2026年7月9日木曜日

加藤徹さん

夜、お布団に入ってから本を読むのを日課としていました。
ところが最近、3ページも読まないうちに眠気が襲ってきます。本を落としそうになって慌てて読み直してもすぐ朦朧としてしまいます。眠るのを忘れて読んでいたころが懐かしい。
というわけで、お布団の中での読書は難しいものになっています。


『西太后』(加藤徹著、中公新書、2005年)は面白く読んでいるのに眠ってしまって、しおりを挟んであるのに既読のところがうろ覚え。仕方なく前夜眠りながら読んだところをもう一度読み返して、新たにちょっとだけ読んだら、また眠さに負けてしまうことの繰り返しで、遅々として進みません。

「中国理解なら、この本が一番」
と中国人の友人に勧められて、加藤徹さんの『貝と羊の中国人』を読んだのは半年ほど前のことでした。
次に『漢文力』を読んで、近代の中国の政治を知るなら『京劇』でと書いてあったので、


『京劇』(ちくま学芸文庫、2025年、元は中公業書2002年)を読んだのはしばらく前のことでした。
様々な史実に基づいたエピソードをつなぎ合わせて、京劇とそれを取り巻く近代から現代の中国社会が立体的に浮かび上がる面白さ、たくさんの京劇俳優の名前が出てくるので、覚えたり整理するのに苦労しましたが、文盲率が高かった時代、為政者が京劇を通して人々に影響を与えるさまは、革命軍にまで引き継がれた面白さ。また、文革の時は京劇俳優はどんな目にあったかなど、初めて知ることばかりで、あっという間に読んでしまいました。
『漢文力』が漢文を知るだけの本ではなかったと同様、『京劇』もまた京劇を知るだけの本ではありませんでした。
エピソードの一つに、観劇に明け暮れ、死の2日前にも長時間観劇した咸豊帝(えきちょてい)にも負けず劣らず京劇が好きだったという、咸豊帝の妻の西太后のエピソードも紹介されていました。
男尊女卑の中国社会の中で48年間という長期間政治権力をふるった西太后とは一体どのような人だったのか? それが、『西太后』を読むことになったきっかけでした。


アヘン戦争や日清戦争という激動の時代を生きた西太后は、特A級の悪玉として、現代中国からはまったく評価されていませんが、西太后の時代につくられた政治システムが、今の中国の政治システムとなっているそうです。

それにしても、著者加藤徹さんの頭の中はどうなっているのでしょう?
主要参考文献一覧を見ると、漢文であれ、京劇であれ、政治であれ、先行著書・研究は膨大な数のところ、言及、依拠、参照したものだけ最小限載せたと書いてあるのに、たくさんたくさん載っています。
文献からの考察もすごいし、日本文化との比較も面白い。

そろそろ、寝る前と病院の待ち時間だけでなく、日中も読書をする習慣をつけたいと思います。



 

2026年7月8日水曜日

ぼちぼちですが


庭の手入れは、手が回らないところだらけですが、手が回ったところはやっぱり気持ちいい!


夫が、草ぼうぼうの石段ではなく、草を抜いた斜路を歩いているのを見ました。
石段もきれいにしなくちゃ!


というわけで、石段の草を抜き、生垣のオオムラも刈り込みました。


ここは居間のテラスの近く、今は亡き馬骨さんからいただいたほおずきがあるため、草刈りできないでいました。
ほおずきは、石垣に沿って植えたのに、毎年勝手に動いて好きなところに出てきます。


これまで手が回っていませんでしたが、ちょうど日陰になっているしと、周りの草をカマで刈って救出です。


東京では今日ほおずき市が開かれたとか、我が家のほおずきの実も大きくなっています。


やっと草を刈り終えて数えたら、ほおずきは30本ありました。






 

2026年7月7日火曜日

極限の技

骨董市のまことさんの店で、ミニチュアの籠を見ました。
小さな箱に入った小さな人形たちが2、30個入った大きな箱が3つ4つ並んでいて、ミニチュアの籠はその中の1つの箱に入っていました。こんな場合、まことさんはばらでは売らず、おそらく箱ごと売りたいのだろうと訊いてみました。
案の定、箱で売っているとのこと、もしこの籠が我が家になかったら、籠一つのために要らないものまで手にするかどうか悩みに悩んだかもしれませんが、ありがたいことに、同じ籠を持っていたので、あっさり諦めることができました。


これがそのです。


もっと小さい籠もあります。
こんな精巧な籠がつくれる人は限られているだろうから、まことさんの店にあった籠も、おそらく同じ籠師さんが編んだに違いありません。


細いひごに薄いひご。カプっと閉まる蓋。美しい編み目。
この籠は、熟練の籠師さんでないとつくれないことでしょう。熟練の籠師さんでも、年を取ると目も手先も悪くなって、細かい仕事ができなくなるのでつくれない。油の乗り切った籠師さんの、40代、50代の作でしょうか。
人の手、万歳です。




 

2026年7月6日月曜日

あれから5年


屋根から落ちて、救急車とドクターヘリで病院に運ばれ、肋骨11本骨折、頸椎損傷、鎖骨骨折していたことが判明した事故から、7月6日で丸5年経ちました。
「1週間での退院を目指しましょう」
と言われてその気になり、仰向けに寝たまま、横を向くこともできないのに、看護師さんや夜中にはお医者さんの手まで貸していただいて、入院した日から自分でお手洗いに行くことができたなど、手厚い看護と治療を受けて、お医者さんのおっしゃった通りに、1週間で退院することができました。


