2026年3月20日金曜日

猫の仕業

先週、コンピュータの前に座っていたら、いきなりキーボードの左にばさっと鳥が落ちてきました。
「わっ、なんだ」
間髪を入れず、キーボードの右にはタマが飛び乗りました。
状況を理解した私は、慌てながらもタマを捕まえて席を離れ、夫に、
「鳥を逃がして!」
と叫びました。 夫が鳥をどう逃がしたか、私は逃れようとするタマを必死で押さえていました。
鳥はシロハラでした。


猫に捕まった鳥は、爪でやられていたり噛まれていたりで、生き延びることは難しいのですが、この時は屋根を超えて飛んでいったとのこと、生き延びたかもしれないと、ちょっとほっとしました。
そのとき、
「無駄な殺生はやめなさい。捕まえるならネズミにして」
とタマに言い聞かせたからかどうか、今朝はダイニングにネズミが転がっていました。尻尾で分かったものの、原型をとどめていたのはお尻少々と尻尾だけ、 あとは食べたもののそっくり吐き出した残骸でした。


よかった、ロボット掃除機が動き出す前に気づいて。




2026年3月19日木曜日

作業棟の左官仕事が終わりました

つかださんの左官仕事が終わりました。
正味何日だったかしら? 5日くらいだったかもしれません。


左官前の作業棟の中です。
ラスボードという、石膏板の上に紙を貼り、それに穴を開けて下地がくっつきやすいようにしたものを張ったまではよかったのですが、足場を足場屋さんに返したあとは、高さがあるので、周りに細い通路があるものの、そこに立つだけでやっとなのに、どうやって塗るかと戸惑っているうちに、長い年月が経ってしまいました。


たった1カ所(左)だけ下塗りしているように見えます。


壁が仕上がってもないのに、ポスターを掛けている壁もあります。
これは動物の実物大の足跡のポスターで、タイのNGOがつくりました。


つかださんは梯子を何台も持ってきて、それに足場板を渡して、瞬く間にきれいに仕上げてくれました。


私が下塗りしていたところは、ちょっとぼこぼこしているかしら?


すっかり美しくなりました。


つかださんの道具はほんの少々であっさりしたもの。お茶の時間もお昼も簡単に中断できて、私のように、「区切りがつかないのでご飯も食べられない」なんてことがありません。お昼を食べるために家に帰っているときは、しっくいを混ぜるフネに、段ボールをかぶせてあります。


しっくいはいピンからキリまでろいろありますが、つかださんはこんなのを使っていました。
私が前に、どのしっくいがいいかわからなかったので、建築家の友だちから教えてもらったのは「城かべ」というブランドでしたが、「村樫のしっくい」は、「城かべ」の倍近い値段でした。






 

2026年3月18日水曜日

ミニチュアの握りばさみ

 
左官のつかださんが来てくれて、白壁がやっと白くなりました。
つかださんが来てくれているうちに、2011年3月の地震で壊れたのにそのままにしておいた母屋の壁もなおしてもらおうと、見ていただきました。


コンクリートと木造が取り合っているところは、多かれ少なかれ影響があったのですが、なおすほどのこともないところがほとんど、しかしこの二階への踊り場の小さい壁だけはひどいことになっています。


普段は、前にものを置いて押さえているのですが、仕上げ塗りが下塗りとはがれて、浮かび上がっています。


壊れた壁の前に置いたものを動かしていたとき、夫の母が遺したくけ台と握りばさみのセットが目に入りました。


長い間ここに置いたままだったので、受け取ったときの写真と比べると、まったく陽が当たらないところに置いてあるにもかかわらず、針山の縮緬の色がすっかり褪せていました。


それに、2012年には握りばさみをUPし忘れていたようです。
ままごとで遊ぶには小さすぎるものですが、握りばさみはもちろん金属、くけ台も金属でできています。


思いついて、小さな握りばさみで紙を切ってみたら、しゃきしゃきと切れました。長さ31ミリの、小さなはさみですが。
プラスティックがあふれる前、職人さんたちはなんて丁寧な仕事をしたものかと、頭が下がります。


刃物が好き、はさみが好きで、布用のはさみだけで、2010年2019年には3回、2025年と、何度も繰り返してUPしています。


ここに集合しているのは握りばさみたち、このほかに現役の握りばさみは裁縫箱の中にあります。
羊の毛刈りのはさみの大きいのはイギリスのはさみ、ちょっと小さいのはルーマニアのはさみです。

追記:


仕上げ塗りがはがれていたところ、今日の午後に出来上がりました。


ここは見ていただくだけと思っていたのに、
「やりましょう」
と言って、簡単に塗ってくれました。


地震から15年、壁が見苦しくなくなりました。









2026年3月17日火曜日

どこで織られた布だろう?

