2026年10月3日土曜日

ベンガル地方の平らな箕

10月3日、3(箕)の日に協賛です。


バングラデシュの箕です。
カンボジアの人たちとバングラデシュのNGOウビニクを訪ねたとき、ウビニクのセンターでも、村々のシードバンク(種子銀行)でもこの箕を使っていました。
いつものように欲しさがつのった私が、
「あの箕は、どこに行ったら買えますか?」
とウビニクのスタッフの方にたずねたら、
「予備の箕があるから差し上げましょう」
と、嬉しいことにいただいたものです。


網代に編んだ竹を、縁用の竹で挟んで、


細い針金で綴っています。

同じような形の箕をつくっている、インスタグラムの動画を見つけました。


それにしても、インドあたりの籠づくりの動画を見ると、使う刃物の種類の少なさ、ひごをつくる速さに感動してしまいます。
そして、刃物はそこいらの石などで研ぐだけではなく、なぜか足の裏で研いでいる動画もあって、笑ってしまいました。





2026年10月1日木曜日

ダクトで爪を磨がないで!

我が家では、OMソーラーシステムで暖房していて、屋根で温まった空気をファンで地下に下ろすダクトは玄関に設置してあり、ダクトには手漉き紙が貼ってあります。

先住猫のトラは、あまり柱で爪を研いだりしませんでしたし、ましてOMソーラーのダクトで爪を研ぐことはまったくありませんでした。ところがタマときたら柱という柱で爪を研いで、注意してもどこ吹く風です。そして、マルが唯一の爪とぎ場所として見つけたのがOMソーラーのダクトでした。
もちろん、猫の専用爪とぎを用意したり、プレゼントされたりもしましたが、一度もそれらで研ぐことはありませんでした。


マルには何度もやめさせようとしましたが一向にやめる気配がなく、ついに人真似しいのタマまでダクトでの爪とぎに参入して、手漉き紙は無惨な姿になってしまいました。
あまりにもボロボロで、一度紙を張り替えたのですが、以後も爪研ぎを止める気配がなかったので、すだれを巻いてみました。


すだれで爪とぎする分には問題もなく一安心でしたが、さらに背伸びしてしてすだれの上の紙を破るようになりました。
というわけで、しばらく前にすだれを床の高さより持ち上げて、紐できつくしばっておきました。


きつく縛ったつもりでしたが、一か所だけでは充分ではなかったようで、爪研ぎするとすだれが下がります。
もう一か所紐でしばればすだれは動かなくなるでしょうか?


というわけで、下も縛ってみました。硬くてすだれは動きにくくなったようです。


念には念を入れて、猫がすだれに近づけないようにガードしてみましたが、数日ガードしたぐらいで、ここが楽しい爪研ぎ場であったことを忘れる猫たちではないような気がします。



 

2026年9月30日水曜日

マルのプチ冒険


しょっちゅう高いところに登っているタマに比べると、マルはほとんど高いところには登りません。せいぜい、1メートルくらいの高さのタンスの上で寝るくらい。そのマルが高いところに登って、のんびり顔など洗っています。


まっ、なんといっても猫ですから。


いつか、椅子の背に乗って、そこからタマのように梁に飛び移れないかと見上げていたマル、その時は結局断念しました。
ここは水平飛びで来られるところ、寝室の梁に比べると簡単です。




 

2026年9月29日火曜日

今日も雨だ!


横向きのカニ歩きでも夫には入れない狭いスペース、私はかろうじて通れます。
ここはロボット掃除機には掃除できないけれど、その奥はどうかな? ちょっと広いのです。


この格子の奥ですが、なんとかできそう。


自分で掃除すればいいのに、そしてどうせ高いところは自分で掃除しなくてはならないのに、ロボット掃除機に頼ろうとします。
掃除機は、すぐに「ガーガー」変な音を立てはじめました。手前の狭いところに無理やり入ろうとしているようです。


「そこは入るところじゃないよ」
スイッチを切って引っ張り出そうとしましたが、すごい力で入ったもので、しっかりはまってなかなか取れません。
やっと救出して、手持ちの掃除機をかけ、水拭きしました。


臆病だけど好奇心を持ち合わせているタマは、だいぶ離れたところから一部始終を観察しています。


後づけの柱が、2011年の地震で右に傾いてしまいました。コンクリートは動かなかったのに、梁が右(西)方向に動いてしまって、下の方で柱と障子の間に隙間が開いています。


この柱も右に傾いて、敷居との間に隙間ができてしまっています。


でも、建物全体としては大丈夫、ダブル柱になっていて、外側の柱は影響を受けていないので、ガラス戸もきっちり閉まって問題ありません。






 

2026年9月28日月曜日

借りた本

予約しておいた本の貸し出しが可能だと、笠間市立図書館から連絡がありました。


待ちきれず、その日のうちに借りに行ったのは、『メソポタミアのボート三人男』(高野秀行著、集英社、2026年)です。チラッと読んだだけだけれど、高野さんの文はなんと興味深く、そして読みやすいことか、そして山田さんのイラストも素敵です。
せっかく来たのだから他の本も借りようと、図書館の中をぶらぶらして背表紙を眺めたのは楽しいひとときでした。
そして、エッセイの棚から2冊借りてきました。


『ケストナーの「ほらふき男爵」』(エーリヒ・ケストナー著、W・トリヤー、H・レムケ絵、池内紀、泉千穂子訳、筑摩書房、1993年)と『名前のない花』(藤原新也著、東京書籍、2007年)です。

ケストナーの本は、児童書だけでエッセイは読んだことがありませんでした。
そして、児童書については以前UPしたことがあったはずと見返したのですが、「岩波少年文庫の50冊」でサラッと触れていただけでした。


