ラベル 刃物 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 刃物 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年6月15日月曜日

万能工具

夫は、1週間に1度の割合で、財布、鍵、補聴器など大切なものをなくします。
その度に、
「あれっ、おかしいな」
と言いますが、ちっともおかしくない。なくすことがほぼ日常になっていて、その度に私までハラハラに巻き込まれてしまいますが、今朝も病院に行くのに、診察券も入った財布が見えなくなって、一騒ぎありました。
とりあえず、診察券がないまま(後で見つかった)夫が出かけた後、財布を探していて、夫のデスクの片隅で、見たことがなかったマルチツールを見つけました。どうしたんだろう?


両側を、外に引っ張って開けようとしてみましたが、開きません。
帰ってきた夫に、
「どうやって開けるの?」
と訊くと、


前後にねじって、簡単に開けてくれました。
「ふーん、こうやって開けるんだ」


「欲しかったらあげるよ」
「いらないけど」
ちゃちで、あまり役に立ちそうにはありません。

いつもスイス製のアーミーナイフを携帯している友人がいました。
必要な場面でサッと取り出し、それなりに役立てていたのを見ましたが、私に関しては、自分のマルチツールやサバイバルナイフが役立ったことはまったくありません。


LEATHERMANのマルチツールを、海外で役に立つと書いたことがありましたが、実際には結構重いので常備はしたくない、持っていたとしても肝心なときにそれが使えることを忘れてしまったりして、役に立てたことは一度もありません。


LEATHERMANは、昔むかし、夫と私の分を2つ買いましたが、夫は最初から、
「ふん」
という感じで興味を示さず、1つは息子か誰かにあげてしまいました。
そして1つは、引き出しに入れっぱなしで、これからも活躍しそうにもありません。
かつては、お土産にもらったスイス製のアーミーナイフもありましたが、使わないままで失せています。
マルチツールを使いこなす日がやってくることはなさそうです。







2026年3月18日水曜日

ミニチュアの握りばさみ

 
左官のつかださんが来てくれて、白壁がやっと白くなりました。
つかださんが来てくれているうちに、2011年3月の地震で壊れたのにそのままにしておいた母屋の壁もなおしてもらおうと、見ていただきました。


コンクリートと木造が取り合っているところは、多かれ少なかれ影響があったのですが、なおすほどのこともないところがほとんど、しかしこの二階への踊り場の小さい壁だけはひどいことになっています。


普段は、前にものを置いて押さえているのですが、仕上げ塗りが下塗りとはがれて、浮かび上がっています。


壊れた壁の前に置いたものを動かしていたとき、夫の母が遺したくけ台と握りばさみのセットが目に入りました。


長い間ここに置いたままだったので、受け取ったときの写真と比べると、まったく陽が当たらないところに置いてあるにもかかわらず、針山の縮緬の色がすっかり褪せていました。


それに、2012年には握りばさみをUPし忘れていたようです。
ままごとで遊ぶには小さすぎるものですが、握りばさみはもちろん金属、くけ台も金属でできています。


思いついて、小さな握りばさみで紙を切ってみたら、しゃきしゃきと切れました。長さ31ミリの、小さなはさみですが。
プラスティックがあふれる前、職人さんたちはなんて丁寧な仕事をしたものかと、頭が下がります。


刃物が好き、はさみが好きで、布用のはさみだけで、2010年2019年には3回、2025年と、何度も繰り返してUPしています。


ここに集合しているのは握りばさみたち、このほかに現役の握りばさみは裁縫箱の中にあります。
羊の毛刈りのはさみの大きいのはイギリスのはさみ、ちょっと小さいのはルーマニアのはさみです。

追記:


仕上げ塗りがはがれていたところ、今日の午後に出来上がりました。


ここは見ていただくだけと思っていたのに、
「やりましょう」
と言って、簡単に塗ってくれました。


地震から15年、壁が見苦しくなくなりました。









2025年9月13日土曜日

インドの包丁


『かぼちゃでゴロゴロ』(インドの昔話、西岡直樹 採録・再話、西岡由利子 絵 、福音館書店、2023年)の付録の「絵本のたのしみ」で、西岡ファミリー「紡ぎ車と世界の原毛アナンダ」の関係がわかったというか、うすうすは感じていましたが、アナンダは西岡直樹、由利子夫妻が設立した会社だったのです。
西岡直樹さんが、タゴール国際大学などインドの大学に長く留学されていたことは知っていましたが、お連れ合いの由利子さんがタゴール国際大学で古典絵画、パナスタリ大学で細密画、インド染色を学ばれた方とは知りませんでした。お子さまたちも含めて、最強の「チーム・インド」のご家族でした。


