメント...

karatさん
便利さが地球中に蔓延していますが、その地球は小さいことがわかった、わかってもどこから手を付けたらいいのかわからないもどかしさ、個人では(できる範囲で)精いっぱい頑張ってもどうにもならない現実に愕然として暮らしている方は多いと思います。
一旦その道を通り始めたらもう戻れないのは、中島さんが引用しているエンパイアステートビルから飛び降りて今14階あたりまで来ているというのでよくわかります。とりあえず問題ないけれど、もう戻れないという道。
確かに、自分の生きているうちは大丈夫と思ってしまう自分がいますが、あの原発事故のゴミだってどうするのか?
先日も、原発事故の後始末に携わっていた人が急死した話を聞いたばかりでしたが、今日も「保養」活動をしている友人から、保養に預かる子供たちのお母さん(福島といわき在住)二人が、近々甲状せんガンの手術をすること、小児ガンはマスコミに取り上げられても大人のガンは誰も取り上げないし、定期的な検診もないことを聞いて、それでも原発を再開しようとする力が大きいことに、呆れてしまいます。
茨城県の東海第二原発は何としても再開を止めなければ、もし事故が起こったら、首都圏も壊滅的なことになることは必至ですが、原発のある近くの自治体は、避難先として栃木県とか茨城県の自治体と約束を交わしています。寝ぼけてんじゃないよという感じですが、それが現実です。

さんのコメント...

hiyocoさん
茨城県は「行ってみたい県」とか、「魅力を感じる県」などでいつも最下位を守っていて、「交通事故件数」などでは上位を争っている県ですが(笑)、スーパーのレジ袋有料化はずいぶん早く実施され定着している県として知られて(?)います(笑)。ただ、トレイ、ラップなどは使い放題という現実はあります。ごみをできるだけ出したくないと思っても、出さないで暮らすこともできません。
身近な一つ一つからと思っても、何重にもプラスティックに包囲されているので、何もできなくなってしまいます。それでも、できることからやる以外ありませんね。

さんのコメント...

Bluemoonさん
この映像は私も見ました。何てこと!という感じです。
とりわけ日本海側の海岸には韓国や中国のプラスティックゴミが流れつきますが、地球規模で見たら日本が捨てているゴミが最大だそうです。
この統計には海洋投棄は載っていませんが、日本のワースト1のもの見てください。https://otoriyosegurume0141.com/2018/09/06/worst-of-japan/?fbclid=IwAR390FqO6HXowtI7Ub7pIrmXIXzCB4ivUO2ztCzIdnSa14pE4BkNr-96g_s

Bluemoon さんのコメント...

日本が捨てているゴミが最大、ワースト1、どれも知りませんでした。その国、あの国、と思っていたのが日本だなんて・・・。どうなっているんでしょ。

さんのコメント...

Bluemoonさん
できるだけですが、心して生きたいと思っています。