まさか、まさか。
織物の先生Kさんこと近藤由巳さんが、逝ってしまいました。
書かないで済ませたいけれど、これから織物教室の記事は書けなくなるわけだし、触れないわけにはいきません。
写真は10月10日に織物教室に行く途中、コスモス畑から雨上がりの筑波山をのぞんだところです。
この日、近藤さんはちょっと身体がきつそうでした。でも、体調がすぐれないので病院に行き、胃カメラを飲んだら逆流性食道炎と言われた、もっと重い病気ではなかったと、嬉しそうで、生きる気満々でした。
近藤さんは痩せていて、血圧が低くて、朝はいつもだるそうだから、この日が特別とは思わないですごしていたら、そのうち元気も出てきて、生徒のKさんが横浜で開かれたスピニングパーティーで仕入れてきた、素敵な色つきの原毛を見て、
「もう100グラムあったら素敵なマフラーができるわね。連絡してみなさいよ」
としり込みしているKさんにはっぱをかけ、青森にある牧場に電話がつながったら、Kさんに替わって電話を取り、説明したりしていました。
何もおいしくなくなったと言っていたのに、お昼のお弁当も完食でした。
じゃまた再来週ねと言って別れたのに、12日の朝倒れて、病院に運ばれたものの昏睡状態が続き、14日の午前中に亡くなられました。
「いったい何年かかったんだ?」
とため息が出るくらい膨大な数の、染めや織りのサンプルをつくって、見やすいファイルにしていらっしゃいました。染めのことも織りのことも、訊けばなんでもなんでも答えてくれる頼もしい師でしたが、知らないことを「知らない」と言うことにも素直でした。
知らないことにぶち当たると、むしろ嬉しそうで、すぐに分厚い本やレポートを引っ張り出してきて、丹念に調べます。そして回答が見つかったら、
「見つかったわよ」
と、その答えがちょっと長くても、嬉々としてみんなに読み聞かせてくれました。
授業中は、ほぼ織物の話をしていましたが、みんなでお弁当を囲む昼休みはいつも長く、いろいろな話をしました。食の話、植物の話、動物の話、ラジオの話(子供科学電話相談室や、荻上チキのセッションがお気に入りでした)、宇宙の話、原子力の話、国際問題の話、政治の話などなど、いつも話がはずみ、近藤さんの洞察力や信念が、端々にうかがい知れました。
日本人の大半は、ものごとを日本中心に考えてしまうし、同調圧力に押しつぶされていますが、近藤さんはそんなこととは無縁でした。
月に2回、とっても楽しい時間だったのに、私を含めた3人の新米生徒たちは途方に暮れているところです。
ご冥福をお祈りします。
返信削除知り合いたかったです・・・。
そんなにあっけなく逝ってしまわれることがあるんですね。先週一緒に過ごされたのに。
返信削除織物教室がとても楽しいことは、記事を読んでいていつも伝わっていました。
ご冥福をお祈りいたします。
afさん
返信削除近藤さんもお会いするのを楽しみにしていらっしゃいましたよ。
甥っ子の双子の赤ちゃんが訪ねてくるので楽しみで、あれこれ食事を用意したりして、無理しすぎたようでした。
hiyocoさん
返信削除ほんとあっけなかったです。
食べない、食べられないの悪循環だったみたい。
私たちも、なんでもじゃんじゃん食べて、毎日を楽しく生きましょうね!