2026年10月14日水曜日

読んだ本、読んでいる本、まだ読んでいない本

このところ読んだ本、読んでいる本、ちらちら見ている本、読む予定の本などです。


『沖縄を語りつぐ』(川平朝清、ジョン・カピラ著、岩波新書、2026年)は、ラジオのゲストとして出演したジョン・カピラさんがこの本のことを話していたので知りました。
川平家の親子何代かの歴史から沖縄の歴史を知ることができる本でした。


『ボートの三人男』(ジェローム・K・ジェローム著、中公文庫、1976年)は、『メソポタミアのボート三人男』が名前を拝借している元の本、気鬱に取りつかれた3人の紳士がボートでテムズ川でを行く、イギリスのユーモア小説の古典です。
ジェローム・K・ジェローム(1859−1927)自身、テムズ川でボート遊びをするのが大好きだったそうです。
文庫本なので、布団の中で読むのに最適、毎夜開いているのですが、すぐ眠くなるせいか、昔の本なので展開がゆっくりなせいか、まだボート旅に出発するところまで到達していません。


『サンカ研究』(田中勝也著、新泉社、1987年)は、『篩(ふるい)』の中の「箕」の章で参考文献として載っていた本です。
箕とサンカと呼ばれた職能集団が切っても切れない関係にあったことは知っていましたが、サンカについてはおぼろにしか知りません。しかも、サンカについてはちょっと社会の偏見もあったようだし、是非とも読みたいと買ったのですが、まだ読んでいません。
私が手に入れた中古書の奥付を見ると、
値段は2800円と当時にしては高額であるにも関わらず、初版のわずか1年後の第4刷発行版で、専門書でありながら速いスピードで再版を重ねたことから、民俗学の専門家たちに高く評価された本だったことがうかがえます。


『古海忠之 戦犯となった満州国政府高官』(細川清和、NPO中帰連平和記念館内「供述書を読む会」、2023年)は、3月にキルト展を開いたとき、浦和から来てくれて、25年ぶりくらいに会った学生時代の友人の細川さんがくれた本で、写真などをぱらぱらっと見たのですが、なぜ彼が満州国政府高官の話を書くのかという、疑問とともに放置していた本です。
あまり本を読まない夫がこれを手に取り、
「細川の本、「はじめに」と「あとがき」を読んだんだけど、面白いよ」
と言うので、私も「はじめに」と「あとがき」だけですが、読んでみました。
細川さんは、学生時代から才気あふれた人でしたが個人建築家にはならず、大林組に入社後定年まで勤め上げたという、その年の建築科の同級生の中では珍しい人でした(蛇足ですが、私は建築科ではありません)。
細川さんは定年退職時に上海の高層建築設計指導を依頼され、1、2年のつもりが15年も上海を拠点に中国で仕事をすることになり、かたわら中国建築家の大会に日本の第一線で活躍する建築家を連れて行って講演してもらうという役割も引き受けていたので、中国全土の主要都市や大学に行く機会に恵まれました。
東北部に行く機会も何度もあり、日本人がつくった旧満州国の建造物や都市計画を見てまわり、それを機会にと戦跡や各地の抗日博物を訪ね歩いたことから、細川さんは次第に日中戦争や満州国の歴史に興味を持つようになり、2014年に中帰連平和記念館の会員になったあとは、満州各地のスタディーツアーに参加し、ますます見聞を深めました。また、2022年から群馬満蒙開拓歴史研究会にも参加しているそうです。
表紙や裏表紙の急満州国の建物の絵は、細川さんの描いたものです。


『サンカ研究』や『古海忠之 戦犯となった満州国政府高官』を早く読みたいのですが、このところ昼間は『古代日本の紡織』(東村純子著、六一書房、2021年)を読んでいて、これが、これまで謎だった古代の糸づくりや織りものを遺跡の出土品から考察している、すごく興味深い本なのだけれど、論文のような文で(はっきり言えば読みにくくて)なかなか読み進まず、いつ読み終わるかわからないので、他の本まで手が(目が、頭が)回らないところです。
「あぁぁ」





2026年10月13日火曜日

手紙

8月に、学生時代からの友人Kから手紙が届きました。
前はメールでやり取りしていたのに、彼がメールを閉じてしまったので、電話で話すか手紙を書くかしか通信手段がなくなって、1年に1度か2度、思い立ったときに電話で話すくらいでした。


便箋4枚に、近況やら思い出す昔のあれこれが書いてある手紙でした。
メール以前は手紙のやり取りをしていましたが、写真などを送ってくる以外、手紙らしい手紙をもらったのは何十年ぶりだったでしょうか。


