2026年5月18日月曜日

ヴェトナムコーヒー

 


キルト展のとき、いつも大工仕事や草刈りを手伝ってくれていたKさんご夫妻が、観に来てくれました。
お連れ合いのHさんは弁護士さんで、ヴェトナム人の裁判に役立てようと、2年前からハノイに語学留学をしていますが、この時は一時帰国していて、お土産にヴェトナムのお菓子とコーヒーをいただきました。


ヴェトナムコーヒーには、この絵のカップの底に沈んでいるような練乳が不可欠ですが、私はこれまで一度も練乳を買ったことがなく、買いそびれて、そのままになっていました。
私の練乳の記憶は、小さめの缶詰で止まっています。プルトップもついてない缶に、缶切りで2ヵ所穴を開け、その一方から練乳を注ぐものです。練乳は固くて出にくく、一度に使い切ったりしないので、缶は糖分でべたべたになります。そして練乳が乾いて出が悪くなったら、片方の穴に口を当てて、思い切り吹くとなんとか出てくるのです。
一体どこで経験したのでしょう? 私の実家にも、たぶん練乳はありませんでした。


スーパーマーケットに行って、店員さんに練乳の売り場を聞いたら、まぁおしゃれ! こんなチューブに入っていました。


ヴェトナムコーヒーを淹れる道具、カフェ・フィンは3組持っています。2組は実用、右の手づくりっぽいカフェ・フィンは展示室の飾り棚に置いています。


コーヒーを淹れ終わったときは皿にもなる蓋以外には、小さな穴が開けてあります。


グラスに練乳を入れ、カフェ・フィンをセットし、コーヒーを入れ、中蓋でコーヒーを軽く押さえ、沸かしたお湯をカップの縁のきわまで注ぎます。するとポタポタとコーヒーの滴が落ちてきます。


蓋をして、コーヒーの滴が落ちなくなるまで待つこと4、5分、コーヒーと練乳を混ぜて飲みます。
久しぶりに飲んだヴェトナムコーヒーは、温かで濃いコーヒー牛乳のような味がして、美味でした。

Hさんは、これまで埼玉県で事務所を持っていましたが、7月に帰国してからは、東京で弁護士登録して、外国人案件を多数扱っている法律事務所に入所するそうです。ヴェトナム人にとっては、心強いことでしょう。







2026年5月17日日曜日

日本三大七味

3月初めにキルト展を見に来てくださった長野のHさんから、美味しいお菓子とともに、七味唐辛子のお土産をいただきました。


素敵な意匠の缶で、別についていた紙袋に入っていた七味をこの缶に移し、食卓に置いて楽しんでいました。


すると、4月末にHさんがご一家で我が家を訪ねてくださったとき、またまたたくさんのお菓子とともに、七味のお土産もいただきました。
七味はみだりに開けては劣化する、前にいただいたのを使い切ってから開けようと、そのまましまっておいたのですが、昨日、かねぽんさんが同じ「八幡屋礒五郎」製の七味をUPされていて、缶には色々な種類があると知り、比べてみたら3缶とも違うものでした。
3月にいただいたのは、長野県150周年記念缶という、特別の缶でした。
 

県制度ができてから150周年の記念缶は、小さな缶に長野の情報が満載でした。
長野県のゆるキャラのアルクマが、諏訪大社の御柱祭、善光寺、松本城、そして安楽寺の八角三重塔を紹介しています。


そして、他の缶にある説明書きはありません。なるほど、だから七味は紙袋に入っていて、そちらに説明書きがあったのです。


4月にいただいた七味缶の裏側には善光寺が描かれ、ゆず七味には昔の意匠である、唐辛子、みかん、生姜など原料のイラストの真ん中に八幡屋の紋を配し、「御高札前八幡屋礒五郎」の文字も見えます。
八幡屋礒五郎は江戸時代の元文元年(1736年)、善光寺の境内で唐辛子を売り始め、3代目の時に、境内でも一等地の御高札前で売ることを許され、軽くてかさばらない土産ものとして人気を集め、御朱印を頂く御高札の前で売られていたので、「善光寺参りの手形」とまで言われていたそうです。


ゆず七味は、七味+ゆずの八味となっており、お決まりの陳皮も入っているとのこと、開けて味わってみようか、やっぱり150周年記念の七味がなくなるまで開封しないでおこうか、思案するところです。


それにしても素敵な意匠です。
東京の薬研堀、京都の七味屋本舗、それぞれに容器に趣向を凝らしていますが、八幡屋礒五郎が飛び抜けて魅力的、どんな食卓にも似合います。
タイ人だったら、1缶を1週間もあれば使い切るのですが......。





2026年5月16日土曜日

カバのうがい薬

夫の風邪は痰が絡んで、なかなか治りません。
一昨日はとうとう病院へ。
熱は37度前後だったのですが、コロナ以降は厳戒態勢が続いていて、一般外来では診てもらえず、発熱外来専門の時間に検査をしました。予想通り、コロナではなく、インフルエンザでもなくただの風邪で、痰切りの薬や喉の薬と共にうがい薬ももらったのですが、夫はそのうがい薬が薄い気がして気に入りません。


