2022年4月9日土曜日

ロシア料理店


孫のはなちゃんの八郷デビューと中学入学を祝って、水戸にあるロシア料理店「キエフ」に行ってきました。


息子が見つけたお店、そんなことがなかったら、私たちは一生行くこともなかったことでしょう。
お店は、着いたときは「営業中」の看板が出ていたけれど、息子の話では私たちが入って間もなくしたらその看板が「準備中」に変わっていたとのこと、客は私たちだけで、料理は驚くほど手際よく出てきました。
客は少しでいい(?)日本人の老夫婦が二人だけで、のんびり(?)やっているお店でした。

夫は、部屋に案内されるとすぐに、コロナ禍で店はどうだったか、そしてロシアのウクライナ侵攻でお店はどうだったか興味津々、ちょっと遠回しではありましたが、いろいろ質問していました。
「キエフ」は開店してからなんと50年、店主は20歳くらいから10年、神田神保町、駿河台下のロシア料理店「バラライカ」で修業されたとのことでした。
「えっ、バラライカ!」

神保町のバラライカ

夫の両親は「バラライカ」のすぐそばに仕事場があり、仕事場の一角の狭いところに住んでいました。仕事場も狭かったこともあり、ちょっとしたお客さんの時は、よく「バラライカ」を利用していました。
もちろん夫はよく行ったことがあったし、私が夫の両親に初めて会ったのも「バラライカ」、幼かった息子も行ったことを覚えていました。そして、「キエフ」の店主はなんと夫の両親のことを、よく覚えていらっしゃいました。子どもが生まれたときは夫の父から絵本をもらったりと、交流もあったようでした。
「バラライカ」は1999年に閉店、神保町のあの辺りは一つの大きなビルになって、様変わりしています。


写真を撮り忘れたのでほかの方の写真をお借りしましたが、「キエフ」のボルシチは赤くないのが特徴、ビーツとサワークリームが添えてあって、それを好みで入れるのがウクライナ風なのだと、店主は言います。


そして、「バラライカ」の料理とそれを踏襲した「キエフ」の料理は、元はと言えば、野球選手だった白系ロシア人のスタルヒンの母上のレシピなのだそうです。スタルヒンは調べてみるとウクライナ出身ではないので、母上がウクライナ出身だったのかもしれません。



さて、私はウクライナのブラウスを着て行こうかと着てみましたが、春先に白は目立ちすぎるので、着ては行きませんでした。
もっとも、着て行ったところで、見るのは家族と料理店のご夫婦だけ、どうってことなかったのですが。


ウクライナの、袖に刺しゅうを施したブラウスの上には、背中にたくさんのひだを取ったヴェストを着ます。このヴェストは、4メートル長さもの布を畳んだもので、裾が広がります。


ちょっと長めのヴェストを着た女性たち。


ウクライナの人々は手先が器用で、今でも手間のかかることをするのを厭わないと聞いています。
それにしてもこのブラウスの刺繍の豪華なこと、スカートにも刺繍してあるようで、感服してしまいます。

ロシア料理店「キエフ」のカウンターには、ウクライナの支援の募金箱が置いてありました。





 

7 件のコメント:

af さんのコメント...

レポートありがとうございます!
サプライズなエピソードありすぎです!

人が人に伝える力を信じたい…

af さんのコメント...

と思いました!
素敵なエピソードをありがとうございました。

かねぽん さんのコメント...

こんばんは。
昨日、NHKの朝のドラマが最終回をむかえて、「よく出来た話だなあ」と思っていたのですが、現実もテレビドラマに負けていませんね。
縁とは本当に不思議なものです。

さんのコメント...

afさん
記憶のかさぶたが何枚も剥がれて、下から埋もれていたいろいろな光景が出てきた夜でした。
BGMとして流れている曲もほとんどなじみのものであることが不思議、一昔前の日本人は誰でもロシア民謡をたくさん知っていたものでした。

一日も早く、ロシアのウクライナ侵攻が止まるといいのですが.....。アメリカは今回のロシアの侵攻で石油と武器で莫大な利益を上げているという話もあるし。

さんのコメント...

かねぽんさん
朝のドラマは面白かったですね。いろいろなところにいろいろな仕掛けがあって、楽しみました。

そんなにドラマチックというわけではありませんが、1年に1度くらいは、「世間は意外と狭いですね」ということがあります。初対面の人でも、じつは共通の友だちがいたということはよくあるし。
縁は異なもの味なものです。
42年前にバンコクで会った十代のMちゃんとMちゃんが(やがて結婚して)、まさか歩いて1分の隣に住むなんて、想像もしていませんでした(笑)。

rei さんのコメント...

以前にこちらでバラライカの事を書かれた時にもコメントさせて頂いたのですが、神保町は、近くの区立中学校に通っていたので、懐かしい場所です。バラライカの前を通ると、ロシア料理を食べてみたいと思ったものですが、中学生の分際?では叶いませんでした。大人になったらと思っている内に閉店になってしまいました。水戸でリベンジ?更に遠くなってしまいましたが。

神保町と言えば、岩波ホールが7月で閉館との事。最後の上映は金継ぎがテーマでもある「金の糸」、観に行きたいです。お隣の救世軍の前で、クリスマスになると「社会鍋」募金をしていたのを思い出します。

さんのコメント...

reiさん
バラライカは、確かに子どもや若い男女が気軽く入れるという雰囲気ではなかったですね。
私にとっても初めての高級料理店でした。
中学生の時から神保町の古本屋街はよく歩きましたが、脚が棒になっても神田駅まで歩いて電車賃を節約するような子どもでしたから(笑)。
岩波ホールの閉館は残念ですね。もう遠くなったので行く機会もありませんが、想い出の多すぎる映画館です。オールナイト(徹夜)でサタジット・レイの「大地の歌」三部作を観たのも岩波ホールではなかったかしら?長い長い映画を3本観て、外に出たときは白々と夜が明けていました。

夫の両親はとても仲が良く、父の死後は母は本当に寂しそうでしたが、その母が父の死後、2週間もしないうちに服などすべて社会鍋に寄付してしまったのには驚きました。明治生まれの人にしては珍しく、余計なものは持たず、お菓子の包み紙などすぐ捨てる人だったのですが、服で偲ばなくても父がしっかり心に生きていたということなのでしょう。何も捨てられない私は、そんな母の影響を受けたいと思いながら、妹の連れ合いのお姉さんの遺した着物まで捨てられず、ものにまみれています。