2026年10月30日金曜日

ラオスの織りもの

『文化を語る布・ラオスのテキスタイル』(将積厚子著、2019年)という本があります。
ラオスは、約50の民族グループが住む多民族グループ共生国家なので、この本では、北部に住むアカ、モン、黒タイなどの民族の衣装(一部織りものも)や南部に住むクメール系の人々の織りものにも触れていますが、おもには主要民族であるラオ民族グループの人々の織りものを紹介しています。
布だけでなく、織り方を写真つきで説明しているので、ラオの織り方、特に紋織り(もんおり)のことを知りたい人にはとても参考になる本です。


表紙に使われている布はシン(伝統的な民族衣装である腰巻き布)ですが、ラオスの布はこのように、紋織りと絣織りが混じっているのがごくごく一般的です。絣は世界各地でつくられていますが、紋織り、特に縦に伸びた紋綜絖(もんそうこう)を使って複雑な模様を手織りするのは、地球上でラオスだけと言っても過言ではありません。中国の少数民族などに似たものを見ることはできますが、もっとシンプルな模様のみです。


以前、ラオスの織り機をUPしたことがありました。
この絵の、縦に長い糸に竹棒を通したものが模様をつくる紋綜絖ですが、その使い方の写真が『文化を語る布・ラオスのテキスタイル』に載っていたので、お借りして紹介してみたいと思います。


写真は、織り手に近いところから順に、布幅を一定に保ち、経糸に通した緯糸(よこいと)を水平に打ち込む筬(おさ)、次に足で踏み木を踏むと交互に上下する平織りにするための綜絖が2枚、その先にあるのが紋綜絖です。
模様を1段、平織りを1段織ったら、紋綜絖の経糸から一番近い竹棒を両手で持ち、前後に動かして、紋綜絖の糸を開きます。写真では開いたところです。紋綜絖が前後に十分に開いたら、竹棒を抜き取って、経糸の上部から抜き取ったら下部へ、経糸の下部から抜き取ったときは上部へと移しておきます。上から下へ、下から上へと竹棒を1本ずつ行ったり来たりさせます。


手前に寄せた紋綜絖だけをまとめて握って引き上げると、綜絖は糸の中ほどに「わ」があり、そこに経糸が通してあるので、握った紋綜絖に通してある経糸だけが持ち上がります。持ち上げたら、緯糸を通しやすいように、上下に開いた経糸に刀杼(とうひ、とうじょ)を通して、立てます。


刀杼を立てた写真です。


この状態で模様糸を通します。模様ごとにいろいろな色の模様糸を使うことができます。1段をすべて通し終わったら、地糸で平織りにして緯糸で模様糸をとめて、織り進みます。


複雑な模様ほど、紋綜絖に通す竹棒の数が多くなります。


さて、我が家にあるラオスの紋織りを見ていたら、紋綜絖への竹棒の刺し方を間違えて、模様が乱れているショールを見つけました。
仮にこれをこけしの模様とすると、こけしの足元が乱れているのは一目瞭然ですが、首から肩にかけてのあたりでも、乱れています。
紋綜絖の竹棒は、上に移したり下に移したりと往復させて織るので、ショールを長さの半分のところで折ると模様が重なるというか、左右対称になっています。つまりこの模様はショールの2ヵ所にあるのですが、


反対側の模様を見ると、こけしの肩のあたりは相変わらず乱れていますが、足元は乱れていません。


最初は正しく竹棒を刺してあったのに、織り進んでいるうちに竹棒が抜け落ちるなどして乱れてしまったか、それとも織ってみたら乱れていたので、あとで棒を刺し変えて修正したのか、そのあたりはわかりません。
こけしの胴体の縦縞の部分は、竹棒を動かさないで何段も同じに織っています。こけし模様の上下の細い縦縞模様も模様糸の色を変えてあるだけで、紋綜絖としては竹棒の少ないシンプルなものであることがわかります。


織り手は、誰もが母など家族から受け継いだ模様を紋綜絖に経糸を通したまま大切に保存しながら織り続け、また、自分で工夫したり、他人からアイデアをもらったりして織ることのできる模様を増やし、娘へと伝承していきます。
紋織りは、ラオの女性たちにとって一般的な、そして大切なもので、1979年から80年にかけてたくさんの難民が命からがらメコン川を渡ってタイに出てきたときも、抜いたことのない経糸の切れ端の通っている筬、綜絖、紋綜絖の束を抱えて国境を超えてきた女性が大勢いました。彼女たちは難民キャンプに落ち着くと、夫や大工さんに竹や端材で簡単な織り機をこしらえてもらって、織り糸を持って逃げられなかった人はキャンプの中に開いた店で糸を買って、あちこちで布を織って、シンや頭陀袋をつくっていました。



