2026年5月21日木曜日

わらべうた



『わらべうた おおさむこさむ』(瀬川康男著、福音館書店こどものとも傑作集、1972年』という本が、我が家には2冊あります。
1冊は水戸市立図書館の除籍処理済のもの、瀬川康男さんの絵本は大好きなので、2冊あってもいいのですが、どうしたんだっけなぁ。



NHKの「おかあさんといっしょ」などの幼児向けの番組には、息子たちが小さい頃お世話になりましたが、わらべうたもよく紹介されていて、親子ともども楽しませてもらいました。



こんなわらべうたは今でも放送されているのでしょうか?

わらべうたといえば、私の小さい頃、全国の寺社を歌うものがありました。

♪一番初めは一宮 二は日光の東照宮 三は讃岐金毘羅さん(関東では佐倉
惣五) 四はまた信濃の善光寺 五つ出雲大社(おおやしろ) 六つ村々鎮守さま 七つ成田の不動明王 八つ八幡の八幡さん 九つ高野の弘法大師 十でところの氏神さん

これには日露戦争を歌った替え歌があり、なかなかひどいものでしたが、祖母の時代には広く歌われていたようです。


『きつねがはしる』(ヨゼフ・ラダえ、岩波子どもの本、2023年)は、チェコのわらべうたの本です。
素敵なわらべうたがたくさん収録されています。


わらべうたの背景は、チェコの文化に浸って育った人以外わかるものではありませんが、ヨゼフ・ラダの絵は、どれも可愛いくて想像が掻き立てられます。


『きつねがはしる』には、犬猫をはじめとして、きつね、ぶた、ハリネズミ、カエル、くま、やぎ、モグラ、ひつじ、馬、牛、ガチョウなどなど動物がたくさん出てきます。


この歌を歌いながら、妹や弟を夢見る子どもたちが、たくさんいたことでしょう。


イギリスのわらべうたマザーグースは、どんな物語かは知らなくても名前だけは、世界で最もよく知られたわらべうたと言えます。
我が家の『Mother Goose』(Aurelius Battaglia絵、Random Houseロンドン、1973年)の本は、バンコクの本屋さんで買ったものだろうと思われます。



薄っぺらい本ですが、一応マザーグースの代表的な歌が載っています。

♪ハンプティーダンプティーは塀の上に座っていた。ある日、塀から落っこちてしまった。
王さまの全部の馬と全部の家来たちを集めても、ハンプティーを元通りにすることができなかった

ハンプティーダンプティーの物語は、転じて「非常に危なっかしい状態」や「一度壊れると元に戻らないもの」の比喩として使われているそうですが、イギリス文化の下地がまったくない者には滲みません。

12年前に、ほとんど記憶の箱から消えていた「鞠つき歌」に出逢ってびっくりしたことがありました。

♪いちりとらんらん らっきょくってしっし ちんがらほけきょう とんがら ちんがらほい♪

馴染んでいた歌なのに、意味不明です。








 

2026年5月20日水曜日

蜂蜜


Gさんが、庭で飼っているミツバチの蜂蜜がとれたからと持ってきてくれました。
夫が気管支炎になったのを知っていたみたいなタイミングの良さ。夫に舐めさせ、私も舐めて、もうこんなに減ってしまいました。
美味しい蜜、なんの花の蜜なのでしょう?


いつもは生協の蜂蜜を食べていますが、この数年はビルマ(ミャンマーですが、私はアウンサン・スーチーさんや旧友に倣って、ビルマと言いたい)のひまわり蜂蜜ばかり食べています。これは売り上げの一部が「ミャンマー養蜂協会」に寄付されるもので、気に入っています。






 

2026年5月19日火曜日

ちょっと調子が悪い日々

急に暑さがやってきました。と言っても、木曜日からはまた寒くなるとか。
風邪が抜けきれなくて身体がちょっとだるい。ゴロゴロしているので、庭の草は伸び放題です。
とにかく眠い。すぐ横になってしまいます。


夫の風邪は私よりひどく、定期的に痰がたまって、たまると激しく咳込んでいました。
昨日、病院に行ったら気管支炎と診断され、薬ももらって、咳もちょっとだけ間遠になった感じがします。
元々、睡眠時無呼吸症候群で夜の眠りが浅かったせいかいつも眠たかった夫、夜CPAPを使うようになっても睡眠時間は減りません。それが気管支炎で、もっと眠るようになってしまったのですが、私もこのところ昼間眠くて、やっと夫の気持ちが少しわかるようになりました。


夫は、こんなときこそ有酸素体操や冷温浴を真面目にやらなくてはならないのに、「やる気がしない」と怠けます。食欲も一進一退です。


1日何もしないのは後ろめたく、重い腰を上げて草を刈ってみたり抜いてみたりします。


しかし、あっちをやっているとこっちが気になり、こっちをやっているとそっちが気になり、作業そのものも疲れて長続きしません。


どっちを見ても手遅れです。


今年はホタルブクロが元気いっぱいです。
ホタルブクロも気ままな植物ですから、来年はどうなるかわかりませんが、とりあえず今年のホタルブクロが楽しみです。








2026年5月18日月曜日

ヴェトナムコーヒー

 


