2018年5月31日木曜日

簡易箸置き

その昔、仕事帰りにちょっと寄る店などで、友人に教えてもらったことで、今でも役立っていることがあります。
簡易箸置きのつくり方です。


それは箸袋を使います。


長いものなら横に半分に折り、短いものはそのまま、あるいは欲しい長さに折ってから、縦に半分に折ります。
  

四隅を半分だけ45度に折るような気持ちで折印をつけ、


端を中に入れ込みます。これで出来上がりです。


料理を待っている間に、簡単にできてしまいます。


これで、お皿の端っこにお箸をひっかけておかなくても、ひとときを気持ちよく過ごせます。


力仕事が続いていたので、昨日は久しぶりに町内の温泉に行ってゆっくりしました。






2018年5月30日水曜日

お鍋の蓋


しばらく前に、鍋の蓋の取っ手の接着していたところが片方取れてしまいました。
まもなく、こんこんギャラリー恒例の「椅子展」があるので、鉄作家のすちさんに出会ったら、直してもらえるかどうか訊いてみようと待っていました。やがて「椅子展」が始まったのでバッグに入れて持って行ったのに、すちさんとは会えずじまい、そうこうしているうちに、もう片方も取れてしまいました。
バラバラです。


直径16センチの、この蓋の使えるお鍋は、多層の底がちょっとはがれてしまったのも入れて三つあり、蓋も一つは健在です。蓋はいつも使うわけではないので、お鍋三つに蓋一つでも事足りると言えば事足ります。
ほんの小さな接着面で30年以上も活躍してきたのは立派ですが、さてどうしよう?
ネットで探すと、かつてこのお鍋を扱っていた店は、すでになくなっていましたが、蓋は別の店でなんとか見つかりました。

私は、お鍋と言えばエバトリオ派でしたが、エバトリオにも、もうステンレス製のお鍋は少なくなり、主流はアルミニウムにセラミックコーティングしたものとかアルミニウムにフッ素加工のものです。そして蓋はガラスをはめ込んだものが増えています。本体は軽く、蓋は中が見える重いものをという考え方でしょうか?
しかも、新しいスタイルのお鍋は、形は同じですが、アルミニウムのせいか、取っ手が外れにくいように、鋲まで打ってあります。
そんな中で、ステンレス製のものが30年以上もモデルチェンジもせずにあることに感謝しながら、蓋を注文しました。


やっぱり蓋が二つあると安心、二つ同時に使うことはないかもしれないけれど、なんだかホッとします。
取れやすいのかもしれませんが、取っ手を軽やかに接着しているところも、私のお気に入りなのです。







2018年5月29日火曜日

「福猫」


「福」と書かれた小判型のペンダントを首にぶら下げた招き猫は常滑製です。
小判を持った招き猫に先行してつくられたのか、あるいはどちらも同時期につくられたこともあったのか、そのあたりはわかりませんが、小判を持った猫に押されて、つくられなくなった猫であることは確かです。
小判を持つ招き猫は戦後のものですが、時代に連れて百万両から千万両へと変わっています。

かつては、我が家にも「福猫」がもっと棲息していましたが、2011年の地震で大きな被害を受けて、たった3匹になってしまっていました。


もっとも、一尺(30センチ)ほどの大きい招き猫になると、ペンダントは「福」ではなくて、どれも「福寿」となります。


そして、久しぶりの、新入りの「福猫」です。
ときおり、骨董市などでも見かけることもありますが、なかなか気に入った猫に出逢いませんでした。
UPするにあたって、ちらっとヤフオクをのぞいたら、「福猫」は「福寿猫」も含めて、結構出回っていました。開始値段が、1000円くらいはいいとして、5000円、中には15000円という、信じられない値段のものもありました。



この猫たちは、みんな顔の形も表情も違います。
個性を出そうとしたものではなく、似たものをつくりたいと思ってつくったのに、違う顔になったという感じです。


新入り(後列右)は、地震で壊れてしまった猫の中の一匹に、ちょっと似ています。


ちなみに、これは大谷観音の「福猫」、目に光るものがはめ込んであります。また、ヒゲタ醤油の販売促進猫は、「福」ではなく、「ヒゲタしょうゆ」と書かれた小判型ペンダントをぶら下げています。


ソフトビニール製とプラスティック製の「福猫」もいます。





2018年5月28日月曜日

独逸の民藝


骨董アンタイディーのかしわばらさんが、面白い本を手に入れたとブログで紹介されていたのは、『独逸の民藝』(コンラード・ハーム著、独逸文化研究會丸山武夫譯、海南書房、1942年(昭和17年))でした。
ネット時代のありがたさ、調べるとすぐ見つかって、しかも戦前の本なのに値段も安い、早速手に入れてみました。

