2026年10月29日木曜日

干し柿づくり


一生懸命むいたのに、干した次の日が一日雨だったせいか、夫がぶつけて落ちた柿はカビてしまいました。とろけて、落ちてしまったのもありました。


仕方なく捨ててしまったのですが、途中で、「待てよ、中はカビてないはず」と気がついた時は、カビた柿は4つだけになっていましたが、夫が表面をむいてくれたので、美味しくいただきました。

さて、いよいよ木に残っている柿を、採って加工するときがきました。
高い梯子がないと柿が採れないのですが、梯子は草に埋まっています。



草は、いよいよ高くなっていて、草を刈らずに取り出すのは無理に見えます。


刈り払い機で借りはじめたら、梯子だけでなく足場板も埋もれていました。これを引っ張り出さないと草が枯れません。


足場板を救出して、刈り進めると、


やっと梯子が見えてきました。


大小2つある中、小さい方の梯子を運んで柿を採ったら、すぐに限界がきました。


そこで、大きい梯子も持ってきて、手の届くところの柿をほぼ収穫しました。


このあと、むいて、紐につないで、お湯に浸して、吊るしました。


今度は、カビないで美味しい干し柿ができるでしょうか。
そのために、日当たりが一番いい居間の軒下に」干しました。ここはハクビシンが登れるので要注意ですが、渋いうちは取らないと期待してここで干し、だいぶ干しあがったら、ハクビシンが登れない書斎前に移す予定です。






 

2026年10月27日火曜日

猫まみれ


元同僚のSさんから、イスタンブール土産の猫をいただきました。


椅子に絡まっている猫たちは全部で6匹、ネズミも1匹います。


材料は石膏のように見えます。
台座の真ん中を、意図的にちょっと高くしてあるのかどうか、くるくる回すこともできます。


触っていると微かに、カタッとずれたような音がしました。
「あれっ?」
気のせいかな、もしどこか外れているなら、接着剤でくっつけなくては。


おっかなびっくり引っ張ってみると、なんと蓋ものになっていました。それにしても、複雑な蓋ものをつくったものです。
大きさは、子どもの抜けた乳歯入れにちょうどいいくらいです。


我が家の猫たちも、猫まみれになっていました。



 

2026年10月26日月曜日

失敗した!


しばらく前に、元同僚のSさんから、高校2年生の息子を連れて遊びに来たいとの連絡がありました。息子ちゃんは美術系の大学を受験したいのだそうでした。
「アラブ料理をつくるから、ご飯めがけてきて」
と伝えて、


当日は、朝からパレスチナなどでは最大のおもてなしご飯のマクルーバ(アップサイドダウンご飯)をつくろうと下ごしらえ、ラムチョップは塩茹でし、ナス、ピーマン、玉ねぎは素揚げしました。
そして、時間を見計らって、我が家で最大の直径25センチのお鍋に野菜と肉を仕込んで、その上にスパイスを混ぜたお米を入れ、トマトペーストを溶かした水を注いでご飯を炊き上げました。

さて、美味しく炊きあがったかなと蓋を取ってびっくり、野菜と肉が多すぎて、米全体が水に浸からず、上は芯が残って、下はべちゃべちゃのご飯ができてしまいました。
そうだった、そうだった。
あまりにも久しぶりにマクルーバをつくったのですっかり忘れていましたが、お米はちゃんと水に浸ってなくては炊けません。野菜をちょっぴりにして、肉はごろっとした塊肉ではなくて、薄切り肉を使った方がよかったのです。
こうなったら、アップサイドダウンに構っていられません。焦りながら全体をかき混ぜて、芯のあるお米とベチャベチャのご飯を混ぜ、鍋ごとオーブンに入れて、20分加熱してみました。幸い、Sさんは道に迷ってちょっと遅れました。


