2011年6月14日火曜日
懐かしいミニカー
息子たちが小さかった頃、お隣に住んでいたMちゃんにいただいた、ミニカーです。
Mちゃんは当時中学生でしたが、小さいころフランスで育ったことから、日本でもフランス学校(リセ)の寄宿舎に入っていて、週末だけ、東京郊外の家に帰ってきていました。
そんなMちゃんのミニカーですから、フランスらしい車でした。
ディンキー社のシトロエン・2CV、1966年、ボンネットが開きます。
シトロエン・2CVは、ガーナに住んでいた頃、夫の仲良しだったノルウェー人のクリスティァンが持っていて、時々乗せてもらった懐かしい車です。
クリスティァンは大男なので、二メートル近い身体を折り曲げるようにして乗っていました。
排気量がたったの375CCなので、四人も乗ると、坂道では盛大に息切れして、ひやひやしたものでした。
フロントガラスも含めて、すべてカーブのついていない平らなガラスで、横の窓は半分に折れて、上に開きました。でも振動で落ちてくるので、片手で支えながら走ったりしていました。
やはりディンキー社のシトロエン・ディアーヌ、1967年。これはボンネットと、後部ハッチも開きます。
2CVもディアーヌも、どちらもグレーでシートは赤、おしゃれなミニカーです。
イギリスのマッチボックス社の、メルセデスの救急車です。サイドドアとバックドアが開きます。
我が家にも、アメリカで暮らしていた頃買った、マッチボックスのミニカーが20台やそこらはありましたが、もっと小型の、1970年前後のものばかりでした。ミニカーはすでに安価なものになっていましたが、大量生産化も進んでいて、プラスティック使用量も増えて、あまり味のあるものではありませんでした。
どれもよく遊んで、どこかしら壊れたのでしょう、一台も残っていません。
一台だけあるトミカのミニカー、バモスホンダです。
トミカが出回った頃には、大きくなった息子たちは外遊びばかりで、ミニカーを買うこともほとんどありませんでしたが、バモスは近くに住む友人Kが乗っていた車だったこともあって、おもしろがって買いました。
シートがちょっと倒れます。
ネットで2000年代に復刻されたバモスホンダを見ると、幌がついています。これも幌があったのでしょうか?忘れてしまいました。
バモスは、冬は幌をつけ、ビニールのシートをたらしても風が吹き抜けていく、身体の冷える車でした。それでもK夫婦は、赤ちゃんや幼児を毛布やショールで包んでしっかり抑えつけ、この車でよく遊びに来ました。
K夫人の実家は浜松でしたが、ひいばあちゃんに会いに、浜松までもこのバモスで行っていました。駐車するときに荷物を残して置けないし、幼児が転げ落ちたらおしまいですから、根性がないと乗れない車でしたが、彼らは家族でいつも軽々と乗っていました。
当時は幼児だったKの息子は、やがて筋金入りのてっちゃんに成長し、地下鉄の車掌さんになり、いまは運転手さんになっています。
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