2026年11月3日火曜日

ウキペディアに見る箕

11月3日は箕の日。箕の日に勝手に協賛です。
「箕」をWikipediaで見ると、意外と力を入れて書かれていることに気づきます。そして、写真も豊富です。 


ただ、最初に「箕」の代表として選んだ写真が、なぜ藤箕ではなくて竹箕なのか、日本を代表する箕は籐箕ではないか。どうなんでしょう?
この竹箕は目が荒く、持ち手の穴も空いているし、どう見ても塵取りや土運びに使うもので、箕の最大の用途である米の風選用に適しているとは見えない竹箕です。
日本の箕の写真は1葉だけで、あとは、東南アジア、南アジア、そしてアフリカの箕が紹介されています。

1952年以前に撮影された写真

まずは、アムステルダムの熱帯博物館に所蔵されている古い写真から。
インドネシアの西チモールの、収穫時に米を風選している写真です。円箕と片口箕の両方を取り入れたような形の箕を使っています。


撮影年は不明

これもアムステルダムの熱帯博物館所蔵の写真で、インドネシアの北スマトラ州、シリマクタ郷の籾摺り(もみすり)の様子です。
インドネシアでは、伝統的には毎朝、その日食べる量の籾を臼に入れ、杵で搗き、打ち上げ箕でゴミを取り除いていました。籾を搗く音は高く響くように工夫し、臼の下に共鳴板を入れたりして、その音を神に届けました。



上の写真2葉は、インドの竹ひごで編んだタミルの伝統的な箕2種です。
インドのタミルナドゥ州は竹と竹細工の産地として知られていましたが、竹細工や燃料のため取り尽くされ、広い州ですが、竹が消滅しました。
1990年に私がチェンナイ(マドラス)からポンディチェリーまでバスで行ったとき、辺りを目を凝らして見ましたが、竹を目にすることはできませんでした。
ただ、ポンディチェリー郊外にある国際的共同体のオーロヴィルでは竹の植林が試みられていました。

2011年撮影

米を選別している、南インドのタミル人女性。 

2011年撮影

片口箕(塵取り形の箕)を使って米を選り分けているのは、北インドのウッタラーカンド州の女性です。

2005年撮影

円箕を使って、でも打ち上げないで米を風選しているネパールの女性。

2010年撮影

ピーナッツを選り分ける、マダガスカルの女性が使っている箕は、ほぼ平らな籠に見えます。

2011年撮影

北スーダンの女性が使っている籠は、箕でしょうか? 風選しているのですが、何にでも使える万能籠を使っているように見えます。

以下は、箕以外の風選道具として紹介されていた写真です。


古代エジプトの農民は、風選フォークを使って穀物を選別しました。


フランスの画家ジェイムズ・ティソ(1836ー1902年)が描いた「小麦の風選」の絵です。古代地中海世界の作業を描いているのですが、柄の長いスコップのようなものですくい上げて落としています。



リトアニアでは、伝統的に風選に木のスコップを使いました。


以上が日本のWikipediaの「箕」に掲載された写真、情報量豊かでした。
それに比べると、
英語のWikipediaや韓国語のWikipediaはあっさりしたものでした。
以下、英語のWikipedia、「winnowing basket 」に掲載されていた3葉の写真です。


まず日本語のWikipediaと同じ写真が使われていました。


インドネシアのスマトラ島のアチェの変形円箕。

2008年撮影

最後は箕を被った子どもの写真です。おねしょをした子どもが箕をかぶって近所を回り塩を乞うという説明もありました。韓国語のWikipediaから転載したものかもしれません。

韓国語のWikipedia、「키 」に掲載されていたのは、日本の竹箕と子どもが箕を被っている写真
の2葉だけでした。







2026年11月2日月曜日

さくら猫?


白猫です。
形がとても優雅で、耳にちょっと欠けがあります。


あちこち色が剥げてしまっていますが、幸いなことにかわいい目が残っています。


伏見人形ではないかと思いましたが、自信がなかったので日本招猫倶楽部の荒川千尋さんにお尋ねしたところ、伏見の菱平系、もしくは丸顔で雅な面立ちから、京焼ではないかとの返事をいただきました。
京都の招き猫といえば、型に流し込んだのしか知りませんでしたが、流し込み技法が編み出される前までは、確かに型に粘土の板を貼りつけてつくっていたに違いありません。


底のつくり方を見ると、大きい菱平の猫とは違いますが、


小さい伏見人形(丹嘉製の饅頭喰い)と同じ方法でつくられています。


前垂れがない、シンプルな形ですが、美しい型でつくったことがうかがえます。






 

2026年11月1日日曜日

助っ人現る!


