2026年10月10日土曜日

『ケストナーの「ほらふき男爵」』



図書館から借りてきた本、『ケストナーの「ほらふき男爵」』はエッセイではなくて物語でした。外国文学の棚を見て、その後でエッセイの棚を見たのですが、エッセイの棚から借りたと勘違いしていたのでした。

『ケストナーの「ほらふき男爵」』は、14世紀から18世紀にドイツやヨーロッパの国で書物化された「ほらふき男爵」、「ドンキホーテ」、「シルダの町の人々」、「オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、「ガリバー旅行記」、「長靴をはいた猫」という、荒唐無稽で奇想天外な昔話を集めて、ケストナー流に書いたものでした。
挿絵は、トリヤーだけでなくレムケの絵もあり、レムケの絵も悪くはないのですが、トリヤーの絵は滑稽味が溢れていて、素敵で、情報量が多くて、隅々まで楽しめました。

シルダの町の町長は詩人にかぎるより

上の絵は、豚飼いの寝室ですが、ログハウスやつくりつけのベッド、木の椅子、紡ぎ車、ベッドの下に置いたおまる(?)などなど、ちょっと前までのヨーロッパの暮らしが垣間見えます。右に見えている白いものは、何だかさっぱりわからないけれど。

シルダの町の顛末、かつは愚か者を見わけるしるしについてより

シルダの町には、純真無垢な人たち(世間知らずの人たち)が住んでいるのですが、旅の男から猫を買ったときも、猫がネズミだけでなく人や馬も食べると勘違いして、猫を捕まえようと町に火をつけて全焼させてしまいます。
手づくりの椅子やテーブルの脚が素敵だったのに、焼けてしまったのか。

オイレンシュピーゲルがふくろうと尾なが猿を焼いたことより

いたずら好きのオイレンシュピーゲルは、サーカスが嫌いで逃げ出したピエロ、あちこち旅してはいたずらをして逃げ、またどこかでいたずらを繰り返します。
パン職人といつわってパン屋さんに雇われたときは、ありったけの小麦粉でふくろうと尾なが猿のパンを焼いたので、帰ってきたパン屋さんはカンカンに怒ります。材料代を弁償させられたオイレンシュピーゲルは、パンを全部もらってお昼時に教会前の広場で売ると、ふくろうと尾なが猿のパンは飛ぶように売れました。
その話を聞いた親方が薪代も取ろうと駆けつけたときは
オイレンシュピーゲルは逃た後、親方は末長く笑いものにされたというお話です。

オイレンシュピーゲルがミルクを買い占めたことより

なんの教訓にもならないばかばかしいお話ばかり、昔話は素敵です。

いまひとたびの月世界旅行より





 

2026年10月9日金曜日

干す楽しみ


長かったなぁ、雨。やっと空が青い日々がやってきました。
せっかく晴れたのに、洗濯物は家の中に干す生活が定着してしまっています。


洗濯物干しはあるけれど、それでは干せないものもあります。


紡いだ糸の撚りどめをしているところです。
かせにした糸を45度の湯に浸して数時間置き、洗濯機で20秒ほど脱水してから階段の途中に干しているもので、これで撚りが戻らない「糸」となります。
干すには軽い錘(おもり)が必要で、円柱のものがいい。手すり材の切れ端でもいいのだけれど、息子が置いていったヨガポールが役立っています。


法被(はっぴ)は生地が厚いし直線断ちなので、竿竹に通して干すのが最適ですが、竿が水平に渡せるところとしては、居間の鴨居がぴったりです。
案外、目の邪魔にもなりません。


ずっと昔に浅草のお祭り道具屋で買った、獅子を背負った藍染の法被です。
秋、冬、春と、羽織ったり脱いだりするのが簡単な法被は、温度調節にぴったりです。






2026年10月8日木曜日

シオン


Kさんの家の入り口の外、道端に植えてあるシオンです。毎年、この時期になると忘れずに咲く、宿根草です。

私が小さかったころを過ごした祖父母の家は川辺にあり、家にも川にも隣接した「菜園」と呼ばれていた小さな野菜畑に、私が物心ついた頃からシオンが咲いていました。子どもにとっては見上げるような高い茎ですが、土手から見ることができました。昔からあった家ですから、家も菜園も川の土手から見たら川側、いわゆる河川敷にあり、庭が狭くて奥に長い家は石垣を築いているので土手と同じ高さでしたが、菜園は土手より低い位置にありました。
何せそこいら一帯は源平合戦の頃は海だったところ、その名残りの川は、海の干満によって下流に流れたり、上流に流れたりする汐入川でした。
シオンが咲くのは祖父母の家だけ、他の家でシオンを見かけることはありませんでした。