キルト展のとき、いつも大工仕事や草刈りを手伝ってくれていたKさんご夫妻が、観に来てくれました。
お連れ合いのHさんは弁護士さんで、ヴェトナム人の裁判に役立てようと、2年前からハノイに語学留学をしていますが、この時は一時帰国していて、お土産にヴェトナムのお菓子とコーヒーをいただきました。


ヴェトナムコーヒーには、この絵のカップの底に沈んでいるような練乳が不可欠ですが、私はこれまで一度も練乳を買ったことがなく、買いそびれて、そのままになっていました。
私の練乳の記憶は、小さめの缶詰で止まっています。プルトップもついてない缶に、缶切りで2ヵ所穴を開け、その一方から練乳を注ぐものです。練乳は固くて出にくく、一度に使い切ったりしないので、缶は糖分でべたべたになります。そして練乳が乾いて出が悪くなったら、片方の穴に口を当てて、思い切り吹くとなんとか出てくるのです。
一体どこで経験したのでしょう? 私の実家にも、たぶん練乳はありませんでした。


スーパーマーケットに行って、店員さんに練乳の売り場を聞いたら、まぁおしゃれ! こんなチューブに入っていました。


ヴェトナムコーヒーを淹れる道具、カフェ・フィンは3組持っています。2組は実用、右の手づくりっぽいカフェ・フィンは展示室の飾り棚に置いています。


コーヒーを淹れ終わったときは皿にもなる蓋以外には、小さな穴が開けてあります。


グラスに練乳を入れ、カフェ・フィンをセットし、コーヒーを入れ、中蓋でコーヒーを軽く押さえ、沸かしたお湯をカップの縁のきわまで注ぎます。するとポタポタとコーヒーの滴が落ちてきます。


蓋をして、コーヒーの滴が落ちなくなるまで待つこと4、5分、コーヒーと練乳を混ぜて飲みます。
久しぶりに飲んだヴェトナムコーヒーは、温かで濃いコーヒー牛乳のような味がして、美味でした。

Hさんは、これまで埼玉県で事務所を持っていましたが、7月に帰国してからは、東京で弁護士登録して、外国人案件を多数扱っている法律事務所に入所するそうです。ヴェトナム人にとっては、心強いことでしょう。







2026年5月17日日曜日

日本三大七味

3月初めにキルト展を見に来てくださった長野のHさんから、美味しいお菓子とともに、七味唐辛子のお土産をいただきました。


素敵な意匠の缶で、別についていた紙袋に入っていた七味をこの缶に移し、食卓に置いて楽しんでいました。


すると、4月末にHさんがご一家で我が家を訪ねてくださったとき、またまたたくさんのお菓子とともに、七味のお土産もいただきました。
七味はみだりに開けては劣化する、前にいただいたのを使い切ってから開けようと、そのまましまっておいたのですが、昨日、かねぽんさんが同じ「八幡屋礒五郎」製の七味をUPされていて、缶には色々な種類があると知り、比べてみたら3缶とも違うものでした。
3月にいただいたのは、長野県150周年記念缶という、特別の缶でした。
 

県制度ができてから150周年の記念缶は、小さな缶に長野の情報が満載でした。
長野県のゆるキャラのアルクマが、諏訪大社の御柱祭、善光寺、松本城、そして安楽寺の八角三重塔を紹介しています。


そして、他の缶にある説明書きはありません。なるほど、だから七味は紙袋に入っていて、そちらに説明書きがあったのです。


4月にいただいた七味缶の裏側には善光寺が描かれ、ゆず七味には昔の意匠である、唐辛子、みかん、生姜など原料のイラストの真ん中に八幡屋の紋を配し、「御高札前八幡屋礒五郎」の文字も見えます。
八幡屋礒五郎は江戸時代の元文元年(1736年)、善光寺の境内で唐辛子を売り始め、3代目の時に、境内でも一等地の御高札前で売ることを許され、軽くてかさばらない土産ものとして人気を集め、御朱印を頂く御高札の前で売られていたので、「善光寺参りの手形」とまで言われていたそうです。


ゆず七味は、七味+ゆずの八味となっており、お決まりの陳皮も入っているとのこと、開けて味わってみようか、やっぱり150周年記念の七味がなくなるまで開封しないでおこうか、思案するところです。


それにしても素敵な意匠です。
東京の薬研堀、京都の七味屋本舗、それぞれに容器に趣向を凝らしていますが、八幡屋礒五郎が飛び抜けて魅力的、どんな食卓にも似合います。
タイ人だったら、1缶を1週間もあれば使い切るのですが......。





