2021年6月15日火曜日


コバルトブルーの大好きなビンには、かつては、コーヒーシュガーを入れていましたが、コーヒーに砂糖を入れる客人が皆無になったので、この10年ほどは胡椒を入れていました。
胡椒は東南アジアで買ってきたり、ネットショップで買ったりして常備。多いときは、胡椒が口までいっぱいで、入りきらないものをスパイス入れの缶に入れていたほどでした。


それが何てこと、先日ペッパーミルを満たしたら、残りがこれだけになっていました。


もしかして、スパイス入れの缶にまだ残っているかと見ると、


ほんのちょっぴり入った、小さい袋が1つあっただけ、慌ててネットショップに注文してしまいました。
古い胡椒に新しいのを継ぎ足すことはなかったので、食べた胡椒の量は、このビン一杯ではきかなかったことでしょう。


こちらは、ターメリックのビンです。
3、4年前に、カンボジア西部に赴任していたMちゃんが一時帰国したとき、
「村の人がつくったターメリックよ」
とくれたもので、大きなプラスティックの容器にいっぱい詰まっていました。


もらったときは、正直、
「こんなにターメリックもらっても」
と思いました。ターメリックはインド土産にもらったものなどがたくさんあったし、胡椒ほど頻繁に使うものでもありません。
ところが、この数年、肉の下ごしらえするとき、インド料理でもないのにターメリックを使うことが多くなりました。
塩胡椒とともにターメリックをまぶしておくと、肉が柔らかくなるだけでなく、殺菌作用もあるとか、味もよくなるし、タジン料理をするときなどは欠かせません。


で、気がついたら、ターメリックも底をつきそうな勢いです。


数年がかりとは言え、胡椒もターメリックもこんなに食べてしまったと思うと、我ながら驚いてしまいます。




 

2021年6月14日月曜日

我が家の塩胡椒入れ

塩胡椒入れ(ソルト&ペッパーシェイカー)が、欧米ではどれほどの実用品だったのか、あるいは食卓のただの飾りものだったのか、バラエティーの豊かさには驚かされます。


例えば、ミスター・ピーナツの塩胡椒入れ、なぜこんなに愛されたのか、各種各様あります。ちなみに、Mr. Peanutはアメリカの食品会社のマスコットです。


日本から、外貨獲得のために盛んに輸出されていた塩胡椒入れは、おもちゃのようなものばかり、いったいどんな家庭で使われていたのか、想像もつきません。


実用向けにつくられたと思える、大型の塩胡椒入れは、家庭ではなく、レストランで使われていたと思われます。


アルミでつくられたものは、実際に目にしたことがあるし、今でもアメリカのレストランなどでは使われているのかもしれません。

家庭で客をもてなしたり、食卓を飾りつけたりする習慣のない日本では、卓上に置く塩胡椒入れは根づかなかったと思われますが、それでもデパートの家庭用品売り場などには、塩胡椒入れが必ず並んでいたものでした。
我が家には、積極的に集めたわけではないものの、手に入れたものがたまたま塩胡椒入れだったというものが、ぽっちりあります。


鶏の塩胡椒入れ、第二次世界大戦後終結直後に、日本からイギリスに輸出されたものです。


底に、Occupied Japan(占領下の日本)のスタンプがあります。


子猫の塩胡椒入れは、スタンプなどないので、輸出用だったかどうかは不明です。たまたま買った猫が塩胡椒入れだったというほどのもの、骨董市で見つけたのではなかったかと思います。


子猫は、組み合わせて置くようにつくられています。
ちなみに、ネットで見ると、「猫の胡椒入れ」だけでも、山のようにあるようです。
鶏にも猫にも栓は失われています。


子猫の底の穴は鶏のもの同様小さいのですが、塩胡椒を入れようと思えば、入れられないこともないでしょう。


こちらは、陶芸家のなつさんのマトリョーシカの塩胡椒入れです。
なつさんは、招き猫もマトリョーシカもよくつくられていて、招き猫のマトリョーシカもあります。新作ができるのを楽しみにしていたのに、5年ほど前に、旅立たれてしまいました。