その後、川は小島湾の干拓に伴って汐入川ではなくなり、家は護岸工事をするために移動させなくてはならなくなり(実際、家の一部は曳屋で移動させた)、菜園も消えてしまい、シオンも消えました。
それでも私の中にシオンの記憶があり続けたのは、『赤毛のアン』の中にシオンという名前がよく出てきたからだと思います。


ところが、『赤毛のアン』に書かれたシオンは、別の花のようでした。
カナダのプリンス・エドワード島に自生するアスター、Wild Blue Aster(Symphyotrichum cordifolium、旧名はAster cordifoliusなど)のことで、祖母が植えていたシオンは中国北部、朝鮮半島、シベリア原産の紫菀、Tatarian Aster(Aster tataricus)でした。花はよく似ていますが、アジア原産のシオンは背がとても高いのです。そして、Kさんのシオンは、紛れもなく祖母が植えていた紫苑です。

毎年、Kさんのシオンを見ると、忘れている遠い昔の記憶が蘇ってきます。
シオンの近くに植えてあった砂糖きびの甘さと口の中がチクチクする感じ、川にもやっていた、当時すでに使われなくなっていた何艘かの古い木の川舟、川に入ってシジミ獲りをしていて流されて、橋を渡っていた人に助けられたこと、などなど。
祖父母の家とKさんの家でしか、シオンは見たことがない気がします。






2026年10月7日水曜日

『メソポタミアのボート三人男』


『メソポタミアのボート三人男』を読み終えました。
どうして、時間的に後から訪れたイラク南部水郷地帯の訪問記の『イラク水滸伝』が先に出版されたのかと疑問に思っていましたが、『メソポタミアのボート三人男』の方は書き上げるのに、いろいろな苦労があったと知りました。


メソポタミア文明については、中学校や高校の世界史の授業で習うので、おそらく日本人であれば誰もが知っていますが、「メソポタミア」という名前と、ティグリス・ユーフラテス川の流域に生まれた文明だということは知っていても、私にとっては現実味の薄い、遠い教科書の中だけの存在でした。
1990年代の半ばだったか、マニラ空港から成田までの飛行機で、イラク人の男性と隣り合わせになったことがありました。何かのシンポジウムに参加するために来日しようとしていた気さくな方で、気候のこと、生活のことなどあれこれ、フライトの6時間、ほぼずっとお話しし続けたのですが、機内で席が隣り合っただけの見知らぬ人とあんなに喋ったことは、後にも先にもないことでした。
そのとき、ティグリス・ユーフラテス川の話が出て、不学な私は、
「えっ、ティグリス・ユーフラテスってイラクを流れているんだったっけ?」
と驚いてしまいました。
湾岸戦争の直後に、私が働いていたNGOでイラクの調査に行った同僚もいて、事務所で何度もイラクの報告会や話し合いがあり、イラクの状況は一般的な日本人よりよく知っていると思っていたのに、そんな基礎的なことも知らなかった。学校での世界史の時間以来、ティグリス・ユーフラテスを現実の世界に当てはめて考えたことがまったくなくて、漠然と中東のあたりとしか認識していなかったのでした。


私のうろ覚えは、『イラクの水滸伝』や『メソポタミアのボート三人男』を読んだことで、ティグリス・ユーフラテスはイラクを流れているだけでなく、トルコに源流があり、旧メソポタミア地域にはクルドの人たちが生活していることが、遅まきながら生きた知識となりました。

『メソポタミアのボート三人男』を読むと、あらためて、天体観測をして初めて暦をつくったのも、それに基づいて本格的な農業を行なったのも、地球上で初めて巨大な神殿を造ったのも、学校や役場を設立し、パンとビールを創造し、家畜や土地の売買や賃貸の契約を行い、法律を定めたのも古代メソポタミア人であり、現代文明の基礎となる知識や技術、そして社会システムは、ほとんどすべてメソポタミアで生まれたことに、衝撃を受けずにはいられませんでした。
約6000年前に、地球が温暖化して、世界中の海面水位が上がり、メソポタミアの海岸沿いの集落は内陸への移動を余儀なくされました。その結果、各集落の人口は過密化し、多様な人間が大勢で同居しなくてはならなくなり、城壁やルールが必要になり、これが古代メソポタミアで、地球上で初めての「都市」が誕生した理由の一つとされているそうです。
歴史に「たら、れば」はありませんが、そのとき地球が温暖化しなかったら都市も「文明」もできるのはもっと後のことになり、私たち人間の生活もきっと変わっていたことでしょう。

高野秀行さんはいつも、古今東西のたくさんの文献を読み込み、語学を学んで現地に赴いています。そして山田高司さんと行くことで、地質、植生など自然科学の目も豊かにして書かれたこの本は、ユーモアに満ちていながら、世界に知られていないメソポタミアを知る教科書として、最高の1冊になっています。


山田さんのイラスト、かわいいです。




 

2026年10月6日火曜日

また買ったの!


