2026年3月13日金曜日

伊東屋のエコバッグ

昨日は、高山雛人形をくださったかねこさん、土浦のなゆきさん、私の同級生だったH.Mさんのお連れ合いのようこさん、 という三人官女が、お雛さまを見に来てくれて、お内裏さまならぬ尾上爺婆(おのえのじさばさ)である私たち夫婦とともに、遅まきながら賑やかなひな祭りの宴を開きました。
別々に知っていた人や知らない人が、知らないところでいろいろつながっていて、一堂に会するとは不思議でもあり、不思議でもないところです。
そのようこさんの故郷は明石で、姉上は焼き穴子の魚輝のおかみさん、わざわざ取り寄せてくれた、いつものおいしい穴子をいただきました。穴子は瀬戸内地方で育った私のソウルフード、申し訳なかったと思いながら、嬉しさいっぱいです。


そのようこさんから、銀座伊東屋のパッケージに入ったものをいただきました。
「あれっ、何だろう?」
「開けてみて」


開けるとエコバッグらしいものが出てきました。


ゴムを外すとおしゃれな赤い持ち手が現われました。
「持ち手を持って左右に引っ張ってみて」


簡単に開いたエコバッグは、


形もとてもおしゃれでした。
「この「itoya」って文字、姫井が学生の時デザインしたの」
「えぇぇ、そうだったの!」
知りませんでした。なんと伊東屋の包み紙や袋に長く使われているおしゃれな「itoya」のデザインは、若きH.Mさんこと姫井稔さんがデザインしたものだったのです。
調べてみると、学生アルバイトだった姫井さんがデザインしたためか、その事務所のデザインとされていたり、デザイナーは一切公表されていないとされていたりで、なんとなくぼかされている感じでした。


とにかく、「itoya」は、一目で伊東屋を思い浮かべられる、グラフィックデザインのホームランであることは、間違いありません。
三越デパートの包み紙は文句のつけようのないヒット作品ですが、おしゃれな服装には合わないからか、紙袋は別なデザインになっています。ほかの有名店やデパートで、包み紙と言ってすぐに思い浮かべられるものは思いつきません。紙袋で言えば、伊勢丹、東急ハンズ、紀伊国屋、無印良品など誰が見てもそれとわかりますが、時代の要請か、包み紙としては使われていません(伊勢丹はどうだったか?)。
それに比べて、「itoya」のデザインは、会社の名前が商品になってもかっこいいなんて、とっても素敵です。



広げた後、
「両側を引っ張ってみて」
とようこさん。


あっというまに、もとの形に戻りました。
色、形、機能すべて優れたエコバッグでした。
これまで、これよりちょっと大きいエコバッグを使っていました。やはり畳みやすくて、畳んだら小さくなるもので、畳にくいものや、かさばるものは日常的には使えません。これからはエコバックを2つバッグに入れておきます。








2026年3月12日木曜日

お帰り、掃除機くん

ロボット掃除機は、コードや糸などが絡みついたりすると変な音を立てます。
何も絡まっていないのに音がおかしいと気づいたのは、1月の終わりごろ、それでも働くことは働いていたのですが、音が気になり、メーカーと連絡を取り、動画も送りました。
メーカーも原因はよくわからないとのことでしたが、「修理を希望するなら、送ってください。点検の結果、直せないとわかっても点検料、送料などで 5000円はいただきますが、どうしますか?」と訊かれました。
我が家のロボット掃除機は、アンカーというメーカーのものです。「だいたいこのくらい」と提示された修理費は、往復の送料も含めて1万3千円くらい、この金額では新しいのは買えませんが、もう少し足せば新しいのが買えます。でも、ただの家電とはいえ、3年間一緒に暮らしてきて、家族のような感じがあり、修理してもらうことに決めて送ると、さいわい修理可能との連絡がありました。

そして預けてから3週間、やっと今日、修理を終えて戻ってきました。


修理完了報告書には、回転ブラシモーターと、バッテリーを交換したとありました。
見た目には、回転ブラシをはめ込むくぼみのカバーだけが新しくなっています。回転ブラシモーターはこの中にあるのでしょうか? そして、バッテリーの位置はどこなのかしら? 


センサーがいくつもついているのですが、四角い金属板のようなセンサーの右のものも、なんだか新しいものに見えます。


帰宅早々ですが、すぐに働いてもらってみました。
すると、うっかり床に届いていた糸紡ぎ機の紐を思いっきり絡めて、がぁがぁ騒いだので、解いてやりながら、掃除機が戻った実感がわいてきて笑ってしまいました。







2026年3月11日水曜日

ガラス拭き

明日はお雛さまを見に来る人たちがいるので、居間の西に面した窓の掃除をしました。
私は窓ガラス拭きが苦手です。一生懸命掃除しても、それに結果がついてきたことがありません。なぜかいつも、
「掃除したのに.....」
という、残念な結果に終わってしまうのです。


