2026年7月25日土曜日

浜松張子の鯛車(2)


浜松張子は明治元年ごろ、明治維新により禄を離れた旧幕臣三輪永保(ひさやす)が
反古紙を使って江戸風の張子玩具をつくったのがはじまりです。
永保は息子の永智(ながと、ー1955年)にも張子の技術を習得させて、父子二代で、武家好みの気品のある張子を制作しました。

昭和20年6月18日の浜松大空襲で工房は焼け落ち、張子の木型、資材などはすべて灰燼に帰しました。永智の妹の三代目二橋志乃さん(1880−1973年)は、戦後すぐに精力的に古型の復元に取りかかり、昭和32年(1957年)には、古型をほぼ復元して、浜松張子の継承に貢献されました。
写真は、志乃さんのご子息の妻、四代目の二橋加代さん(ー2017年)作の鯛車です。


左は加代さんの娘の五代目の鈴木伸江さんのつくった鯛車、祖母の志乃さんが復元された型を使っています。


右の、加代さんの鯛車には銘はありませんが、「浜松鯛車 56/1/11 例会」と書いたシールが貼ってあるので、「日本郷土玩具の会」か何かの昭和56年(1981年)の正月例会で、領分されたもののようです。


母と娘の鯛車を比べてみると、右の加代さんの鯛は、伸江さんの鯛よりも胸びれが横に開いていて、お腹が白いという違いが目につきます。


浜松張子には「ころがし」と呼ばれる車のついたものや、「首振り」、「起き上がり」、吊るして手足が動くものなど、動かして遊ぶ玩具も多く、どれをとってもかわいらしいのですが、ころんとした鯛車の可愛さは格別です。



 


 

2026年7月23日木曜日

お久しぶり!


来週、MSさんとFTさんが遊びに来るので、だいぶ伸びて通りにくくなっていたM+M家への道の草を刈りました。
MくんとMちゃんだけでなく、MSさんとFTさんとも1980年にタイのバンコクの日本人会の建物で出会った仲です。
当時、カンボジアでは、ヴェトナムを後ろ盾にしたヘンサムリン・フンセン軍がポルポトの圧政わ終わらせようと攻め入って、各地で戦闘が繰り広げられたのち、カンボジア西部にまで追い詰められたポルポト派は、西部で連日、激しい抵抗を続けていました。タイ東部には命からがら国境を超えたカンボジア人が連日押し寄せ、アランやプラテートに国連が難民キャンプを開設、各国のNGOが救援活動をしていました。
日本は「金は出しても人は出さない」と国際社会から白い目で見られていたのですが、実際には、若い人を中心にたくさんの日本人が休暇をとり、学校を休み、仕事を辞めてバンコクの日本人会の建物に集まっていました。
しかし、国連にNGOとして登録しなければ、難民キャンプに入ることさえできません。バンコクの日本大使館にもなんとかしたいと考える人もいて、いろいろな人たちが力を合わせて、日本人会の1室を借りて事務所として、日本で最初の国際協力NGOが誕生しました。
Mくん、Mちゃん、FTさん、MSさんはそんな、日本から駆けつけた中の一人で、以後も活動にかかわった人たちでした。そして私たち家族は、1979年暮れにバンコクに来ていたのですが、誘われて活動に参加するようになり、そこで、Mちゃんたちと出会ったというわけでした。

