2010年8月29日日曜日
2010年8月28日土曜日
おはじきの思い出
小学生のころ、季節によって流行る遊びが違いました。女の子は鞠つき、ゴムとび、石蹴り、おはじき、綾取り、お手玉など、男の子は、ビー玉、めんこ、独楽回しなどでした。もっとも、男の子は、高学年になると、野球ばかりしていたような気がします。
そのほか、ドッジボール熱が上がるのは冬、これは男の子も女の子も一緒に遊びました。学校中でわっと流行りだして、また潮が引くように廃れてしまうという繰り返しでした。
おはじきは、室内と屋外では遊び方が違いました。
雨 の日の、廊下や階段の踊り場に座り込んでの室内遊びは、数十個をほどよい間隔にばらまいて、一つをはじいて別のおはじきに当て、一つ取るという遊びでし た。一度に二つ以上に当てたり、当たらなかったりすると、遊び手の交代です。二人だけでも、二組でも遊びました。たくさん取った方が勝ちです。
ビー玉とは違って、おはじきは、お互いに取ったり取られたりしませんでした。一度に、一人が持ってきたおはじきだけで遊びました。お母さんにつくってもらったり、自分でつくったりした信玄袋に、きれいなおはじきをたくさん持っている子は、とても得意げでした。
外では、校庭の片隅に、直径6、70センチほどの円を描いて遊びました。
円の対照的なところに、気球の籠のような、提灯の上下のような、小さな四角の箱を描き、それをベースにして、おはじきを置きます。おはじきを三回はじいて、三回目にもとの箱に入れたら、おはじきの軌跡どおりに陣地をとることができます。
最初はできるだけ相手のベース近くまではじき、二はじき目は確実に自分のベースに帰れるように、近づけてはじきます。外円からおはじきを出してしまったり、三はじきで戻れなかったら、陣地は取れません。二人で、変わりばんこにはじきます。
二順目からは、小さな箱ではなく、取った陣地のどこからでも出発できて、どこにでも帰れます。できるだけ、自分のベースに近づかれないように、相手の邪魔をしながら、自分の陣地を拡張して行きます。取りっこをして、取れる陣地がほぼなくなったら、残りは適当に分配します。
今度は、自分の陣地の中の、相手のベースに近いところから、相手のベースに向けておはじきをはじきます。ちゃんとベースに入れることができたら、 おはじきを最初に置いた点を起点に、親指を軸にして手のコンパスで円を描き、敵の陣地を丸く分どっていきます。こうやって、どちらかの陣地がなくなるまで 遊ぶのですが、決着がつく前に、始業のベルが鳴ってしまったのではなかったでしょうか。
石も落ちてない、でも硬くなくて指で線が描けるような、平らな土の校庭は、子どもたちが地道につくり出したような気がします。
当時のおはじきは、ただの緑がかったガラス色のものか、それにちょっと色が入っていて、格子の押し型がついたものが主流でした。
そして、赤や緑がちょっと入っている透明なおはじきも、ありました。
私の、幼いときにもっていたおもちゃや絵本は、わずかです。しかも、祖母や母が処分したり、誰かにあげてしまったりして、ほとんど残っていません。
しかし、おはじきだけは、珍しく母が手元に残していました。もっとも私のおはじきだけでなく、妹たちのものも混じっていますが。
以前からあったものに、買ったものも加えますと、今ではずいぶん数が増えました。
なかで、私が一番好きなのは、乳白色のものです。
2010年8月27日金曜日
インドのセルロイド
赤ちゃんが握っても、簡単につぶれてしまいそうな、薄い、薄いセルロイドでできた、インドのお人形です。
それでも、両手両足、ちゃんと動きます。ブラウスを着て、スカートをはいて、帯も巻いています。
布は貼りつけてあるだけでなく、縫ってあります。顔は手描きです。たいそう手がかかっています。
30年ほど前、インドに仕事で行った夫がお土産に買ってきてくれたものです。夫は、自分が買ったなんて、完全に忘れているに違いありませんが。
どうして、セルロイドはこんなに薄いのでしょう?それは、材料代を節約するためだけでもなさそうです。今では、布のせいか、どう透かしてみても針穴が開いていた、小さな痕跡が見つけられませんが、かつてはお腹から背中に、細い、細い糸が通してありました。
こんな風に、二体並べて、糸をピンと張って、後ろから吹いて(前からでも)風を送ってやると、人形たちが歩くように移動するおもちゃだったのです。
もしかしたら、このセルロイドは私へのお土産ではなくて、子どもたちへのお土産だったのかもしれません。列車に乗ると、売りに来る人がいそうなおもちゃですが、当時、夫がインドで列車に乗ったとは考えられませんから、路上で実演しているのを見て、買ったのでしょうか?
