2010年2月28日日曜日
手づくり招き猫
息子が中学生のころ、紙粘土でつくったものです。
モデルは三毛猫のミャオ。右は私がつくったものでありきたりですが、左の息子のつくったものは、マイペースのミャオの感じがよく出ています。
バンコクに住んでいたころ、近所の酒屋さんからいただいたミャオは、その後、日本に来て、14年間、我が家で暮らしました。白、茶、そしてチョコレート色の三毛で、その色合いは素敵でした。そのためか、二人とも、背中の模様を描くときには、けっこう力が入っていたようです。
木目込み人形の材料を買ってきて、セットになっていた白や黒の布を使わず、母の古い長襦袢や着物の端布などを使ってつくった招き猫です。
息子の野球仲間のお母さんから教えていただいた、木目込み人形づくりがおもしろくて、招き猫だけではなくて、犬張子もつくって、母や妹に配ったりしました。ずいぶん前のことです。
お尻は、ちょっとはでな梅模様です。
磁器の茶碗などつくっていた、妹のつくった招き猫です。もともとは、妹が母にプレゼントしたものですが、母の身辺整理で、我が家にやってきました。
モデルは、母の家からいなくなったハイジ。ある日ふっと出て行って、そのまま帰ってこなかったハイジは、その後、何度も何度も、妹のお皿や鉢に登場しました。
2010年2月27日土曜日
お店人形
アメリカ大陸は南米、中米、北米も含めて、手仕事のひとつの宝庫です。
陶器、バスケット、織物、木彫りなどなど、素晴らしいものがたくさんありますが、人形だけを見ると、双璧はペルーとメキシコでしょうか。もちろん、他の国々にも、それぞれにみごとな人形がありますが。
これはペルーのお店人形です。
大きい方は、まだ子どもたちが小さかった頃、新宿のデパートで一目見て気に入って、買ってしまいました。小さい方は、渋谷のお店、チチカカで買ったのでしょうか、中南米のものが日本で珍しくなくなってから、手に入れたものです。
大きい方は、帽子屋さんです。カウンターにはアイロンが置いてあって、女性はお客さんでしょうか。店には、なぜか羊もいます。
小さい方は、何屋さんでしょう?
最初、キリストの降誕人形かと思いましたが、キリストはいないし、みんな手に手に楽器を持っているようだし、きっと楽団の一行だろうと思います。
10年ほど前、息子がペルーに遊びに行って、お土産に買ってきてくれた陶器屋さんです。いつのまにか、母の好みを熟知していて、こんなに壊れやすいものを、損傷もなく持って帰ってくれました。それなのに、筆で掃除をするとき、小さな陶器を、いくつか壊してしまいました。
「売れるといいね」と、声をかけたくなるような人形です。
これは、夫のお土産です。ペルーではなくて、メキシコのものです。
幅が4センチ、高さが3センチしかない、小さい、小さいお店です。どんな器用な手でお鍋やポットをつくり、どんな器用な手でくっつけたのか、感心してしまいます。
2010年2月26日金曜日
スコップ
機械でなく、手でつくったものはなんでも好きですが、ブリキという素材にも、いつでも惹かれてしまいます。
これはマレーシアのボルネオ島、サラワクの、たぶんマルディという小さな町の市場で出会ったスコップです。長さが30センチもあるような、巨大なスコップです。いったい、なにをすくうのでしょう。サゴでんぷんかなあ。重いものを入れても、持ち手がしっかりしているので、問題ありません。
大きすぎて、使いこなせないでいます。
犬の餌入れのブリキの缶に入れてあるのは、パレスチナのスコップです。この缶からガラスのビンに移して使っているのですが、細いビンに入れやすい形で、重宝しています。エルサレムのすぐ北の町、ラマッラの、町外れの金物屋さんで買いました。長いあいだ使っているので、角が取れて、いい感じになっています。
パレスチナでつくっているのでしょうか?それとも隣国ヨルダンでつくられたものでしょうか?
