2026年9月7日月曜日

ランドセル

骨董市のまことさんの店に布製のランドセルがありました。普通のランドセルより一回り小さいもので、デッドストックのようでした。
「なんて可愛いんだろう!」
としばし眺めた後、別のものを見たり、お連れ合いのふくさんとしゃべっていたりしたら、ランドセルの近くで一人のおじさんが、
「じゃぁ、ランドセルもらって行くよ」
と声を張り上げたので、思わずそちらを見てしまいました。
「これからこのランドセル背負って、勉強して、おれ、ハーバードに行くからね」
と周りを笑わせながら去って行くおじさんを見ながら、「売れちゃったのか」と思いながら、ふくさんに、
「あのランドセル可愛かったね」
と言いました。
「そうね、3つあったのよ。2つが野球の模様で、もう1つは別の模様だったの」
えっ、複数あったのかと目を凝らすと、台の上の私の見たランドセルはまだ残っていたので、「私は買わない」と整理のついていた気持ちが、またざわついてしまいました。
「ランドセルの写真を撮らせてもらってもいい?」
「ああ、いいよ」
と、まことさん。


写真を撮っていたらふくさんが来て、留め金を外して、中も見せてくれました。魅力的です。
「やっぱり買おうかな」
というわけで、ランドセルが我が家にやってきました。


全体は布でできていて、要所要所に革を使っていますが、革は貴重だったのか、厚い革を使っている場所は限られていて、あとは信じられないような薄い革が使われているところもあります。


留め金を開けると時間表と名札を差し込むところがあります。


硬い布と硬い革なので、てっきりミシンで縫っているのだと思っていましたが、こうして拡大して見ると縫い目が不揃いです。ミシンで縫ったと見せかけていながら手縫いだったようです。


肩紐の留め金が、長く固定されていたからか(写真の)右側は固まってしまっていて、動かすことができません。


というわけで、残念ながら肩に掛けてみることはできません。


刺繍も手でやっているようですが、当時は手仕事より機械仕事の方がもてはやされたと見えて、ところどころで機械で刺繍した感を強調しています。
このランドセルは、もののない時代につくられたものだろうとは思いましたが、ネットで「代用ランドセル」と画像検索してみると、1件だけヒットしました。


手前の真ん中のランドセルが、私が手に入れたものと留め金などが同じ仕様になっています。
写真の出所はオークフリー、写真の下に「戦後に不要になった兵器(軍事用品の間違い?)を解体してつくられた品」と説明書きがあるのですが、そのサイトに移動してみるとすでに引き上げたのか写真も文もなくて、これ以上の詳しい情報を得ることができませんでした。


私はランドセルと無縁な小学生時代を過ごしました。田舎の、1学年が1クラスしかない小学校に通い、白い肩掛け式のカバンはちらほら見かけましたが、ランドセルは誰も持っていませんでした。そして、自分がどんなカバンで通学していたのか、全く覚えていません。
歳の離れた妹たちはランドセルを背負っていた気もするけれど、ランドセルといって真っ先に光景が目に浮かぶのは、高校通学の時いつも乗り合わせた、付属小学校に通う制服姿の小学生たちの背負っていた黒いランドセルです。今はどうか、あの頃は小学生でも一人で電車に乗って遠くまで行くことができました。

そんな、ランドセルに無縁の私、このランドセルとどうつき合うのでしょうね。





2026年9月6日日曜日

やっと読んだ本


『百年の挽歌』(青木理著、集英社、2026年1月)は、発売されてからすぐ買ったのに、なかなか開くことができませんでした。というのも、私は寝る前に本を読む習慣があるので、読んだら到底眠れないだろうと思って手が伸びず、ただ枕元に置いておく日が長く続いたのでした。

2011年3月、福島第一原発のメルトダウンからしばらくして、空中に放出された放射能が、事故後の風雨によって、山を隔てて遠く離れた飯館村に多量の放射能をもたらしていたことが判明しました。
原発近くの、放射線量の高い地域に住んでいた人たちの避難所にもなっていた飯館村には全村避難命令が出ててんやわんや、そんな4月11日から12日にかけた夜半に、農業一筋に生きてきた102歳の大久保文雄さんが自ら命を断ちました。

この本は、その大久保家のお話です。

目次は、

序章 衝撃の朝
1章 美しかった村
2章 交錯する生と死
3章 運命を変えた雨
4章 じいちゃんの生涯
5章 「国策」に殺された兄弟
6章 残された者たちの願い
終章 それでも美しい村

