2011年2月28日月曜日

村のお地蔵さま





昨年、滝に行く道の途中の、奥まった場所から村を見下ろしていらっしゃるお地蔵さまが、心無い人によって倒され、首も折られてしまいました。
かなり大きなお地蔵さまですから、倒すには力が入ります。静かに立っているお地蔵さまに、どうしてそんな悪さをする人がいるのでしょうか。

この度、お地蔵さまは村の人たちによって、修復され、しっかり設置し直されました。




お地蔵さまの後ろには、おもちゃの刀がお供えされていました。
幼い子どもを亡くされた方が奉納したものでしょうか。それとも、お地蔵さまが二度と災難に合われないように、お護りする刀でしょうか。




これを見て、タイの村の、サンプラプーム・チャオティーにお供えされている、鉄砲のことを思い出してしまいました。
見にくいのですが、奥に寝かせているのが、木の鉄砲です。村を守るために供えてあります。何丁かは、右の方に立てかけてあります。




こちらの別のチャオティーの、人形(ひとがた)の前と横に備えているのは、バナナの茎でつくった鉄砲です。




バナナの茎の鉄砲は、もともとは子どものおもちゃで、しごくと、パタパタパタと、いい音がします。
チャオティーに子どもがお供えしたのかもしれません。




お地蔵さまは何事もなかったかのように、木立越しに村をながめていらっしゃいます。


2011年2月27日日曜日

二度目のコンクリート打ちに向けて





母屋についで建設中の、工作室の基礎工事は、配筋と型枠の設置がほぼ終わり、コンクリート打ちの準備が整いました。
来週にも、二回目のコンクリート打ちの運びとなりそうです。




昨夏、私がアキレス腱を切って、元通りに動けるようになるまでの3ヶ月ほど、戦力外になったこともあり、これまでの、手動の鉄筋曲げ機に代わって、




新しく、電動の鉄筋曲げ機を導入しました。
これも単純な機械ですが、力がいらず、作業は数段楽になりました。




私は、長い間戦力から脱落していましたから、今回の基礎工事は、ほぼ夫の独力によるものでした。
そして、ときおり、友人、知人たちが来て、手伝ってくださいました。

まだ、地中梁という、表面にも出ない部分です。この地中梁の両端にコンクリートの柱が立ち、それが工作室の木の梁を支えます。




あっちこっちに通っているのは、電線を通したパイプや、水道管を通したパイプや、井戸水の管などたいせつなものばかり、これらを避けての型枠づくりでした。




段差があるので、ところどころ、よう壁もつくります。
この写真は、入口の方を見たところです。よう壁の右に工作室が建ち、左の一段高くなったところが、駐車場になり、門を建てる予定です。

2011年2月26日土曜日

消しゴム人形 ドリフターズ





ガチャガチャの消しゴム人形が、お相撲さんの他にも残っていました。
ドリフターズの人形劇、「飛べ!孫悟空」です。
テレビで「飛べ!孫悟空」を見た記憶は、あまりありませんが、74回放映された、ミュージカル人形劇だったようです。




いかりや長介が三蔵法師で、仲本工事は頭が河童状ですから、沙悟浄でしょうか。




志村けんが孫悟空、高木ブーが猪八戒、そして、加藤茶は、ハゲ親父のままです。
馬はわかるとして、カエルも彼らの仲間だったのでしょうか?




消しゴム人形が、もう一人いました。
Dr.スランプのスッパマンです。
シリーズで、他にも仲間があったものかどうか、スッパマンはお友だちがいなくて、寂しそう(酸っぱそう)でした。


2011年2月25日金曜日

消しゴムのお相撲さん





息子たちが遊ばなくなって、取っておいたおもちゃのなかに、消しゴムのお相撲さんがあります。
ガチャガチャで、手に入れるものですが、当時ガチャガチャは、一回20円くらいだったでしょうか。




いっとき、紙相撲ならぬ消しゴム相撲で、友だちも交えて、息子たちはよく遊んでいました。
消しゴムのお相撲さんは、だから手垢だらけ、しかも消しゴムについたゴミは取れにくいので、いまでも汚れたままです。
全部で16体ありますが、5体は顔がダブっていて、正味11人のお相撲さんです。

この数年、何故か相撲好きになり、力士の名前や顔も知っている私ですが、以前はまったく関心がなく、ほとんどのお相撲さんの名前がわかりません。




それでも、推測のつくお相撲さんもいます。
右は、千代の富士?、そして左は髷も結っていませんが、朝潮でしょうか?
朝潮は、漫画『タブチくん』でお馴染みなので、知っていました。




そして、右が高見山、左が輪島に見えます。






あとの方たちは、どなたか不明です。




中に一人、靴を履いた、プロレスラーらしい人もいました。

春場所はなくなってしまいましたが、夏場所は開かれるでしょうか?