これまで、チェーンソーのチェーンは、丸くて細い専用のやすりで研いできました。角度を正しく研ぐのは難しく、なかなか切れるようにはならないで苦戦していたら、夫が電動の「刃研ぎ名人」を買ってくれました。


ガイドがついているので、刃の上から被せて研ぎます。
「レビューを見たら、研ぎ過ぎてすぐ刃が減っちゃうと書いてあったぞ、気をつけろよ」
と夫。


刃の脇のスペースに、刃に触れないように砥石をセットしてスイッチを入れ、砥石を右に動かして一瞬刃に当てること2、3回。わずか数秒で砥石を刃から離さなくてはなりません。
スイッチがちょっと入れにくいのが、欠点でしょうか? 小さな突起を左へ押すとスイッチが入り、左へ行くほどスピードが増すのですが、何せ研ぐのは一瞬なので、スイッチを切ろうとして間違ってスピードを上げたりしてしまいます。また、本体を握った右手でスイッチ操作するのか、ガイドを押さえている左手で操作するのかも悩むところです。というのも、右手の親指でスイッチを左に押すのは簡単だけど、右に戻すには、スイッチは小さくて硬いのでちょっと難しいのです。スイッチを切ったつもりが、切れてなかったりします。
スイッチとスピード調節が別々になっている方が使いやすいと思いました。


砥石は、ダイヤモンド砥石です。


研いだチェーンソーで、以前から気になっていた入口の倒木を切ってみると、
「あっ!」
切れ味鋭く、サクッと切れました。

刃渡りが短いチェーンソーは、刃の数を数えながら研いだのですが、刃渡りが長いものは、夢中になって研いでいると研いだ刃の数を忘れてしまいます。よく見ると、研いであるか研いでないかわかるのだけれど、サッと見てわかるほど、よい目を持っていません。
研ぎ過ぎないよう、用心しなくては。
                                                                                                                                                  


 

2026年10月31日土曜日

ばたばた

夫は、いつも一つのことに集中するタイプです。
これまで数年、f邸の設計と建設管理にかかりきってきました。
1日に何回も進捗状況を見に行って、大工さんから「ネジ釘がない」と言われればホームセンターに走りました。
「丁稚か?」
テラスをつくるために鉄骨が必要となると、注文しに行くだけでなく、自分で運んできて、錆止めや塗料を買ってきて塗って、職人さんを頼むとお金がかかるからと、鉄骨を切ったり曲げたりする加工もやってと、八面六臂に活躍でしたが、家のことなどには一切目を向けないできました。
草を刈るなど、我が家のメンテナンスは昔から私のワンオペでしたが、出すことは厭わないけれどしまわない夫のせいで、全然片づきません。その上、建設現場のゴミまで引き受けてきて、作業棟の周りはひどいことになっていきました。


さて、f邸が終わってしばらくして夫は、やっと片づけモードになりました。長く放置していた作業棟の片づけに着手、北側はまだ片づいていませんが、


南側の雑物は片づいてすっきりしました。
ところで、ここにあったいろいろなものを運ぶために、車を入れたことがないところに軽トラックを持ってきました。


落ち葉はたまっているし、土はふかふか、それでも軽トラックはそんなことには耐えるものだと思っている夫は軽トラックを駆使して、使える家具、古い自転車、ゴミになってしまったものなどを運び出しました。
そして咋日、ゴミをクリーンセンターに引き取ってもらおうと、夫は出かけていきました。私も一緒に行こうかどうか迷ったけれど、夕食の支度もあるからと残って家にいると、電話がかかってきました。なんと、軽トラックのクラッチ板がすり減って動かなくなったので、途中のコンビニに停めてあるから迎えにきてくれというものでした。一緒に行かなくてよかった、一緒に行ったら帰れなくなっていたところでした。
迎えに行った私は夫をピックアップし、わりと近くにある軽トラックを買った中古車屋さんに修理してもらえるかどうか訊きに行くと、立て込んでいるので、2週間を見てもらえればとのことでした。
夫は、車が冷えれば少しなら動くのではないかと思っていて、次の日の早朝(今朝のこと)持ってくると言いましたが、中古車屋さんは、途中で動かなくなると危ないので、保険会社に連絡してレッカー車に運んでもらうようにと忠告してくれました。
その帰りに、我が家の近所の自動車修理屋さんにも寄りました。修理代を比べるためです。クラッチ板の交換代をたずねると、中古車屋さんより安い修理費だったので、夫は即座に修理屋さんで修理してもらうことに決めましたが、そのためには約20キロ運転しなくてはなりません。

