2026年2月12日木曜日

『漢文力』

中国人の友人に薦められて読んだ『貝と羊の中国人』(加藤徹著、新潮社、2006年)のあとがきに、
「この本は、『 漢文力』を読んだ新潮社の編集者から強く勧められて書くことになった」
との趣旨が書かれていました。
漢文と言えば高校の授業で習ったものの、その後の生活では忘れ果ててしまったものです。ところが、『貝と羊の中国人』の本文に、「江戸時代に将軍から庶民まで漢文の素養を身につけたことで、日本人というものが生まれた」と書かれていたことから、「へぇぇ、そうだったのか」と思っていたところにこのあとがきがあったので、『漢文力』(加藤徹著、中央公論社、2004年、2007年文庫化)を読んでみました。
『漢文力』という表題を見たり、表紙(南伸坊さんデザインなんだけど)を見ただけでは、おそらく読むことがなかったであろう一冊でした。


ところが読むと、『貝と羊の中国人』以上の面白さに、引き込まれてしまいました。
現在の、理不尽な戦争や虐殺が止まらない、核兵器や無人攻撃機などの殺戮兵器は日々開発され、それによって儲けている人や国がいて止まらない、汚染と天然資源の過収奪で環境破壊は止まらない、民族グループ間の交流が進んだのに人種差別が止まらない、子どもたちの抱える不安を払拭できないなどなど、心の中にわだかまってすっきりしない数々の事象を、数千年前の言葉が解明してくれるのです。
あまりにも面白かったので、目次だけ紹介させていただきます。

はじめに

第一部 内面と外面
 第一章 自分という奇跡をかみしめよう 
 第二章 自己はどこまで他者を理解できるか
 第三章 現実と幻覚はどこまで区別できるか
 第四章 この世のすべては言葉で表せるのか
 第五章 魅力と恐怖の秘密
第二部 あの世とこの世
 第一章 死後の世界はあるのか
 第二章 死者は二度殺してはならない
 第三章 生まれてくる不思議、死んでゆく意
 第四章 老いるということ
 第五章 姥捨て山と二十四孝
第三部 自然と宇宙
 第一章 大自然の掟(おきて)
 第二章 宇宙人の目
 第三章 推移の感覚
第四部 自分を生かす
 第一章 学問の落とし穴
 第二章 教養教育と専門教育
 第三章 リーダーの条件
 第四章 世に出る
第五部 文明のからくり
 第一章 政治という怪物
 第二章 文明の明と暗
 第三章 中国古典の戦争論あとがき

という構成でした。
ところどころで、漢文と金子みすゞの詩を併記しているのも面白いところです。
第三部第二章の中の宇宙への問いかけというところを一部紹介すると、

 われらの命は有限だが、知は無限である。有限の命で無限の知を追求する。危ないことだ。(荘子)
とか、
 学ぶのをやめれば、心配事は何もなくなる。(老子)
と並んで、
 星のかず 金子みすゞ

 十しきやない
 指で、
 お星の
 かずを、
 かずへて
 ゐるよ。
 きのうも
 けふも。

 十しかない
 指で、
 お星の
 かずを、
 かずへて
 ゆかう。
 いついつ
 までも。

と、書かれていました。
あとがきによると、『漢文力』は、著者が当時教師をしていた広島大学での講義、「中国文学の世界」の内容をベースに書き下ろしたものだそう、学生たちは楽しかっただろうなと、うらやましく思いました。
そして、『漢文力』のあとがきに、この本では触れることのできなかった近現代の中国人のものの考え方や社会については、『京劇ー「政治の国」の俳優群像』を読んで欲しいと書いてあったので、『京劇ー「政治の国」の俳優群像』の文庫版を、また注文してしまいました。

なお、『漢文力』は、2005年には韓国語訳が、同年10月には中国語訳が、それぞれ韓国と中国で刊行されたそうです。韓国は漢字を捨ててしまっていますが、専門書などには相変わらず使われています。3つの国で『漢文力』が読まれることは、とても素敵なことに思えます。






