2016年8月31日水曜日

占いの道具?

アンタイディーのブログを覗いたら、コンゴの占い用道具がUPされていました。


コンゴのバクバ人(あるいはブションゴ人)のつくる、架空の動物で、この上で占いをするそうです。
あれっ、この姿、我が家の枕だと思っていた木彫りと、ちょっと似ています。
 

これが、我が家の枕だと思っていたものです。
さあて、これはどこのものだったか。記憶(記録)しておくべきでしたが、まったく覚えていません。もちろん、アフリカのものです。


顔は、どう見ても鳥です。


しかし、脚は四本あるので、架空の動物と言えば架空の動物です。


アンタイディーのものも、そこに引用されている1961年の日本での展示会でに出展されたイスラエル所蔵のものも、側面に彫刻がありますが、これはありません。
占いに使うなら、彫刻は必要な気もします。

上の面で占いをするそうですが、もしかすると、これを枕にして眠ってみた夢で占うのでしょうか?
それだったら、私は占い師失格です。夢を見て、目が覚めたその瞬間はどんな夢だったか細部まで覚えていても、起きようと身体をちょっと動かすと、すべて忘れてしまいます。


エチオピアの枕と比べると、低目ではあります。
これも占いの道具、イトンブアなのか、あるいは、アフリカの誰かが似せてつくったものか、たまたま似てしまったのか、よくわかりません。

それにしても、ユダヤ人の所蔵品とはいえ、1961年に日本でアフリカの工芸品の展示会が催されていたとは驚きです。
それから5年後の1966年にガーナに行きましたが、当時アフリカと日本の関係は果てしなく遠く、ガーナ在住の日本人は、単身赴任の大使館員3人、ガーナ人と結婚した女性、私たち夫婦の5人だけで、ときおりカツオ、マグロ漁船の乗組員がいたり、商社マンが短期で来たりするぐらいでした。








2016年8月30日火曜日

藤戸饅頭


弟が、叔父の法事で岡山に行ったからと、藤戸饅頭を送ってくれました。
弟と二人で叔父のお葬式に行ったのは二年前、その帰りに岡山駅で藤戸饅頭の店を探したのですが見つからず、列車の時間が来て、岡山まで行ったのにあえなく買えなかったものです。

包装紙は、私が小さかったころと同じで、「名物藤戸まんぢゅう」と右から書いてあるので、もしかしたら父が小さいころからこの包装紙、百年も変わっていないのかもしれません。


そして、箱にかけている紙も。
紙の絵の、左は藤戸寺、右は藤戸橋です。藤戸橋は汐入り川だった吉岡川にかかっていますが、その昔、源平合戦のころは一帯は海、小さな島がいっぱいあって入り組んでいました。そして、祖母の家は吉岡川のもう少し上流にありました。
藤戸寺では、毎月のように(あるいはもう少し少なかったか)縁日が開かれました。その仏縁日は、「おだいっさま(お大師さま)」と呼ばれ、近隣の人たちは三々五々、途中で塚やお地蔵さまに寄ってお供えをしながら、徒歩で藤戸寺を目指しました。
藤戸寺に着くと、広い境内や門前は出店で埋め尽くされて、賑わっていました。そこでは、縁日につきもののおもちゃや食べ物ではなく、台所道具とか下駄とか、必需品のお店が多く出ていたように記憶しています。
そして、藤戸寺の近くの藤戸饅頭の店で、ときおりお饅頭を買ってもらって、蒸かしたてのをいただきました。


箱を開けると、竹の皮に包んだ、むき出しの薄皮饅頭が並んでいるはずですが、一つ一つ包まれていました。
弟からのメールによると、
「2年ぶりに新幹線岡山駅&駅地下に行ったら、その活気にあふれる賑わいに圧倒されてしまいました。2年前には残っていた田舎臭さはもうどこにも見当たらず、東京とか横浜の街を歩くのと変わらない洗練が感じられました。恐るべし岡山県人の進取の気性でございます。
その中にあって藤戸饅頭はよく孤塁を守っていると感心しますが、20年くらい前からでしょうか饅頭をプラスティックの袋に包むようになってから昔のあのむき出しの饅頭の素朴な味わいが少しばかり消えたような気がするのは、守旧派の愚かなこだわりによる、ないものねだりにすぎないのかどうなのか自分にもわかりません。
人間の五感のうち、味覚、臭覚などは記録ができませんので、今と昔を比べるのは困難なのですが何だか昔のものの方がありがたく感じられるのは不思議な心理ではあります」
ということ、私も同感です。


藤戸饅頭は、たっぷりの餡を薄皮で包んだお饅頭で、その薄皮が柔らかいうちに食べるのも美味しいのですが、日が経って、薄皮がちょっと固くなったのを食べるのも、また別のおいしさだったのでした。










2016年8月29日月曜日

靴下をどう畳む?


