八郷の日々
2026年4月3日金曜日
箕と言われているけれど???
この韓国の籠たちは、「3個一緒で送料無料の箕」として売られていました。
箕のことを、韓国では키(キ)と言い、箕を振るうことを키질(キジル)と言い、この키 は日本在住の方が韓国で40年ほど前に手に入れたものとのことでした。
スズタケのような竹(笹)でできていて、なかなか良い形をしているのですが、本当に箕として使うものでしょうか?
柄の先まで40センチほど、こんな小さなもので、穀物を振るうことができるとは思えない、ままごとくらいにしか使えそうにない小ささです。
3つのうちのこの2つは、同じ人が編んだのか、縁は丸みを帯びて美しくできています。
ところが、右端の1つは縁線がきれいにカーブしていないし、深さもないので、別人が編んだように見えます。
きれいに仕上がっている籠の方は、曲げた角に竹の節をできるだけ集めるように編んでありますが、もう1つの方は、そんなことにはお構いなしで、節はばらばらに散らばっています。
口の部分は、丸いままの竹を芯にして、それに経材(たてざい)の割竹を巻きつけて、編み始めています。そのため、口は分厚くなっていて、塵取りとしては使えそうにありません。
しゃもじとして使うなど、別の用途があったのか、用途不明ではありますが、籠編みの専門家ではない人が自家用につくった籠(韓国にはそんな籠が多い?)にしては、とてもきれいに編めています。
もしこれが箕なら、どうやって使うのか知りたいものです。
ところで、「키」で検索していたところ、韓国にはおもしろい風習があったらしいことがわかりました。おねしょをしたとき、箕をかぶって隣家などに塩をもらいに行くのです。日本でも箕はほかの農具と違って、信仰や豊穣の対象になっていましたが、韓国でも特別なものだったようです。
また、韓国のニュースのサイトで、世界食糧デーの飛び切り素敵な写真も見つけました。
パキスタンのラホールで、女性が穀物(米か?麦か?ラホールならどちらの可能性もあり)をあおっている写真、なんと素敵な箕でしょう!
あおり方も大胆で、これぞ箕といった写真でした。
追記:
かねぽんさんが教えてくれたのですが、これは箕ではなく、お米を研ぐ福じゃくし、ボグジョリでした。
もともと、収穫しても混じりものの多かったお米をこれに乗せて水の中で洗ったりして、石やごみと選り分ける道具でしたが、今ではお米がきれいに脱穀・精米できるようになって、道具としては無用になりました。しかし、旧正月の夜明け前にこれを買って玄関に飾っておくと、福が来るというお正月飾りとなって残っています。
個人でつくったものではなく、ある地方でみんなで集まってつくり、全国に売られたようでした。
2026年4月2日木曜日
『私の絵日記』
つげ義春さんの本が見当たらないので、お連れ合いの藤原マキさんの『私の絵日記』(筑摩書房、文庫版は2014年)で、つげさんとマキさんを偲ぶことにします。
マキさんが病気で亡くなられたのは1999年ですから、文庫版は没後15年に発行されました。マキさんは「劇団状況劇場」の舞台俳優をしていましたが、いろいろあって俳優をやめ、お連れ合いのつげさんに勧められて絵を描きはじめました。
『私の絵日記』には、つげさんとマキさん、そして一人息子の正助くんと3人の、貧しくも豊かな日常が描かれています。
3人はかわるがわる病気になったりして、病院通いが欠かせない、必ずしも楽しい日ばかりではないのですが、マキさんはそれをものともせずに暮らしています。
実際、「家族写真集」を見ると、マキさんはいつもくったくなく笑っています。
つげさんは、マキさんが子宮がんと聞いて、彼女を元気づけるどころか、自分の方がまいってしまって、不安神経症にかかり、長く苦しむのですが、それでも「オトウサンのだんご汁はおいしい」と言われて、すいとんつくりに腕を振るったりします。
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| カラーの絵は『駄菓子屋:藤原マキ画集』より |
マキさんは小さいころ大阪で戦災にあい、島根県の田舎の公会所に身一つで疎開します。
疎開先で、お父さんが戦死したことを知り、疎開先から動くこともできなくなり、お母さんが小さな駄菓子屋(なんでも屋)を開いて、子どもたちを養います。それでも食べるものに事欠いていつもお腹を空かせており、なにか仕事があれば、一家総出で働きに行きました。
お風呂はいつももらい湯で、誰かが声をかけてくれるまで入れず、1か月もお風呂に入れないときもありましたが、いろいろなお風呂が経験できたと、マキさんは前向きです。
巻末には、「妻、マキのこと」(初出は2003年の学研M文庫)というつげ義春さんの一文(聞き書き)が載っています。のんびりしている夫と活発な妻のでこぼこな、それでも張りのあった生活が失われて、寂寥感が漂う文でした。