となっています。
文雄さんの弟は、第二次世界大戦のおり、召集されて硫黄島で戦死されています。


第二次世界大戦は、たくさんの死者を出しただけでなく、生き残った人たちにも大きな傷を残しました。その傷を抱えて、しかし明るく土と共に生きてきた文雄さんの悲しみ。そんな文雄さんが原発事故で絶望してしまったことに対して、何ができただろうかと悩む、残された家族たち・・・。

悲しみを抱えて生きなくてはならない人をたくさんつくりながら、経済のためとして戦争に向かったり原発を受け入れようとする昨今の風潮に、なぜ人(や他の生物たち)を殺してもお金や権力が欲しい人たちがいるのだろう、人とは何か、人はそれでもなぜ生きるのだろうなどと、考えずにはいられない一冊です。






2026年9月5日土曜日

ナラ枯れ

2023年にナラ枯れが八郷にまで波及、以後24年、25年と山の木がたくさん枯れました。


今年は目立ったナラ枯れがないと安堵していましたが、今頃になってちょくちょく目にするようになりました。
くみさんの家の前の木は、明らかにナラ枯れのようです。


これは、昨年だったか一昨年だったかに枯れてしまった木。


そしてこれは、2023年に枯れた木です。だいぶ枝が落ちてしまっています。


問題は、昨年枯れた、くみさんの家への道から市道に張り出している木です。
紅葉がきれいな木だったのに、少しずつ傾いています。


激しい風雨の次の日は、倒れていないかどうか必ずチェックしていますが、今のところ小枝が落ちるくらいで、木自体は持ちこたえています。
それでも、遠くない将来倒れるのは必至です。倒れたら、M+M家、我が家、くみさんは通行不能になるし、ひろいちさんの庭にも落ちるので、ひろいちさんも片づけないと出られないかもしれません。


2年前には危なかった我が家のコナラは、なんとか持ちこたえています。


今日は、珍しいことに早く咲きすぎた彼岸花を見てしまいましたが、色も緋色ではなく、スカーレットでした。
なんだ、こいつは?







 

2026年9月4日金曜日

実り


稲穂が実り、収穫がはじまっています。
今年は、ヒエが生えた田んぼが多かったような気がします。稲をかき分けてヒエ切りをしていた人もいましたが、おおかたはそのままです。
そして、畦の草刈りをちゃんとせずに草ぼうぼう、畦にもヒエが伸び放題の田んぼもたくさんありました。もしかしてコンバインの性能が良くなって、収穫した米にヒエが混じっていても取り除けるので、問題ないのでしょうか?


3月の水張り、田植え、成長とその変化をずっと楽しませてくれた田んぼもそろそろ切り株とひこばえになって来春を待ちます。





 

2026年9月3日木曜日

インドの箕

9月3日、箕の日にちなんで、勝手に協賛です。


あの、韓国の世界食糧デーの記事に載っていた、パキスタンのとびきり素敵な箕を覚えていますか?
同じような水草(葦と思われる)で編んだ箕の写真を、ネットで見つけました。


この箕は、水草を並べて紐で綴って、奥を折り曲げてつくってあります。


水草を経材(たてざい)にして、端、折り曲げるところ、補強のために途中に入れる緯材(よこざい)は、水草を複数本まとめるかあるいは平らな材を使っていますが、経材と緯材を編むのではなく、経材を紐で緯材に綴りつけています。
どの箕も、折り曲げたところの両脇に、斜めに掛けた紐が見えますが、この紐はずっと残しておくようです。


箕を編んでいる動画もありました。


男女どちらかがつくるものと決まっているわけではなく、どちらもつくるようです。
これが、東南アジアや南アジアの面白いところです。北から織りもの、陶芸、籠つくりなどの手工芸が伝播したアフリカでは、男性の職能と女性の職能がはっきりと分かれていて、職能だけでなく、市場での商売で手織りの布は男性の扱う商品、工場生産の布は女性の扱う商品などなど、男女の役割が交わることがありません(遅れての海側からの伝播には当てはまりませんが)。