ちなみに、猫の餌の缶には、こんなスコップが入っています。日本で買いましたが、どこでつくられたものか、わかりません。
カンボジアのスコップです。1990年ごろ行ったときは、穀物屋さんは使っているのに、金物屋に見当たらず、穀物屋のおばちゃんに、使っているのを譲ってもらったことがありました。それが一番左のものです。
入手経路も、時期も、全部違うのですが、みごとにカンボジアスタイルを確立しているのが、おもしろいところです。右の大きいのは、停電の多かったプノンペンで、立てて、キャンドルスタンドとして使っていました。
インドネシアの木製スコップです。ブリキとは違った暖かさがあります。
そして、これはインドネシアのものだったか、フィリピンのものだったか、忘れてしまいました。フィリピンの北ルソンの人々とインドネシアの人々は同じルーツなので、似ていて、当たり前なのですが。
2010年2月25日木曜日
ガネーシャ
1月のタイ・カンボジアへの旅、ほぼ10年ぶりでしたので、会いたい人、食べたいもの、手に入れたいものなどリストアップして行きました。
会いたい人。最も会いたかったのに、クラチェというプノンペンから遠く離れたところにいて、残念ながら会えなかった友人とは、電話で話すことができました。
食べたいもの。これは胃の方に限界がありますから、全部とはいきませんでした。バンコクでの食事はけっきょく屋台ですませたというか、屋台を優先したので、土鍋でカニと春雨を蒸したものとか、雷魚のスープなど、レストランで食べる料理は、食べられませんでした。でも、おそば類を堪能して、大満足でした。
買いたいもの。お線香、ヤシ砂糖、CD、ランプシェイドなど、予定していたものはほとんど手に入れることができたのですが、砂岩のガネーシャは、売っていたお店がなくなっていて、手に入れることができませんでした。
あきらめていましたが、新しくなったプノンペン空港の中のお店で、チーク材を彫って彩色したガネーシャを見つけました。
カンボジアのガネーシャは、アンコール期の石像を模したものだと思いますが、でっぷりしています。ガネーシャは知恵の神様ですが、我が家では勝手に、椎間板ヘルニアで障害を持っていた犬の守り神にしていました。障害とは関係のない、不慮の事故で昨年死んだ犬の鎮魂のためにも、是非手に入れたかったので、空港で出会えて幸いでした。
これはインドのガネーシャ、死んだ犬の守り神でした。美しい木彫りです。
轆轤で引いた木を組み合わせてつくったガネーシャは、小さいころ遊んだおもちゃを思い出させてくれます。インドではなく、どこでこんなふざけたようなものをつくるでしょう。インドは、本当におもしろいところです。
こんなガネーシャもあります。
以前、プノンペンの博物館の特別展でガネーシャを見たとき、改めて魅了されました。大好きな神様です。
2010年2月23日火曜日
ままごと道具
バングラデシュの市場では、売り手も、買い物をする人も全部男性です。イスラムの国でも、女性がものを売っていたり、あるいは買い物をしていたりする国もありますが、バングラデシュの市は、見事なまでに、男性だけであふれかえっています。
そんな村の市場で、どこでも目にするのが、天秤ばかりです。どれもこれも、年期が入っていい色になったものばかりで、あちこちで、野菜や調味料などを計っています。
素敵なものを見ると、すぐに欲しくなるのが私の悪い癖です。あちこちさがして、やっと金物屋で天秤ばかりを見つけました。しかし、新しい天秤ばかりは、みんなの持っているものほど素敵ではありません。ぎらぎらと安っぽく光り(実際安い)、角が取れていないので、とげとげしています。どうしようかなあと迷いましたが、あちこちでたずねて、こんなにさがして、「いりません」というわけにはいきません。買って帰り、バランスをとりながら、紐をとりつけました。
