2022年4月17日日曜日

内町工場から来た本(2)


『キリムへの旅 トルコへの旅』(渡辺建夫著、木犀社、1998年)は、いろいろな職業につきながら、アジアや中南米を旅してきた渡辺建夫さんが、1980年代末に、10年続けていた仕事をやめてトルコに行き、貿易商となり、キリムを集めるために深くトルコの村にかかわり、キリムと、キリムをつくって来た遊牧民の人々の生活、そしてその変化などを書いた本です。

モスクに敷かれたキリム

その昔読んだ、渡辺さんの『インド青年群像』(晶文社、1978年)も『インド反カーストの青春』(晶文社、1983年)も面白かったけれど、渡辺さんの文が面白いのは、その地域に住む人たちと関係を結んで行く姿が描かれていることだと思います。
いわゆる見聞記の中には、あれを見たこれを見た、こう考えたなどということの羅列で、その土地に住む人の姿が見えてこないものが数多くありますが。


近代国家は世界中で、遊牧民やノマド(定住地を持たないで移動しながら暮らす人々)の定住を強要し、遊牧民が遊牧生活を送ることを許しませんでした。
そんな状況の中、消えるべくして消えていく遊牧民と、消えるべくして消えていくキリムとを書いておきたいという気持ちが、この本には溢れているでしょうか。
とくに、遊牧という生活がどんな生活か、とてもよくわかる本でした。
遊牧民は何も持たない?
いえいえ、とてもたくさんのものを持っています。

遊牧民は自分たちの家族、三世代の生活が支えられるだけの数の羊や山羊、牛などの家畜を所有していなくてはなりません。また、家財道具を積んで移動するためのラクダや馬などの役畜も必要です。簡単に組み立てて解体することのできる住居、それに厳しい自然の中で生活するための様々な道具が必要です。寒気を防ぐ大量のフェルト、敷物、寝具、さまざまなものを収納するたくさんの袋類、家畜の乳を加工する道具、毛皮をなめす道具、羊毛を加工する道具、染色する道具、織り機、身を守る武器など、すべてが揃ってなくてはなりません。
都市の住民はパンはパン屋で買いますが、遊牧民は小麦を挽いて粉にして、パンを焼く道具を持っていなくてはなりません。村人なら隣近所で貸し借りできる染色用の道具も、山の中で一族だけで暮らす人々にとっては、自前のものが必要です。
こうしたものすべてが整ってはじめて、遊牧生活が可能となります。

かつて、定住している農民は、権力者から課税されたり搾取されたりしても逃れられない存在でしたが、遊牧民にはもっと自由があったと記されています。


『タクアンかじり歩き』(妹尾河童著、朝日新聞社、1983年)は、河童さんの本だからと買ったものの、期待もせず、読むのを後回しにしていましたが、読んでみたら面白くて止まらなくなりました。
出港すると1年以上も帰れないマグロ漁船に乗せていくタクアン、刑務所の限られた予算の中のタクアン、海外で売られているタクアンなどなど、中にはタクアンにまつわる話よりも別の話が長くなっている章などもあります。
かつて、冷蔵庫もない中で、タクアンづくりはできるだけ長く保存しようと、大根を徹底的に干し、塩も効かせました。
ところが今は、干して乾燥すると大根は目減りするし、固くなるので好まれないしと、生産者にとっても消費者にとっても、昔ながらのつくり方は敬遠され、柔らかくて、塩分少なめのタクアンが出回っています。
そんな今のタクアンづくりも紹介されています。


網走刑務所では、受刑者の楽しみは食事くらいしかないので、限られた予算で献立に工夫しています。タクアンは刑務所内で年に約9,000本浸ける美味しいものです。
楽しみの食事に差がつくと心がざわつくので、何もかも均等で、タクアンは一人25グラムと決まっています。いくら嫌いでも好きでも、お互いにあげたりもらったりすると貸し借りで上下関係ができるので、絶対にやり取りはできないそうです。


常心房という、タクアンのルーツのような稲わらでつけるタクアンを訪ねて比叡山に行ったときの、
「どこででも、当たり前に生きればいいんです」
と言う、阿闍梨の言葉は深すぎます。
「阿闍梨」とは、「千日回峰行」を完遂した者のみに冠する称号です。千日の間、1日に30キロから84キロも山から山へと歩く、昼夜休みなく歩く姿も獣のような速さで、それを千日続けると地球一周に相当するという、荒行です。
それに加え、12年間籠山し、9日間の「断食断水不眠不臥」という行も重ねた阿闍梨だというのですから驚きます。
私など、たった1日断食をしようとして、お茶は飲んでいたし、眠っていたし、臥せってもいたのに血糖値が下がって、やむなく諦めたという経験があります。「千日回峰行」も「断食断水不眠不臥」神業に見えますが、阿闍梨は荒行の話など一切しなかったということでした。


予想に違わず、『イスラム世界の発展』(本田實信著、講談社、1985年)が最後になってしまいました。
でも、読み進むと面白い。預言者ムハマンドは、ある日突然神の召命を受け、恐ろしくて家に逃げ帰り、妻にすがりついて震えていたそうです。ただ、ムハンマドの口から勝手に次々と出てくる言葉があまりにも美しく、すぐに妻と近所の人たち数人がイスラム教の信者になりました。

ウマイヤ朝の首都となり、その後もイスラムの政治・文化の中心であったシリアのダマスカス

それが今では、信仰する人が6億人にもふくれあがり、しかもどこにおいても同一の信仰形態を維持して、形骸化することなく、信者を増やし続けています。
イスラム教徒は五行を行います。五行とは信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼ですが、そのなかで喜捨(ザカート)は、特に素晴らしい行に思われます。イスラム社会に行くたびに、何度も目にし耳にしたザカート。これがあるために、イスラムの「共に生きる」という理念が、今日までみごとに続いているのでしょう。
この本ではイスラムを、人類の貴重な文化と位置づけていますが、納得でした。





 

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