2026年4月26日日曜日

うちの象(3)東南アジアの象


タイのココナツ削り器の象です。
ココナツを削るときは、象にまたがって、殻の一部を割り取ったココナツを象の鼻先に被せ、両手で持って回しながら上下に動かし、ガリガリと果肉を削り取ります。それに少量の水を加えて絞ったものがココナツミルクで、料理やお菓子に使います。

ココナツ削り器はただのお風呂の椅子みたいな形のものが多く、木彫りならウサギが代表的で、昔は各家庭(といっても料理にココナツミルクを使うのは中部から南部タイ)にありましたが、今では市場から機械で削ったココナツを買ってきます。
このココナツ削り器は、何かの機械の部品だったものを象の鼻に見立て、先端を潰してココナツ削りにした、アイデアが光る道具です。


バンコクから北上すると、コーラート高原の国道沿いに焼き物村があります。この道を通るときは、ついつい車を停めて、並んでいるお店を1軒1軒のぞいて見たものでした。その焼き物村でつくっていた小さな象(高さ25ミリ)です。
この地の売りもののメインは庭に置くオブジェや植木鉢などのガーデニング用品で、小さな手捻りの動物ではほかに、ウサギ、水鳥などがいました。


バンコクに住んでいたとき、友人のRさんからいただいた牛の骨の象です。大きい象(高さ29ミリ)の方が子ども連れということに、何か意味があるのかと、考えてしまう象の家族です。


オピウム・ウエイト、アヘンを計るときの分銅です。
まだビルマが鎖国していた時代にタイで買ったものですが、ビルマのものかもしれません。


タイ北部はランナータイと呼ばれていて、歴史的・文化的にビルマと分けられない時期もありました。タイ北部はビルマのシャン州と隣接していますが、シャンはシャム(=サイアム)と同義語、タイ人(族)のことです。


これらもランナータイの織り機の部品、綜絖(そうこう)2枚を吊るす滑車です。
滑車には装飾はいらないのに、木工が得意なだけに、つい美しく飾ってしまうのがランナータイやクメールの人々です。


滑車を横から見たところです。


ビルマのマンダレーのお寺の境内で売っていた(授与していた?)張子の象です。
1981年に買ったもので、ちょっと紙が柔らかくなってしまっています。紐がついていてぶら下げられますが、大きいのであちこちにぶつかって痛みやすいのに、よくぞ生き延びてくれています。


1980年に、タイ・カンボジア国境のアランヤプラテートにあったカンボジア難民のキャンプにいた子どもがつくった象です。
キャンプで活動していた仲間のにしざきさんが、子ども相手に粘土教室を開いたことがあり、参加した子どもたちは思い思いにいろいろなものをつくって楽しみました。その中に、この象がいたのです。事務所に置いてあったのを愛でていたら、にしざきさんに「欲しいならどうぞ」と言われて、狂喜乱舞していただいてしまったものです。
これは、昔のいくさの姿で、人の背後の鞍の中には砲弾がいくつか入っていて、戦士は砲弾を投げるために一つ持っています。
いくさとは無縁なような、おっとりとした象と人です。







 

2026年4月25日土曜日

うちの象(2)インドの象


インドの象、鉄板の象です。
バスタール地方で鍛冶屋さんがつくる動物は、手づくりなので1匹、1匹形が違います。そんな中で、この象はバランスのとれたいい形と自賛、気に入っています。


彩色した木彫りの象(高さ39ミリ、もしかしたら紙塑)です。下地として胡粉を厚く塗っているので、残念ながら塗料が剥がれやすい運命にあります。



珍しく、塗料の剥離を免れている象(高さ40ミリ)です。インドの象だと思っていましたが、もしかしたら彩色の方法が違うスリランカの象かもしれません。


そしてこれは、スリランカの木彫りの象(高さ30ミリ)です。小さい象たちはお土産にいただいた象もあります。

タイ人たちを連れてマレーシアのサラワク(ボルネオ島)に行ったとき、
「おかしい。環境としてはいていいのに、どうしてここには象がいないんだろう?」
とKがつぶやいていて、新鮮に感じました。スリランカには野生の象がいるのも、面白いことです。ただ、その昔インドと陸続きだったに過ぎないのかもしれませんが。