勝手知ったタイだったら、市場に戻って誰かをつかまえ、「おじさん、このはかりと、その古いはかりと取り替えてもらえないかしら?」などと、ずうずうしくお願いできるのですが、バングラデシュでは、そんなこともできませんでした。
その天秤ばかりはその後、倉庫に入れっぱなしで、何年もたちました。ところが最近、荷物を整理していましたら、ひょっこり出てきました。使い込んだ美しさはありませんが、錆びて、少しはいい感じになっています。使えば使うほど美しくなる、それはわかっているのですが、なななか使う機会がありません。
分銅は、1キロ、500グラム、200グラム、100グラム、50グラムの5つです。
前置きが長くなりました。
はかりを買ったときだったか、それより前だったか、バングラデシュの村で、男の子たちがままごと遊びをしているのを見たことがあります。バナナの葉を敷いた上で、バナナの茎でつくった天秤ばかりを持って、野菜に見立てたものでしょうか、刻んだ野菜クズを計っていました。そして、お金は木の葉です。
あまりにもかわいいので、カメラを向けたら、一目散に逃げられてしまいました。
ままごとをするのは女の子だと思っていましたが、男の子のままごと、なかなか素敵でした。
タイの素焼きのお鍋などを扱っているお店をのぞくと、必ずと言っていいほど、紐でくくったままごとセットを置いています。お鍋の直径が6、7センチのものが一般的ですが、本物よりちょっとだけ小さい、実際に使えそうなサイズのものもありました。
これは、直径3.5センチくらいの、小さいセットです。素焼きの上に、ペンキでしょうか、赤い色が、べたべた塗ってあります。
どのお鍋も、七輪も実際のものとそっくりで、本物は、今でもレストランなどでは普通に使われています。
私が出会ったタイのままごと道具の中で、もっとも美しいままごとです。直径2.5センチほどのものですが、みごとに本物を再現しています。もち米の蒸し器にはちゃんと小さな穴を開けてあるし、タコ焼き器のようなお菓子づくりのお鍋にかぶせる小さな蓋は、直径わずか7ミリほどしかありません。
かまど(七輪)だけでも4種類あって、タイの文化を知ることができます。
よく似ていますが、これはタイではなく、カンボジアの改良かまどです。お鍋は、タイのお鍋とよく似ていますが、形がちょっとだけ違います。普通のかまどでは、お鍋を一つしかかけられませんが、改良かまどだと、うしろに乗せたお鍋でもお湯が沸かせて、燃料の節約になります。
これは長さ20センチほどのミニチュアですが、実際のかまどは70センチくらいあります。それが実に、実に美しいのです。ミニチュアより本物の方が欲しいくらいでしたが、重くて壊れやすいものですから、さすがの私もあきらめざるを得ませんでした。
ついでに、他の国のままごとも紹介します。インドのままごとセット、チャパティーを伸ばす台と棒、チャパティーを焼くお鍋、カレーのお皿などが、インドらしいものです。そしてお鍋は、なぜか普通のものではなくて、圧力釜になっています。
木でできた、香港のままごとです。火鍋(ホーゴー)でしょうか。小さな、針ほどのお箸もついています。
ボリビアのお茶道具セットとお鍋セットです。コーヒーポットで直径1.5センチくらい。
小さくつくれば、材料のアルミは少なくてすみますが、大きいものをつくるより、ずっと手間がかかりそうです。機械で抜いたものではなく、一つ一つ、アルミを絞ってつくってあります。
2010年2月22日月曜日
インドの土玩具
インドの小さな商店街を歩いていると、煤けたショーウインドーの中に、ときおり色鮮やかなものが置いてあることがあります。なんだろうとのぞいてみると、たいていは極彩色をほどこした土人形です。ほかには、派手な桃色に塗った、木の紅入れなどもあります。
この貯金玉も、でーんと光っていました。大きくて、お金がたくさん入りそうです。
