2022年11月30日水曜日

洗面所


洗面所の下です。
要望に応えて、右側には3人の下着を入れる引き出しをつくります。
左側はシャンプーや石鹸のストックを置く棚にしましたが、上水・下水管があるので、単純な棚にはできません。限られた中で最大限、ものが置けるようにしました。
棚には両開きの扉をつけます。


引き出しは、下からつくりはじめました。


仕上げは、一番下の前板が幅広になり、幅の狭い板をボンドでつないでいた関係で、上から仕上げていきました。
左はお風呂場、昨日はM+MのMちゃんが、脱衣場とお風呂場をわける壁を張ってくれました。
脱衣場あたりでは、鏡の取りつけ(着手済み)、洗濯機と洗面所の間の壁をどうするのか(置いてある洗濯機が重いので作業しにくい!)、洗濯機の上の棚などの造作が残っています。




 

2022年11月28日月曜日

私にはチンプンカンプンですが

いよいよ、建設中の家の受け渡し(入居可能)が間近になってきました。
電気はすでに使える状態なので、あとはガス、水道、それに井戸水が使えて、お風呂場が水漏れしなかったら、住むことができます。
夫は、ソーラーシステムと給湯機を結んだり、お風呂や台所と給湯機を結んだり、給湯器をボイラーと結んだり(私は、いま一つよくわかっていないのですが)、面倒な仕事を連日やっています。


休日だった昨日は、ホームセンターに給湯パイプの接続部品を買いに行きました。


「これは2分の1がないなぁ」
などと呟きながら、夫はじっくり、1時間もかけて接続部品を選びました。


ボルトなどもそうですが、センチメートル単位のものとインチ単位のものがあって、間違えて買うと使いものになりません。


欲しいものがほぼ手に入りました。


これはまだつないでありませんが、ここをつないで、あと床下などにも配線配管しなくてはなりません。

毎朝思うことですが、ソーラー暖房は最高、まだ一度もストーブなど使わないで暖かく過ごしています。


暖かく過ごせているのは、屋根の上のガラス箱から暖まった空気を床下に送るシステムを開発してくださった方たちのおかげ、夫の面倒な作業のおかげです。
私には、配管配線はまったくのチンプンカンプンですが。





2022年11月27日日曜日

韓国のお椀

昨日、朝鮮半島でつくられたと思われる籠のことを書きました。
韓国で私は籠を見なかったけれど、いったい何を見たんだろうと自問していて突然、ソウルで漆のお碗を買ったのを思い出しました。ずいぶんながく使っていないし、見てもいません。

食器棚には、漆のお椀はまとめて置いてあります。手前に並んでいる漆のお椀を取り出してはその奥を見て、取り出しては見て、やっと韓国のお椀を見つけました。
久しぶりのご対面です。


これを買ったのは、ソウルにある山村(サンチョン)というレストランでした。
サンチョンでは、料理もおいしかったけれど、漆のお椀をご飯茶碗として使っていたのが印象的で、幸い店の一角で同じようなお椀を数個売っていたので、似た大きさのものを選んで2つ買ってきたのです。


サンチョンは、私の頭の中ではすでにおぼろげでしたが、SNSはすごい!
「ソウル、山村」で検索すると、たちどころにたくさんの記事や写真が出てきました。
私がちょうさんに連れて行っていただいたのはもう30年近く前ですが、今でもサンチョンは老舗として賑わっているようです。
ただ、この写真を見ると、お椀たちは激務をこなして、少しくたびれているようでした。


韓国料理のご飯茶碗と言えば、ほぼステンレス製です。
これは、かつて金持ちが銀の器を使っていたことの名残りですが、一般人というか両班(リャンバン)でない人たちは、昔はいったいどんな器を使っていたのでしょう?推測するに、低い温度で焼いた陶器(見たことがないけれど)や木の器を使っていたに違いありません。
もっとも、サンチョンの料理は精進料理ですから、漆のお椀はもしかしたらお寺の器だったのかもしれません。

余談ですが、金属の器だと、熱いものを入れると手に持つことができないので、テーブルに置いたまま食べなくてはなりません。
そんな悠長なこと、庶民にはできそうにない気がします。


サンチョンで買ったお椀は、ご飯を食べたりお汁を飲んだりするとき使っていましたが、カンボジアに行くときは置いて行き、帰国した後もずっと使っていませんでした。


お椀は、日本の春慶塗りに似ている、「透き漆」という技法で、木地は厚め、高台はありません。

妹のお土産のお盆

同じ透き漆でも、八角盆や四角盆はどこのお土産屋さんでも見かけましたが、お椀はサンチョン以外では見かけませんでした。




 