農産物直売所に栗を買いに行った夫が、今年もアケビを買ってきました。
「なんで? なんでまた買ってきたのよ、去年も食べなかったのに!」
「これ、なんだったっけ?」
夫は昨年もアケビを買ってきたし、一昨年も買ってきたし、もしかしたらその前にも買ってきたかもしれません。そのたびに、私が文句を言っているのに、1年経つとこれが何であるか、名前も味も忘れて(まったく覚える気がない)、ただこの美しい色に惹かれて買ってしまうのです。


「切ったから食べたら?」
夫は一口食べて、
「甘くないし、種がいっぱいあって面倒だからいらない」
と、中身は捨ててしまいました。
「よく覚えておいて。来年は買ってこないでよ」
「・・・・・」


仕方がない、今年もまたアケビの皮の肉詰めをつくることにしました。


幸い、バター炒めにしようとしていたマッシュルームがあります。


残っていた小松菜と生姜も刻みました。


ひき肉と生姜を炒めて、小松菜とマッシュルームを加えてさらに炒め、水溶きの味噌で味つけしました。


これまで、山形の郷土料理だからと、アケビは2つに切らないで丸のままで詰め物をして、フライパンで油焼きにしていましたが、どうしても油っぽく、味がくどくなってしまいます。
そこで、2つに切ってオーブンで焼くことにしたのですが、上にパン粉を振ったりしたくないので、途中からアルミホイルで蓋をすることにしました。


250度は高すぎたかしら、10分はそのまま、10分はアルミホイルで覆って焼いたのですが、ちょっと焦がしてしまいました。
でも、油焼きにしかなかったのは正解で、あっさりしていて美味しく、どうせ半分は残るなと思っていたのに、今年は一つ残しただけでした。

我が家の周りに生えているのはほとんどがミツバアケビで、鮮やかな紫色ではなく、褐色で地味な色をしています。





2026年10月5日月曜日

竹の猿

昨日はうっかりして、メダカの餌やりを忘れてしまいました。


「ごめん、ごめん」
今朝餌をやると、いつも近づくのを待っていて、みんなで水面に寄ってきて餌を食べたのに、水の奥の方にいて、上がってきません。気温は17度、餌を食べるには寒すぎるのでしょうか?


しばらくして行ってみたら、数匹が少し上がってきていましたが、水面下1センチから3センチくらいのところでじっとしているだけ、餌を食べるメダカはいません。メダカは、11月から3月まで餌を食べないのですが、まだ10月初めです。

さて、これ以上ものを増やすわけにはいかないのですが、昨日も骨董市に行ってきました。
マタタビで編んだ、形がよくて大きい魚籠(びく)を見たのですが、理性を働かせて見るだけにしました。古伊万里の器も伏見人形の犬も、裏地が素敵な泥大島の羽織もスルー、まことさんの店に行くと、竹細工の猿がいました。
値段を聞いたら500円。これは通り過ぎ難く、連れてきてしまいました。


竹だけでできた猿の親子で、台座に別府と書いてあります。


温泉街のお土産ものですが、籠も猿も細かい細工です。
猿は、竹の節を利用して丸く削り、切り込みを入れたものに、切り口を赤く塗って黒い点も描いた細い枝をくっつけただけなのに、猿にしか見えません。


猿たちは、みんな違って、思い思いの姿をしています。


生計のためとはいえ、猿への愛が伝わってくるようなつくりです。


我が家にいる、竹だけでできた動物たち。奈良の鹿はつがいだったのだけれど、はて、雌鹿の姿が見えませんでした。

他には竹の蛇たち、編んだふくろう、編んだオウムもいます。





 

2026年10月4日日曜日

柿だ!


もしかして、柿の実が生っているのでしょうか? オレンジ色に見えているのは、紅葉だとばかり思っていました。
柿の苗をいつごろ植えたのか忘れましたが、毎年数えるほどしか生らないので、まったく期待していませんでした。そして、今年はいつもいただいているKさんの渋柿が、激しく剪定したためか不作なので、干し柿をつくらないか、それとも直売所で渋柿を10個くらい買ってつくろうか、どうしようかと思案していたところでした。
直売所で買う渋柿は大きいのですが10個入り千円(昨年の値段)で、できた干し柿を買うのと値段は変わりません。


柿の木に近づいてみたら、鈴なりとは言えないものの、まあまあ生っています。


干し柿をつくるのは寒くなりはじめる11月初旬が最適で、少なくても10月末まで待たなくてはなりません。それより早くつくると、青かびにやられてしまいます。


柿は、10月末まで熟れすぎないで待っていてくれるでしょうか?
鳥に突かれた柿は全部赤くなっています。もしかしたら、赤くなったのを鳥が突いたのではなく、傷をつけると早く赤くなると知っている鳥が突いて赤くして、渋を抜いたのでしょうか?