しかも、何回も引越ししたり、ビニールハウスに段ボール箱に入れたままで積み重ねていたりしていたせいで、失われてしまったのか、元からあったはずの本は『ふたりのロッテ』だけで、


あとは、買い直した新版のものでした。どの本も挿絵はW・トリヤーです。

ナチス支配下の1933年、E・ケストナーの本はブレヒト、デープリーン、トーマス・マンなどの本とともに発禁になり、書店の棚から集められた本はオペラ座前の広場に積み上げられて燃やされました。ケストナーは2度ゲシュタポに逮捕され、挿絵画家で友人のトリヤーは、ロンドンに亡命しました。
『ケストナーの「ほらふき男爵」』には、大好きなトリヤーの絵、しかもカラーの絵がふんだんに入っています。

そしてもう1冊、『名前のない花』は面白いかな?


藤原さんのアジア放浪を描いた、『印度放浪』、『西藏放浪』、『メメント・モリ』、『全東洋街道』などは読みましたが、藤原さんが長い旅から日本に帰ってきて、日本の闇(=病み)に戸惑う(?)『東京漂流』以後はまったく読んでないので、何年ぶりでしょうか。





 

2026年9月27日日曜日

ずぶ濡れの大地


秋雨前線なのか、エルニーニョ現象なのか長雨が続いて、今日も上空はすっぽり雲に覆われています。
中秋の名月の日に、夜は晴れてお月見ができたのが奇跡のようでした。


充分に陽も当たるのに、作業棟の西側のタイルはまたまた苔に覆われてしまいました。取り除いてからまだ1年も経っていないのに・・・・・。


苔を剥がしてしまいたいけれど、この長雨であちこちが草ぼうぼうです。苔剥がしに手をつけられるのはいつになることやら。


しかし、このタイルはよっぽど苔に好かれているようで、このまま放っておくのもありかもしれません。


昨夜降った雨はどんどん上昇しています。


これを書いている間にも、絶え間なく空へと向かっています。

それにしても、目の前の木々は葛に覆われています。
ここに来た25年前、最初の仕事は草刈りと、周りの木々に登った葛や藤の蔓を切ってやることでした。一生懸命切って、隠されていた木をあらわにしたため、生き返った木々がどんどん大きくなり、あっという間に我が家から見えた山の稜線を隠すようになってきました。
だから、今は葛は放りっぱなしです。





 

2026年9月26日土曜日

韓国と中国の竹細工

このところ机まわりの大片づけをしている夫が、
「これ、二階の本棚に入る?」
と大型本を私に見せました。
夫も執筆している、大切な古い本でした。
あまり本を読み返さない夫の本は、作業棟の壁の上の方に押し込めてしまって、母屋の使い勝手のいい本棚は全部私が占領しています。
私は何かにつけて本を見返すので、この配置は仕方ないのですが、ちょっと後ろめたさがないわけではありません。
「いいわよ」


本棚はぱんぱんに詰まっているので、何かを取り出さなくてはなりません。物色していたら、背表紙に「ゲーム」と印刷した紙が貼ってあるファイルがありました。


ファイルを開いてみたら『GAMES AROUND THE WORLD』という、1981年にUNICEFが発行した、本ではなくばらばらの印刷物でした。


目次があり、ボール遊び、あやとり遊び、棒遊び、脳トレ遊び、ボードゲーム、かけっこ、ビー玉遊び、問答遊び、工作とあるのですが、

あやとりのいろいろ。上から、ガーナ、ギアナ、フィリピン

その遊びの写真はなく、遊び方が図解されている遊びはあやとりなど少数で、誌面の半分では国の紹介がされています。


例えばボール遊びとして、ナイジェリアのドッジボールが紹介されていて、遊び方の解説もされていますが、まったく別の写真が載っています。
というわけで、ユニセフがこの印刷物を何のためにつくって、どう使ったのかは不明ですが、どの遊びも少ない材料でたくさんの子どもたちが気軽に遊べる遊びばかりであるのは確かでした。


さて、表の写真の中に韓国の写真がありました。
店先で子どもたちが自転車籠に入って、楽しそうに笑っています。
「韓国にも自転車籠があったんだ!」
元々中国から伝えられたものだろうから(と言っても、いつ頃?)、中国にも韓国にもあるだろうとは思っていたのですが、写真で見たことはありませんでした(この写真はその昔見たはずだけど)。自転車籠は、そっくりもそっくり、まったく同じです。これが、東南アジアまで行くと、運搬用の籠は、まったく違った形をしています。

韓国の遊びとして紹介されていたのは、大人や子どもが輪になってするゲームで、大人数で遊べるゲームです。まず鬼を決め、鬼は両手で耳を塞ぎます。それを見た鬼の右隣の人は左手で左耳を塞ぎ、左隣の人は右手で右耳を塞ぎます。
間違えなかったら、鬼は新しい鬼を指名して続けますが、モタモタしたり、間違えたりした人が輪から抜けていって、最後まで残った人が勝ちというゲームだそうです。


そして、別の紙の中国のベビーベッド、モノクロ写真だけでの判断ですが、たぶん竹製、籠師さんが目にも止まらない速さで、しかし丁寧に編んだものに違いありません。
ベビーベッドといい、乳母車といい、子どもへの優しい思いが伝わってきます。
この冊子が発行された1981年は、私が初めて中国を訪れた年ですが、人々は皆人民服を着ており、移住の自由は制限されていて、一人っ子政策が取られていた時代でした。
中国の遊びとしては、凧づくりが紹介されていました。