2026年5月3日日曜日

津軽箕(?)

5月3日は「箕の日」、箕の日に勝手に協賛です。


上の写真の箕は、どこの箕でしょうか?
自然を編む知恵と技 箕』の「全国片口箕産地一覧」の写真と見比べたり、奥畑正宏さんの「調査ノート」を読んだりしながら推測して、「津軽箕」かなと思いましたが、はっきりとは特定できませんでした。幅90センチ、奥行き73センチ、高さ16センチの大きな箕です。
もしかしたら津軽箕ではないかも知れませんが、津軽箕であると仮定して、以下、津軽箕について書いてみたいと思います。

津軽箕の経材(たてざい)はフジ、緯材(よこざい)はイタヤカエデ、縁材はネマガリダケ、巻材はサルナシ(=ニギョウ)、補強材はヤマザクラの樹皮で、ヤマザクラは補強というより素敵な装飾に見えます。


『自然を編む知恵と技 箕』の第6章資料編の、「全国片口箕産地一覧」の表によれば、1950年代には、青森県弘前市の東目屋村と西目屋村の2カ村合わせて、箕のつくり手の家が約30軒ありました。
時代的に、津軽箕の生産量が最も多かったのは1955年(昭和30年)で、一人のつくり手が年間で300個ほど箕をつくり、できた箕は、つくり手自身がおもに青森県内を行商して売りさばきました。
30軒のつくり手がそれぞれ300個ずつつくったということは、1年間で9000個もの箕が生産され、青森県の農家に供給されたことになります。

太平洋戦争終戦以前の農業形態は、少数の地主が農地を所有していて、多くの農民は地主の農地を耕す小作農でした。
戦後まもなくの1946年(昭和21年)に、占領軍発案の民主化政策として「自作農創設特別措置法」が制定され、地主から農地を強制的に買収し、その土地を耕している小作人に払い下げる大規模な改革が行われました。また、農地改革によって創出された自作農が自身の土地をより効率的に耕作するためと、土地改良事業の一環として、1950年ごろから急速に区画整理(圃場整備)が組織的に行われるようになりました。
それらのことと、1955年が箕の需要のピークだったことは、深く関係していたように私には思われます。この頃までに箕が自作農になった各農家にいき渡ったのではないでしょうか。
私は昭和30年に1000円で購入したと墨書きのある箕を持っています。箕は自作農家には必需品だったものの、値が張るものでした。



さて、日本の片口箕の、もっとも古い出土品は、弥生時代前期(紀元前8世紀ごろ)のもので、箕は水田稲作とともに朝鮮半島からもたらされたものと推定されています。
もたらされて以後、箕は何千年にもわたって、農業などに欠かせないものとして、途切れることなくつくられ続け、使われ続けてきましたが、1960年代(昭和20年代半ばから30年代半ば)に、生業である稲作を含む農業の劇的変化により、衰退を余儀なくされました。



箕は、農具の中でも特別なものでした。
2025年に発行された『秋田県立博物館研究報告第50号』の、齊藤壽胤さんと丸谷仁美さんが書かれた、「箕を売る 太平(おえだら)箕の行方と箕売り習俗」には、以下のような一文があります。

 「箕」は、穀物を入れてあおり、籾殻や塵を選別する、または穀類を集める、入れる、 運ぶ、などに使われることが多いことから、箕そのものが穀類の豊穣をもたらすと感受され、刈り上げの節供や小正月の御霊の飯を盛る祭器具とも なり、また、病気や悪霊除却の呪具とも見なされて、
他の農具とは格段な信仰的に扱われることが明らかである。






 

