2019年11月3日日曜日

内町工場


益子の陶器市の帰りに寄った内町工場の一角に、経木の箱がぶちまけたように積んでありました。
アイスクリームの箱です。


その昔、経木に入ったアイスクリームは鉄道の駅でしか売っていませんでした。しかも、比較的大きな町の駅にしか売っていませんでした。冷凍設備がどこにでもあるというものではなかったからです。
昔の汽車は、急行ですら駅には長く停まりました。発車するまで、お弁当、お土産もの、お茶などの売り子さんが、停まっている列車のホームを足早に行きかい、呼ばわる大きな声が共響して、旅心を盛り上げていました。
「えぇ、アイスクリン、アイスクリン」
と、肩から紐をかけた木の箱に入ったアイスクリームを売る人がホームを歩いていて、買ってもらえるとわかると、開けた窓から身を乗り出して手を振って合図したものでした。


経木の箱には蓋はなくて、すりきりに入ったアイスクリームには紙がかぶせてありました。
どうやって凍らせていたのか、冷凍ミカンやアイスクリームはカチカチに凍っていたので、すぐには食べられず、しばらく溶かしてから紙の蓋を取ると、アイスクリームはかすかにクリーム色で、卵の味がほんのりとして、とても美味しいものでした。


内町工場の経木の箱はどれも反り返っていたので、わりと反っていない箱を二つばかりいただきました。


みやこ染のビンも見つけました。


「みやこ染」というビンのエンボスを見る前に、錆びた蓋の灯台模様を見て、
「あっ、みやこ染だ!」
と気づきました。
写真に撮るとわりと読めますが、肉眼ではその上の写真のように錆びていて、字までは読めません。


持っている中身入りのビンの蓋と比べてみると、まったく同じでした。

さて、夫が本を2冊、私も2冊買ったので、なんとビンとアイスクリームの箱はおまけにしていただきました。
本だって、1冊300円とか500円なので申し訳ない気分ですが、ありがたくいただいてきました。


夫が買ったのは、ゴッホの画集と『石田徹也ノート』です。
「あれっ、この本うちになかったっけ?」
「あったかもしれないなぁ」
我が家には私が買った石田徹也と夫が買った石田徹也、2冊あるはずです。
「取り置きして、後でご連絡いただいてもいいですよ」
と、内町工場のSさん。
「あぁ、まあいいです。いただいていきます」
「そうですか」
というやり取りのあった『石田徹也ノートでしたが、


やっぱり、ありました。


私が買ったのは、池澤夏樹の『見えない博物館』と田中小実昌の『香具師の旅』でした。
田中小実昌さんは、野見山暁治先生の妹さんのお連れ合いで、野見山先生のエッセイの中では「こみちゃん」としておなじみですが、本は読んだことがありません。


これは夫が大好きな絵、ゴッホのジャガイモを食らう人々です。


そして私は、画集の中に「織り機」という絵を見つけました。
当時の織り機の様子がとてもよくわかるのですが、さらにじっくり見ると、よくわからないところが一か所あって、何だかもやもやしてしまうのですが。





6 件のコメント:

hiyoco さんのコメント...

このアイスクリームの箱はどれぐらいのサイズなのですか?写真の雰囲気だとお弁当箱サイズに見えますが、まさかそんな大きさじゃないですよね(笑)?食べきれません!
駅のお弁当と言えば、チェンマイからバンコクへの寝台列車に乗った時を思い出します。食事付きで予約したのですが、停まる駅で売り子さんが美味しそうなお弁当を売りにくることを乗ってから知りました。車内販売も充実していました。

さんのコメント...

hiyocoさん
失礼しました。経木の箱に入ったアイスクリームなんて知らない世代がほとんどなのに、サイズもお知らせしませんでした。7.8×5.2㎝、手のひらに乗るサイズです。
たぶん新幹線ができたころから、車内販売されるアイスクリームは、小さめの紙のカップになったのでしょう。
氷をつくる技術はどんなものか知りませんが、経木の箱のアイスクリームの時代は、業務用にしても電気の冷蔵庫はなくて、氷を入れた木でできた冷蔵庫の中で冷やしていたのだと思います。
私が小学生のころ、駅で買うアイスクリームは15円から20円したのではないかしら。お弁当が50円、お茶が5円くらいだから、結構高いですね。
ちなみにデパートの食堂など、駅以外で食べるアイスクリームは、金属の脚付きの器に入って、ウェファースが必ずついていました(笑)。

のら さんのコメント...

こんな箱に入ったアイスクリームがあったなんて、全く知りませんでした。ビックリ~!

さんのコメント...

のらさん
えぇぇぇっ!
世代もあるけれど、私は小さいころ両親と離れて暮らしていて、長い休暇には汽車に乗って東海道を走っていたから知っているのかもしれません。
遠くに行くときだけでなく、倉敷から岡山まで(途中に2駅)行くときも、運がよかったら買ってもらえたような記憶もないわけじゃないです。
では、大きな寸胴鍋みたいなものに氷を入れ、その中に立てた丸い型の中に入ったアイスキャンデーは知っていますか?夏だけ売っていましたが、買いに行くと、その筒(型)をカチャカチャ動かしてみて、よく凍ったのを売ってくれました。でも、家から遠かったので滅多に口には入りませんでしたが。

kuskus さんのコメント...

しばらく忙しくて見ていなかった春さんのブログ。
このアイスクリームの箱は、私も内町工場で目にしたことがありました。
一緒にいた10才ほど年下の友達たちは見たことがないと言ってましたが、私は汽車(電車じゃない時代)に
乗るたびに買ってもらった嬉しい記憶があるし、幼稚園の頃は当時住んでいた家の近所で売ってる店があり、
私の背より高いアイスボックスの中が覗きたくて背伸びしても見えなかったことを覚えてます。
アイスボックスは、丸い分厚いフタをポコッと音をさせて開けていました。
汽車で売ってるアイスクリームはシロクマの絵、店売りのアイスクリームはペンギンの絵だったことまで
覚えているのは、やっぱりその頃アイスクリームはしょっちゅう食べるおやつじゃなくて記憶に残ってるんでしょうね。

さんのコメント...

kuskusさん
内町工場には、売っても売っても残ってしまうほど、たくさん積み重ねてありました(笑)。思わず昔がよみがえりましたが、駅以外でも経木の箱に入ったアイスクリームを売っていたのですね?それは知りませんでした。
町の店先で買うなら、割り箸を丸い筒に突っ込んでつくった、紫色、黄色、白などのアイスキャンデー、デパートの食堂で食べるなら、金属の高坏に丸く盛ってウエファースを添えたアイスクリームでした。
小学校中学年のころだったか、ソフトクリームがデパートに登場しました。祖母はそれが好きで食べさせてくれましたが、一つ60円ととても高価でした。うどんが20円くらいじゃなかったかしら。それから10年、ラーメンが60円くらいになっても、ソフトクリームは60円くらいだったから、値上がり率は低かったです。
もっとも、横浜で初めてアイスクリームが売られたとき、1000円で家が建つ時代だったのに、アイスクリームは一杯2000円したと言うから、すごかったですね。
アイスクリームの箱に描いてる絵まで覚えていませんが(描いてなかったか?)、味は覚えています。手づくりっぽい美味しいアイスクリームでした。