到着したSさんを見て、開口一番、
「ごめん、マクルーバつくったけど失敗しちゃった」
と言いわけしました。
「あっ、あれは失敗しやすいご飯だから」
と優しいSさん。そうだったのか?
失敗にもかかわらず、なんとかみんなたくさん食べてくれて嬉しかったけれど、今度マクルーバをつくるときは日本の炊き込みご飯のように、ご飯を下にして、その上に具を乗せてつくってみようと思ったことでした。
アップサイドダウンご飯ではなくなってしまうけれど。

さて、パレスチナの家庭で何度もご馳走になったマクルーバは大抵、ちゃぶ台ほどの大きさの金属のお盆や大きな板にどーんと乗せた、大ご馳走でした。









 

2026年10月25日日曜日

水難のタマ

まったりとくつろいでいた日曜日、猫が最大級のスピードで、寝室の方から居間の方へと駆け抜けて行きました。何者かに追われて、肝を潰して外から逃げ帰ったのかと思いました。


居間に行って見ると、タマが猫の緊急避難所であるテーブルの下に逃げ込んでいて、身体の下が水浸しになっています。
これまで、見事なほどに一度も粗相したことのないタマなので、よほど恐ろしい目にあったに違いありません。まだ興奮冷めやらぬタマがテーブルの下から出てきたとき、その奥の床下からマルまで出てきました。タマの驚きぶりに驚いて、タマより一足先に逃げてきていたようです。
雑巾でテーブルの下を何度も拭いて、その雑巾をすすいで洗濯しようとお風呂場に行ってみると、


なんと、脱衣所が水浸しでした。脱衣所だけでなくあちこち濡れています。
そこで、やっとタマに起こったことを、正しく理解することができました。何者かに追いかけられて外から駆け込んできたのではなくて、水を飲もうとして足を滑らせて、水風呂に落ちたので肝を潰したのです。粗相はしていませんでした。


バスタオルで拭いてやってもしばらく毛並みを整えるのに余念がありません。


あっちで舐め舐め、


こっちで舐め舐め。


指の間も舐め舐め。


丁寧に水分を拭き取ります。
マルは、水風呂の水を飲むときは、手すりに手をかけて飲むので落ちる心配はありませんが、タマは器用に足を踏ん張って、手は何もない風呂桶に伸ばして足だけで身体を支えて水を飲んでいるので、器用なもんだと感心していましたが、単に頭が悪かっただけかもしれません。
あれからずっと、私の足元のポットカーペットで爆睡しています。






 

2026年10月24日土曜日

無駄にはしない!


夫が作業中、柿の木に軽トラに積んだものをぶつけました。
「あぁぁ」
収穫間近な渋柿がたくさん落ちてしまいました。干し柿にするには、枝を残して切り取らないと吊るすことができません。


仕方がない。どれも打ち傷はありますが、割れたり潰れたりしていないのを選んで、竹串を刺して吊るしてみることにしました。


乾燥するにつれて柿は小さくなるので、放っておくと串のところだけ縮まずに、猫の耳のように、串に貼りついたままで尖ってしまいます。
干した次の日に竹串を回しておいてみました。しばらく毎日回してみましょうか。


しかし、こんなにたくさんの串刺しの柿を干したのは初めてなので、うまく干せるか心配です。


残りを採ってむくのは来週です。
早くても夜が十分冷えるようになる10月末以降が、干し柿づくりの適期です。


渋柿は、鉄の包丁でむくと鉄が変化してむいたところが黒く汚れてしまうし、紐に通してから熱湯にくぐらせるのだけれど、お湯はすぐに柿色に染まってしまう、面白い果物です。





 

2026年10月23日金曜日

手仕事への気持


アカの上着を取り出そうと布戸棚を開いたとき、ラオスのルアンナムターの豆敷きが目につきました。
谷由紀子さんのラオスでのプロジェクトが今はどうなっているのだろうとネットで見ると、2019年に閉じてしまわれたことが報告されていました。