細い、細い糸は、とっくの昔に切れてしまいました。でも、セルロイドのお人形は、玄関の飾りだなに飾って、大切にしています。
2010年8月26日木曜日
プリンのビン
友人の家で、友人の友人がつくってきた、豆乳プリンをいただきました。
豆乳500ccに卵2個、バニラエッセンスを加えて蒸したプリンに、メープルシロップをかけていただくというシンプルなもの。とても美味でした。
美味しさもさることながら、そのビンのかわいさには参りました。
「まだ何十回でもつくれるくらい持っているから、よかったら、ビンを持って行ってください」。
どうして、ビンがそんなにあるの?
私が山にこもって、お菓子屋さんをのぞかないでいる間に、世間ではこんなかわいいビンに入ったプリンが、大量に出回っていたのでしょうか?知りませんでした。
ビンについているロゴマークは二種類ほどありましたが、私がいただいたのは、その名もかわいい、「ひよこのお昼ねプリン」でした。もともとは、北海道旭川市の洋菓子屋さんのビンのようです。
どうして、旭川から、はるばる旅してきたのでしょうか?
謎だらけでしたが、ビンを二つもいただいて、暑さも吹っ飛んで、大変嬉しい一日でした。
2010年8月25日水曜日
真壁のおかもち
ここに来てすぐですから、もう8、9年前のことです。西の山を越えて、真壁に行ってみたことがあります。
目についた魚屋さんで、街の見所など聞くと、暇だったのか、「まあ、座って」なんてことになって、話し込んでいました。
真壁は日本有数の御影石の産地で、一時は関東一円から、日本全国の墓石などを生産して栄えました。とくに、バブルのころは、お墓の建て直しが盛んだったので、かつてない高景気にわきました。みんなベンツを何台も持って(それが幸せ?)、お刺身も毎日のように食べて(海から離れているのに)、魚屋さんも、大いに儲かったそうです。
バブルがはじけて、その後、安い石が中国から入るようになって、真壁は急速にさびれてしまいました。今も石屋さんはたくさんありますが、生き残った石屋さんはみんな中国の石を扱っています。
私たちから見ると、真壁は関東平野のどん詰まりで、東に山は控えるものの、後の三方はのっぺりと平らで、おもしろくもなんともないところですが、真壁の人たちは、長い間石の町として栄えてきたという誇りを持っています。だから、山に囲まれた八郷のことは、「山東」と呼んで、ちょっと蔑視していたようでした。
魚屋さんのご夫婦とこんな話しをしていたら、おじいちゃんが出前に出かけました。あらっ。素敵な籠をバイクにつけました。「あの籠はなに?」。
「ああ、おかもちだよ。これだろう」。だんなさんが指差す戸棚の上に並べてあるのは、今まで見たことのない、籠で編んだおかもちでした。どれもあめ色に光っています。
「まだつくっている人が一人いるから、頼んでやってもいいよ」。ばんざ~い。
しばらくして、魚屋さんから電話をもらい、完成した岡持ちを受け取りに行きました。
「家のより、よくできてるんじゃないか?」。
確かに、魚屋さんのおかもちはシンプルですが、新しいのは、胴の部分は竹の裏を使って色を違えてあり、竹の表と裏との境目には、すすだけまで使っています。また、今では竹の裏の色が濃くなったので、ほとんど目立ちませんが、すすだけの花模様までついていました。
籠は、受け取ったときは、美しい緑色でしたが、だんだん落ち着いて、茶色が深くなってきました。
このおかもちには、三枚の深さが違う籠が入っていて、一番上の籠が蓋になります。
お刺身を乗せるのにちょうどよいような薄いお皿が、一度に三枚運べます。ラップをすれば蓋にももう一枚乗せられますし、ワカメとか、シラスとかを、蓋の上にも乗せられます。
さすが、繁栄を誇った真壁の魚屋さんのおかもちです。豪勢な注文があったのでしょう。
私も、お料理を運ぶのに使っています。パイ、グラタン、たたきなど、薄いお皿なら、なんでも運べます。「一品、持ち寄りね」というとき、力を発揮してくれます。
軽くて、丸いお皿の運べるおかもちは、真壁独特のものなのでしょうか。他では見たことはありません。
真壁の魚屋さんか、籠屋さんが、石屋さんたちの豪勢な注文にも応えられるよう、工夫したものなのでしょうか?