2026年2月11日水曜日

リボンを結んだかわいい猫


市販されている招き猫を買ったのは、いったい何年ぶりでしょうか?
街で招き猫を探すのが困難だった1990年代までが嘘のように、今ではどこに行っても、陶器屋さんや門前町でなくても、招き猫があふれています。
かつては、招き猫を見かけただけで狂喜していた私も、今では売られている招き猫を見ても喜びもしないし、買いたい衝動が起こることもありません。


そんな私ですが、この猫のお顔のかわいらしさと品のよさに負けてしまいました。愛知県瀬戸の中外陶苑の猫です。
中外陶苑は、荒川千尋さん、坂東寛治さんご夫妻収集の招き猫を引き継いで「招き猫ミュージアム」を運営し、「日本招猫俱楽部」が毎年企画している「復刻猫」を制作している会社でもあります。


この猫は右手挙げですが、左手挙げの招き猫に比べると、右手挙げは少なめです。
理由はわかりませんが、職人さんが右利きの場合、左手に持って彩色するときに左手挙げの猫の方が持ちやすいのではないかと、私は推測しています。


リボンを結んだ招き猫を、長年ずっと右手しか挙げていない豪徳寺の招福猫児に雰囲気が似ていたかなと、比べてみました。
鼻から口元のあたりがちょっぴり似ていますが、思ったほど似てはいませんでした。





 

2026年2月10日火曜日

中国の小さい籠


中国の広西チワン自治区で編まれた、ミニチュアの青竹の蓋つき籠です。


持ち手は、5本の竹を束ねて蔓で巻いてあります。


貴州省の蓋つき籠とならみると、形も編み方もそっくりですが、新しいものはまだ緑が残っていて、瑞々しいです。


どちらも緯材(よこざい)には、細い細いひごが使われています。


地図で見ると、左が貴州省、右が広西チワン自治区です。隣り合っているので、おそらく同じ民族グループの籠師さんが編んだものでしょう。
どちらの地域も、住んでいる人たちのうち漢民族は約60%ほど、あとはいろいろな民族グループの人たちが暮らしています。

余談ですが、『貝と羊の中国人』によると、漢民族は長い年月、近隣の他民族グループとの混血を重ねてきたので、一口に漢民族と言っても、北の漢民族と南の漢民族のDNAを調べてみるとその違いは、日本民族と韓民族のDNAの違いよりもずっと大きいそうです。


さて、この籠を、福建省からタイに渡った中国系の籠師さんが編んだおもちゃの籠と並べてみました。縁巻きだけちょっと似ていますが、編み方がまったく違います。

20世紀にタイ、マレーシア、ラオス、カンボジアなどに移住した中国人は、ほとんどが福建省出身でした。中国出身の籠師さんたちは、定住地で、台所用の籠や、農具、漁具などいろいろな籠を編んだと思われますが、この蓋つき籠はとくに中国系の移民たちにとって大切な、故郷を象徴する籠だったのか、タイ語で「中国籠、タクラ・チーン」と呼ばれています。

福建省

福建省は地図で見ると貴州省や広西チワン自治区からそう遠くない感じもしますが、何せ一つの省が韓国全土に匹敵するほどの広さですから、同じ南中国といえど、地勢も文化も違うのでしょう。









2026年2月9日月曜日

雪の次の日


デスクに座っていて、ふと窓の外を見ると、つららが下がっています。
南に向いた屋根の雪が溶けかかっていたところに夜の冷え込みが来て、つららになったもののようです


朝日にきらきら光って美しいのだけれど、なかなか写真でとらえられません。


作業棟の北向きの屋根の雪は、溶けかけてもいなかったのでつららはありません。


東向きの屋根にもつららはありません。


東向きの坂道は昨日、ざっと雪かきをしておいたので、問題なく使えます。
毎年、年に1、2度は雪が降りますが、坂道の除雪が必要だったのは、ここに来てから25年のうち今回で2度目、数センチの積雪なら、放っておいても次の朝には自然に溶けています。