2011年2月24日木曜日

タイに渡った中国の鉢





タイに住んでいたころ、骨董屋さんで、時々この手の鉢を見かけました。
外側は日本のすり鉢のような鉄釉が掛けてあって茶色で、内側には呉須で模様が描いてあります。

本当の雑器なのでしょう、模様が溶けすぎたり、反対に焼きが足りなかったり、これはというものは、なかなか見つかりませんでした。形のせいか、縁がぐにゃっと垂れ下がったのも、多かったような...。

また、いい感じでも、使い方が荒くて、内側の表面が激しく傷ついているものがずいぶんありました。もしかしたら食器ではなく、クッキングボウルとか、洗面器だったのかもしれません。

そんなわけで、欲しいものが見つかるとは期待していませんでしたが、長い間見ているうちに、なんとか出逢うことができた二つです。




直径28センチの鉢です。底の模様は、蓮の葉でしょうか?
素麺よし、煮物よし、深いので、とくに汁気のあるもののとき重宝します。




割と珍しい、小さい鉢です。直径は19.5センチです。
少人数の時は、こちらの方が使いやすく、お漬物など似合います。




どの地方でつくられたものかわかりませんが、雑器にはどこでつくられたものでも、高級品にはない親しさがあります。

2011年2月23日水曜日

カンボジアに渡った中国の鉢



タイやカンボジアの骨董屋さんに並んでいる中国の陶磁器は、どちらかと言えば、カチッとした印象のものが多い気がします。それほど興味をそそられません。

また、高級骨董店では、沈んだ船から引き上げたという物語のついた鉢など、図鑑に載っているような、見事なお皿や鉢を見ることがあります。
こちらは、関心の方は大いにかきたてられますが、目は飛び出ても、手はまったく出ないお値段のものばかりなので、見ても仕方がありません。

というわけで、その隙間にある、雑器にだけ目を向けていました。




この鉢は直径19センチほど、煮物がよく合います。




底の絵は、岩陰からのぞいている魚です。海ではなく、川にはこんな魚がいそうです。
絵は、うまいのでしょうか?下手なのでしょうか?




直径14.5センチの小さな鉢です。薄く出来ているので、縁が欠けやすいのですが、ちょっとした残りものでも、これに入れるとおいしそうに見えます。




絵は串刺しのお団子のようですが、木でしょうか? もしかしたら上下反対かもしれません。
それにしても、縁をずいぶん欠いてしまったものです。






厚さも、呉須の色も、つくられた年代も違う三つの鉢は、お皿と鉢の中間くらいの深さです。
真ん中の鉢が一番古そうですが、欠けて、修理されています。

上の二枚は、外側に模様がありませんが、




下の鉢の外側には、細かい唐草が描かれています。
どれも、プノンペンの市場の骨董屋さんで、別々に見つけたものです。


2011年2月22日火曜日

津屋崎人形の男の子たち



先週の金曜日の朝、起きたら肩が痛くて、腕が上がりませんでした。
寝違えたのかしら、と最初は軽く考えていましたが、状況は悪くなる一方です。五十肩にしては常時痛いので、「ぎっくり肩」があったのかなあと、思ったりしていました。

土曜日に、整体師のKさんに温熱治療をしていただきました。一時よくなったかにみえましたが、午後になるとまたひどくなり、じっとしていても肩から腕が痛みます。
夜は、腕が痛くて寝返りも打てません。服を脱いだり着たりもままなりませんでした。

日曜日にはさらにひどくなり、朝はまだ、左手でコンピュータのマウスを操作できましたが、首の後がぱんぱんに張り、肩と腕だけだはなく、頭も痛くて、とうとうなにもすることができなくなりました。

月曜日に一番で病院に行きました。
病名は、「石灰沈着性滑液包炎」、急に痛くなるのだそうです。

肩を温めたり、消炎鎮痛薬を飲んだりしているおかげで、やっと日常生活を送れるようになりました。
ありがたいことだと思います。




福岡県津屋崎の土人形です。
博多の近くですが、ほんわかと可愛げな博多人形とは、まったく雰囲気が違います。

何かのお祝い時の子どもです。
大正時代に流行ったという「正ちゃん帽」をかぶったり、着物にマントを羽織っていますから、大正時代に原型が起こされた人形でしょうか?
それにしても、着物はお姉さんのお古?、超派手です。