今朝、夫はいつもより早起きして、何やら外でゴソゴソやっています。途中で軽トラックが動かなくなったらワイヤーで引っ張るよう、ワイヤーやら金具やらを準備していたのです。
これまで何度、そんなことをやったことか。首都高で軽トラックがおかしくなり、仕方なく調布の出口で降りて、安全なところに停めたらまったく動かなくなったので、軽トラックをそこに置いたまま、当時は日野に住んでいた息子のところに行って泊めてもらい、次の日息子の車を借りて調布まで行き、動かなくなった軽トラックと息子の車を縄で結んで、夫が先に、私が動かない軽トラックに乗ってノロノロと交通量の激しい甲州街道を走って、日野の自動車屋さんまで運んだこともありました。
その時はエンジンが焼け切れていて、結局その軽トラックは廃車になってしまったのですが。

さて、7時前には軽トラックを停めさせてもらっているコンビニに向けて出発しました。
「自動車屋さんにキャリー車があるんだから、運んでもらった方がよかったんじゃないの?」
と訊いてみたら、
「やってみたいんだよ」
という返事。お金を節約しなくてはならないから仕方なく自力でやるのかと思っていたら、そういうことか、やりたいのかとお腹の中でニヤリとした私、ここで腹を決めました。
コンビニに到着して、軽トラックを動かしてみたのですが、明らかに音が変で、自力で走らせることは無理そうでした。そして、夫が自動車を軽トラックの前につけるようにと言ったのですが、私は断固拒否しました。途中で動かなくなったのでワイヤーで曳くならともかく、最初から曳いて走るなんてやりません。20年前には何度かやったことも、もうできません。時代も違ってしまっているような気もします。


9時を過ぎたので近所の修理屋さんを訪ねたら、親子でキャリー車で軽トラックを運んできてくれることになり、一件落着しました。
片づけモードの夫は、修理屋さんが貸してくれるであろう古くてボロくて運転しにくい代車の軽トラックでどうやって単管パイプを運ぶかということで頭がいっぱいなようです。
1週間休んでもいいのに。




2026年10月30日金曜日

ラオスの織りもの

『文化を語る布・ラオスのテキスタイル』(将積厚子著、2019年)という本があります。
ラオスは、約50の民族グループが住む多民族グループ共生国家なので、この本では、北部に住むアカ、モン、黒タイなどの民族の衣装(一部織りものも)や南部に住むクメール系の人々の織りものにも触れていますが、おもには主要民族であるラオ民族グループの人々の織りものを紹介しています。
布だけでなく、織り方を写真つきで説明しているので、ラオの織り方、特に紋織り(もんおり)のことを知りたい人にはとても参考になる本です。


表紙に使われている布はシン(伝統的な民族衣装である腰巻き布)ですが、ラオスの布はこのように、紋織りと絣織りが混じっているのがごくごく一般的です。絣は世界各地でつくられていますが、紋織り、特に縦に伸びた紋綜絖(もんそうこう)を使って複雑な模様を手織りするのは、地球上でラオスだけと言っても過言ではありません。中国の少数民族などに似たものを見ることはできますが、もっとシンプルな模様のみです。


以前、ラオスの織り機をUPしたことがありました。
この絵の、縦に長い糸に竹棒を通したものが模様をつくる紋綜絖ですが、その使い方の写真が『文化を語る布・ラオスのテキスタイル』に載っていたので、お借りして紹介してみたいと思います。


写真は、織り手に近いところから順に、布幅を一定に保ち、経糸に通した緯糸(よこいと)を水平に打ち込む筬(おさ)、次に足で踏み木を踏むと交互に上下する平織りにするための綜絖が2枚、その先にあるのが紋綜絖です。
模様を1段、平織りを1段織ったら、紋綜絖の経糸から一番近い竹棒を両手で持ち、前後に動かして、紋綜絖の糸を開きます。写真では開いたところです。紋綜絖が前後に十分に開いたら、竹棒を抜き取って、経糸の上部から抜き取ったら下部へ、経糸の下部から抜き取ったときは上部へと移しておきます。上から下へ、下から上へと竹棒を1本ずつ行ったり来たりさせます。


