2019年11月13日水曜日

東海道名所案内双陸


hiyocoさんが送ってくれた藤澤浮世絵館の、『當年新板 東海道名所案内双陸』です。
子どものころ、あまり雑誌は買って貰わなかった私ですが、それでも少年少女雑誌のお正月号の付録には、必ずと言っていいほど双六の付録がついていたのを覚えています。それだけ、日本人と双六は切っても切れないものだったのでしょう。

江戸時代に、双六はたくさんつくられました。


東海道の双六は、存在は知っているし、一度くらいは遊んだことがあったような気もしますが、我が家にはありません。


我が家にあるのは、妹たちがつくってくれた、手づくりの双六だけです。


さて、『東海道名所案内双陸』は、もちろん日本橋がふりだしで、次が品川の宿です。
沢庵和尚の墓の近くに中学校があり、旧東海道沿いに住んでいる同級生がたくさんいた私にとって、品川の宿の絵に海が迫っているのは、とても興味深いものです。
いつからか品川沖は埋め立てられていて、倉庫などの立ち並ぶ殺風景な場所となっていました。旧東海道沿いの商店街はそれなりに賑わってはいましたが、赤線のあった頃(売春防止法施行は1958年)の、二階に木の手すりのついた建物(この絵も二階)もそこここに残っている、場末の町でした。今では、「場末」は死語でしょうか。どこにもなさそうです。
そして、ゴミ捨て場のお台場や、どぶ川の目黒川は臭くて想像もしたくないところで、ふざけて、
「お台場に送ってやろうか!目黒川にぶち込んでやろうか!」
などと、はやし立てて遊んでいました。


これがhiyocoさんが住んでいる江の島です。
村の様子は違いますが、富士山の見えようなど、当たり前ですが今とまったく同じです。

この双六は基本的には宿場町を行きますが、途中、サイコロの目次第によって、寄り道して名所を訪ねなくてはなりません。
保土谷の宿から藤沢の宿の間には名所がたくさんあるので、寄り道も長く、能見堂、金沢、明神、光明寺、鶴ヶ岡、大仏、由比ヶ浜、七里ヶ浜、江の島とめぐって、やっと藤沢の宿にたどり着けます。


箱根の関に止まったら、手形がなくてもう一度江戸まで帰らなくてはなりません。
こんなことをしていたら、いつ京に着けるのか、心配になってしまいます。
 

名所めぐりのために寄り道しなくてはならないところは、随所にあります。
島田の宿に駒が止まって、次にサイコロの1が出たら、「泊まり(=一回休み)」の大井川方向には行かず、蔦の細道、御嶽山と訪ねて小夜の中山に出なくてはなりません。
が、それでよかった、島田の宿から大井川を通って真直ぐ金谷の宿に行く道をたどれば、途中に大井川だけでなく菊川にも「泊まり」があります。
 

そして、どの双六にも共通したことですが、京の近くまで来ても、ぴったりの目が出なかったら、いつまでも行ったり来たりしなくてはなりません。


さて、その昔に雑誌『季刊銀花』に錦絵双六が載っていたはずと、片づけがてら探してみたらありました。

インドの双六

『季刊銀花』によると、もともと、双六の発想の源はこの世から天界への旅に求められたそうです。
そして、日本の最も古い絵双六は、仏教の教えを絵解きにした仏法浄土双六です。

五雲亭貞秀画「東海道行列双六」文久3年

慶長年間に江戸と諸国を結ぶ街道が整備され、宿駅が設けられるようになると、彼岸への道中に代わって、この世の道中を描いた双六が現れました。
そして、中でも江戸を振り出しに五十三次の宿駅を通って京へ上る『東海道五十三次双六』が、庶民の人気を集めました。

一立斎広重画『浮世道中膝栗毛滑稽双六』

十辺舎一九の『東海道中膝栗毛』がベストセラーになると、時流に目ざとい絵師たちは競ってこれを双六にしました。

一寿斎芳員画『百種怪談妖物双六』

江戸の巷で流行したものは、何でも双六になったそうでした。

「単語の図寿古呂久」

それが、明治に入ると、双六が教育にも導入されました。
これは、小学生のための双六、絵を見ながら漢字を覚えます。
栄螺、酸漿、鴛鴦、蜻、慈姑、龍盤魚、どれも読めませんでした。







4 件のコメント:

かねぽん さんのコメント...

おはようございます。
いつもながら大学の講義のような、非常に中身の濃い、為になる内容で興味深く拝読させてもらいました。
最後の漢字、竜盤魚だけ分かりませんでした。絵を見てもよく分かりません。イモリでしょうか?

hiyoco さんのコメント...

双六の特集雑誌があるなんて、しかもそれをお持ちなんてびっくりです!
妖怪の双六は順番に進むんじゃなくて、出た目によって指定の場所に飛ぶんですね。
浮世絵館の双六は、街道を離れて強制的に名所を巡らされる場合もありますが、船でショートカットもあったりするところが面白いです。絵師たちがいろいろ策を練ったんでしょうかね~(笑)。それにしてもあれを版画で作るっていうのがすごいです。でも一回彫っちゃえば、コピーがいくつもできて売れれば儲かったんですかね?
今更ながら春さんの写真をみて、江の島の絵で奥に見えているのが富士山だとすれば、描かれているのが島そのものじゃなくて、主に陸側だと気が付きました。島全体を描かないなんてあり得ます(笑)?

さんのコメント...

かねぽんさん
ぴんぽ~ん、イモリでした。
トンボも字がちょっと違いますよね。
これで小学生。人間の普通に備わった能力は、いろいろあるのに、だんだん使わなくなってしまって、まだ読むことはできますが、簡単な漢字も書けなくなってしまっています(汗)。

さんのコメント...

hiyocoさん
言われて気づきましたが、江の島は全体が入っていない、おしゃれですね。全体に背景のように描いてある帆掛け船も素敵です。

『銀花』はまったく知らない世界を教えてくれる、わくわくする雑誌でした。特に最初のころは、「もの」もそうですが、文も面白く、金子みすゞ、三野混沌と吉野せい、田中一村などなど『銀花』で知りました。当時は、誰も金子みすゞなど知らない頃でした。でも40年も続いているうち、テーマ探しは大変になっただろうし、種も尽きて、編集は大変だったと思います。だんだん内容は薄くなって、読むところが少なくなっていました。そしてネット社会になりはじめたころ、突然廃刊しました。
いい雑誌ではありますが、一冊にいろいろな記事が載っているので、『銀花』は見たいものを探すのが大変です。今回は、たまたま雑誌を入れる棚が完成して、高いところ、しかも前後に二重に並べてあって奥のは見えない雑誌を、新しい棚にも移して見やすくしようとしていた最中だったので見つかりました(笑)。
いっそ、例えば左官の載っている刊は他の左官の本と一緒にしておいた方がいいかと思ったりしますが、そんなことをしていると、ますますごちゃごちゃになります。

駒は付属の絵を利用して、倒れにくく作りましたよ(笑)。はなちゃんが来て一緒に遊ぶのを楽しみにしています(^^♪