記憶の片隅にあるような、取り止めもないことを書き綴ったあと、最後のページに、
「意識が正常なうちに言っときます「さようなら」」
と書いてあったので、ドキッとしてしまいました。その後に、私がこの手紙を見て、夫に、
「『Kもいよいよおかしくなったみたい』と、言うだろうな」
とも書いて、締めくくっていました。私は夫にそうは言いませんでしたが、
「Kはどうしたのかしら?」
と言わずにはいられませんでした。
この数年で親しかった友だちが亡くなってしまったのでそんな気持ちになったのか、それとも深夜に手紙を書いたのか、いったい何があったのかと思ったのですが、電話もせず、やっと返事を書いたのは10月になってからでした。

ところで、この手紙に、彼の住む武蔵小金井では、これまではニーニーゼミやアブラゼミが鳴いていたのに、今年は聴こえるのはミンミンゼミばかりと書いてありましたが、我が家のあたりでは、ニーニーゼミ、ミンミンゼミ、アブラゼミ、ヒグラシは鳴いたのに、ツクツクボーシがとうとう鳴きませんでした。


9月に、長く失せていた私の住所が見つかったからと、叔母(母の妹)から葉書が来ました。
よく気がつく妹が、毎年母の日と誕生日に、きょうだい連盟で叔母に花を送っているのですが、今年は叔母の99歳の誕生日に、これまた優しい弟が「白寿の祝い」に記念品を送ったので、そっけない私にもお礼状が届いたというわけで、もちろん他のきょうだいたちも葉書を受け取ったようです。
叔母の葉書は、表の下半分(半分以上)に16行、裏には12行の、私が一度も書いたことのない小さな字で書いた、見事なものでした。
これもすぐには返事が書けなくて、気持ちを整えて返事を書くまでに、10日ほどかかってしまいました。






 

2026年10月12日月曜日

小さい頃から得意だったよね

夜は猫たちも寝室で寝ていますが、寝場所を常に定めないのが猫です。籠の中に寝たり、箪笥の上に寝たり、マッサージチェアの座面で寝たり、季節季節によって、快適と思える場所で寝ています。
このところ、朝目覚めた人間に擦り寄ってくるのはマルだけなので、タマは一体どこで寝ているのかと思っていたら今朝判明しました。


タマは右手の棚のどこかで寝ていたようです。


いつも一緒というわけではないけれど、夜にタマの姿が見えないので、マルは寂しい夜を過ごしているに違いありません。


タマはこのマッサージチェアの背に乗って、そこから梁に飛び移ります。
いつか、マルがタマと同じように背に乗って、梁に飛びつこうかどうしようかと迷っているのを見たことがありますが、結局決心はつかなかったようで、その後に試みているのを見たことはありません。
椅子の背から梁までの距離を測ってみたら、1メートル40センチほどありました。
タマはちょっと臆病なので、何かにつけて高いところに登る必要があったので、技を磨いてきたのかもしれません。





 

2026年10月11日日曜日

ヒメジョオンが元気!

我が家の庭では、貧乏草とも呼ばれるヒメジョオンが、毎年増え続けているような気がします。開花前にカタをつけようと毎年思いながら後手後手になってしまって・・・・・。


今年は芝生の中にいっぱい生えてしまいました。


芝生というより、ヒメジョオン畑です。これが全部ルッコラだったらどんなに嬉しいことか。


芝生には、こんなやつや、


こんなやつが、楽しそうに遊んでいます。


あらっ、フユノハナワラビ(冬の花蕨)だ。


ちょっとだけ綺麗になった芝生。ここだけですが。


 

2026年10月10日土曜日

『ケストナーの「ほらふき男爵」』



図書館から借りてきた本、『ケストナーの「ほらふき男爵」』はエッセイではなくて物語でした。外国文学の棚を見て、その後でエッセイの棚を見たのですが、エッセイの棚から借りたと勘違いしていたのでした。

『ケストナーの「ほらふき男爵」』は、14世紀から18世紀にドイツやヨーロッパの国で書物化された「ほらふき男爵」、「ドンキホーテ」、「シルダの町の人々」、「オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、「ガリバー旅行記」、「長靴をはいた猫」という、荒唐無稽で奇想天外な昔話を集めて、ケストナー流に書いたものでした。
挿絵は、トリヤーだけでなくレムケの絵もあり、レムケの絵も悪くはないのですが、トリヤーの絵は滑稽味が溢れていて、素敵で、情報量が多くて、隅々まで楽しめました。

シルダの町の町長は詩人にかぎるより

上の絵は、豚飼いの寝室ですが、ログハウスやつくりつけのベッド、木の椅子、紡ぎ車、ベッドの下に置いたおまる(?)などなど、ちょっと前までのヨーロッパの暮らしが垣間見えます。右に見えている白いものは、何だかさっぱりわからないけれど。