 

2026年10月29日木曜日

干し柿づくり


一生懸命むいたのに、干した次の日が一日雨だったせいか、夫がぶつけて落ちた柿はカビてしまいました。とろけて、落ちてしまったのもありました。


仕方なく捨ててしまったのですが、途中で、「待てよ、中はカビてないはず」と気がついた時は、カビた柿は4つだけになっていましたが、夫が表面をむいてくれたので、美味しくいただきました。

さて、いよいよ木に残っている柿を、採って加工するときがきました。
高い梯子がないと柿が採れないのですが、梯子は草に埋まっています。



草は、いよいよ高くなっていて、草を刈らずに取り出すのは無理に見えます。


刈り払い機で借りはじめたら、梯子だけでなく足場板も埋もれていました。これを引っ張り出さないと草が枯れません。


足場板を救出して、刈り進めると、


やっと梯子が見えてきました。


大小2つある中、小さい方の梯子を運んで柿を採ったら、すぐに限界がきました。


そこで、大きい梯子も持ってきて、手の届くところの柿をほぼ収穫しました。


このあと、むいて、紐につないで、お湯に浸して、吊るしました。


今度は、カビないで美味しい干し柿ができるでしょうか。
そのために、日当たりが一番いい居間の軒下に」干しました。ここはハクビシンが登れるので要注意ですが、渋いうちは取らないと期待してここで干し、だいぶ干しあがったら、ハクビシンが登れない書斎前に移す予定です。






 

2026年10月27日火曜日

猫まみれ


元同僚のSさんから、イスタンブール土産の猫をいただきました。


椅子に絡まっている猫たちは全部で6匹、ネズミも1匹います。


材料は石膏のように見えます。
台座の真ん中を、意図的にちょっと高くしてあるのかどうか、くるくる回すこともできます。


触っていると微かに、カタッとずれたような音がしました。
「あれっ?」
気のせいかな、もしどこか外れているなら、接着剤でくっつけなくては。


おっかなびっくり引っ張ってみると、なんと蓋ものになっていました。それにしても、複雑な蓋ものをつくったものです。
大きさは、子どもの抜けた乳歯入れにちょうどいいくらいです。


我が家の猫たちも、猫まみれになっていました。



 

2026年10月26日月曜日

失敗した!


しばらく前に、元同僚のSさんから、高校2年生の息子を連れて遊びに来たいとの連絡がありました。息子ちゃんは美術系の大学を受験したいのだそうでした。
「アラブ料理をつくるから、ご飯めがけてきて」
と伝えて、


当日は、朝からパレスチナなどでは最大のおもてなしご飯のマクルーバ(アップサイドダウンご飯)をつくろうと下ごしらえ、ラムチョップは塩茹でし、ナス、ピーマン、玉ねぎは素揚げしました。
そして、時間を見計らって、我が家で最大の直径25センチのお鍋に野菜と肉を仕込んで、その上にスパイスを混ぜたお米を入れ、トマトペーストを溶かした水を注いでご飯を炊き上げました。

さて、美味しく炊きあがったかなと蓋を取ってびっくり、野菜と肉が多すぎて、米全体が水に浸からず、上は芯が残って、下はべちゃべちゃのご飯ができてしまいました。
そうだった、そうだった。
あまりにも久しぶりにマクルーバをつくったのですっかり忘れていましたが、お米はちゃんと水に浸ってなくては炊けません。野菜をちょっぴりにして、肉はごろっとした塊肉ではなくて、薄切り肉を使った方がよかったのです。
こうなったら、アップサイドダウンに構っていられません。焦りながら全体をかき混ぜて、芯のあるお米とベチャベチャのご飯を混ぜ、鍋ごとオーブンに入れて、20分加熱してみました。幸い、Sさんは道に迷ってちょっと遅れました。


到着したSさんを見て、開口一番、
「ごめん、マクルーバつくったけど失敗しちゃった」
と言いわけしました。
「あっ、あれは失敗しやすいご飯だから」
と優しいSさん。そうだったのか?
失敗にもかかわらず、なんとかみんなたくさん食べてくれて嬉しかったけれど、今度マクルーバをつくるときは日本の炊き込みご飯のように、ご飯を下にして、その上に具を乗せてつくってみようと思ったことでした。
アップサイドダウンご飯ではなくなってしまうけれど。