太陽が昇るにつれて、光は強さを増していますが午前9時の今、南向きの屋根の雪もまだ解け始めていません。

追記:


お昼過ぎの写真です。
南向きの屋根の雪はすっかり解けて、午前中は屋根からぽたぽたと雪だれが落ち続けていましたが、雪がまだ残っているのはコブシの木の陰だけ、もう雪だれも落ちていません。








2026年2月8日日曜日

手ぬぐいワンピース


かねこさんとご一緒に土人形のお雛さまを持ってきてくれたなゆきさんに、お手製のワンピースをいただきました。
土浦の町では、かつては手ぬぐいのやり取りが盛ん、でも使いきれなかった手ぬぐいがおうちにたくさんあるので、ワンピースをつくってみたら、とても涼しいので手放せなくなったとのお話でした。
上身ごろは手ぬぐいを横に使い、スカート部分は縦に剥ぎ合わせてあります。


一番時間をかけたのは模様併せだったそうで、ちゃんと背の真ん中に紋があります。
確かに、手ぬぐいと一口に言っても、糸の太さや布の厚み、幅や長さも1枚1枚違うので、模様併せだけでなく、布合わせにも頭を使わなくてはなりません。
手ぬぐいは未使用でも長く置いておくと黄ばんでしまうので、仕立てた後、染められたとのことでした。


「絹織卸商」の文字、とっても素敵です。


手ぬぐいの服と言えば、その昔、柿渋色や縹色に染めた手ぬぐいをつなぎ合わせたジャンパーを着ていたことがありました。また、大きな招き猫模様の手ぬぐいを4枚使ったブラウスも着ていたことがありました。
手ぬぐいは風を通し、暑いときには着心地がいいので、夏が来るのが楽しみです。






2026年2月7日土曜日

土人形のお雛さま

10余年前に我が家にいらして以来お会いする機会がなかった土浦のなゆきさんから、しばらく前にメールをいただきました。
なゆきさんのお友だちのかねこさんが、土人形のお雛さまを、できればブログで知っている私に貰ってもらいたいというお話でした。かねこさんはかつて、土人形のお雛さまをお内裏さまだけだと勘違いして買入されました。ところが届いてみたら15人揃い、しかも大きい雛人形だったので飾ることができず、お雛さまに対して心苦しく思っていらっしゃるのだそうです。

我が家のお雛さまたちも、満員状態です。それに、お会いしたことはありませんが私の方がかねこさんより年も取っているに違いないのでしばし迷いましたが、まぁ何とかなるだろうと、お引き受けすることにしました。


というわけで一昨日、かねこさんとなゆきさんとお二人で、お雛さまの入った大きな箱を運んでいらっしゃいました。


開いてみると、中箱が3つ入っていて、お内裏さまが一番上の箱に入っていました。


確かに大きい!
お内裏さまは22センチの高さです。
かねこさんのお話では、伏見人形としてネットで手に入れたのだけれど、どうも伏見人形とは雰囲気が違う。調べてみると山形県の鶴岡致道博物館に収蔵されている土人形に似ているので、鶴岡土人形ではないか、とのことでした。


土人形にもかかわらず、布でつくられた雛人形を強く意識して、それを土の置き換えたという感じで、衣装も持ちものも、なかなか複雑な形をしています。
鶴岡の人形なのでしょうか?


もともと、土人形のお雛さまは、御所人形に手が届かない庶民が、その昔から贈り、贈られて飾ったもので、お顔の表情はその土地で昔からつくられた土人形の表情を踏襲しているものです。ところがこの土人形たちは、思い思いの顔をしていて、五人囃子の中には、漫画のようなお顔をした子(右端)もいました。
金粉の砂子蒔きが目立つ人形たち、いったいどこでつくられたものでしょう?

