庭の片隅に、打ち捨てられたような(打ち捨ててある)壺があります。
パレスチナのヨルダン川西岸の、あれは珍しく泉が湧き出ている町で買った壺です。
その日に泊めていただいた農家まで、後生大事に重い壺を抱えていきました。
「壺が好きなの?」
と、その家の人に訊かれました。
「はい」
「ちょっと待って、うちにもあるかな?」
と、彼はどこからか、古い、ヨーグルトをつくるときに使っていた壺を持ってきてくれました。
「昔は100本くらいあったかなぁ。この庭いっぱいに立てて、ヨーグルトをつくったもんだった」
彼は、遠い目をしました。美しい田園風景が広がる先の、小高い山の上には、イスラエルの入植地が見えます。どんな田舎に行っても、入植地の見えない風景がないほどでした。
素晴らしい古い壺をいただいて有頂天になった私は、新しく買った壺への興味をすっかり失い、事務所のあったラマッラまでは持ち帰りましたが、
「処分してね」
と、新しい壺は置いてきてしまいました。
2009年、ブログにヨーグルトの壺の話を書いた時、この壺の行方は知りませんでした。
ところがその後、何かの用で東京の事務所に行ったとき、
「これは、あなたのでしょう。持って帰ってね」
と、この壺と、コーヒー豆を砕く臼と杵、そして事務所に寄贈したはずの、絵まで出してくれました。
絵は、パレスチナ随一のナイーブアート画家の絵で、ベツレヘムにある彼の素敵に古いお宅で、おいしい食事をいただいた記念に買ったものでした。
そして、コーヒーの臼と杵は、絵から5、6年後に手に入れたもの、重くて嵩張るのでそのとき持って帰れず、次の機会と思ったものの、それが最後の訪問になって持ち帰れなかったものでした。
ラマッラの事務所を閉じることになり、その前に事務所を訪れた誰彼が、当時駐在していたIさんに託されて、重かったり運びにくかったりするものなのに、遠く日本まで運んできてくれたのでした。
昨年だったか、一昨年だったか、壺の置いてある傷んだテラスをどうしようかと夫と話している時、
「しかし、パレスチナの壺は割れもしないで健在だねぇ」
と言うと、
「えっ?これは、ガーナの壺だよ」
と夫は、びっくりしたように言いました。
「えぇぇ?パレスチナの壺よ」
「何言ってんだよ。おれがガーナから運んできた壺だ」
「?????」
夫は過去の、夫が些細なことと思っていることはすべて忘れるたちです。そしていつも、私の脳は古いつまらない記憶でいっぱいになっていて、重要なことを覚えたり考えたりする余地がすっかりなくなっていると、からかいます。
そんな夫が、さも覚えているように話すのに押され、その時は私も、ガーナの壺はどんな壺だったか、思い出せませんでした。
ところが、地下倉庫から織り機を出していて、その奥にあったガーナの壺を見つけました。
これぞまさしく、ガーナの壺です。
パレスチナの壺は轆轤(ろくろ)を使ってつくってありますが、ガーナの壺は手びねりです。上と下を別々につくって後でくっつけた跡があります。
やっぱり、夫の勘違いでした。
「ガーナの壺があったわよ。あれはやっぱりパレスチナの壺だったのよ」
私は意気揚々と知らせましたが、
「あぁ、そうかい」
と、夫はあっさりしたものでした。
パレスチナの壺は、くびれたところをつかんで持ちますが、腕に挟んで運ぶこともできます。くびれたところが細くなっているので、水はゆっくり、ポコポコと出てきます。
また、ガーナの壺は二つ口があるので、片方から空気が入って、スムーズに水が出てきます。ただ、形はアフリカの壺というより、南米、ペルー当たりの壺に見えます。
どちらも低い温度で焼いたもの、いつ壊れてもおかしくないのに、多少は欠けているとはいえ、割れもせず、ずいぶん長生きしているものです。
ガーナの壺って優れものですね。最初写真を見たときには、何か二つも角が出てる…と思ったのですが、水を注ぐときにスムーズに出るのですね!
返信削除しかも口が長いから多少揺れてもこぼれないし、また注ぎながら片方を手でふさぐと水が止まったりするのですね…。優れものだなあと思いました。ただ作るのはそれなりに難しいでしょうね。
karatさん
返信削除轆轤なしで手でつくりますが、板の上にのせた土は動かさず、自分の方がその周りをまわって成形します。そして生乾きの時にひっくり返して中を削り取ります。注ぎ口をつくってくっつけたり、何工程もあり、厚みをそう薄くはできないので結構重いものです。
で、気化熱というのか、素焼きの壺に水が染みて中の水は冷たくなります。東南アジアでも素焼きの壺に水を入れて冷たくして飲みますが、どこからそんな知恵が生まれたのでしょうね。おもしろいです。