疎開時代の絵は細部まで描き込まれていて、見ていて見飽きることがありません。
2026年4月1日水曜日
回文(かいぶん)
3月3日に、漫画家のつげ義春さんが亡くなられました。
つげさんの漫画には長く親しんできたので、久しぶりに読み返して自分なりに追悼しようと、代表作がいろいろ載っている分厚い文庫本を探してみたのですが、見つかりませんでした。おおかた、飾り棚の下の奥行きの深い戸棚に放り込んでしまっているのでしょう。探すのは面倒です。
その代わりに、長く探していた『またたび浴びたタマ』(村上春樹著、文芸春秋社、2000年)が、文庫本に交じっているのを見つけました。
「こんなに小さい本だったのか!」
もっと大きな本だったと勘違いして、別の場所を探していました。
『またたびを浴びたタマ』は、五十音全部(44個)が回文になっている、かるた仕立ての本です。
あとがきで、村上春樹さんは、2000年のお正月に仕事を全部休むことにした。でもワーカホリックで手持ち無沙汰でしょうがないので回文をつくることを思いついた。35くらいはすいすいつくれたけれど(ここでもう、驚異的!)、あとがつくれなくてうんうんうなったり、思い浮かんでにやにやしたりした。と書いています。
最初のあいうえおだけ紹介してみます。
ありばいがにがいばりあ
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| イラストは友沢ミミヨさん |
アリバイが苦いバリア
どの回文にも1ページの解説がついているのですが、「あ」には、平尾刑事と湯川部長が犯人高橋のアリバイについての会話しています。
いらぶしまがらがましぶらい
伊良部、縞柄が増し、無頼
これは伊良部投手が、ロッテ・マリーンズから、もっと縞の数の多い(かどうか)ユニフォームを着たくて、ニューヨーク・ヤンキーズに移籍したとの解説があります。
うらわでまいたはははとはははたいまでわらう
浦和で蒔いた、ははは、と母は大麻で笑う
ええがたがええ
A型がええ
おかしななしかお
おかしな梨顔
小さいころ、雑誌などで見かけた回文は、「トマト」「しんぶんし」など短いものばかり、長くて「わたしまけましたわ」くらいでした。
ところが、『またたび浴びたタマ』に載っているのは長くて、しかもくすっと笑えるような回文が満載です。
村上春樹さんの小説は、読み始めても、読み切ろうと努力しても、最後まで読んだのは1冊もありません。正直、嫌いです。ところがエッセイは好きで、何冊も読みましたが、この回文も気に入っています。
2026年3月31日火曜日
友あり、孫あり、遠方より来る
昨日は、久しぶりにT一家が遊びに来ました。
以前は毎年来ていたのに、なぜ来なくなったのか、3年前に会ったTさんに訊いたら、
「子どもたちが騒ぐので」
と、お連れ合いのたみこさんが恥ずかしく思って来なくなったのだとのことでした。そんなことを夢にも思っていなかったのでびっくりでしたが、久しぶりに家族で行きたいと連絡があり、いそいそとお待ちしていました。
「今回こそ、草むしりを手伝いたい」
えっ、いつの約束、すっかり忘れてしまっています。
T一家の来る前日、孫のはなちゃんから電話がありました。はなちゃんは八郷の中学に通いましたが、卒業したのちに東京の高校に入学しました。そして、高校のプログラムで、3か月間の短期留学で、今年の初めからニュージーランドに行っていました。
「あらっ、いつ帰ったの?」
「昨日帰った。それで、明日、中学の友だちとフラワーパークに行きたいんだけど、迎えに来てもらえる?」
「いいよ、いいよ」
ということで迎えに行く時間を調整をして、駅まで迎えに行きました。
はなちゃんのお土産の、羊毛の靴下。
「羊はいっぱいいた?」
「うん、いた。ヤギも馬もいた。牧場ばかりで近くには畑はなかった」
はなちゃんは、東海岸の町に行っていました。
「動物園には行った?」
「動物園じゃなくて動物保護区に行った。ワラビーやキウイがいた。キウイに似たウェカもいて、翼がないから飛べないんだって」
とっても香りの強い石鹸とニュージーランド紅茶ももらいました。石鹸は近くの手づくりのものばかり売っているお店で買ったとか、素敵な香りがします。
「ニュージーランドの人はよく紅茶を飲むの?」
「飲まない。水かジュースを飲んでる」
「あったかい飲みものは?」
「水を沸かして飲んでいる」
「白湯ってこと?」
「そう」
はなちゃんは、小さい女の子がいるシングルマザーの家にホームステイしたのですが、困ったことは何一つなかった、とても楽しかったそうでした。
それにしても、お土産の選び方が上手、お土産選びが下手な私は、感心しきりでした。
