昨日は、武蔵野美術大学の美術館に、「民具これなーんだ?」展を見に行ってきました。
宮本常一さんが遺した民具コレクションを一度見てみたいと思っていて、たくさんの民具が見られるのではないかと行ったのですが、展示物がは少なめでした。
ウェブ版『美術手帖』(私は見ていない)の同名の連載を「実際のもの」として展示したものだったので、ウェブ版では部分を切り取った写真を見せて「これなーんだ?」と言えても、実物を見せるとなると切り取ることはできないので、この表題では展示方法は難しかったのかもしれません。
![]() |
| 「グルグルの民具」。沖縄県那覇市 |
謎解きの面白さがあったのは、このカヤで編んだものくらいだったでしょうか。蝿帳(ハエがとまらないように料理の上に被せるもの)ではないかと思いましたが、鍋の蓋で、年中行事などのときに、屋外で大鍋料理をしたり、豚の餌を煮るときに使ったものだそうでした。
いわゆる生活用具ではないおもちゃが多かったのは予想外でしたが、楽しみました。宮本常一さんは、おもちゃも好きだったのですね。
そして、会場は写真可だったのですが、帰宅して見ると、私が撮ったのは玩具の写真ばかりで、『民具これなーんだ』と言う本が手元になかったら、まる郷土玩具の展示会だったと思われるほどでした。
「ネコ好きの民具」
後列の高崎張子の猫はどちらもいいお顔をしています。
前列右は岩手県の附馬牛(つきもうし)の「芸者と猫」、初見です。附馬牛土人形は一度途絶えて復活していますが、附馬牛の型はどれも複雑なのに驚きます。
「睦まじさの民具」
睦まじさの民具というものの、なんだか寂しさが漂っているのはなぜでしょう?
「にぎやかな民具」
昔の東京の酉の市の熊手、いつ頃のものでしょうか?
縁起物が好きな私ですが、印刷物やプラスティックの小物で飾られた熊手にはまったく関心がありません。ところが、この熊手は自然素材でできていて、なかなか素敵です。
飾りものは、「七福神」も「鯉の滝登り」もただの平面ですが、生き生きとしています。とくに、おたふくのお顔の美しさに目を惹かれますが、歴史的には熊手にはおたふくのお面だったようです。
これは、モースが1882年(明治15年)に浅草で出逢った熊手です。
浅草寺の裏に小さい小屋が立ち並び、小さい米俵、しめ縄、7種類の宝ものを乗せた幸運の舟などと共に熊手が売られていて、大いに賑わい、人力車で駆けつける人たちもたくさんいて、大きな熊手を掲げて歩く人がいて奇妙な光景だったと、モースは書き記しています。
元々、酉の市の熊手は、幸福の女神おたふく(モースの弁)のお面としめ縄や稲穂を飾っていたものだったとわかります。
「卵にまつわる民具」
巻き編みの卵容器は広島県因島で使われていたものだそうです。
世界的に広範に見られる巻き編みですが、日本では竹が豊富だったためか、いづめこ、飯櫃入れなどはあるものの、稲わらやススキなどの草を使った巻き編みの籠は限定的なものだと思っていました。
ところが今回、沖縄の鍋の蓋や因島の卵入れを見て、日本の巻き編みの籠のことを、改めて考えさせられました。
かつて、冬場にご飯を温かく保つための飯櫃入れは日本全国で使われていました。輸送が発達していなかった時代、専門にしろ副業にしろ、巻き編みの籠をつくる職人さんが全国規模でいたのかどうか、知らなかったなぁと気づかされました。
他には、「しろい顔の民具」「ド正面の民具」「脚がステキな民具」「巳年と蛇の民具」「つくりかけの民具」「両手使いの民具」「二重構造の民具」「手のひらの民具」「イヌ好きの民具」の展示がありました。
「これなーに?」の他に、「民具・集めると見えてくる」と言う表題の展示もあり、写真はいろいろな竹籠の展示と、後ろは同じ形でデザインが違う凧の展示です。
奥のテーブルに見えるのは魚籠ですが、手前のテーブルの籠はいろいろでした。
いけ簀籠と魚籠。他に、買いもの籠(市場籠)、豆腐籠などの展示もありました。
「集めると見えてくる」と言うのは私の得意とするところ、私は「双子だとかわいさが増す」と言っていますが。
前列右は岩手県の附馬牛(つきもうし)の「芸者と猫」、初見です。附馬牛土人形は一度途絶えて復活していますが、附馬牛の型はどれも複雑なのに驚きます。
「睦まじさの民具」
睦まじさの民具というものの、なんだか寂しさが漂っているのはなぜでしょう?
「にぎやかな民具」
昔の東京の酉の市の熊手、いつ頃のものでしょうか?
縁起物が好きな私ですが、印刷物やプラスティックの小物で飾られた熊手にはまったく関心がありません。ところが、この熊手は自然素材でできていて、なかなか素敵です。
飾りものは、「七福神」も「鯉の滝登り」もただの平面ですが、生き生きとしています。とくに、おたふくのお顔の美しさに目を惹かれますが、歴史的には熊手にはおたふくのお面だったようです。
![]() |
| 『モースの見た日本』より |
これは、モースが1882年(明治15年)に浅草で出逢った熊手です。
浅草寺の裏に小さい小屋が立ち並び、小さい米俵、しめ縄、7種類の宝ものを乗せた幸運の舟などと共に熊手が売られていて、大いに賑わい、人力車で駆けつける人たちもたくさんいて、大きな熊手を掲げて歩く人がいて奇妙な光景だったと、モースは書き記しています。
元々、酉の市の熊手は、幸福の女神おたふく(モースの弁)のお面としめ縄や稲穂を飾っていたものだったとわかります。
「卵にまつわる民具」
巻き編みの卵容器は広島県因島で使われていたものだそうです。
世界的に広範に見られる巻き編みですが、日本では竹が豊富だったためか、いづめこ、飯櫃入れなどはあるものの、稲わらやススキなどの草を使った巻き編みの籠は限定的なものだと思っていました。
ところが今回、沖縄の鍋の蓋や因島の卵入れを見て、日本の巻き編みの籠のことを、改めて考えさせられました。
かつて、冬場にご飯を温かく保つための飯櫃入れは日本全国で使われていました。輸送が発達していなかった時代、専門にしろ副業にしろ、巻き編みの籠をつくる職人さんが全国規模でいたのかどうか、知らなかったなぁと気づかされました。
他には、「しろい顔の民具」「ド正面の民具」「脚がステキな民具」「巳年と蛇の民具」「つくりかけの民具」「両手使いの民具」「二重構造の民具」「手のひらの民具」「イヌ好きの民具」の展示がありました。
「これなーに?」の他に、「民具・集めると見えてくる」と言う表題の展示もあり、写真はいろいろな竹籠の展示と、後ろは同じ形でデザインが違う凧の展示です。
奥のテーブルに見えるのは魚籠ですが、手前のテーブルの籠はいろいろでした。
いけ簀籠と魚籠。他に、買いもの籠(市場籠)、豆腐籠などの展示もありました。
「集めると見えてくる」と言うのは私の得意とするところ、私は「双子だとかわいさが増す」と言っていますが。




