鶏や子猫と違って、マトリョーシカの塩胡椒入れには、ちゃんとコルクの栓がついています。


どれもかわいいです。








2021年6月13日日曜日

謎の動物

しばらく前に、変な動物と出っくわしました。
私に気づいて、慌てて藪に向かう後ろ姿を見て「猫かな?」と思ったのですが、振り向くと違う顔をしていました。猫より顔がずっと長かったのです。タヌキのような「隈」もあったような気がします。
「えぇ、何?」
タヌキでも、アナグマでも、ハクビシンでもありません。ほんの一瞬見つめ合いましたが、その動物は茂みに入っていきました。猫より脚が長くて、そして尻尾は豚の尻尾をまっすぐにしたような形で短くて、短毛でした。
あれからいろいろ考えてみましたが、いまだに何だったかわかりません。


さて、草刈りをしていると、あちこちにけもの道を見つけます。
木の枝がかぶさったところにあったけもの道は、踏み固められていたので、よく使われているようでした。


この藪をくだったところには田んぼが広がっています。
昨年だったか、田んぼはすべてコンクリート工事用のワイヤーメッシュで囲まれてしまいました。藪と田んぼの間には谷川が流れていて、谷川に沿って農道があるのですが、その道もワイヤーメッシュで封鎖されています。つまり、藪から上にいる生きものたち、とくにイノシシは、藪から上にとどまることを余儀なくされてしまって、我が家はその中にあるのです。


気は心、きりがないのですが、大きめの枝でけもの道を邪魔してみました。


あれから2週間ほど経ったでしょうか、けもの道は使われてない。だいぶ荒れていました。
もっとも他に道はいくらでもつくれるので、生きものたちは何ともないと思われますが、あれから、このあたりは掘り返された跡がないので、少しは有効だったかもしれません。







2021年6月12日土曜日

アプサラ

1980年代のカンボジア(当時はカンプチア)のお土産の定番の一つに、木彫りのアプサラの踊りの像がありました。
カンボジアを訪れた人は、心を込めたお土産として、大小のアプサラをいただいていました。


天女アプサラの舞は、クメールダンスの代表中の代表で、優雅な踊りです。


アンコールワットの壁にもアプサラのレリーフがいくつもあり、プノンペンの民家の壁にも色彩を施したレリーフがつくられていたりと、アプサラはカンボジアの人々にはとても親しいものです。

タイの国境近くにあったカオイダンカンボジア難民キャンプ(1979-1993年)では、開設された初期のころ、アプサラをつくって、竹でできた仮設小屋の軒先に並べて、第三国に定住が決まった同胞や、訪れる国連関係者とNGO関係者目当てに、売っていた人もいました。ナイフ1本で、やすりや砥石も満足にない中、よく彫って磨き上げるものと、感心する以外ありませんでした。


さて、我が家のアプサラは、どういう経緯で我が家に来たものだったのか不明です。
八郷に移ってきて、母屋ができて、地下室やビニールハウスの仮倉庫の中に積み上げていた段ボールの箱を開けてみたら、その中にアプサラがいました。
以後、ずっと仮設ゲストハウスに飾っていますが、私はもらった記憶がないので、夫がもらったものなのでしょう。もっとも、そういうことはすぐ忘れてしまうので、訊いても埒はあきませんが。


設備の整った工房でつくられたというより、ナイフ1本で彫られたものに見えるので、もしかしたら、カンボジア国内ではなくて、難民キャンプでつくられたものかもしれません。

ニスを塗った、つやつやしたアプサラや、手の込んだアプサラもありますが、私はこんな、素朴なものの方が好きです。





2021年6月11日金曜日

6月の庭


さっそく、スマホで写真を撮る練習をしています。
金魚の住むつくばいは、トサミズキの枝とハナショウブに囲まれてうっとうしいのですが、トサミズキの枝を詰めると翌年花が少ないので、切るか切らぬか思案のしどころです。


毎年咲くのが遅れて、しかも11月ごろにも咲いているアジサイの「隅田の花火」が、今年は6月に咲いています。
アジサイ原種の「七段花」は、剪定の方法が悪かったのか、たくさんの枝が枯れて、今年は花もまばらです。


八重のドクダミは、一重のドクダミより優遇しているので、もう庭じゅう広がる勢いです。





2021年6月10日木曜日

気にしないというか、


カケヤ(掛矢)の柄が交換されているのを見つけました。
小屋組みのときは毎日のようにカケヤの出番がありましたが、最近は出番がないので、長く見ていませんでした。
この柄は鍬用だったのか、確か数本まとめて夫が骨董市で買ったもの、柄の先が太くなっています。
カケヤにこんな柄をつける?