さて、『かぼちゃでゴロゴロ』の中におばあさんがむすめの家を訪ねてごちそうになっている場面があります。
葉っぱを綴ってつくった木の葉のお皿が見えていますが、一番左の女性の前に置かれた包丁を見てにんまりしてしまいました。


包丁はおばあさんが家に帰った最後の場面にも描かれています。


この包丁です。
両手で具材をもって、手前から向こうに押しつけるように切ります。玉ねぎのみじん切りもあっという間にできてしまいます。


台座は木でできているもの、鉄でできているものがあります。
指をひっかけて包丁を開くところ、刃先を収めておくところなど、美しい仕上がりに鍛冶屋さんの技が詰まっています。

まさかですが、ネットショップ「ティラキタ」で包丁を売っていました。使っている動画を見ることができます。
ココナツ削り器が先についた包丁もあるようです。





2025年7月23日水曜日

二宮金次郎


先日の骨董市の水屋さんの店先でびっくり、二宮金次郎さんが並んでいました。
かつて、二宮金次郎さんはどこの小学校の校庭にも立っていて、子どもの模範とされ、敗戦後も重んじはされないものの、そのまま立ち続けていました。しかし、少子化で学校の統廃合が続く中、行き場を失ったのでしょう。
小ぶりで、なかなか調和のとれたかわいい金次郎さん、写真を撮らせてもらいました。

♪柴刈り、縄綯い、わらじをつくり、
 親の手助け、弟を世話し、
 兄弟仲良く孝行つくす、
 手本は二宮金次郎♪
 
祖母が歌っていた歌が、思わず頭に浮かんできます。


どこの小学校に設置されていたものでしょう? 売ったのは誰でしょう? 買うのはどんな人でしょう?
骨董市の店先で、ビニールシートの上に立たされても、金次郎さんは一心不乱に本を読んでいます。


ついでに、水屋さんの店先にならんでいたものを少々。
曲がった枝を利用した柄がとっても素敵な手斧(ちょうな)です。柄に心動かされますが、要らない、要らない。我が家にはその昔、水屋さんの店から来た、小ぶりの手斧がすでにあります。一度も使ったことはないけれど。
手斧の手前の木でできたブーメランのようなものは何でしょう? 訊けばよかった!
その手前は刃が写っていませんが、古い、工場製品ではなく鍛冶屋さんがつくった皮むきでした。





2025年6月26日木曜日

研いでもらいました

昨年、草が覆い茂った中、剪定ばさみで草に埋もれたつつじの枝を切っていて、うっかり電線を切ってしまいました。電気が通っていたので、パシッという音がして、刃が大きく欠けてしまいました。感電しないで幸いでした。
水戸の金物屋さんに持って行って、砥げるかどうか訊いてみなくてはと思いながらなかなか行けなくて、長い間そのまま使っていました。
いつも刈り払い機やチェーンソーの修理をお願いしている近くの金物屋さんに、自動かんなの刃を砥いでもらったついでに、剪定ばさみの研ぎはできるかどうかと訊いてみると、
「欠けたところは無理だろうけれど、はさみは砥げますよ」 
とのこと、
「それで十分です」
と、お願いしました。


その研ぎが終わったとの連絡がありました。
「欠けもなくなっていたよ」
と金物屋さん。あんなに大きく欠けていた(写真を撮っておけばよかった)のになくなったのかと、びっくりしました。
ちなみに、金物屋さんは自分で研ぐのではなく、はさみは専門の研ぎ屋さんに出します。


刃を相当削ったのでしょう、刃先に隙間ができています。


昔の写真を見てみると、研いでもらう前は、もちろん刃先の隙間はありませんでした。
布や糸を切るはさみと違って、剪定ばさみは力が要るので先端はそう使わないけれど大丈夫でしょうか?


