2023年10月29日日曜日

上野あたり

先日、Mご夫妻と、久しぶりに上野近辺でお会いしました。
場所は、かつての職場の近くのお好み焼き屋さんに行くつもりでしたが、夫が両膝が人工関節で正座ができないので、長時間はつらいだろうと当日になって変更、行ったのは根津のはん亭で、上野駅から歩いて行きました。


常日頃、散歩を怠っている私たち、ベンチがあれば喜んで休憩します。
座った先に見える左奥は都美術館です。


そして右は一部だけが上野公園内に移築された、東京藝術大学音楽学部の旧奏楽堂です。
広々とした眺めがすっかり失われてしまっている上野公園では、マルシェが開かれていて、にぎわっていました。


はん亭は明治に建てられた木造三階建てで、かつて夫の両親ときたことなどもある、古い串揚げ屋さんですが、外国人客が目立っていました。
席の脇にそそり立っているのは、建物内の蔵、大人数だと蔵の中の席も予約できます。


正座がつらいのもさることながら、大きな声でしゃべっても嫌がられないかということも懸念していましたが、天井が高いせいか杞憂に終わりました。

明日から、ブログを3日ほどお休みします。







2023年10月28日土曜日

手織物、いろいろ

織物の先生だった近藤由巳さんとはこんこんギャラリーを通じて、20年以上前から知り合っていましたが、4年前に、長年畳んであった織り機を組み立てようとしたとき、綜絖(そうこう)と踏木の結び方がわからなくて、見てもらったのをきっかけに、より親しくなりました。
綜絖とは、織り機の経糸(たていと)を通しておいて上げ下げする部品で、踏木と連結させておきます。所定の踏木を踏むとその綜絖に通した経糸だけが上がって、上がった経糸と上がっていない経糸の間に緯糸を通すことができる、織物の根幹をなすものです。
踏木も綜絖も、最低で2つずつで代わりばんこに上げ下げすれば、平織りの織物はできます。しかし、いろいろな織り方をしようとすると、最低6枚の綜絖と踏木をセットしておく必要があり、8枚の綜絖と8本の踏木をセットしておけば、より織り方の範囲が広がります。


上の写真は、かつて織物を習った時のノートです。なんてきれいな昔の私のノート! 今では、どんなに努力しても、別人のごとく汚いノートしか取れません。
織物の組織図ですが、左下は綜絖への経糸の通し方です。そして、右下が招木(横木)と綜絖、そして踏木の結び方。平織の場合、綜絖は2枚でもいいけれど、経糸がくっつきすぎるので、綜絖を4枚使ったのが最下段の左の経糸の通し方で、右下の結び方で、たいていは平織でも4枚綜絖で織ります。


綾織となると、綜絖4枚、踏木4本となり、結び方は右下のようになります。

招木も踏木も設置していない状態

私の織り機は「天秤仕掛け」というスタイルの織り機で、1970年代半ばにノルウェーから輸入したものです。
当時は手仕事が顧みられていなかった時代で、各家庭の日本古来の着尺を織る織り機は、納屋で埃をかぶったり、邪魔だからと燃やされたりしていました。

私が最初に織り物を習ったFさんは、ノルウェーで織り物を学ばれた方でした。日本には、私の学生時代は、織物が習えるところが倉敷の民芸館だけ(女子美にもなかった)で、民芸館では4、5人の生徒さんが1年間住み込みで習っていました。民芸館長として外村吉之助さんがご存命のころでした。
幼児を2人抱えて、家でパッチワークなどしていた私は、学生時代の友人に、織物を教えている人がいると聞き、紹介してもらって下北沢にあったFさんのアトリエに通い始めました。以後、タイに引っ越すまで、5年ほど通いましたが、そのアトリエは駅に近い民家の二階で、当時の下北沢は古い家ばかりで、アトリエもお手洗いは汲み取り式という時代でした。
日本製の織り機は流通していなかったので、織り機や紡ぎ車はノルウェーから取り寄せてもらい、整経機などは、日本の職人さんに特注してつくっていただいたものを使い、毛や麻の糸もノルウェーに発注して取り寄せてもらっていました。
タイに引っ越すときは、織り機一式を持って行くほど織り物は生活の一部になっていましたが、タイへのインドシナ難民の流入を契機に結成されたNGO(当時、日本にはNGOがなかったので、ボランティアグループとは思ったけれど、NGOだとは思ってもみなかった)に参加して毎日のように出かけることになり、織物の方はそのままになってしまいました。