箕は、インド(バングラデシュやパキスタンを含む)では何世紀にもわたって使用されており、現代でも広く使われています。


西ベンガル州、オリッサ州、アッサム州、ビハール州では、結婚式で新郎を迎える際にも箕が使われるそうです。

現在では水草を綴るのに市販の紐が使われていますが、かつては自然素材の紐が使われていたものと思われます。





2026年9月2日水曜日

鞍馬寺の阿吽の虎

郷土玩具は、民間信仰と深く結びついています。
「玩具」と呼ばれていますが、単に子どもが持って遊ぶおもちゃというより、安産、子どもの成長、病気平癒など、いろいろな信仰や祈願を込めたものの方が多いのです。
節句飾りのように、「人形」と呼ぶこともできますが、人形は「ひとがた」由来なのですべてのものに使えるわけではない、呼び方は難しいものです。 
純粋におもちゃに見える土笛も、土を舐めることで疳の虫(かんのむし、乳幼児が理由もなく激しく泣いたり、夜泣きや癇癪(かんしゃく)を起こしたりする状態の俗称)を抑えるものであったり、身近な鈴やでんでん太鼓は、音を出して祈願や魔除けをするなど意味があります。

さて、水戸に住んでいらっしゃった片山龍男さんは、鞍馬寺の阿吽の虎を手にしたことから郷土玩具収集をはじめられたとのことでした。私自身は阿吽の虎に思い入れはありませんでしたが、一人の学生が下駄履きで歩いて鞍馬山まで行って、張子の虎に出逢ったという物語を知ると、ちょっと興味が湧いてきます。


『日本郷土玩具辞典』(西沢笛畝著、岩崎美術社、1964年)を見ると、
「鞍馬寺の本尊の多聞天、すなわち毘沙門天にちなんで昔から土焼きの虎を売っている。その他宝塔を背負った虎や竹の柄にさした虎の首人形などがあり、大正時代に一刀彫式の木彫の虎に彩色したものも売られた」
と書いてあり、片山さんが出逢ったという張子の虎についての記述はありません。
片山さんは1909年生まれ、当時の学生が何歳ごろなのかわかりませんが、16歳から20歳くらいとすると、片山さんが学生だったのは大正末期から昭和にかけてにあたります。


全国の郷土玩具一覧』の『京都府の玩具』を見ると、
「鞍馬寺の本殿前には阿吽(あうん)の虎が置かれていて、山科毘沙門堂には虎の張子面があったが廃絶し、かわりに小さな首振りの虎が授与されている」
と書かれています。まさしく片山さんの手にした、阿吽の虎でしょうか? それともただの首振り虎でしょうか?

ところが、現在の時点でですが、山科毘沙門堂の授与品を検索しても阿吽の虎などは授与されてなくて、かたや鞍馬寺の授与品には、土焼きの阿吽の虎や2匹がくっついた虎土鈴、絵馬などがあります。鞍馬寺は左京区鞍馬本町にあり、山科毘沙門堂は京都市山科区安朱山科稲荷町にありその距離20キロ。片山さんが間違えるはずもなく、私の頭にははてながいっぱい残ってしまいました。


土焼きの阿吽の虎です。


わりと大ぶりで重さもある阿吽の虎は、元々土づくりのものだったというより、木取りをするのに適した形、木彫だったものを土焼きにした感じが強くします。


鞍馬寺では古くから一番上の写真の土焼きの虎が授与されていて、大正時代に木彫りの阿吽の虎が加わった。しかし木彫りで量産は難しい。続かなくなって、一時、山科毘沙門堂の張子の虎をつくっていた方を毘沙門つながりで教えてもらって、つくって置いた。でもそれも何らかの理由でなくなり、木彫りで人気があった阿吽の虎を土焼きでつくることになった。

勝手に、そんな妄想をしてみたりしています。
知らんけど。







2026年9月1日火曜日

赤い夜景


夫が撮った、我が家の夕暮れの写真です。
いつもは門のあたり、灯りをつけてはいませんが、灯して撮りました。
「なんか、灯りが赤すぎない?」
「何も加工なんかしてないよ」


また別の夜、
「作業棟の電気消し忘れているよ」
「うん、消してくる」
と外へ出た夫が、
「月がきれいだったよ」
と言って、スマホを持って出てゆき、消し忘れた電気だけでなく、作業棟の灯りを全部つけて写真を撮ってきました。
「赤すぎない? 二階の窓なんて真っ赤じゃない」
「何も加工してないよ。屋根の上の丸い灯りが見えるだろう?」
「見えるよ」
自分で家をつくると、遊びたいところで遊べるのが醍醐味です。クッキングボウルをはめるために、鉄骨にも材木にも穴を開けました。
夫のスマホは、赤がちょっと勝ちすぎです。

作業棟の大梁をあげているときの様子は、2015年10月9日10月10日のブログに書いています。