握れば、なんとか先端も閉じることができます。


預けていた期間は約10日ほど、やっぱり不便でした。
切れ味を早く試したいけれど、このところ雨続きです。






2025年6月22日日曜日

ムーミンのハサミ


ムーミン生誕80周年を記念してつくられた、フィンランドの老舗、創業1649年のフィスカース製のはさみです。
創業1649年って、日本では徳川三代将軍家光の時代です。
1丁ずつ職人さんが切れ味を試してみて、合格したものだけ出荷するというだけあって、嬉しいことに布が気持ちよく切れます。



握るところにはムーミンとその仲間たちの絵が、きれいな色で描かれています。


裁ちばさみ握りばさみ文房具のはさみキッチンばさみ剪定ばさみキンマのはさみ。いったい我が家にははさみがいくつあるんでしょう?
でも、布が裁てるはさみは2つしかなくて、解きものをするときなどの糸切ばさみは2つしかないので、重宝します。






2025年3月24日月曜日

民具の本は面白い


『日本の民具』(園部澄写真、磯貝勇、桜田勝徳監修、慶友社、1975年)はモノクロームの写真集です。4巻セットで、第1巻は町、2巻は農村、3巻は山・漁村、4巻は周囲民族となっています。


50年前の本づくりにはまだ手仕事が随所に生きていて、『日本の民具』の装丁は当時コーヒー袋として使われていたジュートの布、いわゆるドンゴロスが貼られています。

『日本の民具』の写真はどれもアチックミューゼアムの収蔵品ですが、『屋根裏部屋の博物館』の内容に比べると、鉈、銛(もり)など金属の道具が充実しています。山仕事や漁業には金属の道具が必需品だからでしょう。
第3巻の写真は、「やましごと」「りょう」「しんこう」の3部に分かれています。
集めた民具を分類していくなか、町(商い)や農村(稲作)からはみ出しての山・漁村だと思われますが、この巻に信仰が含まれているのが面白いところです。ただ、信仰にはけずりかけ手形・足形、おしらさまなどが取り上げられていますが、『屋根裏部屋の博物館』に取り上げられている招き猫、福助、赤物などはありません。


山形笹野では、けずり花が今でもつくられています。

埼玉県

けずりかけをつくる小刀です。
日本のけずりかけは東北から北海道にかけては広範囲でつくられていましたが、この本で、東京都八丈島、埼玉、群馬などでもつくられていたことがわかります。
けずりかけは、紙が普及されるまで御幣として使われていたもので、ヤナギ、ヌルデ、ニワトコなど、肌の白い木がつかわれました。各地で小正月の飾りものとして残りました。

くつご、広島県

おそらく、今では消えてしまった民具に、牛の口につけるくつわがあります。竹ひごをねじっているのは、丈夫にするだけでなく、牛が痛くないようにした工夫ではないかしら? 牛への愛情を感じます。


くつわは消えましたが、木でつくられた、牛の鼻につける鼻輪は、プラスティック製のものとなって今でも残っています。


桶の浮き
桶がありふれたものであったとき、桶は強力な浮きとして得難い存在だったと思われます。数年前、花巻歴史民俗資料館に行ったとき、明治のころまで、「桶屋か鍛冶屋になれば喰いっぱぐれがない」と言われていたと、桶を展示したところに説明書きされていました。隔世の感がありますが、桶はそれほど身近でありふれたものだったのでしょう。


漁網の錘、石でできています。


漁網を編む網針(あばり)とその針入れ。
確かに漁網はいつ破れるかわからない。網針を携帯する必要がありますが、針入れがあると探す手間が省けます。


おもしろいのはタイやラオスと同じ漁具で魚を獲っていた絵が残っていたことです。残念ながら絵の説明はありませんが、髷を結っているので、江戸時代かと思われます。これは明らかに海ではない、川か田んぼ、ということは漁民というより農民が使っていた漁具と思われます。
それぞれが桶の魚籠(びく、ではなく魚桶か)を腰につけているのも、とても興味深いことです。






 

2024年7月15日月曜日

セワ

小さいころ北海道で育ったふぢこさんから、網走のお土産のセワをいただきました。お連れ合いが網走を訪問されたのだそうです。


北方民族のウイルタの偶像セワやセワポロロが、お守りとして脚光を浴びたのは最近のことと認識していたのですが、ふぢこさんが子どものころから、セワやセワポロロは、網走周辺では知られた存在だったそうです。
柳の枝を削りかけにしてあります。