さて、近藤さんは教室に織り機を3台、ご自分用に1台持っていらっしゃいましたが、どれも日本製で、それぞれ別様式で別サイズの織り機で、その中に天秤仕掛けの織り機はありませんでした。
そのため、私の織り機の結び方は近藤さんもすぐにはわからなくて、いろいろな織り機が載っている資料を貸していただき、コピーさせてもらいました。


まず、天秤と綜絖を結び、それを招木(まねき、横木)に結び、それを踏木に結ぶのですが、40年のブランクは大きく、四苦八苦しても結びきれませんでした。


これがその結び方です。
というわけで、私の織り機はいまだ結びきれていないまま、ずるずると年月を重ねていますが、2年ほど前に、
「よかったら、教室に来る?」
と、近藤さんに誘っていただきました。それまで、私が「習おうかなぁ」と言うと、「いやいや、習わなくていいでしょう」と返され、私の方も忙しくて余裕もなかったことから、そのままになっていたのです。
通い始めてみると、一言で織物というものの、私が習った織物とは違うものでした。

スウェーデンの伝統織物、フレミッシュ

私が習ったのは、おもにタペストリーと呼ばれる飾り布を織ることだったと思われます。

これは、織り方としては簡単だけど意匠が大事な綴れ織り。緯糸しか見えていない

糸紡ぎもしましたが、市販の糸で織るのが主でした。ノルウェーの羊毛糸も麻糸も、日本にはない色と質で、糸見本を見るだけで、わくわくしたものでした。

近藤さんの作品の昼夜織り。主に経糸が見えていて、裏は反対の色となっている

さて、こんこんギャラリーでの織り展を見て知っているつもりでしたが、近藤さんの織物教室は、原毛を洗い、ほぐし、自然染料で染めて、糸に紡いでその糸で織るという、全工程を自分でやるもので、織るものも手紡ぎ糸のやわらかさを生かしたショールやポンチョなど、私が習った織物とはまったく違うものでした。
織物は、市販の糸を使ったとしても織り機に糸をかけるまでの工程がたいへんで、織るという作業は、エネルギーでいうと織物全工程の20%くらいのものですが、原毛から織るとすると、織る作業は10分の1以下にも満たないものでした。


1970年代までは、日本で羊の原毛を糸にして織っていたのは、岩手のホームスパンと北海道のユーカラ織り(アイヌの織りではなく、個人の織りなので、現在は優佳良織と改名)くらいしかなくて、ほかの場所に住んでいる者には、原毛は手にも入りませんでした。
上の写真は右が盛岡のホームスパン、左がユーカラ織りの、夫のネクタイです。


今や、スピニング(糸紡ぎ)や手織りは広まり、羊を育てる人が増え、日本製の性能のいい織り機や、紡ぎ車がたくさんつくられ、売られています。
それはひとえに、近藤さんの先生たちの世代や近藤さんの同時代の方たちの、手仕事に対する情熱のたまものだったと思われます。

近藤さんがお元気だったら、私はいまごろ昼夜織り(表と裏が別色になる)に取り掛かる予定でした。
手紡ぎ糸だと、どうしても太さに差が出るので、経糸にそれをうまく配置し、緯糸にはできるだけ同じ太さの糸を使う必要があります。それを近藤さんが配置を考えて、糸量を計算してくれて、整経(経糸を整えて織機に掛ける)すれば織れるばかりになっていました。

昼夜織りの綜絖通しと足の結び方

近藤さんを失ったことにより、その工程は暗礁に乗り上げてしまいました。


自分の織り機で織るとなると、まず放置したままの結びを完成させなくてはなりません。
こんな状態から、織るところまで到達できるかどうか、ちょっと難しそうです。






  

2023年10月27日金曜日

インドのお土産

一昨日はインド人のミロンさんが来ました。
夫のFacebook友達ではありますが、初めて会う人、そして家に泊まっていく人。どう対応したものかと思いましたが、とりあえず何でも食べられるかどうか、事前に訊いてもらっていました。すると、なんでも食べられるとのこと、これですっかり気が楽になりました。
もっとも、白いご飯に砂糖と牛乳をかけたものしか食べられない(菜食主義者が、ある期間もっと制限したものしか食べないことがある)、と言われてもそれはそれで楽だったとは思いますが。

ミロンさんはベンガル地方出身の建築家ですが、プージャー(インドのお祭り)に関心を持っていたり、映画好きだったり、インドと日本両国に関係する人物の岡倉天心やチャンドラ・ボースなどに詳しかったりと、思いがけずウマが合いました。映画ではサタジット・レイが好きだとか、「大地の歌」三部作やサタジット・レイの弟子のミーラー・ナイールの「サラーム・ボンベイ」など、共通して好きな映画があり、話が弾みました。
私が観てなくて勧められたのは、サタジット・レイの「Joi Baba Felunath(英語ではThe Elephant God)」です。今はネットで映画を観られる時代なので、観てみようと思います。