とくに、西日が傾いたときの窓の汚れの目立ち具合は悲劇的で、ほとんど曇りガラスに見えるほどです。
昔ながらの新聞紙での掃除がいいと聞いて、新聞紙を1枚は濡らして丸めて、1枚はそのままで、外から中からと拭いていたら、夫が、
「そんなのより、ゴムのヘラみたいなので掃除した方がいいんじゃないの?」
と言います。
「やらない人に言われたくないわ」
と言い返したものの、窓ガラス拭きを取り出してきました。
新聞紙で拭いた後のガラスにいきなりゴムベラを濡らして走らせながら、「あれっ、こうじゃなかったよな」と気づき、ほかに道具があったはずと、見てみました。
それほど、窓拭き仕事から遠ざかっていたのです。


窓拭き道具は、いろいろありました。
スポンジや濡れ雑巾でガラスを濡らしてから、ゴムベラで汚れを拭き取るのが手順です。ところが、器具につけていた古いスポンジは変色したうえ、二つに割れています。


新しいのと取り換えましたが、いったいどれだけ長く使わなかったのでしょう?


小1時間もかけて、窓ガラスを1枚だけ掃除しました。足場の悪い方のガラスは手つかずです。
掃除した窓ガラスとしない窓ガラスの「違い」を確認したい気持ちがあり、そのまま夕方を待つつもりです。


掃除した窓としなかった窓の違いがはっきり分かったら、これからの窓拭きが楽しくなるのですが、あまり違わなかったら、がっかりしてさらに窓拭きが嫌いになりそうです。




 

2026年3月9日月曜日

春の猫


春めく日が多くなった昨日、猫たちにノミ、ダニがつかない薬を投与しました。今年になって初めての投与です。


我が家には、猫専用の出入り口が2か所あるので、猫たちは自由に出入りできます。外で過ごす時間も長くなってきました。
ご飯の時間になっても帰ってこない、呼んでも帰ってこなくて、やきもきさせれられる日もありますが、たいていは帰ってきて、うろうろと食事を待っています。


草むしりをしているときなど、どこからともなくやってきて邪魔します。草抜きカマの先をめがけて、動かすたびに手を出すときは、怪我をさせないように要注意です。

おもしろいのは、出入り口から出て行く時と帰る時の猫の態度が違うことです。
先代猫のトラもそうでしたが、出かけるときは扉をそうっと押して音もなく注意深く出かけるので、いつ出て行ったか分かりませんが、帰るときはパタンパタンと大きな扉の音を立てて駆け込んでくるので、「帰ったな」とわかります。
あまりにも急いで駆け込んだときに、何事だろうと見ると、何か怖いことでもあったのか、尻尾を太く膨らませています。


そんな猫たちが無防備でいられるのは、やっぱり室内ですが、外生活が楽しい季節がやってきたのも確かです。






 

2026年3月8日日曜日

餅は餅屋

私は、左官仕事を苦手としてきました。
それでも、7、8年前までは悪戦苦闘しながら、作業棟の外壁や門の壁の一部など、下塗りだけはすましたところもありました。しかし、道半ばで力尽きて、今では簡単にしゃがんだり立ったりできないので、そのままになっていました。
作業棟の室内は、足場がないこともあって、まだどこも下地のままです。

さて、夫が設計したf邸では、左官仕事を、以前我が家の母屋を仕上げてくれたつかださんにお願いしていたので、久しぶりにつかださんの仕事を見る機会がありました。いやはや凄い!わけなく、あっというまに壁が仕上がっていきます。夫とも相談して、中断している我が家の壁塗りを、つかださんにお願いすることにしました。
以前、我が家に来た建築家の方にあきれられたことがありました。普通、人目につく「顔」である表だけは、何があっても仕上げるものなのに、恥ずかしげもなく下地が見えていたからです。

「春になって、気温が上がったら行きましょう」
と言っていたつかださんが、ついに来てくれました。
1日目に、外壁で下地が見えていたところはすべて下塗りされ、2日目には漆喰で仕上げ塗りされました。


写真は、門の左端です。
壁の右側は坂を上ってきたらまず目に入るところ、植木が邪魔なので下塗りをしてなくて、あきれられた壁です。でも左側部分は、見えないところです。材木置き場の屋根が迫っているので、屋根の上下から塗らなければならないし、面倒だったらそのままでいいと伝えたのですが、つかださんは塗ってくれました。


全く手つかずのところも、下塗りで灰色だったところも、白いしっくい壁になりました。


作業棟の屋根と下屋の屋根の間の壁は、下塗りしたところと下塗りもしてないところがありましたが、今では下塗りされて灰色です。これが、やがて真っ白になったら印象が違うことでしょう。



2026年3月7日土曜日

ユーモアが欠けているよね

木曜日の文化放送の、「大竹まことのゴールデンラジオ」の「紳士交遊録」のゲストは作家の高橋源一郎さんでした。
SNSで発信するたびに炎上するんじゃないかとうっとうしい。動画を見るたびにAIでつくったものかと疑ってしまう。などという話の続きで、源一郎さんが自分が炎上したときの話をしました。
尖閣諸島に中国の人が上陸したことがありましたが、そのとき意見を求められて、
「基本、どうでもいい」
と答えたら炎上したというのです。
当時は原発問題もあり、源一郎さんにとっては尖閣諸島の問題はプライオリティーが低いものだったのでそう答えたら炎上、家族を殺してやるなどという殺人予告までされて、大きなバールを買ったそうでした。

