高山土人形を買ったとき、おまけで京都の清水の豆人形をいただきました。
杉谷マサさん(1903-1996年)がつくられたお雛さまとのことでした。
親指の第一関節くらいの大きさで、台座は、木片に彩色してあります。
京都の清水の豆人形は、その昔は一文人形とも呼ばれて、つくる人もたくさんいて、清水寺の参道でお土産物として売られました。
私は学生時代から豆人形に親しんできましたが、そのほとんどを杉谷マサさんがつくられていたとは知りませんでした。
我が家に昔から生息しているお雛さまも、杉谷マサさんのつくられたもののようです。
清水寺の参道の清水坂と産寧坂には、お土産ものの八つ橋や五色豆とともに豆人形も売っているお店が、何軒もあります(ありました?)。
最初のころはあちこち覗いていましたが、やがて必ず訪ねるのは産寧坂にあった一坪もないような小さな人形専門店中心になりました。当時は知りませんでしたが、もしかしたら中川正美さんを中心とした中川家の直売店だったのかもしれません。
「ねこれくと」の清水人形によると、
中川家の人形づくりについての詳細はわからないが、『京洛おもちゃ考(奥村寛純、1981年)によると、「伏見人形の小物の下請けをしながら、自分でも小物人形をおもにつくったのは清水にいた中川正房で、中川正美がそれを継いだ」とある。
とのことです。
中川正美さんは、正房さんの息子で、杉谷マサさんの弟です。
今我が家に生息している豆人形は、おもちゃ尽くし、お雛さま、だるま、七福神、そして招き猫などです。よく見ると、七福神の弁天さまは2人もいます。いったい何があったのでしょう?
豆人形は息子たちが幼児のころから家にありました。小さいものなので失われやすく、幼い女の子が勝手に持ち帰って、しばらく気がつかなかったこともありました。
豆人形は小さな籠に布をつけて絞った巾着袋に入っているのですが、袋から出して飾っていました。袋を捨ててはいないのですが、度重なった引っ越しのせいでどこにしまったのか、失せてしまっています。
右上の大きめの招き猫は豆人形とは言わないようで、中川正美さんがつくられたものです。
京都は、何度訪れても楽しく、1か月もいたこともあれば、たった数時間だけ途中下車したこともあります。そんなとき、必ずと言っていいほど、足を向けたのは東山の清水寺界隈でした。
そして、産寧坂の人形店に必ず寄ったのですが、残念ながら閉まっていることがほとんどで、大きなショーウインドーの中に並んでいる人形たちを未練がましく見るだけで帰ったことが、何度もありました。
招き猫たちは、その店に何年も通ったのち、開いていたときに行きあわせて、やっと、やっと手に入れたものです。
招き猫たちは、その店に何年も通ったのち、開いていたときに行きあわせて、やっと、やっと手に入れたものです。















