敷いた布はロンボク島ではなくチモール島のもの |
ヤフーオークションで、偶然見つけたインドネシアのロンボク島の、織りものの杼(ひ)です。
竹でできていて、頭には木をはめ込んでいます。
お尻の方は7等分して、途中まで裂いていて、裂いた部分は薄く削ってあり、先端の裂いてない部分は削っていません。
竹の内部は細いので、緯糸(よこいと)を巻いた管が入りにくい。そのために途中まで裂いて、内側を削ったのではないかと思われます。
私がこの杼を見て驚いたのは、カンボジアの筒形の杼と酷似していたことでした。
写真はカンボジアの杼です。
一般には竹でつくられていますが、木をくりぬいてつくったものもあります。
これまで、これらはカンボジア固有の杼だとばかり思っていましたが、ロンボク島に原理が似たものがあるということは、2か所で別々に生み出されたものでなく、つながりがあると考える方が自然です。
布はクメールの絹の絣 |
上はカンボジアの、クメール人が絣に染めた絹糸を織るための杼です。
高さがあり、寝かせて使う杼ですが、世界で最も普及している、一般的な杼の形をしています。
確証はありませんが、カンボジアの筒形の杼はクメール人ではなくチャム人が使っていた可能性があります。
インド洋上の、西はマダガスカルから東は台湾まで、共通の文化を見いだせる人たちが暮らしていて、元々は小舟で洋上を自由自在に行き来した海洋民族の彼らは、文化人類学ではマレーと呼ばれています。
インドネシアのロンボク島には、9世紀から12世紀にかけてインド・ビルマ民族のササク人がやってきて権力を持ちましたが、先住の民はマレーです。また、ヴェトナムやカンボジアの沿岸部や川のほとりに住んで、漁業を生業とするチャム人もマレーです。
同じマレーですから、ロンボクで織物をする人も、チャムで織物をする人も共通した筒型の杼を使っていたことが考えられます。
布は、インドネシアのスンバ島の絣 |
カンボジアに住んでいたとき、筒形の杼がチャムのものかどうか確かめなかったのが悔やまれます。
しかし、骨董市場の店主たちはほとんど中華系のカンボジア人だし、チャム人に知り合いはいなかったし、チャムの人たちの織物も昔とは変わっただろうし、ポルポト時代に織物を含む研究者たちは皆殺されてしまったし、何よりロンボクの筒型の杼を見なかったら、筒型の杼をチャムが使っていたとは想像もしなかっただろうし、致し方のなかったことかと思われます。
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