2024年2月14日水曜日

ガザ侵攻批判「ご法度」なぜ?

2024年2月12日の『東京新聞』に、「ガザ侵攻批判「ご法度」なぜ?」という記事が載りました。
「元イスラエル兵 非戦訴え国内外から非難」と、「第二次大戦の呪縛/虐殺は『正当化できず』」というサブタイトルがつけられていました。
「元イスラエル兵」という言葉にはちょっと引っ掛かります。というのは、イスラエルには兵役があり、聖職者を除くすべての男性が高校卒業時点で3年、女性が2年、軍隊に入隊しなくてはならないので、元イスラエル兵であることは確かなのだけど、志願して入隊した兵士とはちょっと違う気がします。
以下、新聞記事の全文をご紹介します。


 元イスラエル兵で、現在は埼玉県皆野町に暮らす木工職人のダニー・ネフセタイさん(67)は母国のガザ侵攻に心を痛め、書籍やSNSなどで非戦を訴えてきたが、その姿勢は時に強く難詰される。他国を見渡しても、イスラエルへの批判自体がご法度とされ、意見の表明さえ難しい事態が生じている。どう考えるべきか。(西田直晃)

「母国の人に『あなたの主張はイスラエルの恥だ』と言われる。論理が通じなくなっている」
今年に入り、日本国内の講演ですでに20回超、ガザ情勢への見解を伝えてきたダニーさんは嘆く。非戦への賛意もあるが、自身のSNSに「ハマスの肩を持つのか」「理想論だ」などと国内外から批判が届くようになった。
 高校卒業後、イスラエル空軍に3年間所属し退役後の来日をきっかけに日本人女性と結婚、2008年のガザ紛争を機に非戦を訴え始めたが、「今回はイスラエル国内の世論が以前よりも強硬だ。『私たちこそ被害者』という思いをずっと抱いている」と述べる。昨年10月上旬、戦端がイスラム組織ハマスの襲撃によって開かれ、イスラエル側に約1200人の犠牲者が出たのが大きいという。
 自身に向けられる非難の声に「私が批判しているのは母国ではなくて戦争だ。『殺されたからパレスチナ人を殺していい』というのは違う」とダニーさん。軍隊経験から「私も当時、国のために戦う自分が正しいと思っていた。そんな教育を受けていた。時間がたてば誤りに気付く」とも。「イスラエル国内で非戦を唱えるのは難しい。日本にいる私だからこそ、理想論でも伝えていきたい」
 ガザ侵攻への批判がはばかられる空気は欧米諸国でも顕著だ。今年1月には、大学内の反ユダヤ主義の高まりを容認したとして、米ハーバード大の学長が辞任を余儀なくされた。欧州各国では昨年来、親パレスチナの反戦デモを規制する動きが目立った。
 この空気の背景には、何があるのか。近代西洋史に詳しい原田雅樹・関西学院大教授(自然哲学)は、「 
ナチスのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)という第二次世界大戦の負の歴史。この呪縛が欧米諸国、特にドイツでは非常に強く、ユダヤ人国家のイスラエルに何も言えない」と説明する。
「1960年以降にイスラエルが軍事力を強化し、『われわれはホロコーストの歴史的犠牲者である』という国家理念が形成されていった。80年代末に反イスラエル闘争が始まると、パレスチナ人は『新しいナチス』と言われるようになった」とも解説する。
 ナチスは600万人のユダヤ人を殺害し、難を逃れた人々はイスラエルの建国に携わった。しかし、その過程では、70万人のパレスチナ人が難民として追いやられたナクバ(アラビア語で大惨事)も起きている。
「ホロコーストとナクバの歴史は同列に語られるべきだ。イスラエル側は『対テロ戦争』とし、反対意見はすべて『反ユダヤ主義』だと退けている。悲劇の歴史を政治利用してはいけない」と原田さん。前出のダニーさんも「ホロコーストの教訓をゆがめ、国民を守るという名目で虐殺を正当化している。本当の教訓は人権や平和の尊さだと理解するべきだ」と訴える。
 イスラエルが掲げるハマス壊滅への道筋は見えず、収束の気配が見えないガザでの戦闘。国際司法裁判所(ICJ)は先月、イスラエルにジェノサイド(民族大量虐殺)を防ぐ措置を取るよう命じた。
 原田さんは訴える。「国際社会は執拗に。決然とした態度でジェノサイドをやめろと言い続けるべきだ」

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私たちがWWOOFに加盟していた時、イスラエル人の女性から、我が家に来たいとの申し出がありました。WWOOF(World Wide Opportunities on Organic Farms)は、おもに農業で労働を提供してもらう代わりに、食事と宿泊場所を提供する、国際的な交流組織で、私たちは3年ほど加入していて、国内外のウーファーに、家づくりを手伝ってもらっていました。
泊まる側は行きたい場所をリストから選ぶことができ、選ばれた方も泊めるかどうか、どのくらい泊まってもいいかなど、決めることができました。
イスラエル人女性の申し出に、パレスチナにかかわっていた私はちょっとだけ逡巡しました。えっ、イスラエル人が我が家に? でも個人に恨みがあるわけではないので受け入れました。
彼女は兵役を終えたばかりで、兵役を終えたボーイフレンドがすでに日本に来て仕事をしていて、もうイスラエルには帰るつもりがないとのことでした。詳しく尋ねはしませんでしたが、2人とも兵役で受けた心の傷は大きそうでした。
「イスラエル料理ってどんなの?」
「マクルーバとか、ホムモスとか」
「えぇぇ、それってアラブ料理じゃないの!」
「うぅん、イスラエル料理よ。小さいころから食べていたわよ」
食ではそんなに混じりあっているというのに、政策や教育によって、目に見えない壁と見える壁によって、二者はまったくく分断されています。
彼女の滞在中、二度ほど「イスラエル料理」をつくってもらいました。ビーガンの彼女がつくったのは、1回目はホムモス、2回目はいろいろな野菜が入ったおいしいクスクスでした。

お互いに、パレスチナの話は一切しないで別れましたが。

    




 

2 件のコメント:

かねぽん さんのコメント...

おはようございます。
もう手がつけられない感じです。自分たちがされて嫌だったことをどうして他人に対して出来るのでしょう。ホロコーストを生き延びた自分たちの命の方が多民族のそれより貴重だと思っているなら、ユダヤ人を迫害したヒトラーの主張と似たり寄ったりだと思うのですが。歴史から何も学ばず、歪んだ価値観だけ身につけてしまったように見えます。
春さんの文章を読んで、こういう時こそ言葉で伝える事がいかに大切か、分かる気がします。

さんのコメント...

かねぽんさん
重い問題です。
イスラエルはすぐ近くに敵をつくることで、あちこちから来たユダヤ人たちを一つにまとめようとしてきたのかもしれませんが、やり口は異常です。
ましてや、虐めた相手ではなく、お門違いの弱者に武器をむけるのは一体どういうことかなのか、人は歴史から何を学んでいけばいいのか、呆然としてしまいます。