ラベル 飾り物 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 飾り物 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年8月4日火曜日

磁器人形の童子たち


先日、骨董市に行ったら、水屋さんの店先に磁器人形の入った箱が置いてありました。
磁器人形と言っても、戦中戦後につくられた、薄くて軽い磁器人形ではなくて、ずっしりと重い、釉薬がかかってテカテカと光っている、絵つけの単純な古い磁器人形です。


人形たちの中に、招き猫を持った童子がいました。
招き猫持ち童子だけ欲しいのですが、おそらくまとめて売っているものだろうと、水屋さんにたずねてみました。すると、案の定一括売りでしたが、優しい水屋さんが市場で買った値段でいいと言ってくれました。磁器人形なら2体、多くて3体しか買えない値段です。
やったぁ!
というわけで、箱買いをしました。


招き猫持ち童子。


我が家に前からいる招き猫持ち童子より、一回り小さいけれどそっくりです。
大きい方を原型にして型をつくって成形し、焼いたら縮んでちょうどこのくらいの人形ができそうです。


他にも、おもちゃで遊んでいる童子たちがいました。
左から、お馬ごっこの棒馬(ぼうま)持ち童子と招き猫持ち童子。ダルマ持ち童子は紐でダルマを押さえて、お馬ごっこをしているように見えます。そして太鼓叩き童子。


一回り小さいのは、花持ち童子と、犬持ち童子です。


鶏、兵隊さん、何も持っていない童(わらべ)。鶏の顔は残念ながら左半分は欠けていました。


這子(ほうこ)。


我が家には先住の這子が2人いたはずと探したけれど、1人しか見つかりませんでした。


この男女児ペアは、ヨーロッパの人形を模したものでしょう。


そして、この2人は中国の人形を模したように見えますが、どうでしょう?
左の女の子は人形を、右の子は花籠を抱えています。


瀬戸でつくられたこれら磁器人形は、どんな人を対象につくられたものでしょうか? 
土人形の自在な形や彩色の見事さに比べると、あまりにも素朴です。
そして、もし国内向けではなくて輸出向けだったとしたら、ヨーロッパの磁器人形とは比べものにならないほど稚拙です。
ネットで「磁器人形」と検索して出てくるのは、精巧なつくりのスペインのリヤドロやドイツのマイセンの磁器人形(フィギュリン)ばかりです。



写真上はヘンゼルとグレーテル、下は戦後ドイツでつくられたゲーベル人形、ヨーロッパのフィギュリンです。マイセンなどのフィギュリンは高くて買えないけど磁器人形が欲しい西欧人が、代替として日本の磁器人形を買うとは、あまりにも違いすぎて考えにくいものがあります。
瀬戸あたりに行って調べたら、磁器人形がかつてたくさんつくられた経緯がわかるのかもしれません。


招き猫持ち童子たちは、お仲間ができて、とても喜んでいるように見えます。





 

2026年7月20日月曜日

竹の猫

日曜日に、M+MのMちゃんと一緒に骨董市に行きました。
行き帰りの車中で、久しぶりにおしゃべりが止まりませんでした。と言うのもお互いに何だかんだ忙しく、隣に住みながら、じっくり話すのは1ヶ月ぶりくらいでした。
M+M家の犬、トビーが旅立ってからもうどのくらい経ったかしら、骨董市で真っ先に向かったのは、ジュリーを連れたおもちゃ骨董のさわださんの店でしたが、残念、暑くなりそうだからとジュリーは家でお留守番をしていました。


「これはどう?」
と、さわださんが真っ先に見せてくれたのは、竹でできた黒猫でした。


竹久夢二の「黒猫」から黒猫ブームが起こったころつくられたものでしょうか、竹を切り抜いて、流線型の猫にしています。


顔のあたりの切り抜き方の細かいこと、糸鋸で切るのは、電動にしろ、手動にしろ技術が要ります。


しかも、誰も注目しないような台にまで模様を施しています。
台の裏、黒く見えているのは、台に穴を開けて差し込んである猫の手の一部です。


右は白樺の黒招き猫。
手仕事が豊かだった時代の猫たちです。








2026年6月20日土曜日

花巻人形だった?


