招き猫のミニチュアコレクションの第2弾です。
招き猫ミュージアム公認のもの、買う?買わない?1ヵ月くらい悩みましたが、やっぱり買ってしまいました。
右から、中山土人形。秋田県横手市の樋渡家で、一子相伝でつくられています。
この猫は我が家にいたはずと探してみましたが見つかりませんでした。記憶違いだったかもしれません。
愛知県碧海郡大浜町(現碧南市)の大浜土人形。
鯛の前垂れが素敵です。三河系土人形と呼ばれる人形には、大浜土人形のほかにもいろいろありましたが、ほとんど廃絶してしまいました。
豊岡張り子(高崎張り子)。
養蚕が盛んだった群馬県で、ネズミから蚕を守る養蚕の守り神として、張り子だるまの生産が盛んな高崎市豊岡で、明治の半ばからつくられています。今でも盛んにつくられているのは嬉しいことです。
常滑の招き猫。
昭和20年代につくられた形で、招き猫としては後発ですが、小判を抱いた金運の上がりそうなデザインで、戦後の高度経済成長期に一気に日本中に広がり、商売繁盛のお守りとしてお蕎麦屋さんのショーウインドーなどに飾られたので、最もなじみの深い招き猫となったものです。
ほとんどが三毛猫、たまに黒猫があったくらいで、黄色や赤に塗られたのは、新しいものです。
瀬戸ファンシー招き猫。
愛知県瀬戸市で、昭和40年代中ごろに、輸出用貯金箱としてつくられたものです。
かつて、精巧なミニチュアがつくられ始めたころ、フィギュアの大手の海洋堂などには、大きなものを忠実に縮小して原型をつくる天才的な職人さんがいました。その「原型」と中国の人的労働力を合わせてつくられ始めたミニチュア玩具は、中国の労働状況が変わる前のいっときのものと思われましたが、スリーディプリンターの出現によって型起こしが不要となり、20数年前同様というか、それ以上に盛んにつくられ続けています。
彩色も、現在はもちろん手彩色ではありません。
日本では、手彩色がされたくなった後、目などはシールを貼ることによって労働力を軽減していましたが、今ではよく知りませんが、立体プリンターがあるのでしょう。
ファンシー招き猫は、「昭和レトロ 花のくびかざり猫」という名前で、招き猫ミュージアムで復刻されています。こちらは復刻版ですから手彩色です。
こうやって比べてみると、スリーディプリンターで型を起こしたにしては、顔の形や目などがずいぶん違っています。
出所は同じと思われるのですが、何故でしょう?
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