2026年5月10日日曜日

ロシアに遺るアイヌの民具


『ロシア民族学博物館アイヌ資料展ーロシアが見た島国の人々』(編集・発行 財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構、2005年)の存在を知ったのは、『織物技術民俗誌』の中にアイヌの織り機のイラストを見て、「実物はどんなだったのかしら?」と検索したときだったでしょうか。
 『ロシア民族学博物館アイヌ資料展ーロシアが見た島国の人々』は、2005年に北海道開拓記念館と川崎市民ミュージアムで同名の展覧会が開催されたとき、そのカタログとしてつくられた冊子です。

左下は紐ほどき、右下は織り機の腰当て

カタログに載っている織り機の美しさ、かわいらしさをなんと形容すればいいのか、道具たちの隅々に、愛が満ち溢れています。

ロシアのサンクト・ペテルブルク市にあるロシア民族博物館には、約2600点のアイヌ資料が収蔵されています。そのほとんどは同博物館の嘱託職員であったV.N.ヴァシーリエフが、サハリン(1910=11年)や北海道平取(1912年)などで収集したもので、収集年、収集地が判明していることと、日本には遺っていないものが多くあることなどから、アイヌの貴重な資料となっています。

ヴァシーリエフのアイヌ資料収集地

ヴァシーリエフは、1877年に、ロシアのヤクーツク州で、政治流刑囚の父と、ヤクートの血を引く地元農民の母との間に生まれました。父が早逝したために母と母の一族に育てられ、幼い頃から培ったヤクートの伝統文化と言語の知識が、のちに彼を民族学や民俗学に傾倒させることになりました。
日本での収集は、日本語も英語もできないので危ぶまれましたが、ロシア大使館などのサポートがあり、北海道でも素晴らしい収集ができて、アイヌ文化の貴重な一端を遺すことができました。
この織り機も、ヴァシーリエフが訪れた時にはすでに消えようとしていたものだそうです。


ヴァシーリエフの目は、いろいろな小さいものにも注がれています。
これは背負い縄です。


上は紐編み機、下は糸巻きです。
男性の技と女性の技が共同して、美しいものを生み出しました。


左上は杓子、左中と下はどぶろく用の米やキビを混ぜる団子べら、右上は木彫りの酒入れ、右下はトドの内臓でつくった酒入れです。

男性が織り機をつくって女性が織り、男性が紐編み機をつくって女性が紐を編み、男性が杓子や酒造りの道具をつくって女性がつくる。
道具たちから、幸せだったアイヌの日常が蘇ってくるようです。








2026年5月9日土曜日

PCとスマホ、お世話になっていますが.....


5月3日に「津軽箕?」をUPしましたが、やっぱり津軽箕ではなかったようです。
これに関して、あまよかしむさんが、「箕の研究会」にはかられて、さまざまな分野の専門家の方たちが、これがどこでつくられた箕か検討してくださっている模様で、ありがたいことです。
あまよかしむさんのお話では、メンバーの一人に測定技術を使って箕の産地を推察する方がいらして、「スマホで簡単にできるから、3Dスキャンで比べたらどうか」という提案があり、アプリも教えていただきました。
いえ、それは無理、無理です。
スマホはカメラ機能とラジコを利用するのがメインで、あとは歩数計と計算機、お天気のチェックとたまに電話くらいしか使ってないので、結局3Dスキャンは試してみませんでした。


ところで、何もしていないのに、ブログの「最新のコメント」がPC画面上に表示されなくなりました。
おかしいなぁ。コメントの「設定」を調べても、問題ありません。プロバイダーの事情かもしれませんが、私としてはなすすべもありません。もっとも、昔の記事にコメントいただいても私には伝わるので問題ないのですが、なんだか寂しい気がします。
原理も何も知らずにコンピュータやスマホの恩恵を受けている私ですから、コメントの不具合も、いつか勝手になおったらよしとすることにします。


写真は、今年初めて見た我が家のククルカン、7時15分でした。
陽が沈む時にも、かつては西からも見えていましたが、コブシやケヤキが大きくなりすぎて、もう何年も前から見えなくなってしまっています