そうこうしているうちにT一家が到着しました。
小さかった娘さんたちは、Mちゃんが大学を卒業して4月1日から社会人、Sちゃんが大学生になっていて、なんて長い間会わなかったんだろうと思ったことでした。娘さんたちは、はなちゃんとも話が弾んだ。Mちゃんもニュージーランドに短期留学の経験があったのです。
友だちとお昼ご飯を食べるはなちゃんをフラワーパークまで送って、T一家と食事して、共通の知り合いの消息、NGOの消息などバングラデシュの話に花が咲きました。
Tさんは自分で立ち上げたNGO、「シェア・ザ・プラネット」でバングラデシュにかかわっており、たみこさんもヒ素の問題で長くかかわり続けています。バングラデシュでは、伝統の雨季の1期作から、今では2期作が普通、中には3期作をする地方もあり、農業用水として地下水をくみ上げるので、飲料水にヒ素が混じることがあります。最近では結構簡単な、水からヒ素を除去する装置が開発されてはいるのですが、お米にもヒ素が混じることがわかってきました。そのため、お米からヒ素を除去する技術や、そもそも、お米にヒ素を混入させない技術など、まだまだヒ素除去のためにすることはたくさんあるそうです。
田んぼの水の張り方で、ヒ素を混入させない方法が確立しているにもかかわらず、田んぼによって水の条件は違い、実験室でのように水入れや水抜きができないことも問題だとのことでした。
たみこさんは4月早々に、またバングラデシュに行くそうです。
さて、はなちゃんのお土産の入っていた、包装のぺらぺらの薄い袋から思うこと、日本の過剰包装はいったいいつになったら改善されるのでしょう?
きれいな箱を包装紙で丁寧に包んで、さらに紙袋がついているのがスタンダードで、凝りに凝っている箱も当たり前です。箱もブリキの缶も好きな私でも、悪いことをしているような気持ちで、泣く泣く缶や箱を捨てなくてはなりません。
たみこさんは念願の(?)草むしりをしてくれて、はなちゃんは食事のあといちご狩りをして、大満足で帰って行きました。
「いちごは、その場で食べるんでしょう、10個くらい食べた?」
「ううん、30個くらい食べた、友だちがお腹いっぱいで食べられなくなって摘んでくれたから、それも食べた」
2026年3月29日日曜日
春の一日(2)
ここは、もとは芝生が生えていて、幼かったはなちゃんが友だちと滑り台を楽しんだ場所ですが、今年はホタルブクロ畑となっています。つんつんしているのはツルボです。
いったいどのくらいホタルブクロが咲くものか、1年目の苗には咲かないので、まだ想像がつきません。
ヒメジョオン、ハルジオン、ハハコグサ、チチコグサなどは迷いなく抜き捨てますが、キュウリグサは一応残してしまいます。あの、青い可憐な花を見たいのですが、大きく育つと邪魔で、やっぱり抜いてしまいます。
キツネノカミソリも、増えてる、増えてる。
ときおり、落ち葉の下からタマムシが見つかりますが、中はきれいに食べられて空洞になっています。
2026年3月28日土曜日
時計
発売当時からデジタル時計が苦手でした。
数字を見ても脳が戸惑うばかり、腕時計も部屋の掛け時計もアナログな文字盤の時計で通してきました。
生活に時計は必要で、数えてみたら我が家には掛け時計が8個もありますが、どれも文字盤の、針が動く時計ばかりです。
どの時計にも癖があって、正確に時を刻んでいるものもあれば、なおしてもなおしても進んでしまうものもあります。進んでしまうものは進んでしまうものとして受け入れて、暮らしています。
ところで、数年前にとても遅いスマホデビューをしました。長く必要を感じなかったのですが、使っていたデジカメの性能がいまいちのもので、何度も壊れて、そのたびに同じ機種のものに買い替えて、また壊れて、夫に、
「ばっかじゃなかろか!」
と言われて、驚異的な進歩を遂げたスマホのカメラを使いたいと思ったのが、スマホを持つきっかけでした。
その結果、正しい時刻を知りたいときは、ほぼスマホに頼るようになりました。
そして、気づいたらスマホの画面を見て、5:55と5並びだったら、
「あら、ハッピー」
と感じたり、6:25だったら、
「夫の誕生日じゃないか」
と思ったり、12:00だったら、
「ぴったり!」
と喜んだりで、数字で時間を現すのが嫌でなくなっていることに気づきました。
「なぜだろう?」
一つは、あのデジタル時計の文字が嫌いだったことに気がつきました。スマホの時間をあらわす文字(フォント)は嫌じゃない。見たとき浮き浮きすることもあります。
スマホは、相変わらずラジオを聴くのに使うことと、カメラとして使うことがおもで、とても活用しているとは思えませんが。
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