以前、私は夫と話していたとき、
「尖閣諸島も、竹島もお互いに共有すればいいのにね」
と言ったことがありました。国境として線引きするのは、よく考えれば確かにどうでもいいこと、チャップリンの映画に、国境線をまたいでがに股で歩いていく(逃げていく)映画がありました。
パレスチナにしても、イスラエルが武力で占領する前は、パレスチナ人(アラブ人やベドウィン)は、その地に住みたいというユダヤ人を快く受け入れて、仲良く暮らしていたのでした。

さて、高橋源一郎さんによると、鄧小平は、
「尖閣諸島は先送りにすればいい」
と言っていたそうです。どっちも引き下がれないことだから、あいまいにしておくのが一番いいとの考えです。
ところが政治家は看板を下ろせない。国民が許さないというのです。

日韓の間で竹島問題が深刻になったとき、小さい島ゆえ、誰かが、
「爆破して島をなくせばいい 」
と言ったら、当時のパククネ大統領も、
「それはいいね。でも国民が許さないだろう」
と言ったらしい。
源一郎さんは爆破よりいい考えとして、竹島をブルーシートで覆って、海だということにしたらどうだろうと発信したら、これも炎上したそうでした。
覆ってしまうことは、源一郎さんのオリジナルではなく、梱包芸術家のクリストとジャンヌ=クロード夫妻を真似たものです。

クリストとジャンヌ=クロード夫妻は、これまでいろいろなものを覆ってきました。
まだドイツが東西に分かれていたとき、夫妻はベルリンにある旧ドイツ帝国国会議事堂を布で包みたいと申し込みましたがが、ドイツの国会は最初は拒否しました。しかし、それから何度も議論に議論を重ね、僅差で梱包賛成派が勝って実現したのは、企画してから24年後の1995年で、東西ドイツの統一がなされた以後のことでした。
梱包に反対する人の意見としてお金がかかるというものあったのですが、お金は寄付などを集め、クリスト夫妻がほぼ用意しました。


梱包された議事堂の周りには祝祭ムードがあふれ、東西ドイツ統一の象徴にさえ見えて、梱包は大成功でした。

その日の「ゴールデンラジオ」のパーソナリティーだったのは、ジャーナリストの青木理さんで、青木さんは共同通信社に勤めていたとき、特派員としてソウルに3年滞在しています。
青木さんのお話では、韓国の人に竹島問題についてたずねたら、素敵な答えをもらったことがあったそうです。
「韓国人にとってはドクト、日本人にとっては竹島、それでいいんじゃない」

今の炎上には笑いがない、人生に大切なのはユーモアではないかというお話でした。
国民より、地球の民になりたいものです。







2026年3月6日金曜日

蔓の籠


ヤフーオークションで見かけた、バケツ形でちょっと楕円形の籠です。
蔓(かずら)で編んでいますが、収穫籠なのか、あまり見たことのない材料と形のものでした。値段は安かったのですが、送料の方が高かった、安いものにはよくあることです。


胴は市販の紐で、すだれや菰(こも)のように編んであります。


底は底で、蔓を楕円形に形づくりながら、紐で押さえて編んで、それを胴に取りつけています。
この写真で、胴の下縁の上に紐が見えていますが、この紐で底を胴につなげているというわけです。


胴の編みはじめと編み終わりはきれいに始末されています。
底をつくってからその円周に合わせて胴をつくったのか、胴を先に決めておいて、あとからそれに合わせて底をつくったのか、わかりません。


稲わらで菰を編んだり、竹や萩ですだれを編むときは、1段編むごとに新しい材料を差し入れますが、これは長い蔓を端(縁)で折り曲げながら続けて編んでいるので、長い蔓の長さが足りなくなったときは、端ではなく途中で新しい蔓を継ぎ足しています。


端で折り曲げながら編んでいるため、縁の始末をする必要はなく、縁は美しい仕上がりです。
この籠を出品されていたのは佐賀県の古道具屋さんです。
九州には蔓だけで籠を編む地域があったのでしょうか? もちろん、この籠が九州のものとは限りませんが、竹の手に入りにくい地域でつくられたのかなと思いました。


右のアオツヅラフジのテゴと比べると、その太さがよくわかります。蔓はでしょうか?


蔓は、どんなものでもいいというわけでなく、まっすぐに伸びた、太さが均一なものが必要なので、材料集めが大変です。
この籠は美しく編めているだけに、自家用につくられたものか、それとも売りものとしてつくられたものか、売りものとしてつくられたなら、年中蔓で籠を編む籠師さんがいたのか、それとも冬場の農閑期だけ編んだのか、籠師さんはほかの形の籠も編んでいたのか、などなど想像の広がる籠でした。