我が家でこのところ使っていた市販のうがい薬は、カバのついたうがい薬が見つからなくて(探し方が悪かった?)、犬のついたイソジンのものでした。
「うがい薬を買ってきて」
と、夫。
やっぱりうがい薬はカバがついている方がいいかと、今度はカバを目当てに探しました。 しかも、コップつきが欲しいのです。
というのも、我が家にあったカバのエンボスのある、薄いプラスティックのコップは、長い間使っていたせいか縦線(継ぎ目?)のところが割れて、うまく持たないと水が滲み出るものだったのですが、今回、夫に捨てられてしまっていました。夫は処方よりちょっと濃いめが好きなので、目盛はあまり気にしていないのです。


うがいをするカバは、「明治・イソジン」から「明治」に引き継がれ、今度は「健栄」になっていました。右は病院から処方されたうがい薬です。


しかし、開けてがっかり、コップにはカバがついていませんでした。
こんなことなら割れたものでも、カバのついたコップを取っておくべきでした。


我が家には骨董市で見つけて、ヒポミさんに送ろうと買ってきたものの、「絶対持っているよね」と、送らずじまいになっている、明治のカバくんがいます。


と、ヒポミさんのブログを見たら、可愛いうがい薬のカバがいっぱいいたけれど、セーターに半纏姿のカバは見当たりませんでした。
持っているかどうか、訊いてみなくてはなりません。たいがい持っているんだけどね。










2026年5月15日金曜日

高校の卒業アルバム


4月に5日ほど来ていた長男が、自分の昔の写真やノートなどを探すために、2階展示室の飾り棚の下の戸棚をあさっていて、
「こんなのがあったよ」
と、私の高校の卒業アルバムを出してきました。
戸棚には家族写真、卒業アルバム、卒業証書やその他の証書、いろいろな人の結婚写真、新聞の切り抜きなど、何でも放り込んでいるので、「それはあるだろうよ」と思いながらも、久しぶりに開いてみました。
卒業アルバムは、アルバム制作委員を決めて制作に1年近くをかけたものらしく、個人写真と、運動会、体育祭、文化祭、遠足、修学旅行などの行事だけでなく、日常の学校生活も丁寧に拾って編集していましたが、驚いたのは巻末に全員の連絡先が記載されていたことでした。電話には、「呼び出し」と「注」のあるものもあります。家に電話がない人は、ご近所の電話番号を自分の連絡先として登録しておいて、そこに電話してもらって、「電話ですよ」と、取り次いでもらっていたのです。

みんなおかもとさん!

個人写真を見ながら名前を当てようとしましたが、135人中、名前を覚えていたのはたったの20人くらい、私と同じ苗字の人が3人いたこともすっかり忘れていました。

クラブ活動紹介のページもあって、それぞれの部に過不足なく部員がいました。もっとも、クラブ活動していたのは、2年生までだったと思いますが。
語学は、英語部、フランス語部、ドイツ語部。身体を動かす部では、バレー部、バスケット部、テニス部、卓球部、山岳部。趣味(?)の部では、音楽部、演劇部、文芸部、美術部、華道部、箏曲部、書道部。勉強系では化学部、古典部。そして、Y.M.S部、社研部、聖書研究会というラインナップでした。
私は、祖母の家にお琴があったので、弾ければ祖母が喜ぶだろうと思って、箏曲部を覗いたのですがすぐギブアップ、テニス部で他校との試合に出たこともありましたが長続きせず、演劇部に落ち着いていました。
「んっ? Y.M.Sって何だったっけ?」
ネットで調べると、Youth Mobility Schemeの略、今はイギリスのワーキングホリデーを指しているようです。
西武線沿線の萩にあった学校の付属の農場に、年に数回農作業に行ったのですが、その農作業の帰り道に、Y.M.S部の友だちに一緒させてもらって、高田馬場の駅前にあった米軍の旧かまぼこ兵舎を利用した孤児院に寄ることがありました。この活動は「セツルメント」と称されていて、孤児たちと遊んだり、飴をあげたりしてひとときを過ごすのです。
当時はY.M.Sもセツルメントも意味を知らず、知ろうともせず、そのまま受け入れていましたが、キリスト教系の学校でもないのに、クラブ活動としてY.M.S部や聖書研究会があったことの謎に、今ごろになって驚いています。
設立の背景に何があったのでしょうか?

