2026年5月27日水曜日

三河系招き猫がいた!

NHKオンディマンドで、古いドラマの再放送を観ることがあります。というか、結構楽しんでいます。
『 タイムスクープハンター』は、タイムスクープ社の記者沢嶋雄一が、色々な時代にタイムスリップして、忍者の修行を見たり、駕籠かきについて箱根まで行ったり、江戸時代の婚活に密着したり、戦国時代の通信手段であった旗振りを見て山から山へ情報が伝わるのを見たり、江戸時代の有名料亭の初鰹の争奪戦を追いかけたり、木の入れ歯職人を取材したりなどなど、歴史教科書には載らないような出来事を追いかけて、映像で記録するもので、今のところシーズン(6)まで放送されていて、タイムスリップする時代も古代から20世紀までと広範囲にわたっています。

このドラマで「おっ」と思うのは、既婚女性はおはぐろをしているし、男性の歯も真っ白ではなくて黄ばんでいるし、髪はみんな思い思いの形に結っていて、着物の着方もだらっとしていることです。
男性だと、丁髷の形も月代の伸び具合もいろいろで、髷の位置もいろいろ、女性の髪ときたらみんな違っていて、まるで帽子のように大きく結ったのや、乱れ毛やほつれ毛は当たり前、普通の時代劇のように、たった今床屋さんが結ったように整った髪の人は一人も登場しません。

さて、シーズン(6)の第5話、「追跡!美男子コンテスト」に、招き猫が出てきました。


明治44年(1911年)に、新聞社主催の日本で初めての容姿を競う美男子コンテストがありました。入選してなんとか写真館の名を挙げたい写真屋の小林さんは、知り合いの女郎屋の女将さんに、美男子と呼ばれるにふさわしい男性を紹介してもらい、その洋反物屋さんを訪れます。
その洋反物屋さんの銭函の上に、招き猫が置いてありました。


愛知県の各地でつくられている、三河系の招き猫です。
写真屋さんがどこに住んでいたかは語られていませんが、おそらく東京ではなかったかと思われます。

愛知県三河地方は、江戸時代から三河木綿の産地として有名でした。三河木綿は堅牢で足袋や布団に仕立てられましたが、明治になってからは積極的に西洋の紡績・染色技術を取り入れ、洋反物(洋服の生地)の製造もはじめました。
1989年には、愛知県の豊田佐吉が日本初の力織機を発明しています。蒸気やモーターを使う力織機の導入は、生産力を20倍に高めているので、三河でもその恩恵を受けていたと思われます。

そんな、愛知県にルーツを持つ洋反物屋さんなら、開店の時、三河地方の開店祝いの定番である招き猫を贈られて、意気揚々と東京に乗り込んだかもしれません。
三河系招き猫は大きいものでは高さ90センチもありますが、はるばる東京に行く洋反物屋さんには、荷物にならないように小さめの招き猫が贈られたのでしょう。
招き猫が、「三河の洋反物」の宣伝になったかもしれません。
もっとも、そこまで考えて小道具としての三河系招き猫を置いたかどうかは不明です。

この洋反物屋さんは結局、美男子コンテストのモデルになることを嫌がり、小林さんは別の学生さんで、コンテストに応募します。


しかし、待ちかねた選考結果発表の日、1位から10位までが新聞に紹介されましたが、その中に小林さんの送った写真はありませんでした。
新聞社が行った1900年代初頭の美人・美男子コンテストは、写真による選考でのみ選ばれるもので、個人の競争というより写真館の腕試しの様相が強いものだったようでした。






2026年5月26日火曜日

富山の招き猫


かわいいねぇ、かわいいねぇ。
富山土人形三代目の渡辺信秀さん(1913−2003年)作の招き猫(小)です。茶々丸さんから譲っていただきました。
富山土人形は厠の神さましか知らなかった時代から、長い空白を経て富山の招き猫に出逢い、そしてまた、小さな招き猫がやってきました。


ねこれくと」には、「とやま土人形工房」に保管・展示されている渡辺家の招き猫の「型」には髭が彫られていると記されていますが、この猫には型に彫った髭が移されていて、しっかり見えています。


赤、紫、黒、黄色(目)だけを使った色つけですが、とても華やかです。


古作の富山土人形とのツーショットです。

作り手が、雄型に土の板を押しつけて型を取り、型から取り出して前後をくっつけて乾かし、窯で焼いて胡粉を塗り、彩色してから金粉を撒いて仕上げた富山の猫たち、長い旅をして我が家に来ました。





 

2026年5月25日月曜日

輝く朝


久しぶりに晴れ渡りました。
農業に、というか食糧づくりに欠かせない雨が大切なのは知っていますが、 晴れると、やっぱり心が浮き浮きしてしまいます。


今朝の筑波山にかかる雲は、笠雲とは言わないのかな?