128ページの本文には、木工、織り物、陶芸などの工芸に限らず、民間信仰から建築まで多岐にわたって書かれていて、それぞれに興味深いイラストが添えられています。
また、216ページにわたる写真は圧巻で、ドイツ各地の民俗学博物館の収蔵品や建物などが紹介されています。重厚な木彫りの戸棚や長持、椅子、ベッド、ゆりかごなどの家具、お菓子の型、桶、塩入れ、ビアマグなど台所周りのもの、織り物、編み物、刺繍など手仕事の道具だけでなく、その作品の数々、ハウスキーピングの道具などなど盛りだくさんで、初めて目にするものもたくさんありました。

それにしても、発行年が昭和17年、ちょっと気になります。
日獨伊三國閒條約を結んだのが昭和15年9月、真珠湾攻撃が翌16年12月、17年といえば第二次世界大戦の真っただ中です。
同盟国ドイツの民藝の本を出版するにあたって何か意図があったのか、なかったのか。なかなかの豪華本で、定価は八円です。


イラストにも写真にも、それぞれキャプションがついていていますが、横書きは右から読むということに、なかなか慣れません。
うっかり左から読もうとしてしまって、意味が取れず気がつきます。しかも日本文中の原文表記だけは、左から読みます。

陶器売り、鍋か?

ともあれ、知らなかったヨーロッパの生活を知る、興味深い一冊です。
日本では天秤棒で売り歩いた陶器は、ドイツでは背負子で担いでいます。


北欧固有のものだと思っていた、紐織り機が、ドイツにもありました。
もっとも、北欧でつくったものがドイツの家庭生活に入り込んでいたのかもしれません。なにしろ、ドイツは北でデンマークと接しているのですから。
この織り機は、糸(黒く見えるのが糸)が掛けてあるので、経糸(たていと)を穴と溝に一本おきに通している様子、紐にすると細くなる様子などが、よくわかります。
この本ができたよりさらに昔には、この織り機で織った紐は、ヨーロッパでは服を着るときの必需品だったのかもしれません。


これは長持に描かれている、織り物の下準備の絵です。
真ん中の絵は麻糸を紡いでるのだと分かりますが、両脇はよくわかりません。
とくに右の女性、
「何やっているんだろう?」
と、何度も見返したのですが、わかりませんでした。


この頭は、頭痛除けのためにつくって、聖コロマン礼拝堂に奉納したものだそうです。
日本の絵馬のようなものでしょうか。
根気を詰めて頭をつくっていたら、もっと頭痛がひどくなりそうです。


おもちゃもいろいろあり、クリスマスのおもちゃなど、興味津々です。
これは小さい木馬ですが、大きくて子どもが乗って遊ぶ木馬も紹介されていました。


そして、これ!美しい、長い曲木の箱です。
箱に、この馬行列の飾りはついているのでしょうか?
この箱を見るだけのために、ニュルンベルクのゲルマン博物館に行ってみたいくらいです。








2018年5月27日日曜日

太平箕


箕(み)の産地である、秋田市の太平黒沢地区の「木灰(あく)取り箕」です。
かつて、染色用に木灰を収集するために使われた箕で、穀物をふるい分ける箕よりも、ひと回り小さめにつくられています。
こんな箕で灰をすくったなんて、なんて贅沢なのでしょう!

本体には、イタヤカエデとフジの繊維が使われ、補強材として山桜(カバ)の樹皮が使われています


また、縁は根曲竹で形づくり、イタヤカエデで巻いてあります。


山桜の樹皮は、補強だけでなく、美しい装飾になっています。

つくり手は、田口召平さんです。
イタヤカエデのほかにも、シロヤナギやヤマウルシを使うこともあるそうです。素材ごとに、採取時期が違えば、採集場所も異なります。そして、それぞれに下処理があり、保管方法も違います。
田口さんは、多岐にわたる複雑な工程を熟知されていますが、大平では最後の、箕のつくり手さんになってしまいました。

  
それにしても、我が家では邪魔者扱いにしているフジの繊維の素敵なこと。
また、箕の一番傷みやすいところを、イタヤカエデで丁寧に巻いてあります。


実際の農作業で、もう手箕を使うことはなくなりました。
箕を大きなスコップ(スクープ)と見なすことでは、プラスティック製の箕がホームセンターでも売られていて、泥を運ぶという汚れる仕事にも、惜しげもなく使えます。