ある日、勝手に送られてくるヤフーオークションの画面を見ていたら、鯛担ぎがいました。
「あれっ、これ見たことがある?」


そう、以前記事にした堤人形の鯛担ぎとそっくりですが、花巻人形と書いてあります。

鯛なら何でも好きというわけではなくて鯛によりますが、「めでたい」から縁起ものとしてつくられた鯛の人形は大好き、しかも、この鯛担ぎは安価でした。オークションで競るのは苦手、競争相手が出てきて手に入らなかったらそれまでと最低金額で入札しておいたら、めでたく落札できました。


写真だと鯛の背中の丸みがちょっと違っているように見えますが、色の塗り方でそう見えているけれど実物はそっくり、同じ型を使ってつくったものと思われます。


底から見ると左の鯛担ぎが微妙に角ばっています。
しかし、男型の角ですから、粘土生地の貼りつけ方、前後をくっつけた後の縁の仕上げ方などでこのくらい差が出てしまうことは考えられます。


鯛のエラとか、着物の柄、鉢巻のあるなし、眉や目など表情はちょっと違います。

これまで、何となく堤人形と信じてきて、今頃気づくなんて間抜けで遅すぎる気もしますが、現在も制作されている堤人形の芳賀家の鯛担ぎも、佐藤家の鯛担ぎも首の傾げ方はこれと反対です。
ということは、この鯛担ぎたち、どちらも花巻人形かもしれません。

写真はヤフオクからお借りしました

かつてヤフーオークションで扱われた、「江戸時代の花巻人形」と説明にある鯛担ぎは、着物柄がそっくりです。

花巻人形といえば、なぜか私の中でちょっと特別な存在です。と言っても印象が望洋としていて、何となくつかみどころがないもの。しかも、以前遠野に行ったときに、たくさんの古い商家の店先に飾られていた花巻人形を見かけ、帰りに立ち寄った花巻の町でも見かけたのですが、どれも色褪せて古ぼけた感じの人形たちで、取り立てて魅力的ではなくて、いよいよ頭の中で混乱してしまったことがありました。

というわけで、まだ花巻人形として自信が持てないところもありますが、花巻人形ということにするかなぁ。



 

2026年6月18日木曜日

震度のバロメーター

6月16日の夕方、茨城県南部を震源とする地震がありました。
激しく揺れたけれど、時間が短かったおかげか、被害はありませんでした。


地震の規模のバロメーターになるナイジェリアの楽隊は、12人中5人ほど倒れていました。
立たせてみると、1人足りません。


ライトを持ってきて探してみると、足元の籠の中に1人転がり落ちていました。


地震の揺れの大きさがわかったからといってどうってことありませんが、発表された震度とちょっと違うかなと思うときもあり、激しく揺れれば倒れる律儀なナイジェリアの楽隊に、
「大変だったね」
と声をかける機会になっています。







 

2026年5月27日水曜日

三河系招き猫がいた!

NHKオンディマンドで、古いドラマの再放送を観ることがあります。というか、結構楽しんでいます。
『 タイムスクープハンター』は、タイムスクープ社の記者沢嶋雄一が、色々な時代にタイムスリップして、忍者の修行を見たり、駕籠かきについて箱根まで行ったり、江戸時代の婚活に密着したり、戦国時代の通信手段であった旗振りを見て山から山へ情報が伝わるのを見たり、江戸時代の有名料亭の初鰹の争奪戦を追いかけたり、木の入れ歯職人を取材したりなどなど、歴史教科書には載らないような出来事を追いかけて、映像で記録するもので、今のところシーズン(6)まで放送されていて、タイムスリップする時代も古代から20世紀までと広範囲にわたっています。