カエルは鳴いて、ツバメは飛んで、ヒバリも鳴いて、稲の苗たちは日毎に育っています。


夫もやっと長かった風邪のトンネルから抜けそう、一安心です。






2026年5月24日日曜日

厚紙入りの鍋つかみ

鍋つかみは、ミトン形のものも使っていますが、母のつくったものも使っています。 


2組4枚使っていましたが、焼け焦げをつくったり、脂が染み込んだりでぼろぼろ。新しいものと交換することにしました。


母の鍋つかみは、母の亡きあと妹経由でもらったものもあり、まだまだ何組もストックがあります。その中から、魚のと野菜のを使うことにしました。

さて、コーヒーを淹れようと、その新しい鍋つかみでやかんを掴みました。
「ん? なんか変」
アップリケの蓮根が、掌の中で抵抗している感じで、とっても使いにくいのです。改めて触ってみるとアップリケの中に厚紙が入っていました。まだ使っていない鍋つかみ7組を調べてみると、すべてに厚紙が入っています。
「なんで?」
これまで、何十年も母の鍋つかみを使ってきましたが、厚紙の入ったものはありませんでした。おそらく、貼り絵の鞠をつくったとき、「これは楽だ!」と閃いたに違いありません。
母の鍋つかみのアップリケには、綿が入っています。厚紙を使わないでつくる場合は、綿を入れながら縫いつけていきますが、縫い代を始末しながら、形も崩れないように、綿もはみ出ないように縫いつけなくてはなりません。
しかし、厚紙を使った場合は、厚紙の上に綿を置き、それに周囲をちくちく縫った表布を被せて裏で縫い糸を絞り、形になったものをつくっておいて、それを並べてすいすいと、縫いつけるだけでいいので、ずっと楽なのでしょう。


母には、「これだ!」と思ったら猛進する癖があります。
鍋つかみも、使うのは母と私だけでしたが、山のようにつくっていたので手元に潤沢にあり、厚紙入りの鍋つかみは、母自身も使ったことはなかったと思われます。

揉んで、くしゃくしゃにすれば使えるかと揉んでみましたが、硬い! 
「お母さん、いい加減にしてよね!」
このままでは使えないので、使えるようにするためには、厚紙を取り除く以外手はなさそうです。試しに一つバラしてみることにしました。


やっぱり、ばっちり厚紙が入っています。


刺繍するときに厚紙も一緒に縫っているので、紙は切りながら少しずつ取り出しました。面積の広いところは楽だけれど、尻尾のような小さいところは、紙が完全に布に包まれてしまっていて、取り出すのも一苦労です。


やっと、全部取り除きました。と言ってもたった一つだけですが。


このまま突っ込んでしまう手もありますが、使おうとしている4枚くらいはぼつぼつ紙を取り除いてみましょうか?


しかし、使わないものはそのままにしておきます。
と言うのも、初期のものと比べると、模様がけっこう細かいのです。










2026年5月23日土曜日

冷んやりした空気に合わせて

我が家はOMソーラーで暖房しています。
冬は屋根の上のガラス箱の中で温まった空気を床下に取り入れ、夏はその熱を貯湯にだけ使います。


今週のはじめまでは暑い日が続いていたので、温まった空気の取入れをやめ、我が家で一番高いところにある、空気抜きの窓を全部開けました。熱い空気は上に行くので、この窓を開けておくと熱が逃げて、夏は室内で対流が起こるので、涼しく過ごせるというわけなのです。

ところがこの数日、思いがけない寒さが戻ってきました。
気管支炎に罹っている夫は、一昨日は食欲も出て回復の兆しが見えたのに、一昨夜は寒かったとかで昨日はまたダウンしてしまい、今日も調子はまだまだのようです。
というわけで、せっかく開けた4つの窓は閉め直し、温かい空気も「排気」から「取り入れ」にしました。


窓の開閉に上る場所はキャットウオークというのでしょうか、猫が歩いているのを見たことはありませんが、私はしばしば登ります。


玄関ホールの真上にあるOMソーラーの機械室は、ちょっと入りにくい設計です。
よそのお家で、業者さんがつくった機械室の入りやすさに驚いたことがあります。今はまだ入れているけれど、膝が曲がらなくなったりしたらどうやって入るのかしら?