洗濯した靴下はいつも、


二つ合わせてかかとで半分に折り、


片方のはき口を裏返して、全体を中に入れ込むようにして畳んでいます。


二つ折りにするところまでは同じで、


そのあと、はき口のゴム編みの部分だけひっくり返す畳み方をしていたときもありました。
母は、「ゴムが伸びるのが嫌」と言って、こんな畳み方をしないで、二つ合わせてただ、ごろっと結んでいました。でも、近頃はゴムの品質がよくなったのか、きついと感じる靴下はあっても、ゴムが伸びる心配はないような気がします。


さて、facebookで、靴下の畳み方を見かけました。
まず、靴下を甲の部分と足の裏の部分がわかれるように、押しつぶして畳んだものを十字に置きます。


下に置いた部分をつま先の方から畳みます。


上に置いた部分も畳んで、


ひっくり返して、中に、はき口の部分を折り込んだらできあがりです。
 

慣れないせいもあって、最初はちょっと時間がかかりましたが、慣れればどうってことないし、洗濯して、まだ乾いてないうちに平たく伸ばして干したら、もっと簡単に畳めそうです。


しかし、かかとから上が短い靴下は、どう頑張ってもこの畳み方では畳めません。


女性ものの靴下は、四角く畳むには、かかとから上が短めなものが多い気がします。
かかとから上があまり長くない靴下は、十字に交差させる場所をつま先寄りに寄せて、最後に挟み込める部分を確保していますが、不安定で触ると崩れそうなのもあります。


引き出しが薄いなら、四角く畳んだ靴下が並んでいるのを見るのは素敵だと思いますが、他の下着と一緒に衣装ケースに入れているのだから、四角く畳むメリットはありません。
ちょっと遊んでみただけ、これからも今までどおりに畳むつもりです。






2016年8月28日日曜日

ガラスのサイコロ独楽

サイコロが好き、独楽が好き、ガラスが好き、小さいものが好きな私が、
「ガラスの独楽のサイコロが要りますか?」
と訊かれたら、
「要ります、要ります」
と二つ返事で応えてしまいます。


白いガラスに青いガラスが、マーブルに入っています。
一つは、バリがついています。バリは、ガラスなどを型に流し込んだ時にはみ出した部分で、一つ一つ丁寧につくらなくてなならないものなら削り取りますが、それが残っているのがまた面白いのです。


光を通した美しい色。

 
形が寸分たがわないものは、母のところから来たものです。
同じ工場でつくられたものか、あるいはこんな独楽をつくる工場がたくさんあったのか、今となっては不明です。というか、私は知りません。


一つだけ乳白色で、もう一つは黄色のマーブルが入っています。


ガラスの独楽は、ずっしり重いところが素敵です。
しもむらさん、ご連絡ありがとう。







2016年8月27日土曜日

線香花火


先日、何人かで集まったときに、Yさんが線香花火を持ってきました。
みんなで楽しんだ後、残ったからと置いていったのは、「西の線香花火 スボ手牡丹」と書いてありました。
説明を読むと、
「三百年変わらない花火の原型。線香花火はワラスボの先に火薬をつけ、それを香炉に立てて火をつけて遊んだのがはじまり、コメづくりが盛んな関西地方には藁が豊富にあったため、このスボ手牡丹は関西地方を中心に親しまれている」、と書いてありました。

ワラスボとは、初めて聞く言葉でした。ネットで調べても、「ワラスボ」というのは魚しか出てきません。
普通、ワラシベと言いますが、どこでワラスボと呼ぶのでしょう?


小さいころ倉敷で過ごした私にとっての線香花火は、ワラシベではなく、イグサの先に火薬をつけたものでした。ワラシベなら、稲わらから一本ずつ選り出さなくてはなりませんが、イグサなら切るだけです。それにイグサは、泥で染めたりする過程で短いのがごっそり抜け落ちて、そこいらじゅう道路も何もイグサだらけになるほどですから、それを拾い集めても、ワラシベでつくるよりずっと手間がかからなかったと思います。

西日本には、和紙をいろいろな色に染め分けたものをこよりにして火薬を包んだ線香花火(長手牡丹と呼ぶらしい)がなかったわけではありませんでした。とくに花火セットになっていたものに入っている線香花火は、たいていこよりのものでした。
こよりの花火は、ワラスボ線香花火が関西から江戸に紹介されたのち、江戸ではなかなかワラシベが手に入らないので、つくられるようになったのだそうです。


きれいに包装されたワラスボ線香花火ですが、よく見るとずいぶん大きさにばらつきがあります。
その昔、何でも屋で線香花火を買うときは、10本ほど、紙の帯で束ねたものでした。 もちろん、バラツキもあったし、欠けたのもあったと思います。