骨董市で、柳で編んだ文箱を見つけました。
スズタケの文箱はよく見るのだけれど、柳の文箱は初めて、しかし、細長くて何を入れる? と考えていたら、その隣に畳んであった布に目が行きました。
東南アジアの布(もしかして南米って可能性がある?)ですが、どこでつくられたものかわかりません。わかったら買わなかったかと思いますが、さして古くもない、草木染でもない、しかも地糸がレーヨンの布を、柳の文箱をうっちゃって買ってしまいました。


写真の下から上へと織ったもの、2枚の布を真ん中でつないでいて、腰布として使ったと思われます。


すべて化学染料染めの糸で、一番大きな模様に銀糸が使われています。
インドで、サリーなどに盛んに使われる金糸、銀糸ですが、金や銀を信じられないほど薄く延ばして絹に巻きつけた「本物」は値が張るので、銅などに銀メッキしたものや、最近では光る化学繊維やアルミ糸などもあります。
この銀糸はなんでしょう? 錆び具合からして銀メッキの糸ではないかと思ったのですが、違うかもしれません。

機械ではなく手機で織ったものであることは確かですが、どこで織られたものかについて、地糸がレーヨンであることがヒントになるでしょうか?
タイやラオスの市場では、第二次大戦後、自宅で布を織る人たちが市場で工場製の糸を買おうとすると、レーヨンしか手に入らないということがありました。しかも、1900年代初頭に綿の栽培を手放して、ヨーロッパの木綿糸を買うようになっていたので、市場で売っている糸を買わざるを得なかったのですが、レーヨンの糸を木綿と思って使っている人もいました。
余談ですが、今では改善されたかどうか、1960年代のガーナでも、ケンテを織るための市販の糸はレーヨンしかありませんでした。

そんなに第三世界を席巻していたレーヨン糸ですが、インド、インドネシア、マレーシアなどの手織りの布でレーヨンを使ったものを見たことがありません。絣をよくした彼らは、染められた糸で織るのではなく、染めてから織ったので、植民地化されていたにもかかわらず、木綿を育てて紡ぐ伝統を守ったのかもしれません。
というわけで、インドネシア、マレーシアの布ではないと考えます。


布を裏から見たところです。裏には糸がたくさん出ない織り方をしていています。


同じ模様の裏(左)と表(右)を比べてみました。


ラオスにも同じ織り方はありますが、ラオスの腰巻布のシンはわりと短く着るもので、裾にはボーダー模様を持ってきますが、織り幅が狭いときは腰側に別布を足すので、このように模様が上下対称になるようにつないで、幅を広くすることはないと思われます。また、昔は藍染め糸、市販の糸になってから黒を基調としているので、えんじ色もなかなか見ないものです。

タイでは普段の腰巻は簡便なプリント布のもの、改まったところならレーヨンではなく絹の布をまとうでしょうか。
ブルネイ、シンガポール、ヴェトナムで織られたものではなさそう、残るはビルマとフィリピンですが、どうでしょう?
銀糸が手に入りやすいインドの近くで織られたのかとも思います。


テーブルクロスなどとして、惜しげもなく使えそうな布、しかし、銀糸の洗濯はどうかしら?
手元にあって、嬉しいと思いながらも、
「あんたじゃなくて、柳の文箱にすればよかったかしら?」
と、布に話しかけたりしています。 





2026年3月16日月曜日

思い切って捨てましょう!

生活道具であれ、電動工具であれ、壊れて新しいものを買ったとき、古いものをすぐ捨てるかどうか悩みますが、多くの場合取っておく傾向にあります。
私は家電や電動工具はすぐに捨てたいのですが、夫は何でも取っておきたい派で、チェーンソー、コンピュータ、丸鋸など、古いものがたまる一方です。
「この丸鋸は、きちっと直角が出ないし、何台もあるんだから捨てていい?」
「捨てちゃだめ! その丸鋸でゴムやプラスティックを切るから」
など、捨てない理由があったはずなのに、のちに夫がその古い鋸ではなく、私が一番大切にしている丸鋸でゴム板を切っている現場を目撃したりします。

