2022年4月16日土曜日

内町工場から来た本(1)

2月に、孫のたけちゃんに送る絵本を買いに、久しぶりに行った益子の古本と古道具のお店の内町工場で、私用にと本を数冊買ったことがありました。
大判や厚い本が多かったので、布団に入ってから読むというのが難しい。とくにまだ寒かったころは手が伸びるのは文庫本や小さな本で、そのとき買った本を、なかなか読み進む時間がありませんでした。
そんな状況だったのに、その後、もう一度内町工場に行って、懲りずに本を買ってきました。その本たちも、やっとのことでほとんど読みました。



3月に行った時、また河童さんの本がありました。
『河童が覗いたニッポン』(話の特集、1980年)です。目次を見ると、「京都の地下鉄工事」、「集治監」、「長谷川きよしの周辺」、「盲導犬ロボットと点字印刷」、「裁判」、「入墨と刺青」、「刑務所」、「走らないオリエント急行」などなど、脈絡のないトピックスが並んでいました。


「京都の地下鉄工事」は、どこを掘ってもそれぞれの時代の遺跡が積み重なっている土地で、どうやって地下鉄をつくることができるのか、そんな疑問が丁寧に描かれています。実際、工事現場となる土地を調べることには手を掛けていますが、いろいろな発見もあったようです。


地上のものは何一つ動かさないで、地下だけで何とかする工事もたくさんありました。
京都地下鉄の工事では、それまでのパイルを打ち込んで地盤を固くする杭打機に代わって、ドリル状のもので孔を開け、そこにモルタルを流し込んで鋼材を建て込む、アースオーガーという最新の機械が使われたそうです。そういえば、昔の工事現場ではパイルを打ち込む杭打機の音が鳴り響いていたのを思い出しました。
一つのトピックにつき、5,6枚の絵がついています。


「集治監(しゅうちかん)」とは、明治時代の監獄です。
明治14年から24年までに、北海道に5つの集治監がつくられたのは、維新後の明治政府を批判する抗議闘争が各地で起こり、逮捕者が急増したからでした。逮捕者は43,000人にも上りました。
彼らを収容するために政府は集治監を次々と北海道につくったのです。と言うのは、アイヌから奪った土地を開拓して新しい領土とするために、囚人を労働力として送り込むという一挙両得を狙ったからでした。
逮捕された人々は集治監に送り込まれ、道普請に駆り出されました。


記録によると厳寒期の雪の中での作業でも、囚人は足袋を履くことが許されませんでした。過酷な環境のもとで、囚人たちは次々と死にましたが、それを補充する囚人には事欠きませんでした。また、逃亡を企てた人は惨殺されました。
月形町役場の前にある「北海道行刑資料館(もと集治監の庁舎)」の熊谷さんは、集治監の保存に尽力された方で、
「北海道の開拓史というと、まず屯田兵や入植者などが紹介されていますが、じつはそれ以前に、集治監の受刑者が原野を切り開き、道路をつくり、開拓の基礎をつくったことは、あまり知られていません。歴史はともすれば都合の悪い部分が隠されがちです」
と語っています。
明治政府首脳は、「囚人だから死なせても構わない。人数が減れば出費が助かる。補充の囚人は内地から新しく送ればよい」と考え、道路工事だけでなく炭鉱の採炭にも当たらせています。

『河童が覗いたニッポン』では、最初、あまり関心がないと思ったトピックにも、引き込まれるものがありました。
例えば「入墨と刺青(いれずみとほりもの)」では、江戸時代の入墨刑のいろいろなどが描かれているし、「長谷川きよしの周辺」に描かれている点字を学習すれば、点字が読み書きできるようになりそうなほどの丁寧さでした。


『いのくまさん』(猪熊弦一郎絵、谷川俊太郎文、杉浦範茂構成、小学館、2006年)
は、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館に企画による本です。
前々回に行ったときは、「絵ばかりの本は、どうせあまり見ないから」と見送っていたのですが、おもちゃのページがあったので、やっぱり買ってしまいました。


『いのくまさん』には、猪熊さんが子どものころ描いた絵から晩年の絵、そして立体工作なども紹介されています


楽しい本ですが、私としては、猪熊さんの本と言えば、『画家のおもちゃ箱』(文化出版局、1984年)を復刊してもらいたい気持ちでいっぱいです。
『画家のおもちゃ箱』は、ときおり古書で見かけますが、とんでもない値段がついています。






6 件のコメント:

  1. これまでも、春さんが紹介してさった本を何冊も読みましたが、「河童が覗いたニッポン」も図書館に予約しました。届くのが楽しみです。

    余談ですが、友人が、1956年の芸大建築科新入生歓迎会の記念写真をフェイスブックでシェアしてくれました。現在、共に活動させて頂いている前野先生が写っているからなのですが、学生達も多く写っています。その内の数人の名前が、ポップアップで表示される様になっているのですが、なんと、駿介先生のお名前が。お若い!

    返信削除
  2. 「猪熊弦一郎のおもちゃ箱」について、発行した小学館が「長らく復刊が求められていた『画家のおもちゃ箱』も特別再収録しています」と書いているので、春さん以外にも復刻を望む人たちが大勢いたんですね。
    三越の包み紙はやなせたかしのデザインだと思っていましたが、猪熊さんとの共作だったんですね。

    返信削除
  3. reiさん
    本文の全部手書きの労作です。とくに点字のところなんかはすごい。面白かったです(^^♪

    夫は、1956年には学校に入学していませんよ。どなたかの間違いじゃないですか?(笑)

    返信削除
  4. hiyocoさん
    そうそう、私もそのくだりを読んで、どう収録されているかわからないまま、ポチっとしてしまって、待っているところです。ちゃんと載っているかなぁ?
    fukkan-mailというサイトがあり、そこに復刊をお願いしておくと、人数が多くなると出版社をプッシュしてくれるというので、もう20年も前に『画家のおもちゃ箱』をリクエストしましたが、何ともなっていません。文化出版局の書籍を見ると、美術とか趣味とかの本は、今ではまったく出版していないようです。かつて、既製服がなくてたくさんの女性が洋裁を学びに服装学校に通っていた時代は、出版局もいろいろできたのだけど、今は生徒さんも激減してしまっただろうし、趣味の本など出していられないのでしょうね。

    三越の包装紙にやなせたかしもかかわっていたのですか?そっちの方を知りませんでした(笑)。

    返信削除
  5. 新入生歓迎会記念写真の年代書き間違っていました。1962年です。60年前ですから、駿介先生が入学なさった年でしょうか。他の学年や卒業生も一緒に写っているとの事です。

    返信削除
  6. reiさん
    それなら、いました。1963年卒業です(笑)。
    fbでときおりほかの方が持っていた古い写真を見ることがありますが、確かに若いです(笑)。

    返信削除