2024年4月19日金曜日

小さな招き猫


小さな、高さ38ミリの招き猫です。


鈴は真ん丸な玉をくっつけたもの、よく今まで取れないできたものです。


小判乗りの招き猫は、3.11の地震のとき、耳が欠けてしまいました。


小判乗り猫の鈴は描いたもの、直径1ミリほどです。


小さい招き猫たちは、高さ17ミリほどしかありません。


階段の一番下の段にいるのが、この小さな招き猫ですが、ほかの磁器や陶器の招き猫と比べると身体のプロポーションが違っていて、筆遣いも細やかです。


これらは、茶々丸さんのおっしゃっていた、江戸趣味小玩具でしょうか?
浅草の助六あたりで売られていたものかもしれません。








 

2024年4月18日木曜日

鉄骨の設置

テラスの梁である鉄骨に穴を開ける作業をはじめました。 
板でつくったガイドを使って、鉄骨1本につき3カ所あるアンカーボルトの位置を確認、その位置に穴を開けます。鉄骨はコの字型になっているので、鉄骨1本につき6個の穴を開けます。


まず、小さい穴を開けておいて、そこに円錐形のドリルで穴を開けるのですが、わりとすぐ切れ味が悪くなってしまいます。
この、円錐形のドリルの刃がホームセンターの「コメリ」で開発されたのは10年位前でした。それまでは普通の形のドリルの刃しかなかったのですが力の要るもので、この刃が発明されてから、作業は格段に楽になりました。
当初、コメリでは1本1500円くらいでしたが、10回も使えたでしょうか、切れ味が落ちると力と時間をかけても穴を開けられなくなるので、頻繁に取り換えなくてはなりませんでした。今では信じられないことに、100円ショップでもこの形のドリルの刃が売られていて、コメリでもすっかり値下げされています。


さて、夫がうっかりしていて、コンクリートを打った時に入れたアンカーボルトの長さが短すぎ、鉄骨を留めるには15ミリほど足りません。
1本目の鉄骨は、アンカーボルトの先を切り、内側にネジを切ってあるちくわのように両方穴が開いたつなぎのナットをはめて、それに上から短いボルトで留めるということをしましたが、面倒この上ありません。
そこで、基礎の上に置いた基礎パッキンを2センチ厚のものから1センチ厚のゴムに代えることにしました。基礎パッキンは2センチ厚のものしか売っていないのです。


こうして、2本とりつけました。手前は2センチ厚の基礎パッキンのまま、まだ直していませんが、直すのは後回しです。

私は背骨の圧迫骨折をしてから、お医者さんから5キロ以上のものを持たないようにと言われています。数年は守っていましたがそれでは暮らせません。この鉄骨は100キロくらいあるでしょうか。半分を夫や息子に持ってもらったとしても、持ってはいけない重さなので、できるだけ動かしたりしたくないのです。


1センチ厚のゴムを敷いて、20センチ厚の鉄骨を置くとぎりぎりナットを留めることができました。でも、ワッシャーを入れる余裕はありません。


1本目、2本目と設置した後、3本目でつまづきました。冷蔵庫置き場が飛び出しているので、上から鉄骨をはめることができません。反対の端の1カ所だけ穴を通して、あと2カ所は鉄骨に切り込みを入れて、横からはめることにしました。


4本目も、窓枠が出ているので、長い鉄骨を上から落とし込むことができず、3本目、4本目は鉄骨を短く切ることになりました。
太くて分厚い鉄骨をグラインダーで切る作業は夫にお任せです。






2024年4月17日水曜日

竹の鳥笛


身体が木で、笛部分が竹でできた鳥笛です。


箱根土産、パテントナンバーの書かれた焼き印が押されています。


何のパテントかと言うと、鳥のとまっている竹の前後を、指で押さえたり離したりすると、ただ吹くだけだとピーピーとしか鳴かない鳥が、ホーホケキョとさえずるというパテントのようです。ちょっと吹いてみましたが、前後の指の使い方で、低くこもったような音も出るので、熟練するとウグイスそっくりに吹けるのかもしれません。
目がきょろきょろして、くちばしが赤い鳥の、
「どこがウグイスじゃい?」
と思いますが、竹には花が描かれているので、「梅に鶯」のつもりでしょう。


ネットで箱根土産の鳥笛を見つけました。
進化したと思われるこちらはもうウグイスそのもの(じつはメジロですが)で、焼き印は赤いくちばしの鳥笛と同じです。
立体的に彫って、下くちばしとお腹は別の木をはめ込み、目は貼りつけるという手間を全部省いて、ウグイスはただの板になっています。一目でウグイスと知れるので、梅の絵も描かれていません。


ネットで見ているといろいろあって、笑ってしまいました。
焼き印のないこの鳥笛、焼き印のある鳥笛の前身を真似したものと思われますが、どこから見てもウグイスからは遠くかけ離れています。


板になった鳥笛を真似したものもあり、焼き印は「おみやげ」だけですが、後ろの箱を見ると「箱根みやげ」と読めます。
ということは、上の赤い鳥も下の赤い鳥も、箱根の、すぐ近くのお土産屋さんが真似て、さすがにウグイス色にすることはできなかったので赤い色を塗ったものなのでしょう。
世の中には、工夫する人と真似る人、2種類の人がいるのかと、鳥笛で人の生き方を考えた私でした。





 

2024年4月16日火曜日

身体が一つなのに、衣類を持ちすぎでしょう!