2022年11月26日土曜日

草で編んだ籠


大きな草籠です。直径が35センチほどあります。
草籠ですから、とてもしなやかです。


材料は、イ草の仲間の水辺の草に見えます。
日本では、稲わらでお櫃入れ(いいづめ、いいつぐら)などがつくられましたが、稲わらの籠は主に保温目的で、竹がふんだんにあったせいか、稲わらや草の籠はとても少ないものです。
この籠は朝鮮半島のものでしょうか?
半島では草細工の籠が盛んにつくられました。


私の持っている籠の中で、この籠のたわむ感じに一番近い籠は南アフリカのコサの籠です。
遠く離れた場所で、人々がその地で手に入りやすい素材で工夫してつくった籠が似ているのは、何とも素敵です。
草の籠は長持ちしません。これは大きな籠ですからたくさんのものを入れたはず、よく破れたり汚れたりしないで、残っていたものです。

『韓国の藁と草の文化』より

『韓国の藁と草の文化』の序文に、著者が調査する中で孤独、悲哀、苦痛を感じたと書いているのは、草や藁でつくったものが急速に消えていくのを目の当たりにしてきたからかもしれません。

私は、韓国には何度か行ったことがあります。
最初の韓国訪問は夫が仕事で行くのについて行ったので釜山近郊だけで純農村には行っていませんが、あとは韓国自然農の研修やら、全国の自然農の実践者を訪ねる旅でしたから、北から南まで農村を訪ね歩き、農家に泊めていただいたこともありました。
それなのに、韓国で籠に注目したことは一度もありませんでした。私は韓国で何を見ていたのでしょう?


韓国民俗村にも行きましたが、ここでも籠の記憶がありません。
民俗村では、100年前の食事ができたり、昔と同じ方法でつくられた民具が売られたりしていて、ここでつくられた鎌を買いましたが、籠もつくられていたのでしょうか?


『韓国の藁と草の文化』が発行されたのが1995年(調査研究は、1982年から)、私が韓国の農村を初めて訪問したのは1990年代の初頭、すでに草でつくられた籠は、一般生活の中から失われていたのかもしれません。






 

2022年11月25日金曜日

ドアの設置

何だかんだで、ドアの丁番が手に入らず、ドアの設置は遅れていました。
ネットで買った丁番は、寸法をよく考えたのにごっつ過ぎました。出先の息子に頼んだら、写真を送ったのに違うものを買って来ました。あとで、そのホームセンターに交換に行くと、もともと欲しい形のものを売っていませんでした。
別のとき、自分でホームセンターに買いに行ったら、6個欲しいのに5個しか売ってなかったなどなど、手間取ってしまいました。


丁番は、2つに分けることができ、柱とドアに、それぞれ別につけて、ドアを上から落とし込むのが一番簡単なのです。
ドアは手づくり、ドア・ハンドルはネットで買入、ドアを取りつける丁番はホームセンターで買ってとばらばら。やっと揃っての取りつけに、説明書はありません。昔の記憶をたどりながら、前につくったのを見ながら、お手洗いのドアを取りつけました。


柱の上下に丁番をつけ、ドアの上下にも丁番をつけ、夫を呼んで上下一度に落とし込みました。


お手洗いのドア・ハンドルは、中から施錠できるものを使っています。
ドアの厚さによって、中に仕込む部品の長さが違い、3種類用意されていたのですが、一番短いものを使っていたので、うまく施錠できず、中くらいの長さのものにつけなおしました。

写真右上が差し込み方の説明

写真に撮ってみると、部品にはそれぞれドアの厚みが表記されていますが、なにせ幅が2ミリほどの部品なので、肉眼では陰刻があることさえ気づきませんでした。


受け座をつけます。


お手洗いのドア、一丁上がり!