集中治療室には、新たな患者さんが運ばれてきたり、コロナ禍で面会も禁止されていた中で、患者さんのご家族が列をつくって静かに入ってこられたり、治療の甲斐もなく亡くなった方が運びだされたりと、ときおり緊張が走りました。
そんな集中治療室の入り口近くには、不似合いな、大きくて華やかな七夕飾りの笹が飾られていました。

あれから5年、七夕が来るたびに、あの笹のことを思い出します。 


すべてに、ただ感謝です。







2026年7月5日日曜日

浴槽に入らなくっちゃ


暖かくなって、猫たちがお風呂の蓋の上でゴロゴロする時間が減りましたが、雨が降ったりすると、やっぱり落ち着くのはお風呂の蓋の上です。
我が家では、夜は普通にお風呂に入って、朝は温冷浴をするので、よく風呂桶のお湯は張ったままにしてあります。
お風呂に入りたいとき真ん中の蓋の上に猫がいたら、一番奥の蓋へと無理やり猫を押しやって入ります。猫のために蓋を1枚そのままにして入る癖がついて、いないときでも蓋を1枚残して入ります。

入浴に続いてお風呂掃除をしようとお湯を抜きはじめると、猫たちはそれを察知して、そそくさと風呂場から出て行きます。タマはどこかへ行ってしまいますが、マルは洗面所か廊下、浴室の見える場所に座り込んで、目をドアの向こうの浴室に向けたままで待機しています。


そして、掃除し終えてドアを開けるや否や、待ってましたとばかり浴室に入ってきて、まだ暖かさの残っているお湯の浴槽に入り、排水口をのぞいてみたりしてから落ち着いて腰をおろします。


カメラを向けたので出てきてしまいましたが、いつもはしばし浴槽の中を楽しみます。
かつて、掃除の後は温風でお風呂場を乾燥させていましたが、マルのために最近、夏は涼風で乾燥させています。





 

2026年7月4日土曜日

素敵なアパート

木曜日に、茨城県古河市で活躍している建築家Kさんの設計された家を見学に行きました。
ギャラリー&カフェ、アパート、住宅の3ヵ所を見せていただいたのですが、アパートがとっても素敵でした。
建物は3棟あり、いずれも賃貸、60室あるそうです。


これはC棟のエントランス側。C棟の部屋は一人用、二人用、家族用と3種類の広さがあり、1世帯の駐車スペースは2台です。


屋上への階段。


階段塔の最上部。


そして屋上からの眺め。


さすが関東平野、360度地平線が感じられ、晴れていれば筑波山だけでなく富士山も望めるそうです。


C棟は、裏の駐車場からの眺めが、特にダイナミックで素敵でした。
各戸の玄関への長い通路がない設計で、プライバシーが保たれ、壁が二重になっていることで、夏の陽差しが和らぐとのことでした。


A棟とB棟はすべて同じ間取りで、空いた部屋の内部も見せていただきました。
中はおしゃれ、つくりつけの棚など設備も整っていて、最小限の家具を持ち込んだその日から、前から住んでいたかのように暮らせそうでした。


こんなアパートに住むと、子どもだけでなく大人でもわくわくしそうです。
というわけで、いつも入居率が90%を超えているそうでした。



 



2026年7月3日金曜日

東京で売られた箕

7月3日、箕の日に勝手に協賛です。


明治物売図聚』(三谷一馬著、中公文庫、2007年)は、江戸風俗の資料画を描いては第一人者の画家三谷一馬さんが、街の風物詩であった明治の物売りを、当時の雑誌や様々な資料をもとに模写復元した労作で、300余点の絵に詳細な解説を加え、文明開化による急速な変化に直面しながらも逞しく生きる庶民の姿を鮮やかに描き出した興味深い本です。

道具の章では、ほとんどは東京や京都など都市の物売りの絵なので、農村を中心とした箕のみの行商の絵は、はなから期待できませんが、1枚だけ箕も含まれている絵がありました。


東京のざる売り。
江戸時代は担荷でしたが、明治になると車が使われました。車輪は鉄輪で、ゴム輪は使っていません。
原画は、明治35年に発売された『風俗画報』に掲載された山本松谷さんによるものです。箕は左端の方、売り手の頭の近くにあるものでしょうか?

以下は、この絵の解説、原画の説明文を引用しています。

笊類はその種類によって生産地が違います。
「先ず笊類は武州八王子在と新宿新町辺を上等品として、之に次ぐのが上総地方から輸入する品だ。乃で此笊のみでも目笊、味噌漉、亀の子笊、米揚笊、紙屑籠、塩笊等で、其の大小も一番二番等がある(略)。米揚笊の上等は甲州で、並品が武州蕨在、横曽根と云ふ所で製造するのだ(『太平洋』、明治37年)」

箕の物売りはこの絵のみですが、籠売りの絵も1枚ありました。

原画は『風俗画報』。明治38年、佐藤一林画

山梨地方の籠売りだそうです。解説には、原画の説明文として、
「肥籠と称し肥料を背負ふ籠なり。往来で呼び、或いは戸毎にゆきて用不用をたづねて売る。平生依頼者を待ちて制作に従事するも、注文品なきときは暇にあかして、何個もつくりおく。あらかじめ使用時に先だち、あまた背負い出して販売するに、行先々でそれぞれの新しい注文を受く、一挙両得の行商なり。もっともこの外にこれより大なる木の葉籠あるも、道路嶮悪にして運搬に困難なるより持ち来らざる趣なり」