もっとも、お金を入れる口はおざなりに開けてあるので、貯金箱として使う人(子ども)がいるのかどうかは、疑わしいものです。値段は150円ほどだったでしょうか。
このフクロウも貯金玉で、首の後ろに、お金を入れる穴が開いています。フクロウというよりは人のような、なまめかしい表情がなんとも不思議です。高さ15センチの、太っちょさんです。
こんな兵隊さんもありました。顔はインド人ですが、日本の土人形にそっくりです。日本でも、戦前はこんな兵隊さんがよくつくられていました。
文化・習慣・信仰などの違いなどから、世界には、人形(ひとがた)を発展させた民族、させなかった民族(嫌った民族)がありますが、インドは、人形とおもちゃの、一大文化圏です。
こちらは、どなたでしょうか。女性のようにも見えるし、男性にも見えなくはないし。
土のおもちゃより、神様の方が、もっとあちこちで、一般的に見かけることができます。
私は、1998年からカンボジアに暮らすことになったとき、ガネーシャ神とカーリー神にも同行していただきました。ところが、ガネーシャは無事でしたが、夫を足下に踏みつけて、人を食べているカーリーは、トランクの中で、なぜか粉々に砕けてしまっていました。
あまり、私のところにはいたくなかったのかもしれません。あるいは、なにか災いの身代わりになってくれたのかもしれません。
これは、ジャガンナート神です。木彫りのジャガンナートは、日本でもよく見かけますが、土のものは見かけたことがありません。
以前、カルカッタ郊外の友人の家に泊めていただいた時、友人の棚にあって、「なんてかわいんだろう」と、心惹かれていました。その気持ちが通じたのか、数年後にお土産としていただいたものです。うろ覚えですが、お祭りのときだけに売っていたものだったかと思います。
顔の黒いのがジャガンナート、顔が白いのは兄のバラバドラ、そして、顔が黄色くて小さいのが、妹のスバドラーです。すごくかわいいのですが、バラバドラとスバドラーの鼻を欠いてしまいました。もしかしたら、チャイを飲むコップのように、土は干してあるだけで、焼成していないのかもしれません。
2010年2月21日日曜日
キンマの道具 石灰入れ
嗜好品ビンロウとプルーの葉を噛むとき、必要なのが石灰です。新鮮なプルーの葉の上に、ペースト状の石灰を薄く塗り、鋏で切った生のビンロウ、あるいは薄切りにして乾燥させたビンロウを置き、葉でくるんで噛みます。石灰はたいてい、このような真鍮の容器に入れます。
タイの石灰入れも、よく似た形をしていますが、私の持っているものは、全部カンボジアスタイルのものです。大きい方の高さは、13センチです。
蓋をとってみると、中に石灰が残っています。小さい容器の方の石灰は、赤く染めてあります。だから、なおさら唾を吐くと、真っ赤に染まっているわけです。
ずんぐりむっくりした形のものもあります。高さが6.5センチほどです。真鍮は、鋳込んだあと、轆轤で表面を引いてあります。
なぜかプノンペンでは石灰入れを目にすることが多く、まだ西側諸国に門戸を開けはじめたばかりの、1990年ごろにも、寂れたプノンペンの銀器屋さんのお店に、石灰入れが並んでいたような記憶があります。
これが石灰と水(たぶん)を入れて、突いてペースト状にする容器です。やはり真鍮の突き棒で突くのですが、あいにく私は棒を持っていません。
この筒は、底が抜けているのですが、使っているうちに底の方には石灰が詰まって、乳鉢のようになります。底を抜いてあるのは、掃除がしやすいからでしょうか。
体系的に集めているのではなく、行き当たりばったりに、一つ、また一つと好きなものだけ買ったので、コレクションはだいぶ偏っています。いつか、素敵な棒に行き当たるときがあるかと思います。
