みやこ染の染色標本です。
さすが、家庭染料最大手のみやこ染です。4つに折りたたんだもので、見たことがないほど手が込んでいます。
この表紙は水彩で描き、文字もレタリングした文字に見えます。戦前につくられたものですが、美しいカラー印刷です。
1990年代まで、カラー印刷は決して簡単にできるものではありませんでした。印刷は、3色+黒だったか、それ以上だったかを、別々に刷り重ねたものでしたが、1色加えるごとに値段も上がりました。日本で最初の2色刷りの切手が発行されたのは、1956年のことで、それまでの切手はすべて単色刷りでした。
さて、染色標本を開くと、(一)は木綿、人絹(レイヨン?)、麻など植物繊維を染める直接染料の標本です。
それぞれの色の、濃い色は、布120匁(もんめ、120匁=450グラム)に対してみやこ染の小ビン2本、薄い色は、その10分の1、すなわち小ビン5分の1本で染めたもので、染めた人絹を小さく切って糊貼りしてあります。
(二)は絹、毛類など動物繊維を染める、酸性染料の標本です。
染めた絹(羽二重)を、(一)の人絹より細かく切り、濃淡3種類の色を見せています。
濃色は布120匁に対してみやこ染の小ビン2本、中色は小ビン1本、淡色は小ビン5分の1本で染めたものです。
布を切る手間、貼る手間、今の日本では、とてもできない手作業です。
(三)は特殊染料、と2色配合でつくる色の標本です。
もともと、化学染料の「黒」は褪せやすいものでしたが、右上は毛専用の黒色で、(二)で紹介されている絹や毛など動物繊維一般用の黒より、格段によく染まるもの、これで絹はきれいに染まらないと書いてあります。
また、右中と右下は木綿用の堅牢な染料で、浴衣や手ぬぐいを染めるものです。家庭で簡単に絞って染めたりする、浴衣染めの需要が多かったのかもしれません。
そして、残り3列は単色ではなく2色を配合して染めた色の標本で、分量のビン数は、120匁(羽二重なら1反)を染めるのに使う量で、動物繊維用の染料です。
そして、(四)は、ビンではなく缶に入った「ミヤコ友禅染料」を使って染めた標本で、使い方が詳しく説明されています。
この気合の入った染色標本は、小売店向けだったのでしょうか、それとも一般家庭向けだったのでしょうか。
染色標本は、定価が1部30銭。これは酸性染料1ビンの値段と同じですが、文末に書いてあるように、おそらくは赤字覚悟で販売したものと思われます。ちなみに、直接染料は1ビン20銭でした。
京城(今のソウル)は、日本の植民地時代(1910-1945年)に朝鮮総督府が置かれていたところですが、そこにまで支店を出していたようです。
誰が表紙絵を描いたのか、誰が布を染めたのか、誰が布を切ったのか、誰が布を貼ったのか、その多くを主婦の内職に頼っただろうことが想像できますが、その労力は大変なものだったことでしょう。
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