夫には文句を言いますが、私にも捨てられなかったものがいろいろあります。


このビルマの籠の蓋もそうです。
姪の娘のみおちゃんに新しい籠を買ってきてもらって、もう役目を終えた籠なのに、うだうだと持ち続けています。


身の方はとっくにモビールにしてしまいましたが、蓋はそのまま取っておきました。


でも、無駄に場所を取っているし、そろそろ捨て時かもしれません。


写真は結婚するとき母が買ってくれたすり鉢とすりこ木のセットです。
すりこ木には、大きなひび割れが入っていますが、何年も気にしないで使ってきました。


しかし、よく見ると割れ目にゴマだの味噌だのが詰まっていて、だからと言って問題はなかったものの、そろそろ捨て時かと気づきました。


代わりのすりこ木がないわけじゃありません。
大きいすり鉢用の大きいすりこ木もあれば、その昔、友人の家で見た『婦人之友』に載っていた、辰巳芳子さん考案のすりこ木もあります。


茶漉しは、夫が勝手に食用ではない油を超すのに使って、文句を言ったら間に合わせで買ってきたものは、柄がすぐ外れるものでした。それでも、柄をはめれば使えたのですが、その柄をなくして使えなくなったので、右の茶漉しを新しく買いました。ずいぶん前のことです。お茶を入れるとき、茶漉しを使うことはほとんどないのですが、ときどき別のことで出番があります。
柄のない古い茶漉しは、夫が食用でない何かを漉したくなったとき使えるよう、目につきやすい台所の引き出しにそのまま入れていますが、何年も何もなかった。そろそろ処分した方がよさそうです。

まだまだ、古いシーツ、古い風呂桶、古い長靴などなど、思いがけないとき出番があるので捨てられないものがたくさんあります。シンプルな生活が、なかなかできません。







2026年3月15日日曜日

牛の人形


「かっわいい!」
骨董市の、なじみのない骨董屋さんの500円均一のコーナーに並んでいた天神さまの黒牛です。
艶消しですべすべしているところから、京都の嵯峨の井浦人形店でつくられたものと思われました。
飾り布の片側に「北野」と書いてあり、


反対側に「天満宮」と書いてあり、京都北野天満宮で授与された神牛とわかります。


右は、Sさんのお母上の形見の神牛です。どこのものかはっきりしませんが、はっきりしないだけに北野天満宮の牛だった可能性もあります。
お母上が亡くなられて間もないころ、S邸にはお母上の形見の授与品がいっぱいありました。
「好きなのを持って行っていいよ」
と言われたのに、遠慮して牛の人形を2匹だけいただいたのが悔やまれます。授与品たちはS邸では結構邪魔ものにされていて、数年後には一つもなくなっていました。あんなことならもっといただいてくるんだったと思ったことでした。


ちなみに、北野天満宮の現在の授与品の牛には、手綱がついているようです。



学生時代に手に入れた俵牛と並べてみました。
どちらも天神さまの牛ですが、北野天満宮の牛の方がちょっと精悍です。


牛はしばらく前まで、地球上のいろいろな地域で人と親しく暮らしていた存在でした。
というわけで、日本全国だけでなく、世界のいろいろな地域でおもちゃになっています。






 

2026年3月14日土曜日

ジャムづくりに挑戦

私がジャムのレシピを書き残す理由は、次につくるときの参考にしたいからに他ならないのですが、やっかいなことにいざジャムをつくろうと思ったとき、ブログに書いたレシピよりもっと簡単につくれる方法はないかしらと、いつも別のレシピを見てしまいます。 
今回も、織物仲間のきくちさんからお庭に生った夏みかんをいただいて、いろいろなレシピを見ていたら、簡単につくるのではなく、おいしくつくるというのがあって、試してみたくなってしまいました。


このところ、丸のまま茹でてから皮をむく方法でつくっていましたが、まず皮をむいて、それをできるだけ薄く切ります。


これで、夏みかん1個分、10個刻みました。



皮だけで、直径25センチのお鍋の7分目くらいになりました。


いつも、薄皮も一緒にジャムにしてしまいますが、今回は身だけをはずします。ペクチンの宝庫の種も使わないようですが、一応取っておいてみます。


身と皮を混ぜたものに砂糖を加えて、水分が出るまで数時間置いておくのですが、用事があって、そのまま出かけました。


ビンやじょうごの熱湯消毒もしておきました。


帰宅すると、たっぷり水分が出ていたので、ティーバッグ用の袋に入れた種も沈めて煮立て、沸騰してから15分間強火でかき回しながら煮ました。ずっとかき回していたので、途中でティーバッグ入りの種は邪魔になり、捨てました。


熱いうちにビンに詰めてから、長期保存ができるようビンごと湯煎もしましたが、手間がかかったわりに味は「究極のジャム」と言えるものではありませんでした。ヨーグルトにしか使わないのだから、水も加えて弱火で長時間似た方がよかったのではないか、どうもジャムづくりに関しては、これという決定的な方法にまだ行きあっていないようです。