このドラマで「おっ」と思うのは、既婚女性はおはぐろをしているし、男性の歯も真っ白ではなくて黄ばんでいるし、髪はみんな思い思いの形に結っていて、着物の着方もだらっとしていることです。
男性だと、丁髷の形も月代の伸び具合もいろいろで、髷の位置もいろいろ、女性の髪ときたらみんな違っていて、まるで帽子のように大きく結ったのや、乱れ毛やほつれ毛は当たり前、普通の時代劇のように、たった今床屋さんが結ったように整った髪の人は一人も登場しません。

さて、シーズン(6)の第5話、「追跡!美男子コンテスト」に、招き猫が出てきました。


明治44年(1911年)に、新聞社主催の日本で初めての容姿を競う美男子コンテストがありました。入選してなんとか写真館の名を挙げたい写真屋の小林さんは、知り合いの女郎屋の女将さんに、美男子と呼ばれるにふさわしい男性を紹介してもらい、その洋反物屋さんを訪れます。
その洋反物屋さんの銭函の上に、招き猫が置いてありました。


愛知県の各地でつくられている、三河系の招き猫です。
写真屋さんがどこに住んでいたかは語られていませんが、おそらく東京ではなかったかと思われます。

愛知県三河地方は、江戸時代から三河木綿の産地として有名でした。三河木綿は堅牢で足袋や布団に仕立てられましたが、明治になってからは積極的に西洋の紡績・染色技術を取り入れ、洋反物(洋服の生地)の製造もはじめました。
1989年には、愛知県の豊田佐吉が日本初の力織機を発明しています。蒸気やモーターを使う力織機の導入は、生産力を20倍に高めているので、三河でもその恩恵を受けていたと思われます。

そんな、愛知県にルーツを持つ洋反物屋さんなら、開店の時、三河地方の開店祝いの定番である招き猫を贈られて、意気揚々と東京に乗り込んだかもしれません。
三河系招き猫は大きいものでは高さ90センチもありますが、はるばる東京に行く洋反物屋さんには、荷物にならないように小さめの招き猫が贈られたのでしょう。
招き猫が、「三河の洋反物」の宣伝になったかもしれません。
もっとも、そこまで考えて小道具としての三河系招き猫を置いたかどうかは不明です。

この洋反物屋さんは結局、美男子コンテストのモデルになることを嫌がり、小林さんは別の学生さんで、コンテストに応募します。


しかし、待ちかねた選考結果発表の日、1位から10位までが新聞に紹介されましたが、その中に小林さんの送った写真はありませんでした。
新聞社が行った1900年代初頭の美人・美男子コンテストは、写真による選考でのみ選ばれるもので、個人の競争というより写真館の腕試しの様相が強いものだったようでした。






2026年4月27日月曜日

うちの象(4)日本の象

野生の象のいない日本でも、象のおもちゃや飾りものが、いつからかつくられています。


『Wanderland of Toys ① ブリキのおもちゃ』(北原照久編集、シンコーミュージック、1983年)には、主に輸出用だった象のおもちゃが載っています。


上の写真の象は1950年代につくられたものですが、30年代につくられた上の上の写真の象に比べると、写実から漫画チックになっています。時代の違いでしょうか、それとも製造会社の違いでしょうか?

さて、うちにはブリキでできた象はいませんが、日本の象も少しだけいます。


竹だけでできた小さな象です。
ソテツギンナンの実、どんぐりのはかまなどなど、ちょっと昔の人々は、自然にあるもので工夫して器用に人形をつくったものですが、この竹の象も節や枝を生かして、見事につくられています。


浜松張子の艶かしい象です。車に乗っていて、押すとかわゆく首を振ります。
張子の象は、意外にたくさんつくられていて、「郷土玩具の動物園」で紹介されています。

「郷土玩具の動物園」からお借りしました

それを見ると、浜松張子には別の象もいたことがわかります。4代目の二橋加代子さんがつくられたものです。

久之浜張子。「郷土玩具の動物園」からお借りしました

ほかには、福島県いわきの久之浜張子(1976年に廃絶)、広島県の常石張子、千葉県の下総張子、香川県の高松張子、福岡県の柳川張子などが紹介されています。また、「ふるさとの玩具」には、張子だけでなく土人形の象も紹介されています。