朝霞基地跡のかまぼこ兵舎。高田馬場駅脇にも同様の建物の孤児院があった

当時は、高田馬場から新宿、渋谷のあたりまで、山手線の外側には広々とした空き地が広がっていて殺風景でしたが、今ではその面影も残っていません。






 

2026年5月14日木曜日

f邸の玄関ドア

昨日、建具屋さんから、f邸の玄関ドアができたので取りつけたいとの連絡があり、風邪がまだ抜けない夫に同行してf邸へ行き、建具屋さんを待ちました。
玄関ドアの全体の枠とドアのフレームは木サッシ屋さんがつくっったものですが、ドアはフレームだけでぽっかり穴が空いた状態。それに建具屋さんが木で細工して、中には断熱材を挟んで、一部にはガラスも入れたドアをつくってくれたのです。


建設中は、穴を塞いだドアを取りつけていましたが、穴に細工をするために建具屋さんがドアを持って行っている間は、玄関は合板で塞いでありました。


建具屋さん到着。塞いでいた合板を外しました。


実はこのドア、我が家の玄関のドアにそっくりです。夫が図面を描いてお願いしたもので、建具屋さんは、
「いやぁ、これは細工が大変だった」
とおっしゃっていました。
写真で比べてみたら、枠への埋め込み方、内側の処理などが、私のつくったものより数段美しくできていました。それもそのはず、安達建具屋さんは2005年の第23回技能グランプリ全国競技大会で、1位に輝き、厚生労働大臣賞と全国建具展示会林野庁長官賞を受賞それを新聞で見て我が家の障子をお願いしたという経緯がありました。


外から見ると、オレンジ色のガラスに夕日に映えるそうです。


あとは障子だけが残っています。





 

2026年5月13日水曜日

マニュアル車で町へ

昨日は軽トラックのオイル交換を予約していました。
我が家には、軽乗用車、乗用車、軽トラックの3台ありますが、数年前にボロボロになった軽トラックを新しく買って以後、軽乗用車、乗用車の具合が次々に悪くなってそれぞれ廃車、同じ中古車店で買い替えました。
そのお店では3ヶ月に1度、無料でオイル交換をしてくれます。 乗用車2台に関しては、私が管理しているので、定期的にオイル交換していますが、軽トラックはと見ると、昨年の8月に交換したきりでした。

さて当日は、夫は(私がうつした)風邪で絶不調でした。熱はないのですが、身体がだるくて、ときおり苦しそうな咳もします。
「どうしよう?」
私はこの数年、マニュアル車で町中まで行ったことがありません。お店までは約15キロ、夫が運転して行くものと思って予約したのですが無理なので、私が運転して行く以外ありません。一人では心細いので、せめて助手席に乗って行ってくれないかと夫に頼んでみましたが、即座に却下されました。
ああぁです。

そんな状況でしたが、運転しはじめると心配するほどのことではありませんでした。というか、オートマティック車にはない爽快感もあり、曲がるときも不精せずクラッチをこまめに切り替えて、お店にすいすい到着しました。


オイル交換をしてもらっている間、お店の人に断って、国道の反対側にあるショッピングモールにパンを買いに行きました。
いつもだったら国道を横切るのが億劫なので、オイル交換が終わった後に車で行きそうですが、できるだけマニュアル車に乗らないようにしようという魂胆が働いてしまいました。


お店に帰ってみたら、オイル交換とオイルエレメント交換がちょうど終わりかけたところでした。

我が家では、何となく棲み分けていて、軽トラックは夫、軽乗用車はおもに私、乗用車は遠出でどちらもとなっていますが、これからもときおり、軽トラックにも乗ってみようと思いました。







2026年5月11日月曜日

かせ繰り機

 

織物教室に置いてあった、かせ繰り機です。
近藤さんがどこかでもらったものなのか、使っていた形跡のないものでした。


というのも、鉄の心棒が曲がっていて、竹も折れていて、おそらく手に入れた時から使えない状態だったと思われます。
竹を切るのに最も適した季節の11月に修理しようと思って、昨夏には鉄棒を買って冬の来るのを待っていたのですが、うかうかしていて、竹を切る季節はとっくに過ぎてしまいました。


このまま、次の竹切りの季節を待っていても、また切らないかもしれない。それよりはと、テーブルソーで落とした杉の端材を使ってつくってみることにしました。織物教室の現役のかせ繰り機も杉材を使っています。


まず、元の竹と同じ長さで6本揃えました。


きれいに磨いてから、端に紐を結ぶためのくびれをつくります。


心棒には細めの篠竹を通しておき、その両端に穴を開けた薄板を通し、麻紐で左右の薄板をつなぎます。
麻紐は持っていた麻の双糸をもう一度撚り合わせて、それをダブルにして使い、次々と3組つくりました。


さて、使いものになるかな?


心棒を片側は穴に通すので、薄板などを取りつけた後では、本体に据えつけにくかったけれど、手前だけ押し上げてかせを掛ければいいので、かせ繰り機として十分使えそうです。


かせを掛けてみました。
かせによって長さが違います。自分でつくったかせでも、糸を洗ったら縮むので、そんなとき長さの違うかせに自在に対応できるかせ繰り機が必要になるのです。
また、反対に糸の長さを知りたい場合は、1回転で150センチなど、あらかじめ長さが固定されたかせ繰り機の方がずっと便利です。


いらなくなった部品をばらしました。
木綿の残糸を合わせてつくった紐など、有り合わせのいろいろな紐が使われているのはわかっていましたが、なんとその1本は紙の紐でした。ちょっとびっくりです。


竹の厚みも幅もまちまちだったので、使う人かその家族などがつくったものに違いありません。