2026年5月16日土曜日

カバのうがい薬

夫の風邪は痰が絡んで、なかなか治りません。
一昨日はとうとう病院へ。
熱は37度前後だったのですが、コロナ以降は厳戒態勢が続いていて、一般外来では診てもらえず、発熱外来専門の時間に検査をしました。予想通り、コロナではなく、インフルエンザでもなくただの風邪で、痰切りの薬や喉の薬と共にうがい薬ももらったのですが、夫はそのうがい薬が薄い気がして気に入りません。


我が家でこのところ使っていた市販のうがい薬は、カバのついたうがい薬が見つからなくて(探し方が悪かった?)、犬のついたイソジンのものでした。
「うがい薬を買ってきて」
と、夫。
やっぱりうがい薬はカバがついている方がいいかと、今度はカバを目当てに探しました。 しかも、コップつきが欲しいのです。
というのも、我が家にあったカバのエンボスのある、薄いプラスティックのコップは、長い間使っていたせいか縦線(継ぎ目?)のところが割れて、うまく持たないと水が滲み出るものだったのですが、今回、夫に捨てられてしまっていました。夫は処方よりちょっと濃いめが好きなので、目盛はあまり気にしていないのです。


うがいをするカバは、「明治・イソジン」から「明治」に引き継がれ、今度は「健栄」になっていました。右は病院から処方されたうがい薬です。


しかし、開けてがっかり、コップにはカバがついていませんでした。
こんなことなら割れたものでも、カバのついたコップを取っておくべきでした。


我が家には骨董市で見つけて、ヒポミさんに送ろうと買ってきたものの、「絶対持っているよね」と、送らずじまいになっている、明治のカバくんがいます。


と、ヒポミさんのブログを見たら、可愛いうがい薬のカバがいっぱいいたけれど、セーターに半纏姿のカバは見当たりませんでした。
持っているかどうか、訊いてみなくてはなりません。たいがい持っているんだけどね。










2026年5月15日金曜日

高校の卒業アルバム


4月に5日ほど来ていた長男が、自分の昔の写真やノートなどを探すために、2階展示室の飾り棚の下の戸棚をあさっていて、
「こんなのがあったよ」
と、私の高校の卒業アルバムを出してきました。
戸棚には家族写真、卒業アルバム、卒業証書やその他の証書、いろいろな人の結婚写真、新聞の切り抜きなど、何でも放り込んでいるので、「それはあるだろうよ」と思いながらも、久しぶりに開いてみました。
卒業アルバムは、アルバム制作委員を決めて制作に1年近くをかけたものらしく、個人写真と、運動会、体育祭、文化祭、遠足、修学旅行などの行事だけでなく、日常の学校生活も丁寧に拾って編集していましたが、驚いたのは巻末に全員の連絡先が記載されていたことでした。電話には、「呼び出し」と「注」のあるものもあります。家に電話がない人は、ご近所の電話番号を自分の連絡先として登録しておいて、そこに電話してもらって、「電話ですよ」と、取り次いでもらっていたのです。

みんなおかもとさん!

個人写真を見ながら名前を当てようとしましたが、135人中、名前を覚えていたのはたったの20人くらい、私と同じ苗字の人が3人いたこともすっかり忘れていました。

クラブ活動紹介のページもあって、それぞれの部に過不足なく部員がいました。もっとも、クラブ活動していたのは、2年生までだったと思いますが。
語学は、英語部、フランス語部、ドイツ語部。身体を動かす部では、バレー部、バスケット部、テニス部、卓球部、山岳部。趣味(?)の部では、音楽部、演劇部、文芸部、美術部、華道部、箏曲部、書道部。勉強系では化学部、古典部。そして、Y.M.S部、社研部、聖書研究会というラインナップでした。
私は、祖母の家にお琴があったので、弾ければ祖母が喜ぶだろうと思って、箏曲部を覗いたのですがすぐギブアップ、テニス部で他校との試合に出たこともありましたが長続きせず、演劇部に落ち着いていました。
「んっ? Y.M.Sって何だったっけ?」
ネットで調べると、Youth Mobility Schemeの略、今はイギリスのワーキングホリデーを指しているようです。
西武線沿線の萩にあった学校の付属の農場に、年に数回農作業に行ったのですが、その農作業の帰り道に、Y.M.S部の友だちに一緒させてもらって、高田馬場の駅前にあった米軍の旧かまぼこ兵舎を利用した孤児院に寄ることがありました。この活動は「セツルメント」と称されていて、孤児たちと遊んだり、飴をあげたりしてひとときを過ごすのです。
当時はY.M.Sもセツルメントも意味を知らず、知ろうともせず、そのまま受け入れていましたが、キリスト教系の学校でもないのに、クラブ活動としてY.M.S部や聖書研究会があったことの謎に、今ごろになって驚いています。
設立の背景に何があったのでしょうか?

朝霞基地跡のかまぼこ兵舎。高田馬場駅脇にも同様の建物の孤児院があった

当時は、高田馬場から新宿、渋谷のあたりまで、山手線の外側には広々とした空き地が広がっていて殺風景でしたが、今ではその面影も残っていません。