ミロンさんはお土産上手、夫はタッサーシルクのネール・ベスト(最近では、首相のモディさんが着ている)をいただき、私はカンタ(刺し子刺繍)のポーチ、インド香水、友人がつくったという櫛などをいただきました。
夫がカチッとしたネールベストを着る姿は残念ながら想像できませんが、私のいただいたものは、香水以外は全部役立ちそうです。


中が防水になっているポーチのカンタも、生地はシルクでした。


櫛はちょっと大きいけれど、細かい歯、荒い歯のパートに分かれていて、使いやすいものでした。マメ科の黄色い小さな花が咲く木だとか、ミロンさんはベンガル語でしか木の名前を知らず、私も短時間で植物図鑑の中に見つけられず、どんな木かは判明しませんでした。
櫛は一般的に、歯が欠けないように木を縦目で使い、背の部分の厚みを太くして割れないようにしたりしますが、この櫛は長いので割れやすいと思ったのか、背に縦目の材を継いで、仕上げてあります。


下に敷いたのは、久しぶりに出してきたサリー、バングラデシュの村で手織りされたものですが、布の両端にずいぶん複雑な模様を織っていると、改めて感心しました。










2023年10月26日木曜日

ゲランドの塩


熊井さんの彫刻展で前橋の画廊を訪ねたおり、画廊主さんから、ゲランドの塩をいただきました。
画廊主さんのお連れ合いが、かつてフランスのコスメを輸入する会社に勤めていて、退職後は、魅せられてしまったゲランドの塩を輸入する会社を創設されたのだそうです。

写真はオルタ・トレード・ジャパンより拝借

食通でもなければグルメでもない私でも、ゲランドの塩は、名前を聞いたことがあります。すべて手作業、昔ながらの方法で海水から塩をつくっている、今となっては超贅沢な塩です。


ゲランドの塩には、いろいろなサイズの粒があるほか、ハーブを加えたものなどあるそうですが、いただいたのは一番細かい粒のものでした。


使いやすそうな容器を開けて、塩を取り出してみました。


細粒にしては大きな粒の塩、なめてみるとそこはかとなく甘く、確かにおいしい塩です。


ビンのラベルを見ると、ゲランドは、フランスのわりと北の方、大西洋に面しています。


ゲランドは、ラ・アーグの原子力廃棄物再処理工場とは遠いと言えば遠いけれど、遠くないと言えばそう遠くありません。
フランスは有機農業が盛んな国です。しかし一方で、第二次世界大戦でドイツに占領されたことを屈辱と感じ、原子力を持って大国になろうと、アフリカでのウラン採掘や太平洋諸島での度重なる核実験など、その土地に住む人々を苦しめ、地球を放射能で汚してきました。
福島第一原発の廃炉工程による処理水に含まれるトリチウムの海洋への放出が問題になっていますが、使用済み核燃料再処理施設では、通常の原子力発電所とは比べものにならないほどのトリチウムが排出されるだけでなく、ストロンチウム90も排出される処理水が海中に放出されています。
また、ラ・アーグでは高レベル放射性廃液蒸発缶の設計に想定以上の腐食が発生し、放射性物質が漏れ出していて、地下水が汚染されていることが問題になっています。



ゲランドの塩からすっかり脱線しました。
いろいろな思いはありながらも、ゲランドの塩、おいしくいただいています。





 

2023年10月25日水曜日

鍋の蓋リフター

以前使っていた、お鍋の蓋を細く開けておく道具は小さな犬の形をした陶器でしたが、不安定なうえ、薄いので欠けやすく、ずっと前に全部割れてしまいました。


私の持っているお鍋は、蓋をずらすことはできるのですが、沸騰すると蓋が動いて閉まってしまい、密閉状態になると吹きこぼれてしまいます。
わりと頻繁に必要になるので、陶器のものが割れてからは、菜箸を突っ込んで蓋との間に隙間をつくったりしていました。


蓋をちょっとだけ開けておきたいとき、
「なんか適当なはさむものがないかなぁ」
といつも思っていたので、、お鍋と蓋の間にはさむものをネットで探してみました。
確か北欧製の、木でできた動物の形をしたものを見たことがあったのですが、探しても見つからず、シリコーンでできたものを買いました。何と呼ぶ道具なのかわからないため、探しにくかったのですが、「蓋リフター」で行き当たりました。
蓋リフターは2つもあれば十分ですが、6つセットでした。身体を折り曲げた人の形で目もついています。