2010年8月24日火曜日
助六の招き猫 いろいろ
このちび猫はどのくらい昔から、我が家にいたのでしょうか。20年?、それ以上?
引越しや、地下室での長期保管などで傷んだのか、片目が剥げてしまいました。可愛そうに。
安いものなので、新しいのを買ってきてもいいのですが、そんなことはできません。私にとっては、目が一つ消えてしまっても、可愛い猫に変わりありません。
木彫りの猫です。昔のおもちゃは、木、竹、紙そして土のいずれか、あるいはその組み合わせでできていました。助六で売っているのは、みんなそんなミニチュアや人形です。
土のものとは、ちょっと味が違います。
助六にはこんな猫もいました。陶器は多いけれど、磁器は珍しい。しかも、磁器に多い狐顔をした招き猫です。
福助さんが招き猫を抱えたものと、お福さんが招き猫を抱えた人形があります。福尽くしでおめでたさも倍々だったのでしょう。
合格祈願の招き猫です。のんきそうな顔をしているところが、受験にマッチです。
両方とも鈴ですが、右は切れ込みが入った現代風、左は切り込みのない昔風です。
これは手びねりの招き猫ですが、助六のオリジナルではないのでしょうか。
別のところで、同じ作者がつくったと思われる招き猫に出会いました。
いったいどなたがつくっているのか、調べずじまいです。
ずっしりと重い、なかなか風格のある招き猫です。
2010年8月23日月曜日
助六の招き猫 ペア
助六の招き猫には、なぜか一対、ペアの猫がたくさんいます。
これは、古い型というか、復刻した型というか、丸〆の招き猫です。
背中には丸〆のサインが見られます。
私の大好きな、さいころ乗り、というよりは枡乗りでしょうか。枡は「ますます健康」とか、「ますます繁栄」とか、縁起のいいものとして喜ばれました。
ほっぺのほんのり赤い、かわいいい猫ちゃんたちです。
丸〆も、枡乗りも鈴になっています。
この白い一対と、
黒い一対は、本物の鈴をぶら下げています。
浅草と、招き猫発祥の地とされている今戸とは距離的に近く、助六でも、たくさんの今土焼きを売っています。
これらも今土焼きでしょうか?
それとも、「今土焼き」と印されているこの猫と違って、上の連中はあくまでも助六の猫なのでしょうか。
今土焼きと印された招き猫は、鈴になっていません。
百万両を、首からさげた、新しいスタイルの招き猫ペアもいます。
2010年8月22日日曜日
実りの季節
朝夕は、さすがに涼しさが感じられるようになりました。
「今日はしのぎやすいかな~」と期待すると、相変わらずみごとに裏切られて、汗だくの一日を過ごすことになるのですが。
田んぼの稲は、みな頭を深く垂れています。そろそろ刈り取りがはじまりそうです。
この稲、まわりの稲とちょっと違います。丈が高くて、茎がしっかりしていて緑が濃いのです。
ここは昨年まで、長い間パラグライダーの着陸場でした。といっても実際に使われていたのは年に数回だけ、あとは草ぼうぼうでした。草ぼうぼうだから使われなかったのか、使われないから草ぼうぼうだったのか、いずれにしても、両者の関係が、あまりうまくいってなかったようでした。
その草を刈って、耕して、あっというまに田んぼに還ったのですが、長年田んぼから草を持ち出さなかったので、十分な栄養分が蓄えられたのでしょう。最初から、稲は緑いっぱいでした。
今年は、ブドウ畑が田んぼに還されたところもあって、田んぼの再生を見るのは、とても嬉しいことでした。田んぼと違って、荒れた畑の再生は、難しいようですが。
我が家の、稲も遅まきながら出穂しています。
山際の田んぼは、今年もイノシシに荒らされはじめたようですから、一枚だけ残ってしまう我が家の田んぼは、今年こそ電気柵をまわさないとだめかもしれません。
2010年8月21日土曜日
瓦猫
ある日、近くの骨董市で、まことさんが黒い、瓦に焼いた猫を持っていました。人間のような、変な顔の猫です。
聞いてみたら、まあまあの値段です。