「塩原温泉 彩つむぎ 女将の独り言」よりお借りしました

山形県の土人形を検索していると、塩原温泉の「彩つむぎ」の女将が書かれているブログに、山形の土人形と高山の土人形を手に入れたという記事が見つかり、とうとう五人囃子の髪型が一部違うけれど、同じ姿と色遣いの人形を見つけました。
その記事によると、山形の人形はもう一つの人形の方で、これは岐阜県高山市の高山土人形とのことでした。

飛騨高山文化伝承館の写真をお借りしまし

高山土人形で検索すると、飛騨高山文化伝承館に飾られているお雛さまの写真も見つかりました。高山土人形は、大正期に初代の岩信成さんによってはじめられ、娘の光子さんが二代目として踏襲しましたが、現在は途絶えてしまっているそうです。
かねこさんからいただいた雛人形には三仕丁も含まれていましたが、塩原温泉の女将の雛人形にも伝承館の雛人形にも三仕丁は見当たりません。
ということは、三仕丁はのちになってつけ加えはじめたということで三仕丁がない方が古いのかと思ったりしましたが、

高山市立博物館の写真をお借りしました

高山市立博物館に収蔵されている「高山土人形雛揃」を見ると、三仕丁が揃っていたので、あるなしで年代が違うかどうかは、わからなくなりました。
いずれも二代目の光子さんの作と思われますが、いただいたお内裏さまの着物は金に模様、塩原温泉の女将のお内裏さまの着物は金無地、文化伝承館と市立博物館のお内裏さまの着物は男性が黒に模様で女性が赤に模様という違いがあります。そして、三人官女のうちの立っている官女が打掛を羽織っているかいないかの違いもあります。
推測ですが、この雛揃の中で、お内裏さまが黒と赤の着物で、立っている官女が打掛を羽織ってないものが一番古いのではないでしょうか?
いずれも制作年ははっきりしませんが、高山市立博物館収蔵の雛人形は昭和30年代につくられたものとの記載がありました。

さて、新しいひな壇をつくらないと飾ることができません。そして、ひな壇をつくる前に、どこにひな壇を置くかも考えなくてはなりません。楽しみが増えました。






2026年2月6日金曜日

睡眠時無呼吸症候群、その後

睡眠時無呼吸症候群が著しく疑われる夫ですが、一晩入院しての精密検査の結果を聞きに行くと、詳しいデータが取られていて、上を向いて寝た場合は1時間に20回呼吸が止まり、横を向いて寝たときには26回も呼吸が止まっていたことが判明しました。
夫の場合、睡眠時無呼吸症候群が起こるのは生まれつきの骨格によるものではなく、首に着いた脂肪が気道を狭くしているとのことでした。見た目にはそう脂肪がついているようには見えませんが、レントゲン写真で見ると結構ついています。


というわけで、CPAPを使うことになり、CPAPを取り扱っている業者の方が家に届けに来て、説明をしてくれました。
CPAPは新品ですが、買うのではなく借りるという形になります。


CPAPを寝るときに顔に装着してスイッチを押すと鼻に風が送られます。そして呼吸が止まったときには、通常時より風が強く送られて呼吸を助けます。風量の多少は、検査の結果に合わせて設定されているそうです。
夜中にお手洗いに行きたいときなどには、送風管を簡単に外すことができます。そして、利用していない時間に、データは自動的に検査を受けたクリニック(夫の場合、当面は入院検査を受けた水戸のクリニックKで、いずれは近くのOクリニック)に送られます。


CPAPを装着して口で呼吸すると意味がないので、口にシールを張るという手もあるようですが、見ると夫は息を吸うときは口をつぐんでいました。
また、CPAPを届けてくださった方が、慣れないうちは1、2時間使っただけで外してもよい、じょじょに慣れればと言っていたのですが、夫は最初の夜から大丈夫でした。


CPAPが健康保険が適応されて身近になったのは、約20年前だそうです。


CPAPを着けて寝はじめてから数日経ちましたが、変化は起きているでしょうか?
夫はこれまで、朝起きると朝寝して、昼食の後は昼寝して、夕方には夕寝する、私が運転するときは車の中ではずっと眠っているといった具合で、猫並みに寝ていましたが、着用後は、昼寝だけになったような気がします。