「使う」という実体がないのに形が残るのは難しいものですが、何とか次世代に箕づくりの技術が伝わってほしいものです。

余談ですが、ひたちなかに行く道の途中に、普通の家のちょっと広い土間で、ちょっとした日常品を扱っている荒物屋さんがあります。
店の外に置いたベンチに籠など並べていて、商いをしている印にしていますが、その中に箕もあります。ほかの籠は、売れるとそのまま手渡しますが、箕だけは「見本」で、注文すると籠師さんに伝えられて、つくってもらえる仕組みになっています。
いつからだったか、その箕の形がちょっと崩れました。聞けば、目を離したすきに風で飛ばされて、前の道で車に轢かれたのだそうです。
そこの店の前を、もう20年近く通っていますが、その「見本」の箕を店頭に見つけると、なんだかほっとします。
「お店も箕も、まだまだがんばっているなぁ」
と思いながら、通り過ぎます。

大平箕は馬が踏んでも壊れないほど頑丈だとのこと、車に轢かれた箕のことを思い出してしまいました。
太平箕は、使えば米ぬかがついていい色に変わっていくとのこと、もう米づくりをやめてしまったので、いったい何に使いましょうか?






2018年5月26日土曜日

ガラスマジック


また、寝っ転がってやっと寝返りが打てる程度の高さの収納の中に潜り込んで、内壁を張っています。
普通の仕事の倍も疲れます。腹ばいになったり仰向けになったりして、ずりずりと這って入りますが、計測して、板張りの下ごしらえをしてと、いちいち出たり入ったり、そして、仰向けや腹ばいのまま、ビスを打ちます。仰向けの時はどうやって這ったらいいか、芋虫のように身体を少しずつずらしても、なかなか移動できないことさえあります。
夫は、収納の中はそのままでいいと思ったみたいですが、電気コードも水道パイプも丸見えなので邪魔になり、収納として使うのに、いい加減な気持ちになってしまいます。

 

そんな低い視線を取っていて見つけました。
南の部屋の窓に、作業棟の北に建つ母屋の瓦屋根が映っているのです。


北側の部屋の窓枠はつくったものの、まだガラスを嵌めていないからでしょうか?
上下左右を切り取られた屋根が、いつも木の中に浮かんでいます。


これは夕方、居間の西のガラス窓に映った台所です。
お皿を重ねたように見えるのは、食卓の照明器具、椅子もぼんやり見えています。


そして、居間の南の窓に映った、台所の冷蔵庫。
ガラスが不思議な世界をつくっています。




2018年5月25日金曜日

ゼリーの型


ガラスのゼリー型は、シンプルなものと、菊の花形のもの、それに金魚型のものを持っています。


そこに、梅の花と三つ葉のゼリー型が加わりました。


三つ葉というのは、底に三つ葉の模様があります。


ほかは、縁がなめらかですが、三つ葉は縁が切りっぱなし、ガリガリしています。
このほかに、桜の型もあるようです。


戦中戦後に家庭でよく使われたって、本当でしょうか?


こんなのとか、


こんなのとか、西洋のガラスのゼリー型はよく見かけますがもっと大きいものです。
もしかしたら日本のゼリー型は家庭ではなくて、お菓子屋さんで使っていたものでしょうか?





2018年5月24日木曜日

畳屋さん、役立ちました

先日、畳屋さんが来ていたおり、
「古い断熱材が要りませんか?」
と、訊かれました。
今では畳は、稲わらで厚みを出すのではなくて、厚い断熱材を主にしたり、薄い断熱材を、ほかの詰めものに足したりして畳をつくります。そして、古い畳の断熱材の処理に困っているので、もし必要なら持ってきてあげるとのこと、二つ返事でいただくことにして、後日畳屋さんを訪ねました。


畳屋さんは店頭に、きれいなもの、ちょっと傷んでいるものに分けて、断熱材を準備してくれていました。
それを、全部いただいてきました。


すごい量の断熱材です。
これで、ホールのコンクリートの上に敷く断熱材を買わなくてもすむことになりました。


畳に縫い込んでいた断熱材ですから、ぷつぷつ穴が開いていますが、気にしません。


ホールのコンクリートの上に、レベルを出しながら根太を置き、根太の間に断熱材を敷き、その上に足場板で床を張ります。


足場板は、厚み45ミリ、長さは4メートル強あります。
ずいぶん前に買ってきて、乾燥させていたのですが、それでも重くて、私一人では持てません。長さを切らずに鉋をかけ、相じゃくり加工して張るのですが、夫が一人で頑張っています。


だいぶ、できてきました。


材が長いので、どうしても中ほどに隙間ができそうになったりします。
それを、真ん中で自動車のジャッキで締めつけながら張っています。