普通は、先から末端まで同じ太さの柄がついています。


しかも、買っておいてから何年も経ってたので、反ってもいます。
こんな柄のカケヤ、用を足すでしょうか?


さて、カケヤは拾って来て所定の場所に収めておきましたが、並んでいるのは木槌やゴム槌ばかり、小さな玄能は1本もないし、バールも1本しかありません。

あるべき姿

人はそれぞれ長所もあり欠点もあるのでとやかくは言いませんが、夫は出すのが得意で片づけるのがきらい(苦手?)な人です。
「現場が遠いんだから仕方ないだろう」
と言いますが、その現場で使ったら片づけることなく、私が拾って収めておいたものは、あっというまに、また旅に出てしまいます。


じつは、よく使う小さい玄能だけは、使いたいときないとこまるので、自分用に1本、隠し持っています。


今日あたり本格的に捜索して、現場で使っている玄能などをのぞいて、集めてみたいと思います。
といっても、先日バールを探したときは、何本もあるはずなのに、1本しか見当たらなかったので、ちょっと不安です。探しものは私より、夫の方が断然得意なのですが、理由がないのに協力してもらえるとは、とうてい思えません。いつも、
「せっかく置いておいたのに、また片づけたのか!」
と、文句を言っているくらいですから。





2021年6月9日水曜日

行きつ戻りつ

ちょっともたついています。
暖房のための「集熱箱の下地」部分をやりなおしました。他の場所と同じ高さで、断熱材の入れ方だけ違えていたものを、瓦の高さを考慮して、段差をつけて高くやり直したのです。
まず、垂木の間に入れていた断熱材はすべて取り外し、垂木の上に合板を張りました。その上に、集熱箱のフレームを取りつけやすいよう、縦方向ではなく横桟を入れながら、そこに取り外しておいた断熱材を入れ直しました。


写真を撮る余裕もなかったのですが、akemifさんが撮ってくれた写真がありました。
国産とは言え、合板を使うことには抵抗がありましたが、集熱箱はガラスでできています。ガラスは木と違ってまったく融通が利かないので、きっちり直角を出さなくてはなりません。それには杉の野地板より合板の方が楽、合板は182×91センチの定型なのでガイドにもなるしと、合板を選びました。


軒下から取り入れた空気が、この隙間から上がって、右側の高くなったところに設置する集熱箱に入るという計算です。


この上にさらに合板を置いて、断熱材を覆います。ところが、全体に合板を置いて仮留めして眺めたとき、集熱箱の下地には合板が10枚乗っていました。
「両脇の余った部分には瓦が来るから」
と夫。
「えっ、瓦がそこだけ高くなるのはおかしいでしょう?」
なんだかんだで瓦との取り合いには苦労します。
「あっ、そうだなぁ。じゃぁ集熱箱を10個に増やすか?そうすれば収まるけど」
これまで、9個乗せるつもりできました。
「これ以上、出費はしたくないかな。やり直すから9個にしよう」
というわけで、手戻りですが、集熱箱を乗せる場所の幅を詰めることにしました。


左右で幅を詰め、集熱箱1つ分短くします。
まず、断熱材を取って、横桟を短くしました。この横桟の端に、縦に45ミリの材を打ちつけたところが、新しい出来上がり寸法になります。
断熱材は、熱に強いネオマフォームは40ミリのものしか買ってなかったので、75ミリ高さの横桟に合わせて。25ミリのスタイロフォームと10ミリの発泡スチロールを使って、高さの調節をしています。


横桟は丸鋸と手鋸で切りましたが、合板は幸い丸鋸で切ることができます。


うまく切れた。


高い屋根の端まで来ていた「集熱箱を乗せる場所」は、幅が狭まりました。これで、瓦屋根は心置きなくてっぺんまで登っていくことができます。
西側の手直しは、これからです。