2019年10月31日木曜日

朱肉入れ


夫が朱肉入れの蓋をなくしました。
そのうち出てくるだろうと、ラップをかぶせて使ってもう半年も過ぎたか、蓋はでてきません。


よく見ると汚い!
蓋をなくしてから、ラップをかぶせてないときが長かったのか、埃がたまっています。


蓋は置くだけの、何かが当たったりしたらすぐ外れてしまうものだったし、これ以上蓋が出てくるのを待っていても無駄と思い、朱肉を買うことにしました。


今度は、しっかり蓋が閉まるものにしたいと思いました。
プラスティックのケースを避け、缶入りだとこれが最小(だったかな?)、届いてみたら思ったより大きくて、直径9センチもありました。
落款が必要な生活をしているわけでもないのに、宅配の方たちにも受領印は押さず、差し出されたボールペンでサインばかりしているというのに、無駄にも思われますが、朱肉が必要な時もあります。


蓋を見ると、文字は何故か右から書いてあります。
丸山工業の金龍印朱肉は創業1927年(昭和2年)で、意匠は当時のままかもしれませんが、後世の缶コレクターがこれを見て、いつの時代につくられたものか迷いそうな仕様です。


使い勝手は上々でした。
石の印は、Aさんにつくっていただいた我が家の印、手前のツゲの印は、もう半世紀近く前から使っている蔵書印です。







2019年10月30日水曜日

真壁のおかもち

今日は映画会。
観終わった後で、持ち寄った料理を食べながらああだこうだと話し合います。


今回はおでんにしました。
ほうろうの重箱に詰めていく手もありますが、土鍋ごと持って行けば、あちらで温めてもらうことができるかもしれません。


となると、運ぶのはこの、魚屋さんのおかもちでしょう。


これは景気がよかった石の町真壁で、魚屋さんがお刺身を何皿も運ぶためにつくられたおかもちですから、嵩のあるものを入れるとき、蓋はできません。
石屋さんたちはベンツを乗り回し、毎日のようにお刺身を食べ、魚屋さんは大忙しだったと聞きました。


マイプレートはいつもの木曽塗り、今日は大きい方を持って行きます。


というわけで今しがた帰ってきました。
映画は、『焼肉ドラゴン』。
観終わった後のああだこうだは、いつものようににぎやかに意見が飛び交いました。
おでんはおかげさまで、きれいになくなりました。







2019年10月29日火曜日

ハナワラビよりツワブキ

先日、イノシシの講習会で集落の人たちが集まったとき、一人の方から、
「ハナワラビは出てきたかい?」
と訊かれました。
しまった、その方からハナワラビの株をいただいたことすら覚えていませんでした。しかもとっさに、
「はい、出てきました」
と嘘をついてしまいました。わぁ、どうしよう。
あれから、植えた可能性があるところを探していますが、どこにも出ていません。こうなったら、花木センターに行ってハナワラビを買って来なくてはと思いながら、まだ行けないでいます。

しばらく前からお風呂の外にツワブキの花が咲いています。ツワブキはもう15年も前に、Kさんからいただいたものです。
お風呂の窓からは見えるのですが、外に出るとほとんど見えません。


というのは、お風呂の窓の外には目隠しのモチノキを植えているからです。
移植したときには、夫が先走って買って他のところに植え、ほったらかしにしていたモチノキだったので、樹形が崩れていました。
それを適当に植えてまた放っていた(手が回らなかった)ので、混みいっているところは混みすぎてうどん粉病が出ているし、枝のないところにはなかなか枝が伸びなくて目隠しにもなっていなかったのですが、少しずつ形が整ってきました。


モチノキの間にカメラを突っ込んで、ツワブキを撮ってみました。


今が盛りです。


モチノキの手入れは、長くコツがわからなかったので、切っても切ってもうまくいかなかったのですが、少しはよくなったでしょうか?
早く伸びる木は剪定が追いつかないし、ぐずぐずと伸びない木はじれったい思いをします。でも、あまり伸びない木の方が私の性には合っています。


さて、先日、シシ鍋のほうろく屋に行ったとき、矮性斑入りのツワブキを見ました。


斑入りにも矮性種にも関心はないけれど、このツワブキは素敵でした。
パッとしないハナワラビより、矮性種のツワブキが欲しくなりました。







2019年10月28日月曜日

小さな計量カップ

 