谷由紀子さんが、ルアンナムターの布と関わり始めた経緯や、素晴らしいものを何とかしてそのままの姿で残そうとする試みを語っていらっしゃる、「布のきもち。」の2011年のインタビュー記事があります。そして、わずか5年後のインタビュー「あれから」では、大きく変容していくルアンナムターと自分が関わっていることへの問いを口にされています。
私が豆敷きを手にしたのが2017年ですから、当時はもう谷さんにはいろいろな葛藤があり、手を引くという選択肢も浮かんでは消え、消えては浮かんでいたのかもしれません。


「本来は無償のものに、商売っ気を出してつくったものは、やっぱりかなわないんですよ」
とは、谷さんの言葉です。
ルアンナムターの人たちと真摯に向き合っていたからこそ、谷さんは撤退という決断を導き出されましたが、深く傷つかずにはできなかった決断だったと思いました。そして、あれから7年経った今では、谷さんは明るく、自分の真にやりたいと思ったことをやられているのだろうと思います。

古代から続いてきた人間の無償の手仕事は、ほぼ、地球上から消えてしまいました。





 

2026年10月22日木曜日

本で見たアカ人の織物

写真は最後の1枚を除いて、『FROM THE HANDS OF THE HILLS』よりお借りしました

1980年ごろまで、タイ北部の山岳民族の人たちは、普段から民族服を着る生活をしていました。上の写真は、お祭りの日のアカの娘たち。正装は銀の飾りをいっぱいつけて、それはそれは華やかなものでした。
服装を飾る銀やビーズ、タカラガイなどは交易で手に入れたものですが、民族服は麻や綿を育て、糸に紡ぎ、布に織り、染料になる藍を育て、布は藍や他の植物や鉱物で染めて、刺繍をして縫い上げるのまで、すべて自分たちの手で行なっていました。


糸を紡ぎながら歩いている女性。
アカ人は織りものをよくする人たちで、どこに行くにも糸を紡ぐ紡錘(つむ)を携帯して、歩きながらも糸を紡ぎました。


紡ぎためた糸は、竹でつくった大きなかせ繰り器で、大きなかせにします。
写真はかせ繰り機から糸を外しているところ、大きなかせ繰り器を使うということは、紡いだ糸をかせにすると同時に、整軽(せいけい、織り機に掛けるために経糸(たていと)を揃える)を兼ねているようです。


糸に無駄が出ないように、経糸をできるだけ長く用意していますが、経糸が長いままでピンと張るには広い場所が要るし、長いとたるむし、張り具合を均一にするのも大変なので、途中に棒を立てて経糸をしばりつけ、織るところだけ部分的に張った状態にしています。
織りもの(この場合は平織り)は、経糸を1本おきに上下させ、開いたところに杼を使って緯糸(よこいと)をくぐらせて布にしますが、アカ人は1本おきに経糸を通した2枚の綜絖(そうこう)を踏み木で上げ下げしています。
写真を見ると戸外で織っていますから、夜には綜絖、筬(おさ)、踏み木などを経糸につけたままで織り機(というより織り場所)から外して、丸めて室内に持って入ります。タイやラオスでは、広くこの方法がとられています。


一つ上の写真からもわかるように織り上がった布は少しずつ巻き取らず、張った経糸の残りが少なくなって織りにくくなるまで織り進め、これ以上織れなくなったら前方に結んであった経糸の束を解いて、織り上がった布も織り幅にあわせたた棒に巻き取って、改めてセットしなおします。
この方法で織るとき、張った経糸が邪魔をして、織り手は織りものに向かって真正面に座ったり立ったりすることができません。そこでちょっと横に立って、身体をねじるようにして織っていますが、このような織り方は織り幅が狭いもの、また平織りなど単純なものでないと織ることができません。


アカの基本の色は黒に近いほど濃く染めた藍色です。
藍染めの液をつくり、布を染液に浸しては空気に触れさせることを繰り返しますが、濃い藍に染めるためには、何度も何度も染めては干すを繰り返さなくてはなりません。

『Peoples of the Golden Triangle』よりお借りしました

余談ですが、アカ人の女性は背中と袖に刺繍のある服を着ますが、男性は胸元に刺繍のある上着を着ています(いました)。