今回の旅で、トゥールタンポン市場で、やはり金属でできた、浮き彫りの美しい、刻んだ煙草を入れる容器を見ました。しかし、「あとで」と思って、CD屋をのぞいたり、お土産を買ったり、モダマはないかと見たり、ドーナツを揚げながら売ってないかとさがしたり、あちこち、歩きまわっていたら、煙草入れを見に戻ることを、すっかり忘れてしまっていました。
2010年2月20日土曜日
リリアン
骨董市をのぞいていると、時々、思ってもみなかったものを買ってしまいます。このリリアン編み機もそうでした。郷愁と、値段の安さにつられて、ついつい買ってしまいました。
小さな子どもたちがよく遊びにくるので、という口実で、ドイツ製のリリアン編み機も買いました。こちらは、ひっかける釘が4本しかありません。原理では、釘が2本以上あれば、3本でも、4本でも、10本でも、紐が編めるはずですが、どうして、日本のリリアン編み機は5本と定まっているのでしょうか。
ドイツの編み機には、毛糸がついてきたので、ちょっと編んでみました。ところが毛糸は、いわゆるリリアンに比べて、なかなかきれいに編めません。毛糸の撚りが甘い上に、編み棒の先が曲がってないので、注意していても、すぐに毛糸が割れて、半分だけすくったりしてしまいます。それがきれいに編めない原因だろうと思いました。
というわけで、ご丁寧に、リリアンまで買ってしまいました。デッドストックみたいでした。
しかし、リリアンは編むのは楽しいけれど、出来上がったものの使い道が、まずありません。引き出しの中に転がっているくらいが、関の山です。それなのに、昔からよく編まれているというのも、不思議といえば不思議です。
Kさんちのあやねちゃん。5歳のお誕生日がもうすぐやってきますが、プレゼントにはリリアン編み機もらうそうです。それはそれは楽しみにしています。
2010年2月19日金曜日
ビンロウの鋏
今回の旅で、骨董屋の集まるプノンペンのトゥールタンポン市場で、ビンロウを切る鋏を見つけました。カンボジアで、ビンロウを切る鋏を見たのは、初めてのことでした。もっとも、片刃ですから、鋏と言わず、カッターとか、ビンロウ切り、と言った方がいいかもしれません。
熱帯アジア各国では、日本でキンマと呼ばれている嗜好品があります。ビンロウの実を、石灰、刻んだ煙草の葉などと一緒に、タイ語でプルーと呼ばれる、コショウの仲間の葉に包んで噛みます。苦いのですがちょっとしびれるような感じがあるそうです。
キンマに関しては、特別な、ビンロウを切る鋏、石灰を入れる容器、石灰を混ぜる乳鉢のようなもの(実際は筒)などがありますが、とくに、それらすべてを入れておく箱にすばらしいものがあり、日本では転じて、その箱に見られる漆の手法を、キンマと呼んでいるほどです。
ビンロウを噛んだものをペッと吐き捨てると、真っ赤なので、最初は、「この人は血を吐いているのではないか」と、ギクッとします。タイやカンボジアでは年配の女性だけ噛みますが、ビルマでは若い男性も噛みながら歩いていました。ただ、口の中や歯が真っ赤に染まってとれないので、美容上からも、最近では急速に廃れているようです。
私たち夫婦は、大きいトランクはバンコクの空港に預け、デーバックだけでプノンペンに行っていたので、帰りのプノンペンの空港では、荷物を預けるかどうか迷いました。まあ、古い鋏は凶器にも見えないだろうと甘い期待を抱いて、機内に持って入ろうとしたところ、残念、荷物検査でひっかかってしまいました。
「じゃあ、荷物預けのところまで帰って、預け荷物にしてきます」。最初、「そうしたらいいよ」、と言っていた担当の男性は途中から気を変えたのか、「ここで預かってもいいよ」、と言います。「前に預けたことがあるけど、けっきょく渡してもらえなかったから、やっぱり預けなおします」、と私。「絶対大丈夫。この袋に入れて」。
じゃあそうするかと、私は厚手の封筒に鋏を入れて、渡しました。
「そこへ座って」。えっ、尋問?過激派に見られたかしら。私は観念して、差し出された椅子に座りました。「ところで、どうしてこれを買ったの?」、そんなことを言われても困ります。「好きだから」、「どうして好きなの?」。