FTさんには1981年に、ビルマに連れて行ってもらったことがありました。
私は長期ビザを持っており、短期で取り直す必要はありませんでしたが、難民キャンプで働く人たちは3ヶ月のビザしかなく、3ヶ月ごとにマレーシアのペナンまで行って、タイに再入国するということをしていました。すでにペナンに何度も行ってビザを延長していたFTさんはそのときビルマに行くことにして、同じくビザが切れるTちゃんとYちゃんを誘っていました。それを聞いた私は、俄然ビルマに行ってみたくなり、一緒に連れて行ってもらうことにしました。
ビルマは、外貨獲得のために1週間に限って観光客を受け入れていたのですが、外国人の行ける場所は数ヶ所に限られていました。そのため観光客(ほとんどは一人旅のヨーロッパ人)の目的地はほぼ一緒なので、列車の切符も国内線の飛行機の切符も宿泊所の予約も早い者勝ち、取り合いでした。誰もが、目的地に着くや否や、文字通り走って地域の旅行局に駆け込み、次の目的地までの乗り物の予約をし、宿を予約しました。
首都ラングーンからマンダレーまで飛行機が取れなくて列車旅をした私たちは、それはそれで楽しかったのですが、時間が限られている中、以後はうかうかしてはいられません。行く先々で二手に分かれてそれぞれの窓口に走り、予約が取れてよかったと胸を撫で下ろす場面が多々ありました。
例えばマンダレーからパガンへは、飛行機で行けば1時間ほどですが、席が取れなければイラワジ川を船で行くしか交通手段がありません。船旅は風情がありそうなものの、24時間以上かかってしまうのです。
ビルマで感心したことは、列車でも飛行機でも、観光客が座れる席は限られていて、地元の人の移動を制限しないように考えられていたことでした。

1990年前後にカンボジアに駐在していたMSさんには、タケオやプレイヴェンに連れて行ってもらいました。タイ・ラオス・カンボジア3国の農民を集めて、それぞれが行なっている持続可能な農業を共有し合う会議をタイで開く準備のために、私は初めてカンボジアを訪問したのです。パリで和平協定が結ばれる前の年のことで、まだプノンペンは人影もまばらでした。


さて、草を刈ったら現れたお茶の実。


赤い色が目に入ったので、人工物かと刈り進めたら、木陰で大きく育ったマムシグサでした。


小径の半ばでM+M家の方を見たところ。


そして反対側、ひろいちさんの畑の向こうに我が家が見えています。

MSさんとFTさんが遊びに来る日、3週間泊まりがけの仕事が入ったMちゃんは、東京に行っていて留守、ちょっと残念でした。





 

2026年7月22日水曜日

初めてのジグソーパズル

出かけていたたけちゃん父娘が、ジグソーパズルを買ってきて遊びはじめました。
「何ピース?」
「300」
「えぇぇ、大変じゃん!」


お父さんはつきっきり、たけちゃんもお父さんもよくやるなぁと見ていました。
袋から出したピースを表返しながら、1辺が直線のピースと、2辺が直線の角のピースを選り分けて、そのほかのピースは、色で分けて、それから直線がある端のピースをまずはめました。
夕食後にはじめたので、1日目はここまででした。


次の日も二人はパズルに余念がありません。場所を食卓から居間のテーブルに移して、
「ここはほら、端に白い雲がちょっと入っているピースじゃないか」
とか、
「いろんな向きにしてみて」
などと、おしゃべりしながら進めています。
しばらくして、たけちゃんがやってきました。
「おばあちゃん、ちょっときて!」


「わぁ、できたんだ! すごいねぇ」
色を見て、形を見て、お父さんにヒントをもらいながらも、すべて7歳の手ではめたものでした。さぞかし大きな達成感を味わったことでしょう。

「これってもしかしてダイソーで買ったの?」
見覚えのあるダイソーのブロックを買ってきていたので、もしやと思って訊いてみました。
「そうだよ」
「すごいねぇ。110円でできてるなんて」
紙、印刷、カット、輸送費などすべて合わせて110円なんて、驚くしかありませんでした。

私が息抜きに楽しんでいた無料のオンラインジグソーパズルの「パズコレ」は、半年ほど前に、何かの理由で続けられなくなったとのことで、使えなくなっていました。他におもしろいジグソーパズルは見つからず、とても残念に思っていましたが、あれはどうなったかと、今サイトを見てみたら、なんと復活していました。プログラマー(?)の人に感謝です。
よかった。でも遊びすぎないように、要注意です。






2026年7月21日火曜日

赤ぬこ


九州から遊びに来ている息子が、お土産にガチャをくれました。
「開けてみ」
説明書には、「赤ぬこ」とあり、フィギュアの上に縁起物パーツを乗せて紐で結ぶと書いてあります。
「ぬこって何? 犬と猫を合体させるなら、「いこ」か「ねぬ」でしょう」
「今、猫のことをぬこって言うんだよ」
「はぁ?」
「調べてみ」
ぬこは、インターネットスラングでした。


