2011年6月24日金曜日

パレスチナのコーヒー道具



もと同僚のSさんは、アラビア語がよくできたこと、なんでも曖昧にはしておかない性格だったことなどにより、アラブ社会の奥深くに入って行く力が傑出していました。
学者などと比べても遜色が無いどころか、アラビア社会の理解度においても、融合度においても、日本人としては、五本の指に入ると思われます。
彼は、正調アラビア語が話せるというだけではなく、パレスチナ方言、さらにパレスチナの各地方の方言まで、いろいろ使い分けていました。そして、パレスチナの村々をほぼ隈なく歩きまわり、夜はアラビア語の勉強も兼ねて、コーランの勉強をするのが常でした。
イスラム教のしきたりを、最大限尊重していましたが、彼自身はキリスト教徒でした。

そんな彼と一緒に仕事ができたことは、幸せ以外の何ものでもありませんでした。経験の少ない私にも、イスラム社会を垣間見て、人々の暖かさを知ることができました。

知られていませんが、パレスチナにはほとんど犯罪がありません。家には鍵がついていませんし、路上に車を停め、カメラやお財布など入れたバッグを置いて鍵もかけず、数時間放置したとしても、何も盗まれたりしません。私はうっかり、二度もやったことがありますが、問題ありませんでした。
そんな社会が、他にあるでしょうか?

初めてパレスチナを訪問したとき、Sさんがパレスチナの絵描きさんたちに引き会わせてくれました。
一人は、プロパガンダ色の強い絵ばかり描く人、一人は抽象画を描く人、そしてもう一人はナイーブアート(素朴絵)を描く人でした。
三人はそれぞれ、国際的にも評価されている、パレスチナ絵画界を代表する画家たちです。




名前を忘れてしまいましたが、素朴絵を描く人は、ベツレヘムに住んでいました。小高い丘の上にある、古くて気持ちのいい家の、二方には出窓があって、 そこからベツレヘムの町が一望できました。そして、部屋のいたるところに、古いアラビアのコーヒーポットのコレクションが並んでいました。

人の持っているものを見ると、欲しくなってしまう私です。それから折りにふれ、コーヒーポットを探すようになりました。しかし、壊れているなど欠陥があるものが多く、形も質感も気に入ったものが、なかなか見つかりませんでした。
何年かたって、やっとめぐり逢ったのがこのポットです。銅板を叩いて、形をつくったもので、取っ手と尖った蓋の先は真鍮の鋳物でできています。




蓋を開けたまま写真を撮ろうとしましたが、上が重くてバランスを崩し、ひっくり返ってしまいます。
あんまり蓋が重いので、蓋全体が鋳物かとも思いましたが、それにしてはポットと蓋の色や質感が同じです。どうやら鋳物は、先端の部分だけのようでした。

パ レスチナの家を訪問すると、まずソフト・ドリンクが、続いてカルダモン入りの濃いコーヒーが出されます。カップは小さいのですが、一日に何度もそれを 繰り返し、その合間にオリーブオイルの効いた濃厚な食事をいただいていると、やがて胃がSOSを発信してきます。そして、やっと胃が慣れたかなと思ったこ ろには帰国です。




コーヒーポットを手に入れてからまたしばらくして、エルサレムの旧市街の骨董屋で、コーヒーを潰す臼と杵を見つけました。遊牧民、ベドウィンのコーヒー挽きです。
昔は、毎朝これでコーヒーを挽きました。その杵を打ちつける音は美しくリズミカルで、まるで音楽のようだったと、顔見知りになったアラブ商人のお兄さんが、出前でとったコーヒーを勧めながら、実演して見せてくれます。




普通のパレスチナ人と違って、骨董商を営むアラブ商人はみな、口から生まれたようでした。あれこれ面白い話など聞いていると、いつのまにか乗せられて、なにか買ってしまいま す。

もうすぐ底が抜けようという、とんでもなく古びたコーヒー挽きは重いものでしたが、「今買っておかないと、二度と逢えない」という気にさせられて、運ん でくることになりました。
もっとも、おんぼろなので、ベドウィンがまだ使えるものを生活に困って手放したとは考えなくていいので、気は楽です。




装飾金具がかろうじて形をとどめているのは一ヶ所だけ、跡は全部すり減って、ただのブリキの破片になっています。




草原のテントから毎朝、競うようにコーヒーを潰す音が聞こえた日々は、二度と戻ってはこないでしょう。
ベドウィンの人々は、イスラエルとパレスチナに分断され、移動の自由も奪われて、本来の生活である牧畜は、ほとんどできなくなっています。




その画家の描いた水彩画です(空の四角は、額のガラスに映った窓)。伝統的な石積みの家が見えますが、中に入ると天井は真ん中で高くなっていて、居心地良い空間が広がっています。

ベツレヘムの、画家の窓の外に広がっていた景色も、今では失われ、イスラエルの建てた高いコンクリートの、分断壁しか見えなくなっているでしょう。
折り合いをつけて仲良く暮らせればいいのですが、なかなかそんな社会がやってきません。




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