2011年12月31日土曜日
2011年から2012年へ
2011年の終わりの日は、穏やかです。
昨日は吹いていた風もおさまり、陽ざしが葉を落とした山桜やコナラ、クヌギの枝を通り抜け、その足元のカシの葉を、ぎらぎらと輝かせています。
私がぼんやり休んでいるこの数日、夫は作業場建設予定地においてあった作業台やら、材木やらを別の場所に、すっかり片づけました。
年が明けたら、すぐに布基礎を打つための準備です。
材木屋さんがご好意で乾燥させてくださっている材木も、すでに十分乾いて、引き取られるのを待つばかりとなっているそうです。
2012年、作業はどのくらい進むでしょうか?
進捗はひとえに私たちの健康と根気にかかっているので、精進していきたいと思っています。
2011年12月30日金曜日
小匣
仕事で行く夫について上海と北京を二週間ほど訪ねたのは30年前、1981年のことでした。
まだ、みんな人民服を着て、通りには車の影はめったに見えず、自転車が行きかっていました。
接待は行き届いていましたが、どこに行くにも監視の人々がついてきて、ちょっと古めかしい路地などをのぞこうとすると、
「だめ」
と、通せんぼされました。
朝、上海の古い街の路上にでは、家々の前にきれいに漆を塗った、赤と黒のバケツ型の木のおまるが洗って干してありました。
「見たいから、車を停めて」
と頼んでも、あいまいに笑われて、無視されるだけでした。
ちょっと町を離れると、屋根に立つ、動物や花の飾り物が夏の日差しにきらきら光っていました。
当時、外国人は中国人とは別の、特別な貨幣を持たされました。そして、その貨幣を使わせようと、あちこちの外国人専用の友誼商店に、毎日のように連れて行かれました。その貨幣は、友諠商店でしか使えないものだったのです。
がらんとした友誼商店で、ときおり日本人の観光客の団体と出会うことがありました。当時は中国への個人旅行は許可されていなかったはずです。
彼らはつむじ風のように入ってきて、いつもガイドに、
「20分だけ」
などと先を急がされ、誰かがたまたま足を止めた商品(多くは墨やすずり)のところに人垣ができて、みんなで同じものをまとめ買いして、つむじ風のように去っていきました。
それに比べると、のんびり隅から隅まで眺めて、ほとんど何も買わない私たち一行は、全然いい客ではありませんでした。
そんな友誼商店で見つけた、小さな箱と鈴です。
七宝の小箱です。
博物館の度肝を抜かれるような細かい細工、たとえば米粒に長い詩を書くとか、一本の象牙を彫って、家が連なり、人が行きかう町をつくるとか、裏表から見てもまったく同じに見える刺繍、といった人間業とは思えない工芸品と比べると、さっぱりしたものに感じられますが、なかなかよくできた箱でした。
金属は焼くと変形したりしますが、どの方向でも、ぴしゃりと蓋が閉まります。
おめでたい桃の形の銀の小箱には、部分的に七宝が施されています。おめでたい蝙蝠も描かれています。
蓋は、ずらして開きます。みごとな細工です。
側面には、毛彫りで模様が描かれています。
銀の鈴です。
石はなにでしょうか。宝石にはめっぽう疎い私にはわかりません。
側面の花の打ち出し模様です。
かつて、この箱たちは私の持っている他のものたちとは若干異質な感じもしましたが、今ではすっかりなじんでいます。
お正月飾りがちょっと寂しかったので、小さい箱たちも一緒に飾ることにしました。
2011年12月29日木曜日
獅子年?
毎年、お正月には、土間入り口の飾り台に干支の人形を飾ります。
ところが、あいにく2012年の干支、「たつ」人形は持っていませ。かつて郷土玩具好きでしたが、干支人形には、あまり注目したことがありませんでした。
干支人形は、いつごろから熱心につくられはじめたものでしょうか?