先日の骨董市で、パイレックスの小さな計量カップを見つけました。
値段がついてないので訊くと、
「ついてない?300円だったかなぁ」
と店番をしていた骨董屋さんのおかみさんが、慌ててそこいらじゅう見まわして、
「わかったわ。セットで1000円だった」
と、一番大きい計量カップについている、値札を見せてくれました。


交渉すればバラでも売ってくれそうな雰囲気もありましたが、それではたった10ccの小さい計量カップは売れないだろうと全部買いました。
10cc、50cc、100ccの小さな計量カップです。
5ccの目盛りはありませんが、長い間探していた匙カップの代わりになりそうです。

 

プラスティック製の匙カップは、柔らかいスポンジで傷つけないように洗っているのですが、表面がずいぶん曇ってしまいました。


それにしても、3個を入れ子にしたときのバランス,ちょっと変です。50ccと10ccのカップの間にもう一つあったらすっきりしそうですが、現実的には、25ccカップなんて,どう考えてもなさそうです。
最初からこんな、変なバランスだったのでしょうか?


パイレックスの、現在売られている計量カップを調べてみましたが、100cc以下のものはないようです。

あれから、何度か計量する機会がありました。
5ccの目盛りがなくても、大匙1.5杯などは簡単に計れますが、大量にいただいた生の牛乳でカスタードプディングをつくったとき、いつものレシピの1.5倍、つまり大匙4杯半を計るときは困りました。
「えっと、15ccの4.5倍だから、67.5ccか。そんなの計れないよ」
匙目盛りのついていない計量カップでは限界があることを知り、当分はプラスティックの、匙カップも併用することにしました。





2019年10月27日日曜日

イノシシな一日


昨日は、「集落でどんなイノシシ対策ができるか」という集まりに参加しました。朝の10時から、夕方5時までという、長い長い集会でした。
まず、イノシシの生態についての講義を受けました。
イノシシは山に住んでいるのではなく、平地、それも耕作放棄地に住んでいます。40センチより高い草が茂ると、そこに刈り取った草で屋根をつくり、雨にも濡れないようにして子育てします。また、身体に泥をこすりつけているのが大好きなので、ぬた場となる田んぼの近くに住むのは好都合なのです。
そんなところが、我が集落にはいっぱいあります。
イノシシは、単純計算して、今10頭が近くにいれば、10年後には100倍の1000頭になっているという試算も知りました。


講義を受けた後は、約一時間集会場周辺の道を歩いて、イノシシの出た痕跡をさがします。


さがすまでもなく、落ちた栗を食べた跡、獣道、足跡、掘り返したところなど、いたるところにイノシシの痕跡が残っています。側溝はあちこちでイノシシが掘り返した土が詰まったため、前日に降った雨が道路上に溢れていました。

また、イノシシを里にひきつけるような、管理していない柿の木、栗の木、ドングリの木などがないかと見たのですが、これらは無数にあり、実り、かつ落ちています。


私たちがここに来た頃はなかった田んぼの電気柵は、年々増えていますが、その電気柵の使い方にも問題があるようでした。
夜だけ通電して昼間は止めるとか、お米を収穫したあと電気を止めた電気柵をそのままにしておくという使用法は間違っているようでした。いったん電気柵を設置したら365日、24時間通電しておかないと、イノシシは「電気柵なんて怖くない」とすぐ学習してしまうのだそうです。
他にも、電圧が下がったら電池を替えること、漏電を防ぐためこまめに草を刈ることなどなど、できてないことがたくさんありました。
 

おいしいお弁当が出た後は、2班に分かれて、田んぼや畑などの耕作地、森林、管理が行き届いていない藪や竹藪、耕作放棄地、防護柵などを地図上に落とします。


そして、イノシシの痕跡、被害場所などを書き込み、次に考えつく対策については、カードに書き込みました。


そして、今後何ができるか、出た意見をすり合わせました。
みんなで出した結論は、田んぼの周りに防護柵を巡らせることと、希望すれば貰える箱檻(箱わな)を市からもらって(市の職員も参加していた)、イノシシを捕獲するということになりました。
捕獲檻を置けばイノシシは簡単につかまるというものではありません。
防護柵も捕獲檻も、設置後のたゆまぬ管理が必要となります。また、防護柵設置は最も効果的に設置しなくてはならないし、立てるにあたってすべての地権者の承諾も得なくてはならないし、作業も必要などなど、まだ道は遠そうでした。