こちらは、初詣の帰りでしょうか、縁起物のお飾りを担いでいます。
この子は夫の小さいころの写真にそっくりなので、我が家では夫の名前で呼ばれています。




ていねいに描かれた博多にわかの着物を着た、不気味な男の子。
唇がなまめかしく赤いのに、頭には大きな瘤をこしらえています。そして、拍子木を持って、これから「火の用心」と言いながら、そこいらを一周するところでしょうか?
なんか変ですが、素敵です。




どちらかといえば、素朴な土人形が好きですが、津屋崎人形は大好き、とくにこの三人は、気に入っています。

2011年2月20日日曜日

西アフリカの鉢





西アフリカの鉢です。
一時食器として使おうとしたことがありますが、素焼きに水分が染みこんでいく、独特の臭いがきつすぎて、断念しました。
ではと、カラフルなプリント模様のホウロウの器も、食器として使ってみましたが、すぐ嫌になりました。
持って行ったお皿が、硬い磁器のシンクのせいで、次々と割れてしまった、アフリカ暮らしのときのことでした。

普段、何気なく使っていますが、磁器や陶器の食器の存在はありがたいことです。




上の鉢は、ガーナのクマシの市場でさがしたものですが、こちらは、ガーナ北部の定期市かブルギナファソの市場で見つけたものだと思います。
これも、もともとは食器かもしれませんが、我が家では飾り鉢です。



2011年2月19日土曜日

切手で見るお米づくり





タイ、ラオス、カンボジアなどでは、たくさんの田んぼが、雨頼みの天水田です。
川などを利用した簡単な灌漑田も、川に水が十分溜まるまで、待たなくてはなりません。

雨季もたけなわになり、雨で田が湿ってきたら、水牛を使って、田起こしをします。
ラオスの切手です。




田んぼに水が溜まり、いよいよ田植えです。
タイの子どもの日の切手、子どもの描いた絵です。




植えている女性の、苗の抱え方がちょっとおかしいけれど、田植えです。
長く伸びた苗の、頭をばっさり切り落として植えます。

苗代をつくったのに、雨の降り具合が遅れて、50センチにも伸びてしまう苗がよくあります。苗の頭を切って短くし、なんとか植えてしまいます。
しかし、雨があまりにも遅れると、密植した苗は黄色くなり、田植えをしても実の生り方が悪いので、そんな年は、たいした収穫は望めません。
ラオスの切手です。




嬉しい稲刈りです。
ちょっと高めのところを刈り、田に残したわらは、牛や水牛の餌にします。田に残したわらは、どこの家畜が食べてもかまわないことになっています。そして、刈り取ったわらも取っておき、草の少ない乾季の餌として、水牛や牛に食べさせます。
ラオスの切手です。




これも稲刈りだと思うのですが、違うかなあ。
タイの子どもの絵です。




刈り取った稲は、板などに叩きつけて、脱穀します。
そのとき、脱穀したあとの稲わらを遠くに投げるために、トラビエット(カンボジア語)を使います。
稲は脱粒性の高いものなので、簡単にわらから外れます。
ラオスの切手です。




これも、脱穀?
手にしている棒が、トラビエットにしては、なんだか変ですが、タイは乾燥豆を食べない文化ですから、大豆の殻打ちをしているわけでもなさそうです。
タイの切手です。




そして、脱穀したお米を風選箕を使ってきれいにしているところです。
私にすれば、お米づくりのうち、これが一番手がかかり、大変な作業に思われます。
タイの切手です。




きれいにしたお米を籠に入れて、家に運んでいるのでしょうか?
二つの籠が素敵、一輪車も素敵です。
タイ、ラオス、カンボジアでは、こんな一輪車は見たことがありません。牛車、背負子などで運ぶでしょう。
ヴェトナムの切手です。




一輪車といえば、私が小さい頃、倉敷のあたりの農家には、こんなネコ車がどこの家にもありました。
松の木でつくったもので、細い山道にも入れるし、綱を掛ければたくさん積めるし、持ち手に紐をつけて肩に掛ければ、重いものも運べるという優れものでした。
重いものは車輪より前に積むと、小さな子どもでも楽々押せます。

そして、今住んでいる茨城は、地形的には同じようなのに、ネコ車がなくて、山の木の切り出しなどの時には、背負子しかなかったそうです。
文化は、その土地土地によって、本当にいろいろです。