2024年8月16日金曜日

金魚台輪


新潟県新発田市(しばた)の金魚台輪です。
明治時代に、竹細工師の矢代周平が子どもたちが曳いて歩けるものをと考案したとされています。竹ひごで組んだ骨に紙を貼り、彩色してあります。


紙のおもちゃは、大切にしていても褪せるだけでなく、紙そのものが劣化します。さりとて私は大切にくるんでしまっておくのが嫌いです。しまっておくなら、手元に置く意味がないとさえ思ってしまいます。


結婚する前に、実家の壁や天井に賑々しく飾っていた百足凧、猩々凧、蝉凧などなど、たくさんの凧は、すべてだめになってしまいました。また、紙の姉様やからくりおもちゃもだめになり、紙製にしては強い張り子まで、ぼろぼろになってしまったものもありました。
ガラスケースに入れておけば、少なくても埃避けにはなりますが、我が家には、高さ40センチの金魚台輪が収まるガラスケースはありません。
でも、金魚台輪は美しく、見ていると元気が出そうと、長く悩んでいましたが、とうとう手に入れてしまいました。
つくられてから時間が経っただろうに、色褪せもしてない美品です。


金魚台輪はとくに尻尾が見事です。素晴らしい!


子どもたちが曳いて遊ぶようにとつくられた金魚台輪は、その後、町内ごとに大きなものをつくって、夏祭りに曳く山車となりました。


普通、尾道の三体神輿、姫路の小袖山、祇園祭の山車など、大きいものが先にあって、あとからそれを模した子どものおもちゃがつくられますが、面白いことに新発田市ではその反対だったようです。

ひれが2枚ずつついている!

もとは、中にろうそくを立て、灯をともして曳く金魚台輪でしたが、


防火を考えてか、この金魚台輪にはろうそくを立てるところはありません。


置物としてつくられたようです。


新発田市には、金魚台輪をデザインした大吟醸「初花」があり、なかなか素敵なデザインです。


新潟県では、三条の鯛車、村上の鯛ぼんぼりなど、たくさんの燈火玩具が見られます。
勇壮でもない、鯛のように縁起かつぎでもない金魚が主役になったのは、新発田のお殿さまが金魚好きだったからのようです。




 



2 件のコメント:

  1. 何も考えていないような金魚の表情がいいですね!

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  2. hiyocoさん
    尻尾もいいけれど受け口が絶妙ですよね。燈火にする場合はこの口を開けてろうそくを立てて火をつけるみたいです。
    それにしても手が込んでいます。昔の人はよく考えて、何工程もあるのによくつくりあげたものです。

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