私は戦法を変えました。「この鋏、ビンロウを切る鋏ですよね。実は、私集めているんです。これって、タイのものに似ているけど、カンボジアのものですか?それともタイのものかしら」。
日本人同様、東南アジアの人々も、近隣諸国の人々にはちょっと複雑な感情を持っています。
「もちろん、カンボジアのものですよ。私のおばあさんが、まったく同じ鋏を使っていたなあ」、と男性は、夢見る瞳になりました。尋問しているのではなくて、記憶の底に沈んで、長いあいだ忘れていたものを、どうしてここで見たのかと、ただ不思議に思っていて、話がしたかっただけのようでした。
バンコクの空港で、ロッカーから出したトランクに荷物を詰め替え、またデーバック2つで、南部のクラビに行きました。クラビの空港で、係りの男性に、機内でもらった預り証を見せると、荷物がぐるぐるまわっているところに連れて行かれました。でも、封筒はありません。「こっちに来て」。また、別のところにも行きますが、そこにもありません。不安になりはじめたころ、トランシーバーで連絡を取ってくれて、他の人があの封筒を持ってきてくれました。
お礼を言って別れようとしたら、その男性が、「ところでその袋に何が入っているのか、見せてくれますか?」、と真面目な顔でたずねます。「もちろんよ」と、私は封筒をびりびり破き、鋏を見せました。男性は、一瞬の間をおいて、「あはははは」と、大笑いをして、何も言わず、行ってしまいました。
これが、タイのビンロウを切る鋏です。形はカンボジアのものとよく似ていますが、握るところの先端の形が違います。
実は、タイは鍛冶屋の発達しなかった国です。鉄器はすべて、インドやビルマからの行商人が定期的に売りに来たようでした。カンボジアはどうだったのでしょう。勉強不足で知りません。重い鉄のフレームのアコーデオンドア製作など、近代的な鉄細工はとても優れていますが、昔はどうだったのでしょうか。
インドやビルマの鍛冶屋が、タイ好み、カンボジア好みにつくって売りに来たのか、それともカンボジアのものはヴェトナムから来たのか、またはカンボジアでつくったものをタイまで売りに行ったのか、想像すると楽しくなりますが、はっきりしたことはわかりません。
ところで、キセルは、カンボジア語だということをご存知ですか?カンボジア語で、キセルは空洞になったパイプという意味です。また、キセルの修理屋をラオ屋といいましたが、その「ラオ」は、ラオスのラオです。
これは、インドネシアのものです。繊細で優雅、なにかバティクの模様などに通じるものがあります。
インドのものです。インドは広いので、どのあたりのものでしょうか。これだけは、現地ではなくて、横浜のトルクメンというお店で買いました。私が喜ぶようなものをたくさん置いてあるお店でしたが、2年ほど前に行ってみましたら、なくなっていました。
ビルマのものです。
タイのメーソットはビルマとの国境の町です。タイ人なら昼間、ビルマ領に自由に入れて、入るとすぐに市場があります。外国人は行けませんが、どこにいてもタイ人に見られていた私は、友人たちとすんなり入り、市場で売っていた、骨董ではない、実用品のビンロウの鋏と、身体を洗う石を買ってきました。鉄と何との合金なのか、白っぽい色をしていましたが、年月がたって、いい色になってきました。
これも、骨董ではありません。どこかの市場で実用品を買ったのですが、どこの国の市場だったか、覚えていません。形がずいぶん違いますが、タイの市場だったでしょうか。
間違っているかもしれませんが、フィリピンには、ビンロウを切るための、特別な鋏はなかったように思います。もちろん、ビンロウはナイフでも簡単に切れますが、特別な鋏が発達して、ビンロウを切る楽しみがあったことは、とても素敵なことだったと思います。