2018年8月7日火曜日

後藤家分銅(ふんどう)


骨董市のまことさんのお店で、こまごまとしたものを置いてある一角に、一辺が35ミリほどの小さな、紙の箱がありました。


開けてみると、小さな小さな分銅(ふんどう)が、八個入っていました。
「これは、天秤ばかりの分銅?」
骨董らしい骨董品には全く詳しくない私は、まことさんに聞きました。
「江戸時代の両替商の分銅だよ。こんなに小さいのが残っているのは珍しい、たいていなくなっちゃうんだ」
まことさんは、両替商の天秤ばかりを見たことのない私に、絵を描いて見せてくれました。


ネットで見つけた写真は、まことさんの描いてくれた絵とそっくり、どうやら両替商の秤はどれも、この形をしていたようでした。


秤は組み立て式で、分解すると、すべてを引き出しに収めることができました。


さて、紙箱の中に入っていた分銅のうち、大きい順に五分から一分までは読めましたが、下の小さいのは読めません。

分銅というものは正確な重さでなくてはなりません。
いまでは、機械鋳造で精密な分銅がつくられていますが、手で鋳込んだ分銅は、金属を足したり削ったりして微調整し、正確な重さを出します。


これは、今もバングラデシュの市場で一般的に使われている天秤ばかりの分銅ですが、裏を見ると、穴に別の金属が流し込まれているのが見えます。
重すぎれば穴を削り、軽すぎれば金属を足します。


イギリスの、1900年代初頭に使われていた分銅ですが、やはり裏に金属を補填して重さを調節しています。

写真に撮って気づきましたが、上の大きい方の分銅は、英文字に見えません。読めませんが、インドの文字にも見えます。
ずっと、イギリスのものと思っていましたが、もしかしたら植民地インドでつくられてイギリスで使われたもの、あるいはイギリスでつくられてインドで使われていたものだったのかもしれません。


さて、これらの分銅に比べて、江戸の両替商の使った分銅はもっともっと精密にできています。
表も裏も、贋作防止に押したものか、あるいは重量検査に通った印か、様々な刻印はありますが、分銅の正確な重さをどうやって出したのか、きれいにできすぎていて、ちょっと見にはわかりません。

ウィキペディアで、両替商の分銅を調べてみると、これは後藤家繭型分銅と呼ばれる青銅製の分銅で、不正を防止する観点から、彫金を本職とする後藤四郎兵衛家のみが制作を許され、後藤家以外の者の制作と、後藤家制作以外の分銅の使用は禁止されていたそうです。
そのため、寛文5年(1665年)の度量衡統一以来、幕末まで200年以上にわたって、尺貫法の質量の単位である「両」および「匁」は均質性が保たれました。

私の推測にすぎませんが、繭型にしたのは、つまみやすいということもありますが、何よりここを削ることによって、重さの微調整をしたのではないかと思いました。まん丸いものを削るより、目立ちません。それにしてもよくできています。
ガーナの、金を計る分銅や、タイのアヘンを計る分銅などは、狭い範囲では基準となりえたけれど、江戸の後藤家分銅のように広範囲での共通の度量衡となるのは、難しかっただろうと思われます。

繭型分銅には、三十両、二十両、十両、五両、四両、三両、二両、一両、五分、四分、三分、二分、一分、五厘、四厘、三厘、二厘、一厘の18種類あったそうです。


ということは、紙箱の中の分銅は、一分以下が二つ失われているということです。
拡大鏡を使って見ると、五厘だけは読めましたが、あとは不明、三厘、二厘でしょうか?

大きな両替商越後屋の周辺

江戸時代には、金貨、銀貨、銭貨が存在し、その交換比率が変動制であったためややこしく、人々は、金貨と銀貨の交換、銀貨と銭貨の両替には、両替商に手数料を払って替えてもらう以外ありませんでした。


両替商の天秤ばかりは、ヤフーオークションやネットショップで、今でも高値(焼き物などに比べると安い?)で売られています。
私の、まったく知らなかった世界でした。







4 件のコメント:

  1. 刺し子の模様の「分銅つなぎ」は面白く、漠然と、昔の分銅はこういう形をしていたのかと思っていましたが、このように厳密な形をしていたのですね。初めて見ました。知らない世界でした。五分とか彫り込みを入れれば削れて減るだろうし、職人技はすごいものだと思います。どこかに保管されているというキログラム原器を連想しましたが、銅は錆びるし、保管も大変だったでしょうね。

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  2. karatさん
    両替のシステムもさることながら、職人の技、すごいですね。
    私も刺し子の分銅つなぎを見たことがありますが、どこから来ているのか全然知らず、なんとも思っていませんでした。
    金属の調合の妙か、錆は気配もありません、それに彫金師がつくったとのこと、鋳物を叩いてつくったのでしょうか、別の方法でつくったのでしょうか?とても硬くて密な感じです。
    ネットで写真を見ましたが、30両の分銅は、とてつもなく大きいですよ。この分銅で測ると、偽小判とすぐわかったのでしょうね。

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  3. 春さんはいろんな分銅をお持ちなのですね!まずそれに驚きました。やっぱり金属に惹かれるのでしょうか?
    この後藤家分銅の形は面白いですね。刺し子の模様にもなっているなんて(縁起がいいとか?)昔は誰でも知っている馴染みの形だったんでしょうか。

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  4. hiyocoさん
    私は分銅好きかしら?と問えば、好きみたいな気がします(笑)。
    だったら秤も?と問えば、たぶんそうではないのでしょうね。セットになっているバングラのはかり(市場で買った)を持っているくらいです。思い出しましたが、その時は誰か使い込んだ秤と取り換えてもらえないかと市場をうろうろしましたが、結局言い出せず、そのまま20年も持っていて、使い込んだ感はありませんが、古ぼけて錆びて味も出てきました(笑)。
    タイではアヘンを計る秤をよく見かけましたが、一度も欲しいと思ったことはありませんでした。hiyocoさんのおっしゃる通り、金属の手触りが好きなのだと思います。あと、どうやって作ったか、とくに金属の道具は興味津々です。私が職人だったらどう作るかと、入れ込んで眺めてしまいます(笑)。
    分銅模様は正式には分銅輪つなぎと言うようです。ちどりにも見えますね。

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