土曜日に、「つながる図書館」で映画、『The true cost, Fast Fashion』を見ました。
The true costとは真の代償、そしてFast Fashionとは、流行の最先端を取り入れながらも低価格で品質も良いファッションというほどの意味です。


洋服を自分でつくった時代、あるいは自分でつくらないまでも身近な仕立て屋さんにつくってもらっていた時代に比べると、洋服は格段に安くなっています。そして私たちは昔とは比べものにならないほどのたくさんの洋服を持っていて、中には一度も袖を通さないTシャツなどが1枚や2枚、箪笥に眠っていることもあります。
何故、安い洋服を大量につくることが可能になっているのか、安い洋服をつくる裏で何が起きているのか?
この映画は、バングラデシュにある縫製工場の建物の崩落事故を契機に、Fast Fashionを最底辺で担う人々のことを知るためにつくられたものです。


2013年4月25日、ダッカ郊外で、縫製工場の入った「ラマプラザ」が突然崩落して、世界中に衝撃を与えました。この一つのビルの崩落事故で1134人が亡くなり、2500人以上の方が負傷しました。事故前日に、ビルに亀裂が見つかっていたものの、現地経営者はこれを無視、大惨事になりました。
生産コストを低く抑えられ、それに異を唱えれば契約を取り消されてしまう現地経営者に、操業を休むとか、ビルを修理するという選択肢はなかったのです。


ファストファッションは、このような、安い賃金で働かされる人々の、血と汗の上に成り立っています。カンボジアで、待遇改善の集会をしていた縫子さんたちが、警官隊によって殴り殺されている場面もありました。

またこの映画は、染料工場から出る廃液が川に流れ込み、その水を使って生活をしている人々に多大な影響を及ぼしていることも報告しています。鮮やかで堅牢な色を染めるため、日本では数十年前に禁止された薬物が使われ、たくさんの子どもたちが障害を持って生まれています。
そして、多収量を目指して品種改良された綿を栽培する現場では、除草剤、殺虫剤などを多用せざるを得ず、家計をひっ迫するだけでなく、生産に携わる人々の健康を害しています。

スーパーフライデーの衣類売り場

現在、既製服の自給率は、原材料の生産を含まないで、日本は2%しかありません(ちなみにアメリカでは3%)。綿、亜麻などの原料も含めると、自給率はさらに低く、限りなくゼロに近くなってしまいます。
大量生産大量消費のループを断ち切らない以外、最底辺で生産に携わる人たちは、この状況から抜け出ることができません。

先日、『東京新聞』だったかに、新しい服を買う生活をやめてみた女性の報告が載っていました。快適だそうです。
私は、ほとんどが手持ちのもので済ませているとはいえ、衣類の購入ゼロの年はなかなかない気がします。これから意識して、まず、この1年は衣類を買わない、からはじめてみるつもりです。






 

2024年4月15日月曜日

冬の間、ずっと怠けていましたが


まったくもって久しぶりに、土木工事をしていました。
テラスをつくるその下は低くて、完成すると草むしりできないので、防草シートを敷いて、その上に砕石を撒いて押さえました。


傾斜はかなり急、春も半ばすでに草も生え始めているので、抜きながらの作業です。


山にしていた砕石を、夫がユンボで寄せてくれました。


あとはしこしこ手作業です。


砕石は重いので、レーキではなかなか動かず、スコップで動かします。


と、防草シートの上に移動させた砕石を、夫が親切に広げてくれようとして、目測を誤ってせっかくの防草シートまでめくり上げてしまいました。
「かまやしないよ。ここいらは基礎柱も高いし、そのまま均しちゃえ」
と言いますが、そうはいきません。砕石を少しずつ取り除いて、取り除いた分だけ防草シートは切りながら引っ張って敷きなおし、やっとのことでやっつけました。


敷き終えて、均し終えてすっきりです。
次の工程は、テラスの土台にする鉄骨を基礎柱に立てているアンカーボルトに通して固定するため、すべての鉄骨の穴の位置を確認し、穴を開けることです。




 