手前に寄せた紋綜絖だけをまとめて握って引き上げると、綜絖は糸の中ほどに「わ」があり、そこに経糸が通してあるので、握った紋綜絖に通してある経糸だけが持ち上がります。持ち上げたら、緯糸を通しやすいように、上下に開いた経糸に刀杼(とうひ、とうじょ)を通して、立てます。


刀杼を立てた写真です。


この状態で模様糸を通します。模様ごとにいろいろな色の模様糸を使うことができます。1段をすべて通し終わったら、地糸で平織りにして緯糸で模様糸をとめて、織り進みます。


複雑な模様ほど、紋綜絖に通す竹棒の数が多くなります。


さて、我が家にあるラオスの紋織りを見ていたら、紋綜絖への竹棒の刺し方を間違えて、模様が乱れているショールを見つけました。
仮にこれをこけしの模様とすると、こけしの足元が乱れているのは一目瞭然ですが、首から肩にかけてのあたりでも、乱れています。
紋綜絖の竹棒は、上に移したり下に移したりと往復させて織るので、ショールを長さの半分のところで折ると模様が重なるというか、左右対称になっています。つまりこの模様はショールの2ヵ所にあるのですが、


反対側の模様を見ると、こけしの肩のあたりは相変わらず乱れていますが、足元は乱れていません。


最初は正しく竹棒を刺してあったのに、織り進んでいるうちに竹棒が抜け落ちるなどして乱れてしまったか、それとも織ってみたら乱れていたので、あとで棒を刺し変えて修正したのか、そのあたりはわかりません。
こけしの胴体の縦縞の部分は、竹棒を動かさないで何段も同じに織っています。こけし模様の上下の細い縦縞模様も模様糸の色を変えてあるだけで、紋綜絖としては竹棒の少ないシンプルなものであることがわかります。


織り手は、誰もが母など家族から受け継いだ模様を紋綜絖に経糸を通したまま大切に保存しながら織り続け、また、自分で工夫したり、他人からアイデアをもらったりして織ることのできる模様を増やし、娘へと伝承していきます。
紋織りは、ラオの女性たちにとって一般的な、そして大切なもので、1979年から80年にかけてたくさんの難民が命からがらメコン川を渡ってタイに出てきたときも、抜いたことのない経糸の切れ端の通っている筬、綜絖、紋綜絖の束を抱えて国境を超えてきた女性が大勢いました。彼女たちは難民キャンプに落ち着くと、夫や大工さんに竹や端材で簡単な織り機をこしらえてもらって、織り糸を持って逃げられなかった人はキャンプの中に開いた店で糸を買って、あちこちで布を織って、シンや頭陀袋をつくっていました。



 

2026年10月29日木曜日

干し柿づくり


一生懸命むいたのに、干した次の日が一日雨だったせいか、夫がぶつけて落ちた柿はカビてしまいました。とろけて、落ちてしまったのもありました。


仕方なく捨ててしまったのですが、途中で、「待てよ、中はカビてないはず」と気がついた時は、カビた柿は4つだけになっていましたが、夫が表面をむいてくれたので、美味しくいただきました。

さて、いよいよ木に残っている柿を、採って加工するときがきました。
高い梯子がないと柿が採れないのですが、梯子は草に埋まっています。



草は、いよいよ高くなっていて、草を刈らずに取り出すのは無理に見えます。


刈り払い機で借りはじめたら、梯子だけでなく足場板も埋もれていました。これを引っ張り出さないと草が枯れません。


足場板を救出して、刈り進めると、


やっと梯子が見えてきました。


大小2つある中、小さい方の梯子を運んで柿を採ったら、すぐに限界がきました。


そこで、大きい梯子も持ってきて、手の届くところの柿をほぼ収穫しました。


このあと、むいて、紐につないで、お湯に浸して、吊るしました。


今度は、カビないで美味しい干し柿ができるでしょうか。
そのために、日当たりが一番いい居間の軒下に」干しました。ここはハクビシンが登れるので要注意ですが、渋いうちは取らないと期待してここで干し、だいぶ干しあがったら、ハクビシンが登れない書斎前に移す予定です。