2026年3月5日木曜日

スカート


重い箕を扱いながらスカート姿の女性、しかし、20世紀初頭までのヨーロッパには、女性にはスカート以外の選択肢はなかったようです。

世界の籠文化図鑑』より

スペインのムルシア地方で、蚕のために桑を摘む女性たち。
脚立に上るとき降りるとき、スカートはすごく邪魔、裾を踏んだりすると危険な目にあってしまいます。

13歳のとき、メアリー・アニングは魚竜化石を発見した。『メアリー・アニングの冒険』より

さて、メアリー・アニング(1799-1847)は、「天地創造」が生命の起源とされていた時代を終わらせ、博物学から出発した地質学、古生物学が誕生した19世紀のイギリス・ヴィクトリア時代に、イギリス南部のライムで、少女時代から数々の化石を掘り当てた人です。
メアリー・アニングの化石発見は、その後恐竜学の扉を開く礎となり、ダーウィンに『種の起源』執筆を促し、世界中の人々の生命観を大きく変えました。

学者たちや国内外の博物館に頼まれて、化石を掘ることで暮らしを立てていたメアリー・アニングに触発されて、たくさんの人たちが化石探しを目指しましたが、引き潮時でさえ波も荒い危険な崖地で、命を落とした人も少なくありませんでした。

ロンドンの自然博物館に飾られたメアリー・アニングの肖像画、『メアリー・アニングの冒険』より

上は、メアリー・アニングの肖像画です。
滑りやすく、地元の人でも命を落とすような岩場に行く服装としてはかなり不適切な姿、想像しただけで背中がぞくぞくしてしまいますが、当時は宗教上の禁忌などもあり、これ以外の服装は考えられなかったのでしょう。

『百年前の日本』より

それに比べると、日本には少し自由があったようです。田の草取りの女性たちは着物を短く着て、脚絆を巻いています。
もっともこの写真は、モース(1838-1925)の写真で、モースは19世紀末から20世紀にかけて日本に滞在していたので、メアリー・アニングの時代とは50年以上違うので、単純に比較はできませんが。

モースの写真には、女性が着物の下に股引を履いているものもあります。やがて昭和も戦後になると、着物を短く着てその上からもんぺをはき、さらに脚絆を巻く姿になって、もっと機能的になりました。


『メアリー・アニングの冒険』(古川惣司・矢島道子著、朝日新聞社、2003年)の表紙はサウスケンジントンにある自然史博物館の写真です。
メアリー・アニングが掘り当てた首長竜のプレシオサウルスの標本の下に飾られたメアリー・アニングの肖像画に見入る少女は、メアリー・アニングが初めて魚竜化石を発見した13歳と同じくらいの年の少女でしょうか?
200年の時を経て、こんな姿でいられるのは、おそらく生命観が変わったことと深く関係があることでしょう。






2026年3月4日水曜日

おしゃれだね!

終日雨だった寒い昨日、久しぶりに近くの温泉に温まりに行きました。
温泉から上がって、ホールの縁台に座って、ぼんやりと遠くに飾られているお雛さまに目をやると、あれっ、五人囃子の前に置かれているのは、和太鼓ではなくてドラムに見えます。


近寄って見ると、確かにドラムでした。
以前も、季節になるとここにはお雛さまが飾られていました。でも、普通の持ちもののお雛さまで、どなたかが寄付されたものだと思っていたのですが、いつからこんなバンドのお雛さまと入れ替わったのでしょうか?


ほかの五人囃子たちも、エレキギターやトランペット、トロンボーンなどを手にしています。
それにしても、楽器がよくできています。3Dプリンターでつくれば、簡単につくれるのでしょうか?


そして、右大臣と左大臣は、なんとミニバイクにまたがっていました!


極めつけは三人官女で、エレキギターを抱え、コンガをたたき、キーボードを演奏しています。かっこいい!
昔ながらの着物を着て、今どきの楽器を演奏しているお雛さまたち、こんなお雛さまがいたとはびっくりでした。







2026年3月3日火曜日

箕の切手

ルーブル美術館収蔵

3月3日、桃の節句ですが、箕の日でもあります。
写真は、ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875年)の出世作の「箕をふるう人」の絵です。
箕をふるう人は、1枚だけでなく複数あります。

ナショナル・ギャラリー・ロンドン収蔵の最初の絵

なぜならば、1848年の官展(サロン)で評価された後、購入希望や注文に対応するため、ミレー自身が類似した絵を複数制作したからです。

オルセー美術館収蔵

「箕をふるう人」の絵を知ったことで、フランスでもちりとり形で取っ手がついた箕が使われていたことを知りました。


フランスのオルセー美術館の「箕をふるう人」は、1971年に切手にもなっています。
切手になった絵を見ると、箕の材料はだったのかと想像されます。 フランスで柳はもっとも使われている籠類の材料です。