網走で、大沢朔峰さんが、「大沢民芸店」を開いたのは、北海道観光ブームが到来した1964年(昭和39年)のことでした。木彫のお土産品をつくっていた朔峰さんに、市井の考古学者として、オホーツク文化のモヨロ貝塚を発見した米村貴男衛さんから、「北方民族のウイルタの木偶をお手本に、網走らしいお土産品をつくってみないか」という提案がありました。
第二次世界大戦後、網走には樺太(サハリン)から引き揚げてきた人々が移り住んでいましたが、中にはウイルタやニブフなど、サハリン先住民族の人々もいました。のちに北方少数民族資料館「ジャッカ・ドフニ」(現在は閉館、資料の全てが、北海道立北方民族博物館に引き継がれた)を設立した、ウイルタのダーヒェンニェニ・ゲンダーヌさんもその中の一人、ゲンダーヌさんの養父であるゴルゴロさんも移住しており、ゴルゴロさんは祭祀用の、神や精霊など精神世界を表した、伝統的なウイルタの木偶(でく)をつくっていました。
ゴルゴロさん以後、木偶のつくり手が途絶えることを惜しんだ米村さんは、親しかった朔峰さんの腕を見込んで、木偶をつくってみないかと声をかけたのです。朔峰さんはウイルタの木偶をもとに、お土産品として、独自のセワ、セワポロロをつくり出しました。

写真はカイ、北海道のお土産からお借りしました

現在は朔峰さんの息子さんの朔洋さんが受け継いで、セワの制作を続けています。

生前の朔峰さんは、市の観光協会が主催する「オロチョンの火祭り」という、オホーツク文化やウイルタなどの北方民族をテーマにした夏の祭りでシャーマン役を務め、木偶づくり以外でも北の人々に心を寄せていました。

同上

写真は朔洋さんが受け継いだ、朔峰さんの小刀類です。
ウイルタの木偶をお手本として生み出されてから別の道を歩いてきた木偶の精霊たち。彼らはお土産として人から人の手へ渡され、お守りとして愛され、日本各地に散っていき、八郷にもやってきたというわけでした。

削りかけの分布には驚かされます。といっても世界全体にどう分布しているのかは、まったく知らないのですが、サラワクの先住民カヤンの村でお祭り用の削りかけをつくっているのを見たときは感動以外の何ものでもありませんでした。


『アイヌの暮らしの民具』(萱野茂文、清水武男写真、クレオ、2005年)に削りかけ(アイヌではイナウ)の写真が載っています。
上は、ヌササン、家の東側に祀るものです。


マラット、熊の頭。


心身を清めてから削ったというイナウ。


ノヤイモㇱ(ヨモギ神)。
ノヤイモㇱは天然痘などが流行ったときにつくられたもの、人形(ひとがた)につくられています。

ホイヌサバ(テンの頭の神)、雨乞いに用いられた

アイヌには、亀、アホウドリ、テン、狐などの頭蓋骨をイナウで包んだ神があり、それぞれ魚運の神、病気から守る神、雨乞いの神、狩猟運を占うときの神などとしてあがめられました。


我が家にいる、北海道の削りかけです。


夫婦人形は底に焼き印があり、「ヌカンノ作」と読めます。
ヌカンノさんは別名秋辺今吉さんです。


秋辺今吉さんは、平成19年(2006年)に85歳でアイヌ文化賞を受賞されています。
伝承者であったご両親からアイヌ
民族の有形・無形文化を受け継ぎ、カムイノミ・イナウ製作、チセ建設、丸木船製作、民具製作などに精力的に取り組み、地域指導者として活躍されました。


この美しいイナウも、もしかしたら、秋辺今吉さん作だったのでしょうか?

ふぢこさんご夫妻は、以前ブラジルに住んでいらしたことがあり、パラゴムの種の人形をいただいたこともありました。
ご夫妻のおかげで、私の人形棚はにぎやかさを増しました。

追記:

花とイナウ』(今石みぎわ。北原次郎太著、北海道大学アイヌ・先住民研究センター、2015年)という興味深いブックレットがネットで読めます。イラストもたくさん載っていますが、その中にカヤンの削りかけ、パングフットもありました!
今西みぎわさんは、『自然を編む知恵と技 箕』の編著者でもある方です。