2026年5月2日土曜日

春の嵐


昨日は激しい雨でしたが、午後にはいったんやんで青空がのぞいたものの、夜にはまた強い風が吹き荒れました。


折れてしまったクヌギの枝。


落ちてしまったカツラの葉。


カエデの枝やカツラの葉に混じっている白いものは、遠くから飛んできたトチの花です。


過去には、
「このくらいの雨や風で!」
とびっくりするくらい、大きな桐の木や松の木が倒れてしまったことが何度もありました。今日も、コナラの大きな枝が坂道を塞いでいて、それを取り去らなくては車は外には出られませんでしたが、まあまあの荒れ方で済みました。






 

2026年5月1日金曜日

ちょっときれいになりました

天才バカボンの招き猫の埃を払っていたら、汚れが目立ちました。


これまでは、刷毛で時折埃を払ってきたのですが、刷毛では取れない埃が付着しています。ソフトビニール製なので、劣化はやむを得ないと思っていますが、貯金箱になっていて後頭部に穴が開いているので、丸洗いはちょっと難しそうです。
絞った雑巾で拭いてみたら、少しはきれいになるでしょうか?


水拭きしたら、入り組んでいるところはきれいにしきれていませんが、口の上あたり、だいぶきれいになりました。


左は拭く前、右は拭いた後の、れれれのおじさんです。汚い手で触った覚えはありませんが、あちこち汚れていました。


きれいになったバカボンとバカボンのパパ。


ホンカンとれれれのおじさん。


招き猫たちは棚に置いています。
棚にガラスの扉をつければ埃のつき具合は減るとは思いますが、ガラス扉をつけると光を反射して見にくくなります。まして、劣化させないように箱に入れておくという選択肢は私にはない、いつでもよく見えるところにいて欲しいので、できるだけ、刷毛や雑巾できれいにしてやれればと思います。


3.11の後、棚にアルミ棒を通して転落防止にしましたが、バカボンたちはソフトビニール製なので落ちても問題ないと、ガードはつけていません。






 

2026年4月30日木曜日

嬉しいお土産


ふぢこさんから、北海道のお土産をいただきました。
くら屋菓子本舗の「北海道木彫り熊モナカ」です。くら屋のある北海道二海郡八雲町は、初めて木彫りの熊がつくられた地なのだそうです。


木彫りの熊は口を開けていて、毛並みも彫られていて、とてもよくできています。
包装紙を取って写真を写したいのだけれど、食べたいのだけれど、すぐ食べるのが惜しい。しばらくこのまま眺めていたいと思います。


そして、もう一つは桧山郡江差町の五勝手屋本舗の「五勝手屋ミニ丸缶羊完」です。正味期限は長いのですが、ふぢこさんが、
「糸で輪切りにしながら食べるの」
と言っていたので興味津々、包装紙には、「フタを取り上部の固い部分をつぶし下より押し出し糸で切ってお召し上がりください」と書いてあるので好奇心を抑えきれず開けて見ました。


レトロな包装紙がおしゃれだったのに、剥がさないと糸は出てきませんでした。


糸で切ってみます。面白い。


2切れ切ったところで、蓋をしました。
夫に1切れあげるつもりだったけれど、彼もやってみたいだろうと、この2切れは私がいただいて、やらせてあげました。
なんで? 夫は細かいことを気にしなさすぎる性格、糸を縁に沿わせなかったので、まっすぐ切れないで羊羹が曲がってしまいました。


楽しい、嬉しいお土産でした。
ごちそうさまでした。






 

2026年4月29日水曜日

長野からの客人

日曜日には、長野からHさん父子がいらっしゃいました。


キルト展の時も見に来てくださって、たくさんのお土産をいただいたのですが、またたくさんのおいしいお菓子、漬物、野菜までいただいてしまいました。


 久しぶりにテラスで天ぷらを揚げました。


天ぷらのタネの野菜は、庭の柿の葉、タラの葉(芽はとっくに葉になってしまった)、ウドの葉、ギョウジャニンニクの葉、お土産にいただいたナスなどでした。
もう長いこと、ハリエンジュ(ニセアカシア)の花の天ぷらを食べていません。耕作放棄地などにたくさん自生していましたが、ことごとく切られてしまったようです。