初めての象の記憶は、幼いときの岡山での木下サーカスです。
祖父母や両親ではないことは確か、おそらく母の実家の誰かに連れて行ってもらったサーカスで、開演前か後のアトラクションで、象の背中に乗せてもらって、差し出された鼻に食べるものを渡しました。足踏みしていた大きな象の姿は覚えていますが、何を食べさせたか覚えていません。

長じて1990年代に、タイのチェンライ県の山を、地元のNGOを訪ねるために、3、4度象に乗ってくだったことがありました。木の輿に座っての下り坂、約1時間かけて、象は道端の笹や草を喰みながら細い道を危なげなく、のんびりとくだります。見えるのは木と象の頭ばかり、短い毛がまばらに生えた象の三角頭が案外間抜けなものだと、毎回思ったものでした。





 

2026年4月24日金曜日

がっかりするのよね

昨日、朝の連続テレビ小説『風、薫る』の19話を見ていたら、ヒロインのりんの働く「瑞穂屋」の店先に、インドネシアのバリ島でつくられた木彫りの猫が置いてありました。


りんは、日本の近代看護師の草分けである大関和(おおぜきちか、1858−1932)さんをモチーフにしたヒロインです。そして「瑞穂屋」は、当時としては珍しい、洋書や舶来品を商っている店という設定です。

バリ島には木彫りの伝統があります。
しかし、この画面にあるような猫が彫られるようになったのは、1990年代半ばからです。「日本招猫俱楽部」の荒川千尋さん、坂東寛司さんご夫妻が、日本の招き猫を持って行って職人さんたちに見せて、招き猫を彫ってもらったことがきっかけだったと思います(そのことが書かれている冊子を探したのですが、見つからなかった)。
それ以前、バリのお土産ものの木彫りは、バナナの木やカエル、果物などが定番でした。


猫(虎?)もありましたが、1990年代半ば以降の猫とは全く違います。


バリ島にはたくさんの木工家がいるので、猫にもいろいろなバリエーションがありますが、この猫は確実に新しいもので、明治時代に無かったのは確か、時代考証が真面目にされていないと思いました。

ちょっと昔を舞台にしたドラマを観るとき、ついつい田園の風景や室内の様子、民具などが気になってしまいます。粗探しをしているわけではないのに、違和感として目に飛び込んできてしまいます。前回の朝ドラ「ばけばけ」でも、熊本の茶の間に、東北でつくられたこけしが置いてあったのがイガイガしてしまいました。流通が今のように広域ではなかった明治時代に、熊本でこけしは飾っていなかったと思われます。
その点、昨年の大河ドラマ「べらぼう」の時代考証は力が入っていました。








2026年4月23日木曜日

うちの象(1)

 


休暇を利用して、デリーに駐在していたT夫妻を訪ねたとき、インドはちょうどディワリの最中で、街角にはマリーゴールドのレイを売る店が立ち並び、お祭りで盛り上がっていました。
インドに行ったときは、いつも安宿に泊まったり、ゲストハウスに泊まったり、移動も歩いたり、バスや列車に乗ったりですが、このときは運転手つきの車に乗せていただいての大名旅行、あちこち連れていただいた中に、土産もの屋が並んでいる一角もありました。
その中の、骨董も置いている土産もの屋で、木彫りの象と小さな絵を1枚、ナンバンアカアズキの容器に入った象をいくつか買いました。


そのときのナンバンアカアズキの象は、お土産として配ったのでもう手元にありませんが、それと同型の友人のKにもらった象は、今でも大切に持っています。
真っ赤だったナンバンアズキの実は、今ではすっかり黒ずんでしまいましたが、今ではどこにも売っていないだろう、たくさんの象が入ったものです。


そのときの木彫りのは、母屋を建設したとき、居間から食堂への手すりにしました。
夫はどうか、私はここを通るときにはだいたい手すりを撫でるので、象の背中に乗っている輿の屋根はつやつやと、前より光っています。