象が初めて日本にやって来たのは1408年、室町時代のことでした。
二度目は信長の時代の1575年、三度目は江戸時代の1728年にヴェトナムから献上された象で、その時は長崎から江戸まで歩いたので、大ブームになったそうです。大きいから、見逃されるはずはありません。

常石張子。「郷土玩具の動物園」からお借りしました

ちなみに、広島県の常石張子の象や唐子は、江戸時代に鞆の浦へ寄港した朝鮮通信使に由来してつくられはじめました。


最近の象のおもちゃです。









2026年4月26日日曜日

うちの象(3)東南アジアの象


タイのココナツ削り器の象です。
ココナツを削るときは、象にまたがって、殻の一部を割り取ったココナツを象の鼻先に被せ、両手で持って回しながら上下に動かし、ガリガリと果肉を削り取ります。それに少量の水を加えて絞ったものがココナツミルクで、料理やお菓子に使います。

ココナツ削り器はただのお風呂の椅子みたいな形のものが多く、木彫りならウサギが代表的で、昔は各家庭(といっても料理にココナツミルクを使うのは中部から南部タイ)にありましたが、今では市場から機械で削ったココナツを買ってきます。
このココナツ削り器は、何かの機械の部品だったものを象の鼻に見立て、先端を潰してココナツ削りにした、アイデアが光る道具です。


バンコクから北上すると、コーラート高原の国道沿いに焼き物村があります。この道を通るときは、ついつい車を停めて、並んでいるお店を1軒1軒のぞいて見たものでした。その焼き物村でつくっていた小さな象(高さ25ミリ)です。
この地の売りもののメインは庭に置くオブジェや植木鉢などのガーデニング用品で、小さな手捻りの動物ではほかに、ウサギ、水鳥などがいました。


バンコクに住んでいたとき、友人のRさんからいただいた牛の骨の象です。大きい象(高さ29ミリ)の方が子ども連れということに、何か意味があるのかと、考えてしまう象の家族です。


オピウム・ウエイト、アヘンを計るときの分銅です。
まだビルマが鎖国していた時代にタイで買ったものですが、ビルマのものかもしれません。


タイ北部はランナータイと呼ばれていて、歴史的・文化的にビルマと分けられない時期もありました。タイ北部はビルマのシャン州と隣接していますが、シャンはシャム(=サイアム)と同義語、タイ人(族)のことです。


これらもランナータイの織り機の部品、綜絖(そうこう)2枚を吊るす滑車です。
滑車には装飾はいらないのに、木工が得意なだけに、つい美しく飾ってしまうのがランナータイやクメールの人々です。


滑車を横から見たところです。


ビルマのマンダレーのお寺の境内で売っていた(授与していた?)張子の象です。
1981年に買ったもので、ちょっと紙が柔らかくなってしまっています。紐がついていてぶら下げられますが、大きいのであちこちにぶつかって痛みやすいのに、よくぞ生き延びてくれています。


1980年に、タイ・カンボジア国境のアランヤプラテートにあったカンボジア難民のキャンプにいた子どもがつくった象です。
キャンプで活動していた仲間のにしざきさんが、子ども相手に粘土教室を開いたことがあり、参加した子どもたちは思い思いにいろいろなものをつくって楽しみました。その中に、この象がいたのです。事務所に置いてあったのを愛でていたら、にしざきさんに「欲しいならどうぞ」と言われて、狂喜乱舞していただいてしまったものです。
これは、昔のいくさの姿で、人の背後の鞍の中には砲弾がいくつか入っていて、戦士は砲弾を投げるために一つ持っています。
いくさとは無縁なような、おっとりとした象と人です。