八郷ミニツアーをして、やさと暮らしの実験室、つながる図書館、Oくんの家Sくんの家を訪問しました。
Oくん、Sくんは、木を切ったりして整地するところから、自分で家を建てました。自力建設に関心があるHさんたち父子(Hさんはお医者さん、長男さんは建築家、次男さんは森林管理の仕事)は、それぞれの個性が出ている家を見て大感激されていました。
思い立って突然行ったのに、幸い両家とも在宅でしたが、S家では筍でメンマのつくり方のワークショップが開かれていて、15人ほどの参加者がまさに学習中、これはこれで素敵な風景でした。






2026年4月28日火曜日

雨上がり

晴れの日、雨の日、晴れの日、雨の日。
このところ、目まぐるしく天候が変わる日々が続いています。
今朝、ゴミを集積所に捨てに行く途中、昨夜降った雨が、朝日に温められて水蒸気となって上っていく姿が見えました。
ゴミを捨ててから、写真を撮ろうと道を右に曲がって、筑波山が正面に見えるところで車を停めました。


あれっ、最初見た時から3分くらいしか経ってないのに、雲の様子はまったく違っていました。


水蒸気はどんどん上って、どんどん消えています。
家に帰ろうと、道を右に曲がって、さらに右に曲がって、右手に筑波山を見ました。


1分?2分? 写真を撮ってからほとんど時間が経ってないのに、雲の姿はすっかり変わっています。


さっき見た雲は、温められて、もう消えてしまったのです。


左へ曲がって、右へ曲がって山道にさしかかろうとする前に見たら、また雲は高くなっていました。そして、我が家に帰ってテラスから見た時は、もう山の稜線より下の雲は、すっかり消えていました。
この間、10分もかかっていませんでした。






 

2026年4月27日月曜日

うちの象(4)日本の象

野生の象のいない日本でも、象のおもちゃや飾りものが、いつからかつくられています。


『Wanderland of Toys ① ブリキのおもちゃ』(北原照久編集、シンコーミュージック、1983年)には、主に輸出用だった象のおもちゃが載っています。


上の写真の象は1950年代につくられたものですが、30年代につくられた上の上の写真の象に比べると、写実から漫画チックになっています。時代の違いでしょうか、それとも製造会社の違いでしょうか?

さて、うちにはブリキでできた象はいませんが、日本の象も少しだけいます。


竹だけでできた小さな象です。
ソテツギンナンの実、どんぐりのはかまなどなど、ちょっと昔の人々は、自然にあるもので工夫して器用に人形をつくったものですが、この竹の象も節や枝を生かして、見事につくられています。


浜松張子の艶かしい象です。車に乗っていて、押すとかわゆく首を振ります。
張子の象は、意外にたくさんつくられていて、「郷土玩具の動物園」で紹介されています。

「郷土玩具の動物園」からお借りしました

それを見ると、浜松張子には別の象もいたことがわかります。4代目の二橋加代子さんがつくられたものです。

久之浜張子。「郷土玩具の動物園」からお借りしました

ほかには、福島県いわきの久之浜張子(1976年に廃絶)、広島県の常石張子、千葉県の下総張子、香川県の高松張子、福岡県の柳川張子などが紹介されています。また、「ふるさとの玩具」には、張子だけでなく土人形の象も紹介されています。

象が初めて日本にやって来たのは1408年、室町時代のことでした。
二度目は信長の時代の1575年、三度目は江戸時代の1728年にヴェトナムから献上された象で、その時は長崎から江戸まで歩いたので、大ブームになったそうです。大きいから、見逃されるはずはありません。

常石張子。「郷土玩具の動物園」からお借りしました

ちなみに、広島県の常石張子の象や唐子は、江戸時代に鞆の浦へ寄港した朝鮮通信使に由来してつくられはじめました。


最近の象のおもちゃです。