存外、雛や端午の節句に土人形を贈る習慣の廃れた、戦後の新しい流行かもしれません。
「たつ」人形だけでなく、考えてみれば、「いのしし」人形も「ひつじ(干支としてつくられたもの)」人形も持っていません。
「たつ」がいないので、常飾りに加えて、沖縄のシーサーを飾りました。
そういえば、干支に「しし」年がないのは、ちょっと不思議な感じがします。
獅子(=シーサー=狛犬)は中国から沖縄や日本にやってきましたが、華人の移住とともに、東南アジアにももたらされています。
常飾りのタイ製の獅子は対でしたが、一匹が地震で割れてしまいました。
でも、悲しむより、一匹が無事だったことの方を喜びたいと思っています。
三宝に乗っているのは、村中保彦さんの「飛ぶ猫」です。
いつもの年にはお正月にはちょっと脇によけて、干支人形に席を譲っていましたが、このお正月には主役を張っています。
2011年12月28日水曜日
2011年12月27日火曜日
2011年12月26日月曜日
メロンボーラー
年季の入った、メロンボーラーなる台所道具があります。
スイカをくり抜く道具ですが、一度もスイカをくり抜いたことがありません。
焼きりんごをつくるときには、洗ったりんごの皮を竹串で突き刺して、焼いたとき破裂しないように小さい穴を開けておきます。
芯は底に穴まで貫通しないように気をつけて、メロンボーラーでくり抜きます。
くり抜いた穴に砂糖とシナモンを混ぜたものを詰め、バターを入れ、また砂糖シナモンミックスを詰め、ラム酒を少し注いだら、オーブンで焼きます。
くり抜いた芯は、もちろん捨てます。
ポテトボールをつくるとき、じゃがいもをメロンボーラーでくり抜きます。
軽く茹でたジャガイモをフライパンに入れ、バターで炒めます。
こんがりしてきたら、塩コショウしてできあがりです。
穴だらけになった、残りのジャガイモは、もちろん捨てません。
別に茹でて、つぶして、バター、塩コショウして少し練って、マッシュポテトをつくります。
ポテトボールは、肉のつけ合わせですが、ときには主食にもなります。
スイカをくり抜くなら、径の大きいものも使えそうですが、我が家で働いているのは、もっぱら径の小さい方です。
2011年12月25日日曜日
『竹光侍』
息子が、『本へのとびら』を送ってくれたとき、一緒に『竹光侍』という漫画が入っていました。
手紙は入っていませんでしたが、
「読んで面白かったからと、読んでみたら?」
と言うことでしょう。
松本大洋という漫画家を全然知りませんでしたから、最初は、絵にちょっと馴染みにくいところがありました。
それでも、読み進むうちにすぐに馴染んできました。
お正月までに編みたいセーターがあったので、数段編んでは一章読むつもりにして読みはじめましたが、とうとう読む方が主になって、一日目には一巻だけ読んだのに、二日目には残りの七巻全部読んでしまいました。
思い起こせば、はや一年前になってしまった今年のお正月には、いい歳をした母に勧められて、『グーグーだって猫である』を読みました。
そして、年末にはいい歳をした息子に勧められて、『竹光侍』を読みました。
いい歳をして、年頭は漫画で明けて、年末には漫画で締めくくってしまいまし。
時代は変わったものです。
2011年12月24日土曜日
再び岩波少年文庫
息子が本を送ってきました。
スタジオジブリで非売品としてつくった『岩波少年文庫の50冊』に加筆した、宮崎駿の、『本へのとびら』です。
結局、豆本『岩波少年文庫の50冊』は手に入らなかったので、嬉しいプレゼントでした。
豆本はちらっと見せてもらっただけ、50冊の本の名前は知っていましたが、その「評」の内容のほとんどは知りませんでした。
今回、『本へのとびら』に書かれている「50冊」の「評」を読んでみると、宮崎駿が推薦しながらも、その本(とくに、私が疑問に思っていた本たち)の持つ限界も書いてありました。
例えば金銀財宝を求めて、無益な戦いを繰り返す『ホビットの冒険』が50冊に入っていますが、私だったら推薦しないと思っていました。
訳者の瀬田貞二は大好き、訳も申し分ないのですが、金銀財宝を取り合いすることに加え、完全な悪者がいるのも、時代が違ってきているとはいえ、はなはだ不愉快でした。
でも、『本へのとびら』を読むと、この本にヒントを得たゲームやファンタジーが大量生産され、『ホビットの冒険』が消費しつくされたことがわかりました。
うらやましかったのは、宮崎駿が少年時代に多くの本に出会ったことです。
私の場合、教育熱心な祖母に、学習参考書以外の本を買うことは禁じられていました。
やむなく学校の図書館の本を読もうにも、偉人の伝記のようなものばかり。しかたなく、旧仮名遣いの夏目漱石(祖母の甥の遺品)など、家にあった本を隠れるようにして読んでいました。
だから、子ども時代に読んだ児童書と言えば、当時離れて暮らしていた母が、祖母に叱られながら買ってくれた、『小公子』と『ノンちゃん雲に乗る』くらいしかありませんでした。
『クマのプーさん』や、『星の王子さま』を読んだのは学生時代になってから、ほとんどの岩波少年文庫は、子育て時代に、息子たちに買ってあげるふりをしながら、自分で読んだものです。
2011年12月23日金曜日
のんびりしました
昨日は、朝からどんより曇って冷たい一日でした。
寒い上に、肩や膝には肉体労働の疲労がたまっていて、なかなか仕事モードのスイッチが入らず、室内でぐずぐずしていました。
「今日は休もうか」
と夫。一も二もなく賛成します。
「五浦(いずら)にでも行くか?」
「そうねぇ」
出かける計画は、話に登っても、面倒になって半分はポシャるので生返事です。
ところが、とんとん拍子に気持ちが進んで、久しぶりに五浦に行きました。北茨城市五浦は、福島県との県境に位置しています。
五浦は、地震や津波の影響を大きく受けた上、原発事故の影響もあり、人影もまばらで、まだまだ回復には長い時間がかかりそうでした。
目指す温泉ホテルの立ち寄り湯は、はるか下に海を展望する、露天風呂だけの温泉です。
もっとも、宿泊客だけが入れる、建物の中にある大浴室は、地震でめちゃめちゃに壊れたそうでした。
立ち寄り湯の露天風呂には、ほかの客が一人もいなくて、豪華な貸しきり状態でした。
身体を洗うところも外。
最初は空気が冷たくて身体を刺すようでしたが、30分もお湯に浸かっていたら、ぽかぽかになりました。
露天風呂から見る海は、穏やかに煙っています。
帰り道、海岸近くの岩山に鳥が群れていました。
ウミウでしょうか?
長良川の鵜飼の鵜は、五浦の崖の上で捕獲したウミウを使います。
のんびりと過ごした一日でした。
寒さのせいか、年のせいか、一週間に二日休むと、身体の回復は進むようです。