2019年1月31日木曜日

日向ぼっこの古い墓

まさかと思うようなものにも、流行があります。
どのくらい前になるのかバブル期に、お墓の立て替えが全国的にはやったときがあったようでした。
八郷から山を越えたところにある石の町真壁は、日本全国からの注文で、笑いが止まらないほどもうかったと言います。

さて、みんながこぞって「○○家の墓」というものを導入したとき、それまでの特に古いお墓は、たいてい墓地の片隅にまとめて置かれました。


新しいお墓は機械で磨いたからかいつまでもつるっつる、角ばって冷たい印象ですが、


古いお墓はどれも丸っこくて、風雨に削られて、かわいらしく年を取っています。



古いお墓たちは、今も仲良く道行く人たちを眺めています。
と言っても、昔ほど人を見かけないのがちょっと寂しいところです。
子どもの遊びまわる声は聞こえないし、せいぜい犬を散歩させる人と、健康のために歩く人くらいで、田んぼの草を取る人などは、お墓たちは、絶えて久しく見たことがありません。







2019年1月30日水曜日

並べて、並べて


作業棟の軒下部分のアスファルトの端っこが中庭に面している場所は、下野の屋根からちょうど雨水が落ちるところです。
古い瓦を並べて埋めて雨受けにする設計ですが、いつまでも着手せず、雨で土が流されてちょっと溝になったところには、草が生えたり、落ち葉が吹き寄ったりしていました。

機が熟すというか、何ごとにも、「では、やろうか」という時が来ます。やっと瓦を並べるときがきました。
ところが、
「パイプが邪魔で、瓦が入らないなぁ」
「そんなことはないだろう。ちゃんと瓦が入る幅で決めたんだから」
 私は、瓦を立てて見せました。


「こんなよ」
「わっ、だんだん狭くしてしまったか!」
最初の方は、ちゃんと瓦をアスファルトと直角に立てられる幅がありますが、西に行くにしたがって狭くなっています。


まぁ、いいじゃないの。瓦が斜めに入っていても、さして問題はありません。
途中から狭くなっているので、一番狭そうなところから並べはじめました。


その昔、旧家からいただいてきた古い瓦は、最初は土の上に積んでいましたが、埋もれてしまって、アリも棲みつきました。周辺の草も刈れません。
しかたなく掘り起こして、裏口を出たところのタイルの上に置きなおしましたが、そのあたりは雑然として、タイルの隙間や、重ねた瓦の間からも草が生え放題、ずっと邪魔になっていました。
片づいたら、両方がすっきりします。


下水パイプとアスファルトの間の、狭いところから置きはじめたのですが、だんだん間隔が広がってきました。
それに合わせて、角度を変えるべきか変えないべきか?
変えることにしました。


ここは建物の北側なので、朝は土が凍っていて掘れないし、北風が吹いているときは寒いしで、作業はゆっくりやっています。


明治のころの瓦で、もう薄汚いのですが、立ててみると、生き返ったように、美しくさえ見えます。


瓦と瓦の間には、小石を入れるつもり、完成したら、ちょっと素敵になるでしょうか?








2019年1月29日火曜日

ご長寿トンボ鉛筆


トンボ鉛筆が、Tombow-8900を発売して、今年で70周年を迎えました。


70周年を記念して、缶ペンケース入りの鉛筆が発売されています。


8900番は1948年に、超微粒子の粘土が光線遮断性に優れていることから、写真修正用の鉛筆として販売されました。
鉛筆への刻印文字などの些少のチェンジはあるものの、12本入りの箱のデザインも、鉛筆の色もほぼほぼ、70年間変わっていません。
日本の鉛筆としては最長を誇り、2011年には、グッドデザイン・ロングライフデザイン賞を受賞しています。
トンボは1913年から鉛筆をつくっていて、8900番が発売された当時の主力商品は「製図用」の8000番でしたが、8900番は、それを超える革命的な鉛筆をつくる、という想いでつくられたそうです。


我が家にもあったはずとさがすと、いつものペンケースや引き出しの中から、4本見つかりました。


鉛筆は六面のうち三面刻印があります。
普通の鉛筆と70周年記念鉛筆を比べてみると、文字がちょっと違っていました。
普通の鉛筆のバーコードがついている面に、70周年記念の鉛筆には、THE JAPANESE CLASSIC 70th ANNIV.と、白ではなく金で刻印されています。
また、普通はFOR GENERAL WRITINGと書かれている面には、HBだけしか印されていませんでした。