一旦は、「ありがとう。でも、いらない。私は猫を卒業したから」と、立ち去ろうとしました。
「ああ、よかった。仕入れたばかりで、もう少し持っていようかと思ったんだけど、なんだか今日荷物に入れて来ちゃったんだ」と、まことさん。
帰り際に、もう一度、猫と目を合わせました。今別れたら、二度と会うことはないでしょう。それより、お金が少なくなっても、我が家に来てもらった方が、よさそうです。
前に、まことさんが持っていた古い招き猫を、一旦見送ったあと、目の前で他の人に持っていかれたことがありました。とても古くて、値段も高い猫だったので、その人が買わなかったとしても、私が買った可能性はまったくないのですが、それでもよくその猫のことを思い出してしまいます。逃がした魚は大きいという、あれです。
「やっぱり、猫をもらって行く」。
まことさんは、言い値よりさらに値引きしてくれました。「一緒にいたのは、たったの二日ほどだよ」と言いながら。
この猫は蚊やりだったのでしょうか?背中に大きな穴が開いています。
それにしても、今別れたら二度と会うことがないという理由を、これまで何度持ち出したことでしょうか。私の無駄遣いの、言い訳です。そうやって、我が家には、また生活非必需品が一つ増えました。
2010年8月20日金曜日
助六の招き猫 古い型
浅草の雷門から仲見世を歩いて、もうお店も途切れるという、最後から二軒目に、間口一間ほどの「助六」があります。江戸の匂いのするミニチュアが、所狭しと並んでいるのが外からもよく見えて、誰でも立ち止まってのぞいてみたくなるのか、いつもお店の前は人だかりしています。そして、お店の中には、4人も入れば、身動きができなくなってしまうほどの小ささです。
ものを持たなかった夫の母も、助六のミニチュアは好きで、とくに、「おもちゃ屋さん」とか、「タコ屋さん」など、お店のミニチュアがお気に入りでした。今も家にある、高さが1センチちょっとの木彫りのお地蔵さんは、一緒に助六をのぞいたとき、夫の母が買ってくれたものです。
遠い昔、一緒に食事をした後、夫の両親と仲見世を歩くと、助六に寄ってから、夫の父が子供の頃から行っていたという「梅園」で、蜜豆やかき氷を食べるのが常でした。
助六には欲しいものが目白押しですが、私が最初のころ買い求めていたものは、「ずぼんぼ」とか、「飛んだり跳ねたり」など、江戸時代からある、動くおもちゃでした。これらは紙でできているので、もともといたみ易いうえ、よく触って遊んだので、残念ながらみんな壊れてしまいました。
写真は、古くからある型の、招き猫の土鈴です。古い土鈴は、底に切れ目が入っていません。しかし振ると、音がして、はじめてそれが鈴だとわかります。
助六の店主は、江戸の人たちは、お金はほどほどでも、健康で幸せに暮らせることが一番の願いだったとおっしゃいます。ですから、ほとんどの猫は小判を持っていませんが、なかには小判をどっさり持った猫もいます。
欲張りなのか、それとも、「猫に小判=あったってしょうがないよ」という洒落だったのでしょうか。
江戸時代に大はやりだったという、丸〆のマークがついています。これらも、底に切れ目はありませんが、鈴になっています。
この招き猫は、「ぱたぱた」と言ったでしょうか、紙でできている台が、アコーデオンのように伸び縮みします。音が出るわけじゃないし、ただ伸び縮みするだけですけれど、子どもには嬉しいおもちゃだったことでしょう。
もちろん、我が家のぱたぱたは、子どもには触らせませんが。
2010年8月19日木曜日
明暗
春先にYさんから、たくさんのサギゴケをいただきました。
これまでも何度か枯らしたことがあったので、ちょっと心配。白い花の咲くサギゴケと、紫の花の咲くサギゴケは、別々の場所に植えました。
コブシの木の下に植えた紫のサギゴケは、増えてはいるみたいだけれど、健やかに育っているとはいえない状態です。
コブシの根が浅いので、水分を取り合って、水不足になっているのでしょうか?
