2024年4月3日水曜日

ラオスの織り機

本棚を掃除していたら、封筒が出てきました。
「何だろう?」
中には紙が入っていて、引っ張り出して見ると、私が昔描いた絵でした。昔のことなので、何のために描いたのか覚えていませんが、ロットリング(希望の太さで線が書けるペン)で丁寧に描いた絵ばかりでした。


その中に、ラオスの紋織りの織り機の絵がありました。なかなかわかりやすく、我ながら、昔の私にちょっと感心してしまいました。
左手前から、織り手の座る椅子、織り上がった布を巻き取る棒があり、筬(おさ)と平織を織るための糸綜絖(そうこう)が、竹の棒にぶら下げてあります。
その奥に、上から下までぶら下がっているのが模様をつくるための模様綜絖で、この模様綜絖がラオス特有の美しい紋織りをつくるもとなのです。普通の綜絖に比べて極端に長い糸でできている模様綜絖に竹を刺して模様をつくっています。この竹を順番に1本ずつ手で持ち上げることによって、経糸(たていと)が持ち上げられ、持ち上げられなかった経糸との間に隙間ができ、そこに模様糸を通すと、模様ができるのです。それを表す絵もありました。


持ち上げた経糸と持ち上げなかった経糸の間には、模様糸を通しやすいよう、そのつど刀杼(とうじょ、とうひ)を通しておきます。そこに地織りに使うのとは別の杼を使って模様糸を通し、それを地織りの緯糸(よこいと)で押さえながら織り進みます。


ネットで模様綜絖を使って織っている写真を見つけました。
織り手の胸の下あたりに、模様ができているのが見えます。織り機に掛けてある糸は、模様用の色糸で、どれも短く切ってあるので、杼は使っていませんでした、必要な色の模様糸がなくなったら1本ずつ引き抜いて、バタフライにして使っています。


ちなみにバタフライとは、綴れ織りなど、短い色糸をたくさん使うときお互いにもつれないように、引き出しやすいよう、糸を蝶の形にまとめるものです。

この織り機は、分類上は空引き機(そらびきばた)と呼ばれるもので、日本では中世から近世にかけて、使われました。


日本で西洋からパンチカードを使ったジャガード織り機が入ってくるまで使われた空引き機は、模様綜絖を操作する人が織り機の上に登り、二人一組で織る織り機で、貴族の装束、袈裟、帯などにする紋織り(錦織り)が織られました。
1872年(明治5年)、パンチカードを使ったジャガード織り機が日本に持ち込まれ、空引き機に取って代わりましたが、そのジャガード織り機も1990年ごろからじょじょにコンピュータで模様を出す織り機に取って代わられ、今では消えてしまいました。

空引き機を使っての紋織りは、日本では門外不出の特殊技術として京都の西陣だけ(江戸後期に桐生に流出)で伝承されてきた織り方でしたが、ラオスでは多くの庶民が、何種類かの模様綜絖を持っていて、複雑な模様を織りついできました。一度つくった模様綜絖は崩さず、大切に保管して、色を替えたりしながら同じ模様で織り続け、娘へと伝承しました。


模様綜絖の、模様をつくる竹の棒は、模様を1段織るたびに引き抜いて、上から下へ、下から上へと順番に差し直し、竹の棒がどちらか一方にたまると、折り返します。


竹の棒が多ければ多いほど複雑な模様ができますが、模様糸の色を替えたりすることで、さらに複雑な模様にすることができます。
上の写真は一模様、いったい何本の竹の棒を使ったのか数えるだけでも気が遠くなりそうですが、このパヴィエン(ショール)はこの模様の繰り返しで織られています。


上の写真は飾り布で、下から上へと織ったものではなく、横から横へと織ったもの、こんな絵のような模様も空引き機で織ることができます。

1980年代初頭、タイ国境に設置されたラオスからの難民キャンプには、模様綜絖、綜絖、筬の3つに短い経糸を通した状態でくるくるっとまとめたものを、唯一の財産として持って逃げてきた女性がたくさんいました。
命からがら逃げてきた彼女たちは、一段落すると難民キャンプの中に開かれた何でも屋で糸(残念ながらレーヨンしか流通してなかった)を買い求め、夫たちが廃材などでつくった織り機に、模様綜絖、綜絖、筬のセットを据えつけ、経糸は柱や生えている木などに括りつけて張り、戸外で布を織り、ポシェットなど小物をつくり、たくましく、国連職員やNGO関係者などに売ったりしていました。
夜は織れたところまでで外して、室内に取り込むのです。


暮らしの中に、当たり前に織りものがある、ラオスの生活でした。





2 件のコメント:

  1. すばらしい絵ですね!線がきれいで、イラストレーターが描いたのかと思いました。
    ショールの模様も素敵です。

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  2. hiyocoさん
    そう?昔のようには今は描けません。腕は鈍り続けるものです(笑)。
    ラオスの女性たちはものすごいアバウトな環境(戸外で織って、毎日丸めて仕舞う!)で、よくやってきましたよね。紋織りを何世紀も続けてきたのだけれど、劇的な環境変化の今はどうなんでしょう? あんまり織りたがる女の子たちがいなくなっているのではないかと危惧します。
    ショール素敵でしょう?布たちは全部、1990年に出逢ったものです。

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