さて余談、これは手元にあるフランス名画切手ですが、右のラウル・デュフィ の「赤いヴァイオリン」については、忘れられない思い出があります。


中学1年の教科書に、この絵が載っていました。
中学生になって初めての美術の時間に、美術のO先生が教科書を開いてこの絵も含めて掲載されている絵や彫刻の感想を生徒たちに訊きました。この絵のときは誰も手を挙げてなかったかどうだったか、手を挙げて指された私は、
「黒い縁取りと塗ってある色が合っていません」
と、間抜けな感想を述べました。
すると、ルパシカのようなコーデュロイの上着を着たO先生が目を輝かせながら、私の席の方までつかつかと寄ってきて、
「凄い!いい答えだ。あんた名前は何という?」
と興奮気味に言われたので、私がびっくりしただけでなく、教室中の生徒がぽかんと口を開けて私の方を見ました。あんな、誰でも見ればわかるけれど口にするのもはばかれる感想で、なんで褒められたのかクラスの誰もわからなかっただろうし、私も今でもわかりません。

O先生は、
「文化祭で劇をするので、中国の梅林の絵を描いてくれますか?」
などと、無神経に頼みに行くと、
「あぁ、いいよ」
と言って、模造紙を2枚つなげて、墨と絵の具であっという間にみごとな、白梅や紅梅が続く梅林の絵を描いてくれたりする、真の画家でした。


追記:



あまよかしむさんからフランスの箕の情報をいただきました。横から描いた絵しか知らなかったので、こんな形をしていたと知ってびっくりでした。
というわけで、写真をお借りしました。


円く編んで、一部を平らに、一部を立ち上げています。
昔の人は、東西を問わず力持ちでしたね。







 

2026年3月2日月曜日

小さなお雛さま


雛壇の小さなお雛さまたちです。
どんぐりのはかまに収まったお雛さま。男雛が持つのは笏(しゃく)女雛が持つのは檜扇、ちゃんと持っています。


菱の実のお雛さま。


一刀彫のお雛さま。高さは18ミリしかありません。


母のつくった羽二重や繻子(しゅす)、縮緬(ちりめん)を重ねたお雛さま。


髪の毛は黒繻子の布をほどいた細い糸でつくっています。


妹の連れ合いのやすおさんの母上がつくったお雛さまも、髪の毛は布をほぐしたような細い糸でできています。


しかしよく見ると、やすお母のお雛さまは男雛の髪の毛も長いのですが、私の母の男雛や五人囃子などは、ぱっつんと短い髪になっています。









 

2026年3月1日日曜日

キルト展、終わりました。



3日間のキルト展が終わりました。


昨日は夫の講演会もあって、大賑わいでしたが、今日もたくさんの方々に来ていただきました。


同窓生、昔の仕事仲間、Facebookのお友だち、八郷のお仲間たち、ブログでつながった方たち、夫の友だち、それらみんなのお友だちや、お友だちのお友だちなどなど、たくさんの方々にお会いしました。


また、設営に、留守番に、撤収に、いろいろな方たちに助けていただきました。
最終日にはなんと、はるばる長野から来てくださったお医者さまにインパクトドライバーを持たせて、枠の解体を手伝ってもらいました。
みなさま、ありがとうございました。





 

2026年2月28日土曜日

お雛さまを飾りました

キルト展初日が終わりました。
来てくださった懐かしい方々、初めてお会いする方々、八郷での開催に加えて二度も足を運んでくださった方々、厚く御礼申し上げます。


さて、予定通り、雨の水曜日にお雛さまを飾りました。


やすおさん(妹の連れ合い)の姉上の木目込みのお雛さまを引き継いでから、私のお雛さまはこれまで雛壇の左側に飾っていましたが、今年は気分転換、右側にしてみました。


この、着物の模様を立体的に絵つけした土人形は、これまでどこでつくられたものか不明でしたが、島根県浜田市の長浜人形に似た手法があり、長浜人形ではないかと思われます。ただ、同じものは見つかってないので、断定はできませんが。


土間入り口も、賑やかになりました。
一番目立っているのは、(誰が見ても富山土人形に瓜二つの)中野土人形、内裏さまの脇に長浜人形も置いてみました。


古い木目込みにも、緋毛氈をつくってやった方がよさそうです。
木目込みの前は、お雛さまの中では一番年長の江戸時代の紙雛さまです。


あれっ、女雛の冠が傾いていました。







 

2026年2月27日金曜日

キルト展、始まります


今日から、つくばの市民ギャラリーでキルト展を開きます。


たった3日間ですが、いろいろな人に見ていただくことができて、行李の中で眠っていたキルトも喜ぶことでしょう。


ほとんどは息子たちが赤ん坊から小学生のころにつくったもの、時間が細切れでもいつでも作業にとりかかれて、いつでもやめられて、台所で、プール脇で、ときには新幹線の中とか、どこでもできるパッチワークは、子育て中にぴったりの手仕事でした。


これは少年野球チームのユニコーンズのキルトです。
ユニコーンズは、野球好きの子どもや大人で結成した地域の少年野球チームで、私も監督、コーチ、お世話係のお母さんとチーム名やユニフォームのデザインを考えたり、毎週練習場所を探して確保したり、試合に同行してスコアをつけたりと、結成時からタイに引っ越すまで、楽しい日々を過ごさせてもらいました。
最後の年に、5年生だった長男はキャッチャーで背番号2番、3年生だった次男は19番で補欠、21番をつけたピッチャーは、途中から参加した抜群に野球がうまい6年生のおやかたくん(あだ名)でした。おやかたくんに、ユニコーンズに入らないかと勧誘したのは、なんと、ずっと学年が下の我が家の次男くんでした。