機械室には一番大きな空気抜きの窓があるので、入らないわけにはいかないのです。


機械室の中は、いかにも素人がつくった感が満載、配線配管が見えているし、床も壁も下地のままです。

じつは息子の家は、まだ配管が終わっていないとき、暮らしはじめるために天井を張ったので、膝が人工関節の夫は機械室の天井が低過ぎて入れなくなり、せっかくあと一歩のところまでできているのに作業は中断、ソーラーの熱が全然使えていないのです。

まだしばらく涼しい日が続きそうです。
床が温かいのが大好きなので、しばらくは床の温かさを楽しみます。





2026年5月21日木曜日

わらべうた



『わらべうた おおさむこさむ』(瀬川康男著、福音館書店こどものとも傑作集、1972年』という本が、我が家には2冊あります。
1冊は水戸市立図書館の除籍処理済のもの、瀬川康男さんの絵本は大好きなので、2冊あってもいいのですが、どうしたんだっけなぁ。



NHKの「おかあさんといっしょ」などの幼児向けの番組には、息子たちが小さい頃お世話になりましたが、わらべうたもよく紹介されていて、親子ともども楽しませてもらいました。



こんなわらべうたは今でも放送されているのでしょうか?

わらべうたといえば、私の小さい頃、全国の寺社を歌うものがありました。

♪一番初めは一宮 二は日光の東照宮 三は讃岐金毘羅さん(関東では佐倉
惣五) 四はまた信濃の善光寺 五つ出雲大社(おおやしろ) 六つ村々鎮守さま 七つ成田の不動明王 八つ八幡の八幡さん 九つ高野の弘法大師 十でところの氏神さん

これには日露戦争を歌った替え歌があり、なかなかひどいものでしたが、祖母の時代には広く歌われていたようです。


『きつねがはしる』(ヨゼフ・ラダえ、岩波子どもの本、2023年)は、チェコのわらべうたの本です。
素敵なわらべうたがたくさん収録されています。


わらべうたの背景は、チェコの文化に浸って育った人以外わかるものではありませんが、ヨゼフ・ラダの絵は、どれも可愛いくて想像が掻き立てられます。


『きつねがはしる』には、犬猫をはじめとして、きつね、ぶた、ハリネズミ、カエル、くま、やぎ、モグラ、ひつじ、馬、牛、ガチョウなどなど動物がたくさん出てきます。


この歌を歌いながら、妹や弟を夢見る子どもたちが、たくさんいたことでしょう。


イギリスのわらべうたマザーグースは、どんな物語かは知らなくても名前だけは、世界で最もよく知られたわらべうたと言えます。
我が家の『Mother Goose』(Aurelius Battaglia絵、Random Houseロンドン、1973年)の本は、バンコクの本屋さんで買ったものだろうと思われます。



薄っぺらい本ですが、一応マザーグースの代表的な歌が載っています。

♪ハンプティーダンプティーは塀の上に座っていた。ある日、塀から落っこちてしまった。
王さまの全部の馬と全部の家来たちを集めても、ハンプティーを元通りにすることができなかった

ハンプティーダンプティーの物語は、転じて「非常に危なっかしい状態」や「一度壊れると元に戻らないもの」の比喩として使われているそうですが、イギリス文化の下地がまったくない者には滲みません。

12年前に、ほとんど記憶の箱から消えていた「鞠つき歌」に出逢ってびっくりしたことがありました。

♪いちりとらんらん らっきょくってしっし ちんがらほけきょう とんがら ちんがらほい♪

馴染んでいた歌なのに、意味不明です。








 

2026年5月20日水曜日

蜂蜜


Gさんが、庭で飼っているミツバチの蜂蜜がとれたからと持ってきてくれました。
夫が気管支炎になったのを知っていたみたいなタイミングの良さ。夫に舐めさせ、私も舐めて、もうこんなに減ってしまいました。
美味しい蜜、なんの花の蜜なのでしょう?


いつもは生協の蜂蜜を食べていますが、この数年はビルマ(ミャンマーですが、私はアウンサン・スーチーさんや旧友に倣って、ビルマと言いたい)のひまわり蜂蜜ばかり食べています。これは売り上げの一部が「ミャンマー養蜂協会」に寄付されるもので、気に入っています。