妹が留守にしたので、我が家で半月暮らした母を、 日曜日に東京郊外の家に送り届けました。
足が悪くて、何かにつかまらないと歩けないことと、耳が遠いことを除くと、いたって元気な母ですが、こんなに長い間自分の家を離れたことはなかったので、さぞかし気を使ったことでしょう。
母が、何かすることがある(今回はもんぺを縫う)日はどこも痛くないのに、何もしない日は、足が痛くて、歩くのもいつもよりままならないと訴えることを、どう受け止めたらいいのか。
考えさせられる日々でもありました。
また、整体師のKさんに来ていただいたのですが、30分以上マッサージをすると後がもっと悪くなると、勝手に刷り込んだ母の頭を切り替えさせることができず、せっかくの治療も五日ほどで中断してしまいました。
固くなっている脚の筋肉がほぐれてきていたのに、母の拒否にあって、途中でやめてしまったのは、母にとっても、Kさんにとっても残念なことでした。
さて、お土産上手な妹から、いっぱいイギリス土産をもらいました。
以前、息子にもお土産にもらったことのある、Churchill's Confectioneryのお菓子缶。
左手の奥の缶は「森」という名前で、Monica Lambert絵と、画家の名前が入っていました。
モニカの缶は、猫もネズミも、他の動物たちもとても素敵でした。
ちなみに息子のお土産の缶の「自然の友たち」と、右側の「農場」には、缶の絵を描いた人の名前は記載されていませんでした。
缶の中には、私が小さいころはありましたが、日本人の口に合わなかったのかほとんど姿を消してしまったジェリービーンズと、
日本では見たことがない、ジェリーベイビーズがたっぷり入っていました。
どっちも甘いけれど、ジェリーベイビーズの方が柔らか目でした。
こちらは、妹から母へのお土産の、MARKS & SPENCERのショートブレッドです。
「この缶もかわいいね」
と言ったら、母が私のもらったジェリーと交換してくれた上に、ジェリーだけとって、その空き缶をくれました。
キーホルダーは、我が家のミニクーパー用に。でも、これってミニはミニでも、ローバーミニじゃないの?
そして、マフィンの型ももらいました。
あぁ~ぁ。私はちゃんとしたお土産を妹にあげたことがあったかしら?
ちなみに妹は妹の息子と合流して、大好きな『ツバメ号とアマゾン号』など、アーサー・ランサム全集の背景となった湖水地方も訪ねたようでした。もしかしたら、それがイギリスに行った一番の目的だったのかもしれません。
アーサー・ランサムの背景は、ピーターラビットの背景とも重なっているので、普段は(日本人)観光客も多いのですが、オリンピック開催中で観光ツアーがお休みだったせいか、観光客がいなくて、ゆっくり楽しめたとのことでした。
4 件のコメント:
コメントいつもありがとうございます。
都市高速東京オリンピックあたりからですか、お陰で私の生まれた六本木の風景もすっかり変わりました。
ジュリービーンズ
あの不思議な味は独特で昭和7・8年頃から食べています。
レトロ店に僅かですがありますが、
でも袋入りなので楽しい缶入りとはあちらではいまだに人気があるのですね。
チョコレート色は昔からへんな味でしたが
どうですか、、、。
昭ちゃん
小松崎茂が描いていた立体的な道路網はかっこよかったけれど、実際にできてみたら、とんでもないものでしたね。下の道路が死んでしまって。
昭ちゃんは六本木ですが、広尾も原宿も閑散としていました。しもたやばかりで。
ジェリービーンズは、昔は大きな袋に入って、どこにでもありましたが、今は京都の懐かしいお菓子などとして、ちょっぴり残っているだけですね。
アメリカでは、確かガラスのケースにいろいろな大きさや形のジェリービーンズを入れていて、量り売りしていたような記憶があります。どぎつい色、香料の利いたどぎつい味、あれを食べると「彼らの味覚はどうなっているんだ」という気持ちになりますね。
今回、チョコレート色のはありませんでした。わりと色も薄目だし、これで砂糖を三分の一に減らしたら、もっとおいしいかな(笑)。
春さん
またまた東京を思い出さす言葉を載せてー
涙ですよ。
「しもたや・仕舞屋」以前は商家でもう廃業した家ですね。
昭和27年代原宿・ラフォーレあたりは閑散としていましたし、新宿は駅の改築中でした。
昭ちゃん
昭和27年ごろの原宿は知りません。40年ごろには表参道近くの明治通りにマロンというケーキ屋さんがあって、草鞋ほどの大きさのエクレアに、ワニの歯みたいにぎざぎざとイチゴが入っていて、食べると元気になりました♪
向かいにお蕎麦屋さんがありましたがあとはお店もなくて、マロンだけ都会的でした。懐かしいなぁ。
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