さて、パレスチナの家庭で何度もご馳走になったマクルーバは大抵、ちゃぶ台ほどの大きさの金属のお盆や大きな板にどーんと乗せた、大ご馳走でした。









 

2026年10月25日日曜日

水難のタマ

まったりとくつろいでいた日曜日、猫が最大級のスピードで、寝室の方から居間の方へと駆け抜けて行きました。何者かに追われて、肝を潰して外から逃げ帰ったのかと思いました。


居間に行って見ると、タマが猫の緊急避難所であるテーブルの下に逃げ込んでいて、身体の下が水浸しになっています。
これまで、見事なほどに一度も粗相したことのないタマなので、よほど恐ろしい目にあったに違いありません。まだ興奮冷めやらぬタマがテーブルの下から出てきたとき、その奥の床下からマルまで出てきました。タマの驚きぶりに驚いて、タマより一足先に逃げてきていたようです。
雑巾でテーブルの下を何度も拭いて、その雑巾をすすいで洗濯しようとお風呂場に行ってみると、


なんと、脱衣所が水浸しでした。脱衣所だけでなくあちこち濡れています。
そこで、やっとタマに起こったことを、正しく理解することができました。何者かに追いかけられて外から駆け込んできたのではなくて、水を飲もうとして足を滑らせて、水風呂に落ちたので肝を潰したのです。粗相はしていませんでした。


バスタオルで拭いてやってもしばらく毛並みを整えるのに余念がありません。


あっちで舐め舐め、


こっちで舐め舐め。


指の間も舐め舐め。


丁寧に水分を拭き取ります。
マルは、水風呂の水を飲むときは、手すりに手をかけて飲むので落ちる心配はありませんが、タマは器用に足を踏ん張って、手は何もない風呂桶に伸ばして足だけで身体を支えて水を飲んでいるので、器用なもんだと感心していましたが、単に頭が悪かっただけかもしれません。
あれからずっと、私の足元のポットカーペットで爆睡しています。






 

2026年10月24日土曜日

無駄にはしない!


夫が作業中、柿の木に軽トラに積んだものをぶつけました。
「あぁぁ」
収穫間近な渋柿がたくさん落ちてしまいました。干し柿にするには、枝を残して切り取らないと吊るすことができません。


仕方がない。どれも打ち傷はありますが、割れたり潰れたりしていないのを選んで、竹串を刺して吊るしてみることにしました。


乾燥するにつれて柿は小さくなるので、放っておくと串のところだけ縮まずに、猫の耳のように、串に貼りついたままで尖ってしまいます。
干した次の日に竹串を回しておいてみました。しばらく毎日回してみましょうか。


しかし、こんなにたくさんの串刺しの柿を干したのは初めてなので、うまく干せるか心配です。


残りを採ってむくのは来週です。
早くても夜が十分冷えるようになる10月末以降が、干し柿づくりの適期です。


渋柿は、鉄の包丁でむくと鉄が変化してむいたところが黒く汚れてしまうし、紐に通してから熱湯にくぐらせるのだけれど、お湯はすぐに柿色に染まってしまう、面白い果物です。





 

2026年10月23日金曜日

手仕事への気持


アカの上着を取り出そうと布戸棚を開いたとき、ラオスのルアンナムターの豆敷きが目につきました。
谷由紀子さんのラオスでのプロジェクトが今はどうなっているのだろうとネットで見ると、2019年に閉じてしまわれたことが報告されていました。

谷由紀子さんが、ルアンナムターの布と関わり始めた経緯や、素晴らしいものを何とかしてそのままの姿で残そうとする試みを語っていらっしゃる、「布のきもち。」の2011年のインタビュー記事があります。そして、わずか5年後のインタビュー「あれから」では、大きく変容していくルアンナムターと自分が関わっていることへの問いを口にされています。
私が豆敷きを手にしたのが2017年ですから、当時はもう谷さんにはいろいろな葛藤があり、手を引くという選択肢も浮かんでは消え、消えては浮かんでいたのかもしれません。


「本来は無償のものに、商売っ気を出してつくったものは、やっぱりかなわないんですよ」
とは、谷さんの言葉です。
ルアンナムターの人たちと真摯に向き合っていたからこそ、谷さんは撤退という決断を導き出されましたが、深く傷つかずにはできなかった決断だったと思いました。そして、あれから7年経った今では、谷さんは明るく、自分の真にやりたいと思ったことをやられているのだろうと思います。

古代から続いてきた人間の無償の手仕事は、ほぼ、地球上から消えてしまいました。