最も細く開けたいときは、つま先を引っかけます。


もう少し開けたいときは、足の甲をひっかけます。


そして、もっと開けたいときは、脚全体をお鍋の中に差し込みます。
といっても、そんなに微妙に料理をつくっているわけではありませんが、この人形たちは引っかかりやすく、熱にも強く、よく働いてくれています。


白か黒だったら、もっとよかったのに、収納も引っかかるので簡単です。





 

2023年10月24日火曜日

冬支度


昨年の10月、寝床にヒーターを入れたときの、タマとマルの写真です。
生後4ヵ月ほどの昨年は、2匹一緒でも十分スペースがあったのに、今年は大きく育って、2匹ではきつい。一緒に入ると押し合いへし合いだし、1匹が入っているともう1匹が遠慮することもあるので、寝床を大きくつくり直しました。


奥行きは同じなので、左右の側板はそのまま利用して、前後の板を長くします。買ってこなくちゃならないかなと思いながら材木置き場を探すと、1×6(ワンバイシックス)が1枚残っていました。
家は杉、建具も杉ですが、引き出しをつくるときなど、杉より堅いスプルースのワンバイ材を使うので、残っていたのです。

以前の寝床

3匹いた犬たちが死んで、猫のトラだけになったとき、広かった寝床を小さくするために、後ろ板を切り詰めて、前板は処分しました。大きく切り込みを入れた前板は、たとえ残してあったとしても、大きいし低すぎて、猫には似合わないので使えなかったことでしょう。


猫だから、出入り口の切込みも要らないかもしれないけれど、一応出入り口をつくります。


さて組もうとしたとき、出入り口の縁を丸く切るのを忘れていたことに気づきました。切るのはさして手間ではないのですが、猫なのでそのままにしました。


前後の板がそろったら、古い寝床を分解して、側板と底板を再利用します。


左右の側板は、長さが同じなので、2009年からか、ずっと使っています。


底は、これまで使っていたものに、画板にしていた合板を加えてつくりました。


3つもあったヒーターは処分して1つになっていたし、ちょっと温度が低いものだったので、2つ新調しました。これでゆったり寝られます。


新しい寝床、冬は活躍しそうです。




 

2023年10月23日月曜日

久しぶりの熊井さん



夫の学生時代の友人の熊井淳一さんの彫刻展を観に、前橋まで行ってきました。
題は「生きていく仲間たち」、4年ぶりの彫刻展だそうです。


ブロンズと、山桜の木を彫った彫刻の二種類の展示でした。
山桜はこつこつと彫るので時間がかかりますが、ブロンズもつくった原型を鋳物工場に出さずに、すべて熊井さんが自分で鋳込んだので、4年ぶりといっても、忙しい毎日だったそうです。


焼型鋳造の作り方は、こちらのサイトが一番参考になるかなと思いました。写真は解像度が悪いのですが、外型と中子型の間に厚さ3ミリくらいの空洞をつくり、そこに溶かしたブロンズを流し込む様子がよくわかります。また、粘土の型は太い鉄筋でしっかりと割れないようにつくっていることもわかります。


ブロンズの彫像は、大きいものだけでなく小さいものも、中を空洞につくってあります(蝋型の作り方は別で、中まで無垢ですが)。
溶けた金属が隅々まで流れるように湯道をつくり、鋳込んだ後で湯道は切り取り、砂でつくった中子は小さな穴を開けてさらさらと取り出し、鋳込み時にできたバリをはつったり穴を埋めたり、色仕上げをしたりと、ブロンズの彫像は準備と仕上げにも手間のかかるものです。
大きいものは、溶けて950度以上になった金属を大量に流し込まなくてはならず大変ですが、小さいものにも工夫が要ります。動物の足のように細いところがあれば、型を熱しておいても途中でブロンズが冷めて固まり、細部まで行き届かなかったりしがちです。
鋳物づくりには、技術だけでなく力が要りますが、身体を鍛えている熊井さんだからできることなのでしょう。


ヤギ、馬、犬、七面鳥など、赤城山のふもとで熊井さんと一緒に過ごした動物たちがかわいい像になっていますが、私はリスのくーちゃんが一番気に入りました。


熊井さんは元気元気、次々と訪れるお客さんと大きな声でじゃべりっぱなしです。
別の一角では、これまた大きな声の夫が、画廊主としゃべりっぱなし。小さい画廊の中はわんわんしていました。
その二人は、長時間いたのにお客さんが途切れなかったので、しゃべる暇もなく、再会を期して別れました。