ちなみにH.O.P.というロゴマークは、トンボ鉛筆創立者小川春之助(Harunosuke Ogawa Pencil)にちなんでつけたもので、今ではトンボ製品のなかでも、8900番鉛筆だけに残されているそうです。




2019年1月28日月曜日

テュベテイカ


時代箪笥の引き出しから、中央アジアのイスラム教徒の男性がかぶる帽子が出てきました。
その昔、夫の父にもらったもの、仕事でソヴィエトに行ったときの、お土産でした。
ロシア語でテュベテイカと言うこの帽子は、畳むことができ、広げると四角いトップで、それに縁がついている形になります。そして、刺繍してあります。
刺繍の模様はいろいろですが、タジキスタン、カザフスタン、キルギス、ウズベキスタンなどに住むテュルク系の人々が、同じ形のテュベテイカをかぶっています。ロシアでもイスラム教徒の多い地域で民族衣装として着用され、中国の新疆ウイグル自治区のテュルク系の人たちもかぶっています。


これは、テュルク系民族の分布図です。
濃い青色の部分はテュルク系言語を公用語にしている国で、薄い青色の部分はテュルク系言語を公用語にしている自治地域です。


たぶん、夫の父が買ったというよりは、どなたかにいただいたものだったのでしょう。
もっともありふれた文様ですが、黒地に白い糸のとても丁寧な刺繍がほどこされています。

  

ネットでいくつか似た帽子を見ましたが、同じスタイルとはいえ、どれも1960年代に父にもらった帽子のように細かい刺繍のものはなくて、雑です。


我が家にあるテュベテイカ、例えば縁の刺繍を見ても、同じではなく、周囲の16の模様が一つおきに、違う刺し方をしています。

心を込めて家庭で帽子をつくる人たちが少なくなっているのか、あるいはお土産ものと自分用は違うのか、この目で見たことがないので、何とも言えません。


裏地には赤い木綿を使って、全体に刺し子しています。


よく残っていました。
一緒にもらった琥珀のネックレスはなくなったしまいましたが。







2019年1月27日日曜日

何をやってんだか


私は、素敵なかせ繰り機を持っています。


そう素敵じゃないけれど、機能的な糸巻き器も持っています。
その二つを使えばいいのですが、


陽だまりに座っていると、動きたくなくなります。
そんなときは、足に毛糸のかせを引っかけて、手で玉にするに限ります。


外は寒いけれど、室内はぽっかぽか。


編みもの日和でしたが、長続きはしません。毛糸玉をつくっただけで、一仕事終わった感じです。
一日一枚編めば100日で、二日で一枚編んでも200日で完成するはずのひざ掛けは、4年も経ったのに、まだ半分もできていません。






2019年1月26日土曜日

箪笥の修理


地下室に入れっぱなしにしていた時代箪笥を引っ張り出してきたのは、昨年の9月末でした。
以来、風に当てていたと言えば聞こえがいいけれど、ホール前の軒下に、見て見ぬふりをしながら放置していました。
しかし先日、ホールの扉のレールの上をふさぐのに脚立を使わなければならず、置いてある箪笥が邪魔になり、動かさなくてはならなくなったので、久しぶりに触りました。


今年に入ってから雨は降らず、空気は乾燥しています。
4か月前に、途中まで引き出して、にっちもさっちもいかなくなり、こんな姿で放置していた引き出しを、試しに引いて見ると、なんとすっと抜くことができました。何年もたまっていた湿気が抜けたのです。
その下の引き出しは、無理に引っ張ったので前板の上が外れてばらばらになりそうになっていますが、これも抜くことができました。

これを買った1970年代当時は、巷で時代箪笥を見かけることはほとんどありませんでした。
骨董屋市は京都の東寺くらいしかないし、敷居の高い、昔ながらの骨董屋さんには、時代箪笥が置いてあったとしても、目が飛び出るほど高いものでした。
これもつくりは悪いのに、手が届いたとはいえ、そこそこの値段でした。今買ったら、悔しいけれど、半分か三分の一の値段で買えるものでしょう。
それゆえ捨てるのは、箪笥をつくった先人に申し訳ないと同時に、
「もったいないことをしたなぁ」
という自責の念もあったのです。

でも、邪魔ではあるけれど、使えるなら問題ありません。修理してみることにしました。


何も寒空の下で作業しなくてもいいと、居間に運びます。
木の釘(竹の釘?)を使ってつくっていますが、釘は短いし、板が薄いので、板端の方に釘が入っている、この仕上げではちょっと無理があります。
どうせ、一度は捨てる気だったのだから、ボンドと極細ビスを使って、しっかり留めることにしました。