2026年5月8日金曜日

生名島

afさんが、ゴールデンウイークにしまなみ海道をサイクリングしたとFBにUPされていました。尾道から向島、因島、生口島、大三島を駆け抜けたというのです。
因島と聞くと、小さいころのおぼろな記憶が蘇ります。

私が小学校低学年のころ、父の妹一家が因島の隣の小さな島に2年ほど住んでいたことがありました。叔父は若い医者で、その島の病院に勤務していました。島の名前はうろ覚えでしたが、ネット検索すると生名島(いきなじま)とわかりました。


叔父の勤めていた因島病院の分院の生名村診療所は、1952年に設立された結核病棟で、150床ありました。ちなみに、因島病院は、1917年に因島に日立造船所の病院として設立され、のちに総合病院として地域医療に尽力してきました。


因島総合病院の昔の写真は、ネットで見つかりましたが、生名村診療所の写真は見つかりませんでした。
記憶では、緑の木々に囲まれ、海辺に面してひっそり建っている病院でした。

現在の因島総合病院

当時は、私の祖父も元気で、祖父母や母と一緒に、私は何度か生名島に叔父一家を訪ねています。
ある夏休みには、祖母と丸々一夏逗留したこともありました。祖母は、次女を出産した叔母の手伝いに行ったものだと思いますが、子どもだった私は毎日、家から30秒で行ける遠浅の海で従妹と遊んだり、狭い海峡を忙しく行き交う大型船や小舟の絵を描いたり、夢のような楽しい毎日を過ごしました。


生名島までは、住んでいた岡山県の倉敷から尾道まで汽車で行き、尾道からは畳敷きの船室のあった船に乗って因島まで行き、そこから小さな渡し舟で生名島に渡りました。
上の写真は、祖父、母、弟と一緒に叔父一家を訪ねた時のものです。

叔父と祖父、弟と従妹と

残念ながら、叔父一家の住んでいた家や海辺の写真は(あったはずですが)見つかりませんでした。

生名島は子どもの足でも簡単に一周できるようなかわいい島で、人影もまばら、行き交う船の汽笛やセミの声が聞こえるばかりの島でしたが、ときおり、渡し舟で買い出しに行く因島の市場は、いつも人で賑わっていて、別世界でした。
生名島の浜で拾った桜色のナミマガシワには、コインの模様のような、男性の横顔の模様がついていました。
長く大切に持っていましたが、いつの間にか失われてしまいました。




2026年5月7日木曜日

豪華な夕焼け


昨日の夕焼けです。
なんかすごくない?


色の修正なんかいっさいしていません。


どの田んぼにも水が入っていたら、もっとすごかっただろうなぁ。
この辺りは沢の水を使っていて、水が冷たいので、田植えはゴールデンウイークを過ぎてからになります。







 

2026年5月6日水曜日

スイカの次はかぼちゃ


生ゴミ分解箱キエーロのその後です。
今度はかぼちゃに占領されました。仕方なく、鶏や魚の骨など動物の残滓を入れないようにして、生ゴミは庭の一角に直接埋めていたのですが、気をつけているつもりでも、ときおり何者かに掘り起こされてしまいます。卵の殻などがうっかり混じってしまっているようです。


掘り返されたところは、控えめに、部分的に掘られているのでイノシシでないことは確かです。
ハクビシン? アナグマ? タヌキ?
多少掘られても構わないのですが、味を占めていつも出没されるようになると、困ってしまいます。


ためていた生ゴミを捨てに行ってみると、かぼちゃの葉は蓋にぶつかって大きくなれず、くちゃくちゃになっていました。
仕方ない、蓋を開けっぱなしにしてこのまま育つかどうか、しばらく様子を見ることにしました。根に遠いところに生ゴミを控えめに埋めて、水やりまでしてみました。しかし、生ゴミは浅くしか埋められなかったので、これからの季節、ハエなどが卵を産みつけると大変です。
本当は大きいスコップを使って、キエーロの中全体を混ぜ返したいところですが、かぼちゃだけでなくたくさんの芋虫が生息しているのでそれも難しい。悩ましいことです。 