さて、防護柵を田んぼの周りに立てたとしても、我が家はその外にあるので、今後もイノシシとは何とか折り合いをつけて暮らしていく以外ありません。見通しの悪いところを見通しよくすると言っても、四方八方から来るので、限界があります。
イノシシが来るのに神経をとがらせるより、猿や熊が出ないことに感謝して暮らす方がよさそうです。

集会から帰る途中、
「シシ鍋を食べに行ってみようか?」
と夫がいいます。夫はずいぶん前から気にしていたのです。
丸一日イノシシの話をしていたのでそれもよかろうと、家に向かっていた車をUターンさせ、八郷に一軒あるシシ鍋屋さんに行きました。


放射能検査など、面倒な手順を踏んでやっと仕入れることができるというイノシシ肉、それでも珍しいので遠くからのお客さんも多いようです。


これで二人前。


ぐつぐつ煮えてきて、美味しくいただきましたが、野菜はたっぷり過ぎて食べ切れませんでした。

この店は「ほうろく屋」と言います。なぜほうろく屋というのか知りませんでしたが、店主のおじいさんの代まで、「太田焼(太田は地名)」という焼きもの屋をやっていたからだったのです。


というわけで、店主のおじいさんやもっと前の人がこしらえたという火鉢、甕など見せていただきました。


火鉢や甕は重いものですから、かつてはあちこちの村に窯場があったのでしょう。八郷は平安時代から瓦を焼いていたのでいい土が出ていたのは知っていましたが、焼きもの屋さんがあったことは、まったく知りませんでした。


こうして、長いイノシシな日が終わりました。





2019年10月26日土曜日

カンボジアの知恵


昨日は、関東地方、ときに千葉や茨城はかなりの雨に見舞われました。
我が家は軒下が深いので、雨のときに安心なだけでなく、夏は陽はほとんど室内には入りませんが、冬は十分に入ってくれます。
この深い庇(ひさし)を支えているのは、軒下に室内から水平に伸びている出し桁(だしげた)という工法です。


左の写真は玄関から左を見たところ、右は右を見たところです。

自分たちの手で家を建てようと決めたとき、私たちはカンボジアのプノンペンに住んでいました。
建築を生業としてこなかった夫が、30年ぶりに家の設計をすることになり、
「何か参考になる建物がないかなぁ」
と周りを見回したとき、目に入ったのはカンボジアの家々でした。
というわけで、我が家には、随所にカンボジアの建物の知恵が詰まっています。


これはカンボジアの農家の軒下です。
だし桁づくりの軒下、真似したので当たり前ですが、我が家にそっくりです。もっとも出し桁が長いので、軒先では梁と柱で支えています。


プノンペンでは、絵画屋さんの3階に部屋を借りていましたが、通りを挟んで目の前には芸術大学がありました。
その芸術大学の軒下です。古い建物で、エンタシスになっている柱も素敵、全体をベンガラで塗ってあるのもいい感じでした。
軒が長く出ているので、手前の方の庇(右端)は、建物と並行に、二重に梁と柱で受けています。


これも芸術大学の建物で、レンガと木造の組み合わせです。
この屋根の掛け方も、おもしろくて素敵です。
カンボジアの建物で、庇の内側に詰んだ目で横桟が見えるのは、この横桟に下から順番に焼いた屋根瓦をひっかけてあるからです。


夫の設計の考え方は、まず「その土地をよく見て、その土地の力を引き出す」というものです。
そのため、ここに来てから本格的に設計したし、地域の建物を参考にし、地域の材料を使いましたが、その中にカンボジアの家の知恵も埋め込まれているのです。





2019年10月25日金曜日

いろいろあったよ


栃木県那珂川町の「もうひとつの美術館」のミュージアムショップは、楽しいところでした。
トートバッグやTシャツにも惹かれたけれど、「いつも使うか?」と自問自答。ちまちました小さいものたちを買ってきました。


まずは、細い針金でつくった、「もうひとつの美術館」の建物を模した飾りもの。
大小いろいろあったけれど、一番小さいものです。


おざきふみひこさんの絵葉書と缶バッジ。
猫の絵葉書はほかにももいろいろありました。


これも絵ハガキです。
素敵な雰囲気!


梃木淳一さんのイラストの入ったノート。


裏表紙はもっとにぎやか。


中の一枚一枚にもイラストがあります。
  

手ぬぐいもいろいろありましたが、一番派手だったのがこれ。
これをかぶって作業すると元気が出そうです。