一つ目の引き出しをなおすと、要領がつかめました。


乾燥しすぎて木釘が痩せて外れたのか、底板が外れてしまった引き出しもありました。


とにかく丈夫にと、薄い底板もビスで補強します。


もともとはぴったりしていただろう底板、縮んで隙間だらけになっています。
なんと、木釘だけでなく、すでに釘で修理した跡も発見です。
古いことなので、買ったときに鉄釘が使われていたのか、それとも私が打ったのかは、不明です。


これは、無理やり引っ張った、一番下の引き出し、前板は外れただけでなく、ちょっと反ってもいます。
クランプで押さえながら、しっかり留めました。


前板だけケヤキで、あとは杉の時代箪笥、漆の艶は失われてしまいましたが、前よりは少し頑丈になったはずです。

ところで、これを置くところは、宴会室、改め織り室しかありません。下見に行くと、周辺機器はあるし、茶箪笥は入れたし、早晩、ごっちゃごちゃになりそうな気配がしていました。






2019年1月25日金曜日

クレヨンとクレパス


hiyocoさんが、子どもの頃使っていた色鉛筆をUPしているのを見て、あちこちの家を整理したとき持って来た文房具を思い出しました。あちこちの家とは、夫の両親が住んだ家、私たちが住んで、のちに長男が住んでいた家などです。
鉛筆や消しゴムなどは、手近に置いてしっかり使っていますが、色鉛筆、絵の具、パレットや筆などの画材は、ほとんど使うことがありません、また、墨、硯、筆などの習字道具、コンパス、ロットリング、三角定規、雲型定規などの製図道具、分度器などなど、すでに過去の道具になってしまった文房具もあります。
文房具は小さいし、わりと整理しやすいので、そう邪魔にはなりませんが、たまに整理しないと、あったことさえ忘れてしまうので、中身を点検してみました。

どれも、捨てるのはもったいないけれど、さりとて、小さい子どもにあげるには、ちょっと立派すぎるものだしと、また元の場所に収めてしまったのですが。


クーピーだけは自分で買ったものだと、自信を持っていたけれど、もしかしたら、勘違いだったかもしれません。


というのも、私はずいぶん使ったのですが、これはあまり減っていません。
下の色鉛筆も、ほとんど減っていません。


色鉛筆はまだあります。
一体、誰が使っていたのでしょう?どこから持って来たか記録もしていないので、わからなくなっています。


下の箱の白鉛筆は減っています。
白は普通、あまり使わないのにと見ると、ただの色鉛筆ではなくて、色鉛筆で描いた後、その上から水で湿した筆を使って、水彩画のようにする画材でした。
夫の母か、長男か。私は一度も使ったことがありません。


水彩透明絵の具とポスターカラー。


どちらもまだ使えます。


アクリル絵の具。


一番上のニッカーはポスターカラーのメーカーでしたが、アクリル絵の具もつくっているようです。これはいったいどっちなのか?
固まってしまっていたので、これだけは捨てました。


次男が小学校一年生の時のクレパスで、一本一本、私の字で名前が書いてあります。
サクラクレパスの中に一本だけ補充したのかぺんてるが入っています。

サクラとぺんてるのクレヨンはご長寿、私が子どもの頃からありました。
クレヨンとクレパスの違いは何だろうと調べてみると、なんだ、「クレパス」は1925年(大正14年)にサクラがクレヨンで取った商標登録でした。
私はずっと、クレヨンが低学年向きに脂分が多いもの、クレパスはそれに比べるとぱさぱさした高学年向きのものと思い違いをしていました。クレパスがただの商標登録だったとは、なんだかだまされたような気分です。
サクラもこの商標登録で得をしているようには見えません。むしろ、クレヨンの方がすっきりしているじゃないかと思ってしまいます。

というわけで、整理の収穫は、クレヨンとクレパスの違いを知り、固まった絵の具を一つ処分したことでした。





2019年1月24日木曜日

駅が変わる


情緒のあった羽鳥駅も、全国のスタンダードとなっている、改札口が線路の真上にあって、線路の左右に出られるという、味もそっけもない駅に改築中です。


ここは、エスカレーターしか設置しないみたいです。
みんなの足腰を弱らせようという魂胆でしょうか。


確かに、現在改札口のある出口の反対側が開発されてたくさんの住宅ができたものの、そこに住む人たちは、いったん外の歩道橋を渡ってきてから改札口に入り、また駅の中の階段を使わなくてはならないという、二重構造にはなっていますが。