 

2026年5月5日火曜日

犬も歩けば棒に当たる

夫は昔から車の乗り方が乱暴です。特に軽トラックには荒い乗り方をして、ボロボロにしてしまいます。
3年ほど前に、あちこちへこんだりちぎれたりしている車を見かねて、嫌がる夫にきれいな中古車を買いました。
「これからは、きれいに乗ってね」
でも長続きしませんでした。
相変わらず、「急いでいたから」と左折するときに小さく曲がって車体に傷をつけたり、荷台に乱暴に物を突っ込んで「煽り」をへこましたり、側溝に突っ込んだりして、一時はガタガタになったバンパーを荷造りテープで留めて走っていました。
というわけで、近所の自動車屋さんにはよくお世話になるのですが、先日は左折のおりにコンクリートの擁壁にホイールをぶつけて変形させ、車がギクシャク走るようになって、また自動車屋さんに持って行きました。
数日後、夫が、
「自動車屋に行ったら軽トラが直っていて、乗っていった車と交換して置いてきたから、一緒に取りに行ってくれないか?」
と言いました。二人で行って、1台ずつ運転して帰って来ようというのです。
「いいよ、私が歩いて行って取ってくるから」
「えっ、歩いて行くの?」
そう驚くほどのことではありません。自動車屋さんまでは歩いて15分くらい、全然遠くないのです。距離は遠くないのですが、農道なので張り巡らされていて、3通りほどの行き方をすることができます。その道の1本の途中の耕作放棄された畑にヤブツルアズキが生えていたことがあったのを思い出して、車はほとんど通らない道を歩いて行きました。
ヤブツルアズキは見あたらなかったのですが、そこには、山でもないのに蕨がニョキニョキと生えていました。
「どうなってるんだ?」
まだ葉が開いてない蕨もたくさんあったので、夢中になって摘んでしまいました。
道草のあと、自動車屋さんに行くとお留守で、うちの車も見当たりません。おそらく車を届けてくれたのだろう、すれ違ってしまったのかと歩いて戻っていると、案の定、自動車屋さん父子二人の乗った車と出会い、
「届けておいたよ」
と声をかけられました。


さて、蕨はバット1枚には入りきれないほど採れました。


重曹を振りかけ、熱湯を注いで一晩置いて、アク抜きしました。


これで半分の量です。


油揚げはなかったので、がんもどきと煮ました。


蕨料理としては、マレーシアのサラワクの家庭料理で、大衆食堂でも食べられた、「蕨のニンニク炒め」が一番好きなのですが、試しても日本の蕨は熱湯で戻すからか、シャキシャキ感がなくなってしまって、サラワクの味が出ません。
もっとも、サラワクの蕨はアク抜きしないでそのまま調理できる別種ですが、ホロ苦くて、毎日食べても飽きない美味しさです。

と言いながらも、苦くない蕨の煮物を美味しくいただきました。重曹を少なくしたら、もっと苦さが残るのかな?








2026年5月4日月曜日

出逢ったけれど.....

骨董市で、轆轤で挽いた招き猫が売られていました。知っている猫です。


上の写真は我が家の招き猫ですが、これと同じ、というか湿気たのか全体にちょっとしらっちゃけていて、しかも我が家の猫と同じように台座が失われていました。

NANAさんのFBからお借りしました

この猫の完璧な姿には台座があって、台座が失われてなければ、こんな形をしているのです。

「これはいくらですか?」
「3000円」
「えっ、3000円、ですか.....」
私は、持っていた招き猫を静かに箱に戻しました。店主は台座が失われていることを知らないのかもしれないけれど、ちょっと高くないですか?


我が家には、轆轤挽きの招き猫は2匹います。1匹はお腹が前からくり抜かれていて、1匹はお腹が底からくり抜かれていて、こけしが隠されています。
いつか、台座がある姿の、お腹の中にこけしが隠された招き猫に出逢いたいものです。