ついで、主寝室のドアも取りつけました。


ティンガティンガのルームプレートを、2枚一度に注文したからか、まさかの名入れが反対状態で送られてきました。
主寝室の窓の外にはエノキがあり、子ども部屋の前にはクヌギがあります。ルームプレートをそれに合わせなければ、意味がないので、このカラフルな方が子ども部屋ではなく主寝室のドアになり、色が地味な方が子ども部屋になってしまいました。


ティンガティンガは、薄い合板に書かれているので、額縁をつくって入れています。
象さんたちの足の先がとてもかわいかったのに、額縁に隠れてしまって、これもちょっと残念でした。


そして、子ども部屋のルームプレートはこれ、ドアはもうできているのですが、丁番がないのでつけることはできないでいます。





 

2022年11月24日木曜日

ジグソーパズル今昔


4年ほど前の写真です。
そのころは、まだ紙のジグソーパズルで遊ぶことがありました。


1980年代に買ったキューピーがいっぱいの写真と古いおもちゃの写真のジグソーパズルは特に好きで、何度も遊んでは、その都度タイムを計ったりしていました。
200ピースのパズルですが、いつも遊んでいたのでピースを見ただけでどこの部分かわかったくらい、1時間かからないで完成させていました。


でも最近は、紙のジグソーパズルで遊ぶことはまったくなくなりました。


というのは、コンピュータでジグソーパズルができるようになったからです。


ちょっと疲れたとき、ちょっと一休みしたいとき、コンピュータのジグソーパズルをしてしまいます。
コンピュータだと、ピースがなくなってしまうこともないし、いつでもやめられます。


私が馴染んでいる無料のジグソーパズルは、絵や写真にはどのくらい種類があるのか、食べもの、浮世絵、自然、国、動物、花、野菜、鳥、神社などなど多岐にわたり、タグだけで100種類くらいあります。

南タイ料理のカオヤムの写真もあった!

ピースの数も、2ピース(どうやって遊ぶんだ!)から450ピースまであり、私が好きなのは200から300ピースのものです。


時間の無駄だし、手にも目にもいいことがないのに、ついやってしまいます。


コンピュータのジグソーパズルの途中写真を撮ろうとやりかけたら、うっかり目的を忘れて、遊んでしまうところでした。





2022年11月23日水曜日

おっとりした猫


どこでつくられた招き猫かはっきりしませんが、質感や絵つけの感じから京都の猫ではないかと思います。

郷土玩具/招き猫十八番より

これが京都の典型的な(?)招き猫です。お顔の描き方が、上の写真の猫とちょっと似ています。
私が生まれて初めて買った招き猫は、これに似た京都の黒い招き猫でしたが、1980年代の地震で失われてしまいました。


京都の招き猫も、近年のものは生地をドロドロに溶かして型に流し込んでつくってありますが、これは型に粘土を押しつけて形づくってあるので、そこそこ昔につくられたものと思われます。


丸い顔がかわいらしく、縮緬を使った綿入りの首輪がよく似合っています。


見るとほのぼのする猫で、


後ろ姿もなかなかのものです。
底を比べてみるために、我が家の生息している京都の猫を探してみたら、思ったよりたくさん棲息していました。


どれも布や紐の前垂れや首輪をつけています。
京都には、ほかには清水あたりで売っている豆人形の招き猫がいます。


そして、この2匹も京都の猫だと思っていましたが、首輪が描かれたものなので、もしかしたら別の場所のものかもしれません。





 

2022年11月22日火曜日

小さなビンたち


白髪染めの最大手の一つ君が代のビンです。
これはアルミのキャップ、戦後のものです。


四角いビンで「君が代」のエンボスの反対側には、「定量」のエンボスと「HAIR-DYE KIMIGAYO」のエンボスが、もう一面に、「意匠登録93658」のエンボスがあります。


新しいビンですが、アルミキャップが何ともかわいくて魅力的です。
君が代全体については、私があれこれ説明するより、ブログ『ちょっと詳しい白髪染めの歴史』の第10回を見ると、一番よくわかります。


また、ブログ『平成ボトル倶楽部日記』には、同じ形のビンで茶色の色つきのビンがあり、それには「オキシドール」のエンボスがあると書かれています。


泡のいっぱい入ったビンには「ときわ」のエンボスがあります。
形としては白髪染めのビンに似ていますが、「定量」のエンボスがないし、口の形が違うので、白髪染めではなく、家庭染料か食紅のどちらかが入っていたのかもしれません。


「米山商店」のエンボスのあるビン、初期の家庭染料のビンに形が似ていますが、家庭染料にはほぼ、「染」や「染料」というエンボスが入っているので、これも食紅かもしれません。


ただ、ブログ『ジリジリ』を見ると、食紅には食紅のビンの特徴があったようで、米山商店は、食紅としてはちょっと大きすぎる気もします。


そして、maicaさんのブログ『ケラダマヒ』を見ると、後ろ左に「米山商店」とそっくりなビンが見え、このビンには「日ノ出印」とエンボスがあると書かれています。


maicaさんも、家庭染料か食紅かどちらかわからないということで、染料ビンとも並べてみていらっしゃいます。


小さなビンたちでした。