シルダの町の顛末、かつは愚か者を見わけるしるしについてより

シルダの町には、純真無垢な人たち(世間知らずの人たち)が住んでいるのですが、旅の男から猫を買ったときも、猫がネズミだけでなく人や馬も食べると勘違いして、猫を捕まえようと町に火をつけて全焼させてしまいます。
手づくりの椅子やテーブルの脚が素敵だったのに、焼けてしまったのか。

オイレンシュピーゲルがふくろうと尾なが猿を焼いたことより

いたずら好きのオイレンシュピーゲルは、サーカスが嫌いで逃げ出したピエロ、あちこち旅してはいたずらをして逃げ、またどこかでいたずらを繰り返します。
パン職人といつわってパン屋さんに雇われたときは、ありったけの小麦粉でふくろうと尾なが猿のパンを焼いたので、帰ってきたパン屋さんはカンカンに怒ります。材料代を弁償させられたオイレンシュピーゲルは、パンを全部もらってお昼時に教会前の広場で売ると、ふくろうと尾なが猿のパンは飛ぶように売れました。
その話を聞いた親方が薪代も取ろうと駆けつけたときは
オイレンシュピーゲルは逃た後、親方は末長く笑いものにされたというお話です。

オイレンシュピーゲルがミルクを買い占めたことより

なんの教訓にもならないばかばかしいお話ばかり、昔話は素敵です。

いまひとたびの月世界旅行より





 

2026年10月9日金曜日

干す楽しみ


長かったなぁ、雨。やっと空が青い日々がやってきました。
せっかく晴れたのに、洗濯物は家の中に干す生活が定着してしまっています。


洗濯物干しはあるけれど、それでは干せないものもあります。


紡いだ糸の撚りどめをしているところです。
かせにした糸を45度の湯に浸して数時間置き、洗濯機で20秒ほど脱水してから階段の途中に干しているもので、これで撚りが戻らない「糸」となります。
干すには軽い錘(おもり)が必要で、円柱のものがいい。手すり材の切れ端でもいいのだけれど、息子が置いていったヨガポールが役立っています。


法被(はっぴ)は生地が厚いし直線断ちなので、竿竹に通して干すのが最適ですが、竿が水平に渡せるところとしては、居間の鴨居がぴったりです。
案外、目の邪魔にもなりません。


ずっと昔に浅草のお祭り道具屋で買った、獅子を背負った藍染の法被です。
秋、冬、春と、羽織ったり脱いだりするのが簡単な法被は、温度調節にぴったりです。






2026年10月8日木曜日

シオン


Kさんの家の入り口の外、道端に植えてあるシオンです。毎年、この時期になると忘れずに咲く、宿根草です。

私が小さかったころを過ごした祖父母の家は川辺にあり、家にも川にも隣接した「菜園」と呼ばれていた小さな野菜畑に、私が物心ついた頃からシオンが咲いていました。子どもにとっては見上げるような高い茎ですが、土手から見ることができました。昔からあった家ですから、家も菜園も川の土手から見たら川側、いわゆる河川敷にあり、庭が狭くて奥に長い家は石垣を築いているので土手と同じ高さでしたが、菜園は土手より低い位置にありました。
何せそこいら一帯は源平合戦の頃は海だったところ、その名残りの川は、海の干満によって下流に流れたり、上流に流れたりする汐入川でした。
シオンが咲くのは祖父母の家だけ、他の家でシオンを見かけることはありませんでした。


その後、川は小島湾の干拓に伴って汐入川ではなくなり、家は護岸工事をするために移動させなくてはならなくなり(実際、家の一部は曳屋で移動させた)、菜園も消えてしまい、シオンも消えました。
それでも私の中にシオンの記憶があり続けたのは、『赤毛のアン』の中にシオンという名前がよく出てきたからだと思います。


ところが、『赤毛のアン』に書かれたシオンは、別の花のようでした。
カナダのプリンス・エドワード島に自生するアスター、Wild Blue Aster(Symphyotrichum cordifolium、旧名はAster cordifoliusなど)のことで、祖母が植えていたシオンは中国北部、朝鮮半島、シベリア原産の紫菀、Tatarian Aster(Aster tataricus)でした。花はよく似ていますが、アジア原産のシオンは背がとても高いのです。そして、Kさんのシオンは、紛れもなく祖母が植えていた紫苑です。

毎年、Kさんのシオンを見ると、忘れている遠い昔の記憶が蘇ってきます。
シオンの近くに植えてあった砂糖きびの甘さと口の中がチクチクする感じ、川にもやっていた、当時すでに使われなくなっていた何艘かの古い木の川舟、川に入ってシジミ獲りをしていて流されて、橋を渡っていた人に助けられたこと、などなど。
祖父母の家とKさんの家でしか、シオンは見たことがない気がします。