2023年7月14日金曜日

さようなら


Gさんが朝日新聞に載っていた野見山暁治先生の追悼文の切り抜きを持って来てくれました。
そう、6月22日に亡くなられて、死亡記事は東京新聞で読んだのですが、写真も載っていたのですが、切り抜くこともあるまいとそのままでGさんに手渡したのでした。
「東京新聞ももっと追悼文なんか載せてもいいのに」
「ほんとね」
文化・文芸に弱い東京新聞です。


新聞に使われた写真は97歳の時のもの。
建畠哲さんの追悼文には、野見山先生らしいエピソードが載っていました。

☆☆☆☆☆
(前略)
 私は直接謦咳に接する機会は多くなかったが、勤め先の埼玉県立近代美術館で、六十歳代半ばにして亡くなった辰野登恵子さんの未発表の作品を中心とした展覧会(2018~19年)を開催した初日にふらりと姿を見せた野見山さんが、とつとつとした語り口で、この教え子に対する哀悼の言葉を述べられ、その場に居合わせた者の心を深く打ったことが思い出される。
(後略) 
☆☆☆☆☆

「ぼく、野見山さんは死なないと思ってた」
「私も死なないと思っていた」

追記:

昨日の東京新聞読んでなかった!


さっき開いたら、7月13日づけで野見山暁治先生の大きな追悼記事がありました。しかも書いた人は戦没画学生慰霊美術館「無言館」の館主の窪島誠一郎さんで、朝日新聞にようにわざわざ「寄稿」なんて断わってないものでした。
東京新聞さん、ごめんなさい。





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