2024年4月14日日曜日

ドラマ「舟を編む」


夫が私に、
「そりゃぁ杓子定規と言うもんだ」 
と、揶揄することが、わりとよくあります。
杓子定規とは、融通が利かないという意味に使われますが、私は前から、「杓子を定規にするなんて、超融通の利く人にしかできないことでしょう?」と、語源になんとなく違和感を持っていました。
ネット(グーグル日本語辞書(Oxford Languages))で杓子定規の語源を調べると、
杓子定規の「杓子」はご飯や汁物を盛るおたまやしゃもじのことを指し、昔は柄が曲がったものを使用していました。 その曲がった柄を、無理やり定規として使おうとしたことにこの言葉は由来しています。何でも一つの規則・標準で律しようとする、融通のきかないやり方・態度」
とあります。
さて、わかったようで、よくわかりません。
そういえば、これまで杓子定規を一度も辞書で調べたことがないなと、手の届くところにある唯一の辞書『新明解国語辞典』を開いてみました。
杓子の項に杓子定規はありませんでしたが、定規の項にありました。
「(曲がっている昔の杓子の柄を定規にするように)ほかには通用しない、ただ一つの標準ですべてを決めようとする、融通の利かない態度(やり方)」
とありました。
あぁ、すっきりした。杓子に重きが置かれているのではなく、ただ一つの基準に重きが置かれていることが、これで理解できたからです。


今、NHKで『舟を編む』のドラマを放送しています。
ドラマは原作の主人公の男性、馬締光也ではなく、途中から加わった若い女性、岸辺みどりを主人公にするとのことで、全然期待していませんでした。というのは、ドラマやアニメは人の目を引きつけるために、若い男女を登用しがちだからです。
たとえば『ねことじいちゃん』は、映画にするために途中から唐突に若い女性が登場して、話が全く面白くなくなり、私は漫画をまとめて古本屋さんに持って行ってしまいました。

ところが、ドラマ「舟を編む」は期待しないという期待を裏切ってくれました。しかもどのキャラクターもよくて、もうすぐ終わってしまいますが、楽しんでいます。
高いところにしまってしまった『広辞苑』も、手元に置こうかしらなどと考えているところです。





2024年4月13日土曜日

古いマトリョーシカ

しばらく前に事件がありました。


まさか、まさか出逢うことは一生なかろうと思っていた、セルギエフ・パサードでつくられた古いマトリョーシカと、偶然出逢ってしまったのです。
出逢ったとき、その、世界のビンテージ雑貨を扱っているネットストアーは休店中でした。他のものを検索して行きついたのに、検索していたものの方は吹っ飛んで、目はマトリョーシカに釘づけ、手に入れようかどうしようか、お店が再開するまでの10日ほど、悩ましい日々を過ごしました。と言っても値段は良心的で、「さして売れっ子ではない現代作家」の新作マトリョーシカと同じくらいのお値段だったのですが。


服装に十字架が見え、手に杖を持っていることから聖職者かと思いましたが、『ロシアのマトリョーシカ(スヴェトラーナ・ゴロジャーニナ著、スペースシャワーブックス、2013年)を見ると、これは「貴族」だそうです。
絵つけは焼きごてを使って、ウッドバーニングの方法で描かれています。


底にはMADE IN RUSSIAとのゴム印があります。
USSRでもCCCPでもなくRUSSIAですから、1917年のロシア革命以前、つまり1900年代初頭に輸出用としてつくられたものです。19世紀末に誕生したマトリョーシカは、1900年のパリ万国博覧会で一躍脚光を浴び、以後マトリョーシカは帝政ロシアの最大の輸出品の一つになりました。
『マトリョーシカ ノート3』を見ると、1910年当時のマトリョーシカは、底部分を黒く彩色したものや、「foreign made」とゴム印が押されたものがあったそうで、MADE IN RUSSIAのゴム印についての記載はありませんでした。


一番大きい貴族の下半部の内側には、サインのようなものがありました。
数字にも見えるけれど、サインではなくて落書きかもしれません。


5体しか存在していませんでしたが、最小のマトリョーシカも上下に分かれるので、その中にもっと小さいマトリョーシカたちがあったことは確実です。当時は10体組みとか8体組みが一般的だったので、少なくてもあと3体、もしかしたら5体あったはずです。


マトリョーシカ制作の初期には、娘たちだけでなく、貴族、貴婦人、英雄などのマトリョーシカがつくられました。


100年以上の時を経て、なお瑞々しいマトリョーシカたち。


20世紀初頭の帝政ロシアの輸出品に、木綿のプリント布があります。ロシア更紗はしかし、その技術や品質からヨーロッパに市場を広げることができず、もっぱら中央アジアに輸出されました。
それに比べて、他国の追従を許さなかったマトリョーシカは、ヨーロッパをはじめ新大陸で、さぞかしもてはやされたことでしょう。

マトリョーシカに塗られた色は、深い深い美しい色です。化学塗料も出始めていたけれど、まだまだ自然塗料も多かった時代の、職人さんの力強い技と気持ちが伝わってきます。