それに比べて、庇の下に植えた白いサギゴケは、元気いっぱいです。飛び石を残して、ほとんどぎっしりと土を覆い尽くしています。
季節はずれの花を咲かせているものもあります。与えられた環境によって、ずいぶん差が出るものです。
サギゴケの中に混じっていた草も、可憐な花をつけました。
今日、移植日和とも思えませんが、紫のサギゴケの一部を別のところに移してみました。元気になるといいのですが。
2010年8月18日水曜日
たかつき
タイ北部の人々の生活は、家や家具、生活の細々した道具まで、すべてに渡って、「木工品」に彩られてきました。
これは「たかつき」で、高膳より小さなものです。高膳が足つきのお盆としたら、たかつきは足つきのお皿というところでしょうか。
たかつきの足のそろばんの玉のような装飾は、アンコールワットなどの石柱にもよく見られるものです。
仏教伝来よりも前に、ヒンドゥー教がインドから、タイ、カンボジアなどに伝えられたとき、木工技術とともに伝えられたものでしょう。
ちょっと深さのあるたかつきです。
轆轤で引いた上下を、やはりそろばん玉のような模様に轆轤で引いた、細い棒でつなげてあります。
このような細い棒で、上下をバランスよくつなぐのは、なかなか技術を要する仕事に思われます。棒を太くして数を減らすとか、轆轤で太い管をつくって、それを削って模様を出す方が、簡単にできそうに思えますが、簡単であるということよりたいせつななにかが、きっとあったのでしょう。
このたかつきの足は、細い棒でできていません。上のお皿と足を、轆轤で別々に引いて、接着してあります。接着剤は、もちろん漆でしょう。
お皿部分に花模様が描いてあって、なかなか美しいたかつきです。
たかつきは、数々の仏教(と、多くは土着信仰が融合した信仰)儀礼に、なくてはならないものでした。
しかし近年、工場製品であるホウロウのお皿に、そしてより安価なプラスティック製品に、とってかわられてしまいました。
写真は、タイ北部の、村の儀礼(ピティー・ガーン)に使われた、ホウロウのお皿です。左の方には、ちらっとですが、漆を塗っていない、木地のたかつきが見えています。
ホウロウのお皿には、泥でつくってバナナの衣装を着せた人形(ひとがた)と、刻んだタバコが、そして木のたかつきには、蓮の蕾が乗せてあります。
これを持って、みんなで村の中を行列し、池のほとりにまできて、仏様にお供えしました。
カンボジアの厄落しの儀礼(ボン)に使われているのは、たかつきではなく、普段使いのプラスティックのお盆と、磁器のお皿です。
お盆にはバナナの葉でつくった飾り物を飾り、お皿には、儀礼に欠かせない聖水を置いています。聖水の飾りは、バナナの茎にろうそくを立てたものと、井桁に組んだお線香です。
聖水入れには、金属を打ち出してつくった、小さなボウルを使うことが多いのですが、なかったらコップでもかまわないという、融通無碍なところが、儀礼(ボン)が気軽にできる秘訣と思われます。
この日は、お坊様が一人招かれて、友人一家が厄落としをしました。
余談ですが、ボンの数日後に、厄を落としたはずの友人が、バイクで転んで怪我をしました。厄落としの甲斐もなく怪我をしてしまったと考えるか、厄落とししておいたために怪我が軽くてすんだと考えるか、「人の生活というのは考えようだね」と、みんなで笑いあったものでした。
タイ東北部の村の、手押し車に乗せられているのは、儀礼に欠かせない、茹でた豚の頭で、ホウロウのお盆に乗せています。豚の鼻を、花で飾ってあるのがご愛嬌です。
豚の頭は値段も安く、写真のように三つもあれば、30人以上の食事がまかなえます。このまま、薄く切り取って、トウガラシを利かせたたれにつけながら食べるのですが、見た目のグロテスクさとは違ってさっぱりと美味で、いくらでも食べられる、庶民のご馳走です。
カンボジアにもたかつきはありますが、ランナー(タイ北部)のものとは、また一味違ったものです。