2016年8月26日金曜日

棚受け金具の転用

誰かに家をつくってもらうなら、まず壁をつくったり、窓を嵌めたりして、家全体を完成させることでしょう。ところが、自分でつくっているのですから、何を優先させるかが、全然違うのです。

できたら、仮設の木工室用ビニールハウス、倉庫用ビニールハウス、材木置き場などなどを、早くとっぱらってしまいたいと思っています。
そのためには、拡散している大工道具、庭仕事の道具、消耗品、農具などなど、作業棟に収納場所をつくって、整理しながら移す方が、窓をつくるより先なのです。
道具などは順次移行していますが、移したものと、まだ移してないものが混じり合って、ごちゃごちゃしている状態では、探しものに時間を取られて、効率も悪いので、とにかくやっつけなくてはなりません。

さて、図体の大きい刈り払い機は、二階への階段下に置くことには決まっているのですが、下向きにするか、上向きにするか、どうやって収納するか、大きいだけに悩みました。
そこで、収納すると決めた場所に転がしておいて、いい案が浮かぶまで、見るたびに、使うたびに考えていましたが、やっとまとまってきました。

 
ずっと前から持っていた、棚受けの金具を使ってみることにしたのです。
錆びた鉄の色合いに惹かれて買ったものの、我が家でこれを使って棚を吊るのは、何とも似合わなくて、これまで使う機会がありませんでした。

取りつける場所には、板壁の中に、補強のための材を入れています。
うまくいくかどうかはわからなかったので、壁張りの途中でつけてみて、だめなら壁板を取っ払ってやり直すつもりでした。


さてどうか?


刈り払い機をひっかけてみると、何とか収まるようでした。
手前(写真では右)に寄ると邪魔ですが、階段があるのでこれ以上奥にやることはできません。刈り込みばさみの下には、もう一つ刈り込みばさみを収納して、対面には壁をつくった後、もう一つの刈り払い機を収納するために、同じように棚受け金具を取りつるつもりです。

この、畳半畳の同じ場所に、刈り込み機(ヘッジトリマー)やチェーンソーも収納したかったのですが、無理なようなので、それらは庭仕事道具ですが、別のところにしまうことになると思います。





2016年8月25日木曜日

家野ちゃん

元同僚の息子カヤちゃんが遊びに来ていました。
カヤちゃんのお母さんは、何とか自然豊かな田舎生活や大工仕事を体験させたいと思っているのです。


サッカーで鍛えた高校生パワーは、老人力と違います。
面白いからと、お昼休みもそこそこに、型枠づくりを楽しんでいたようでした。コンクリート打ちまでやりました。


カヤちゃんには、作業棟の多目的ホールの床と外のアスファルトを見切るために、コンクリートの帯をつくってもらいました。


コンクリートを流した室内側(右上)に、戸のレールがきて、その内側には木で床を張ります。
また、屋外側(左下)にはアスファルトを打ちます。
 

エネルギーの満ちているカヤちゃんでも、コンクリートを練るのはきつい仕事です。
「いつも、こんなことをやっているんですか?」
「そうよ」
「うへぇぇ」


丸鋸、テーブルソー、スライド丸鋸、ドリルカッター、チェーンソー、バイブレーター、インパクトドライバーなどなど、生まれて初めて触った道具も、わりと上手に使っていました。
筋がよさそうです。
私なら、危ないことはなかなかさせられないけれど、夫は、何事も経験と、いろいろ試させていました。

こんなにきついならと、大工仕事を嫌いになったか、おもしろそうだと思ったか、さて、どっちだったでしょう?
次はお姉ちゃんと一緒に来るそうです。








2016年8月24日水曜日

仕事がちょっと増えたけど、まっ、いいか

月曜日に、台風がやってきました。
窓から、大揺れに揺れている木々を見ながら、それでも安全にいられる場所があって幸せだよねなどと話していました。
夜になり、雨がやんで、風も収まって、すっかり静かになってから、八時ごろだったか、突然停電してしまいました。あれあれ。すぐにろうそくを灯しましたが、遊びに来ていた友人の息子のカヤちゃんも含めて、三人とも何もやることがありません。
ちょうど、お風呂のお湯張りが完了した直後だったのでよかった、お風呂に入ってそのまま寝てしまいました。

火曜日の朝もどんよりと曇ってはいましたが、雨は降りませんでした。
中庭の伸びた草を刈って運んでいて初めて、ケヤキの枝がたくさん落ちているのに気がつきました。ケヤキの枝を拾っていたら、あれっ、その中に、こいのぼりを立てる竿の先につけている籠玉の、飾りの小さな玉が落ちていました。
そこで、初めて目を上に向けました。