「ぬこ」より「ねこ」の方がずっと可愛いと思うけれど、まぁ我慢しましょう。「赤ぬこ」は「赤べこ」の友だちだとか、このところ赤べこ人気もなかなかのものです。
フィギュアには、赤ぬこに枡、赤ぬこに米俵、赤ぬこに餅、金ぬこに鯛、青ぬこに一升瓶の5種類あるようですが、息子がガチャで手に入れたこの二つは、私にはベストチョイスでした。


ぬこは赤い方がいいとしても、鯛のおもちゃの可愛らしさは格別、鯛がいてよかった。そして枡を背に乗せたぬこは、赤ぬこです。


とりあえず、飾れる隙間のあるところに押し込んだけれど、周りの連中とは不似合いなので、近々掃除がてら、よい場所を選ぶつもりです。






 

2026年7月20日月曜日

竹の猫

日曜日に、M+MのMちゃんと一緒に骨董市に行きました。
行き帰りの車中で、久しぶりにおしゃべりが止まりませんでした。と言うのもお互いに何だかんだ忙しく、隣に住みながら、じっくり話すのは1ヶ月ぶりくらいでした。
M+M家の犬、トビーが旅立ってからもうどのくらい経ったかしら、骨董市で真っ先に向かったのは、ジュリーを連れたおもちゃ骨董のさわださんの店でしたが、残念、暑くなりそうだからとジュリーは家でお留守番をしていました。


「これはどう?」
と、さわださんが真っ先に見せてくれたのは、竹でできた黒猫でした。


竹久夢二の「黒猫」から黒猫ブームが起こったころつくられたものでしょうか、竹を切り抜いて、流線型の猫にしています。


顔のあたりの切り抜き方の細かいこと、糸鋸で切るのは、電動にしろ、手動にしろ技術が要ります。


しかも、誰も注目しないような台にまで模様を施しています。
台の裏、黒く見えているのは、台に穴を開けて差し込んである猫の手の一部です。


右は白樺の黒招き猫。
手仕事が豊かだった時代の猫たちです。








2026年7月19日日曜日

林明子さん逝く

7月1日に、絵本作家の林明子さんが亡くなられました。
息子たちが小さかった頃、福音館書店の『月刊こどものとも』を定期購読していました。ワクワクする本がたくさん届きましたが、中でも『はじめてのおつかい』は大好きな一冊で、その優しい絵を、親子で何度も見返したものでした。

はじめてのおつかい』、『 嬉しい出逢い』、『絵本の中のマトリョーシカ』、『絵本』、『絵本、第2弾』と、林明子さんの絵本はブログで何度も取り上げたこともあり、追悼の文も書かずにぐずぐずしていましたが、やっぱり書こうと本棚を探してみました。


『はじめてのおつかい』は必ず家にあるとわかっていましたが、他はたけちゃんに送ったので、残っているかどうか、探したら1冊だけありました。


『とん ことり』です。
どちらも筒井頼子さんとの共著でした。


小さくて薄っぺらいタイ語の海賊版の、『はじめてのおつかい』(ガーン・ルアンレーク)と『あさえとちいさいいもうと』(ノーン・ハーイ=いもうとがいなくなった)は、2冊ずつありました。


『あさえとちいさいいもうと』は、タイ語の海賊版しか持っていなかったので、新たに注文しました。

ご冥福をお祈りします。






2026年7月18日土曜日

またまた


金魚の紙風船がかわいかったので、もう一種類買ってみました。
たけちゃんを待ちきれず、これも一つ膨らましてみました。


タコ風船です。
金魚は口が膨らませる穴になっていましたが、タコは頭のてっぺんに穴がありました。そこに結んだテグスを突っ込み、テグスの張りに引っ掛けて吊るしています。
脚は幾重にも折りたたんで仕舞われていたけれど、もしかして手で折ったのでしょうか? それとも紙風船をきれいに折りたたむ機械があるのでしょうか?


今晩、たけちゃんたちがきます。