象はすっかり馴染んで、我が家の一部になっています。













2026年4月22日水曜日

市場籠の修理

先日、市場籠を使っていたら、なんか痛い。


見ると、持ち手に巻いた蔓(さるなし?)がささくれだっていました。このまま使えば傷が広がります。
そこで、布を巻くことにしました。


端布の引き出しに、丈夫そうな反物の端布がありました。
しかし、カーブしている場所に使うので縞では模様合わせが大変、布が硬いのでカーブに馴染ませるのが大変。


ということで、強度は劣りますが馴染みやすい、絣の古着の端布を使うことにしました。


これで大丈夫。汚く縫っているのですが、絣なので目立ちません。


2008年から活躍してくれている市場籠は、他に傷んでいるところはありません。

この市場籠を編んでくれた岩手県一戸の鳥越もみじ交遊舎では、2018年ごろから、材料のスズタケに花が咲いて枯れて、技術の伝承の危機に直面しています。
スズタケは120年周期で枯れるとされていて、復興するには20年もかかり、その間に次世代の籠師さんを育てることが困難で、存亡の危機に直面しているというわけです。
スズタケが生えているところを探して、少しずつ編んでいるようですが、なんとか乗り切って欲しいものです。










 

2026年4月21日火曜日

一目でわかったよ

骨董市で、白い招き猫に出逢いました。


「おお、きみは世田谷ボロ市の招き猫じゃないか!」


底を見ると、案の定、ボロ市の招き猫でした。
自分の目の高さ(?)に満足しながら、500円の招き猫を我が家にお連れしました。
白猫であるところが、同じく世田谷の豪徳寺の招き猫と似ていないとも言えないのですが、豪徳寺の猫はいつも右手を挙げています。


同じ型でつくった招き猫がすでにいますが、並べてみるとヒゲの描き方がちょっと違います。というか、同じに描く方が難しいことでしょう。


世田谷ボロ市の招き猫の中には、右手を挙げているものもいます。
猫たちは、ボロ市の中でいったいどんな存在だったのか、そして今もいるのかどうか、一度も行ったことがないので、わかりませんが、「ねくれくと」には、ボロ市で猫たちが売られている様子(何年ごろのことかは不明)がレポートされています。






 

2026年4月20日月曜日

稲わらの腰当て?

日曜日にM+MのMちゃんと骨董市に行きました。
すると、わら靴を4、5種類も売っているお店がありました。わら靴と言っても、昔お土産物屋さんや民芸品店でよく売っていた長靴形のものではなく、スリッパや草鞋のような形のわら靴で、学生時代に行った岩手県雫石にあった何でも屋さんに置いてあったようなものでした。
そんな稲わら製品の中に、籠の肩紐のように編んだものがありました。


肩当てか、牛の口覆いか、何かわからなかったのですが、面白いかたちをしていたので買いました。

背負子の肩紐にしては、幅が広すぎます。


肩紐だったら、もっと細くつくらないと首に当たって皮膚が擦れてしまいます。

別の店を見ていたMちゃんと再会、
「あら、これは何?」
と、稲わら細工を手に取ったMちゃんは迷わず腰に巻いてみました。
「そうか、地機(じばた=いざりばた)の腰当てだったのか!」
Mちゃんが腰に当ててみなかったら、腰当てだとは思わなかったかもしれませんが、もう腰当てにしか見えなくなりました。


幅のあるところは、稲わらを綯(な)わないでそのまま使っていますが、端の「わ」になっているところは、拠りをかけて縄にした稲わらを巻いています。そしてその先には麻縄を結んでいます。
稲わらは、縄にした方が丈夫になり長持ちしますが、硬くもなります。長時間腰に当てるものなので、少しでも柔らかくしようと、幅広の部分は稲わらのままで編んでいるのでしょう。


家に帰って、タイの牛の口当てと比べてみました。
形は似ていますが、日本の牛は放し飼いにしないので、田んぼや畑のお米や野菜を食べたりする恐れはないので口当ては不要、腰当てであっている気がします。

両端に結んである麻紐は、なぜか短いものを3本ずつ繋いであります。織物をしていると、どうしても織りきれなかった経糸(たていと)が残ります。その端糸で縄を綯ったとしたら、ますます腰当てにぴったりです。


地機で越後上布を織っている写真がありました。腰当てで経糸を張っています。


さて、腰当てを飾る場所はここがいいかな?


稲わらのバンドリの横に釘を打ち足して、スズメおどし田ネズミをとる仕掛けと、タイのハエ叩きをちょっと移動させて、腰当てを吊るしました。