「うわぁぁ」
なんてこと、小さな飾り玉は、強風で一つ残らず失われてしまっていました。大玉も、落ち込んでいます。


その前の日まで、小さな玉は欠けることなく、全部そろっていたのに.....。

本当は、傷むので季節にだけ出しておいた方がいいのは知っていました。でも、大きな籠玉を仕舞う場所が作業棟を建てるまでなかったし、竿を倒すのが一仕事だしで、立てたままにしてしてしまいました。

すぐ夫に知らせようと呼んでみたけれど、姿が見えません。夫の行方はカヤちゃんも知りません。
ホームセンターに買い物にでも行ったのかと、軽トラックをさがすと、入り口のコナラの枝が大きく折れているのが目に入りました。上の写真の左側に見えているコナラです。高いところで折れて、ぶらさがったままです。
 

やがて帰って来た夫が通った坂道を見ると、クヌギやコナラの枝や葉が、散らばっています。
「わっ、気にしないで走ったんだ」
そういえば、夫は早朝にはごみを捨てにも行っています。
大きな枝を拾って片づけながら下まで行ってから見上げた写真なので、これには熊手で集めるような小さな枝しか残っていませんが、夫の軽トラックは枝だらけの惨状をものともせず、太い枝は踏みつぶしながら通ったのです。
笑ってしまいました。


下の道もこんな感じ、ざっと掃きましたが、後日草も刈って、きれいにしなくてはなりません。後始末は増えましたが、まっ、いいか。
Oくんが来て、
「ビニールハウスは飛ばなかったんですね」
そう、数年前の大雪では、鉄パイプが雪の重みでつぶれたけれど、風では大丈夫でした。あの時に比べると、後始末もそう大変じゃありません。








2016年8月23日火曜日

セルロイドの風鈴


もうそろそろ、風鈴の季節が終わりそうな季節なのに、骨董市で、おもちゃ骨董のさわださんが風鈴を持っていました。
 

吊り忍のような、松の木のような、これは何でできているのでしょう?
松の幹(柴)の部分は本当の木の枝ですが、松葉は経木のようなものを、細く切ったのでしょうか?


提灯と、風を受けるぴらぴらはセルロイドで、松にモールでひっかけています。


そして、桔梗の花のような形のベルは、薄い金属でできています。
 

「何だそのおもちゃは?」
と夫。
「ふん、いいじゃない」
しばらく、一番風のよく入るここで音色を楽しみましょうか。なかなかいい音なのです。

デッドストックの風鈴を、さわださんはたくさん手に入れたそうですが、その日は3セットしか残っていませんでした。
「上が、松じゃなくて、富士山とか、いろいろついた、でっかいのもあったんだよ」
ふん、見ることもできないのに、微に入り細に入り、聞きたくないわと思いつつ、頭の中で想像してしまいました。

そして、一回りしてからさわださんちの半身不随になった犬ミルキーにあいさつに戻ってきたら、残りの風鈴は全部売り切れていました。
一期一会、デッドストックになって、昔は響きそこなった音を、今聞いています。








2016年8月22日月曜日

瓦屋さんの仕事

台風接近やらなにやらで、晴れていたのに、あっという間に激しい雨が降りだすなど、不安定なお天気が続いています。


先週、瓦屋さんは、二人体制で4日来ることができるはずでした。ところが、急なお天気の崩れなどでそうはいかず、半日+一日+半日の、合計二日しか仕事ができませんでした。


それでも、どんどん進みます。
まずは平瓦を屋根の上にあげ、軒先に金属の雀返しを設置します。これで、雀が瓦の下に安全な場所を見つけて、楽しく巣をつくることができなくなります。


最初の半日は、割りつけに時間を取られて、雀返しを全ヵ所につけるところまでいきませんでした。
 

ところが、一日中降らなかった二日目には、早い、早い、高いところの平瓦は葺き終えていました。
さて、三日目の土曜日は、午前中は土砂降でり、午後からの作業でした。
大工さんが下地をつくる前に、左右の出について瓦屋さんとの打ち合わせをしたのですが、それでも限界があるみたいで、瓦屋さんは平瓦を葺くとき、グラインダーで一枚ずつ切って幅を調整していました。 
夕方、
「じゃぁまた月曜日にお願いします、って言ったら、瓦屋さんきょとんとしていたぜ。日曜日にも来るつもりかなぁ」
と、夫。
「まさかねぇ。いくら雨がちだからって、日曜日まで働かないでしょうよ」


そのまさかで、のんびり過ごしていた日曜日の朝早く、八時前には一人だけでしたが瓦屋さんがやって来て、夕方まで目いっぱい働いて帰りました。
朝には、まだ左右の端が決まっていませんでしたが、


夕方には、すっかりできあがっていました。
 

あとは、屋根が重なった部分の下、柱にぶつかるところの収まりと、棟瓦を残すのみとなりました。
 

この調子では、お天気さえよければ、今週中に終わってしまいそうです。