2026年6月11日木曜日

親子鍋

「あのさぁ、カツ丼つくる浅い鍋があるだろう。あれが欲しいんだけれど」
「えっ、大浦食堂にあったやつ? あれ、吹きこぼれるのよね。ガス台が汚れるし、いつも使うわけじゃないし、私欲しくないなぁ。卵とじする浅鍋なら、土鍋の大きいのと小さいのがあるでしょう。あれを使って」


そんな会話をしたのに、夫は昨年、私に無断で親子鍋を買いました。
卵が大好きな夫は、このお鍋でトンカツと玉ねぎを卵でとじるだけでなく、スクランブルエッグをつくったりしていましたが、鍋が浅いので、たいてい中身が溢れてガス台が汚れました。
また、長い持ち手が重いので、五徳の出っ張りと鍋の持ち手をきちんと合わせて置かないと、空の鍋はひっくり返ってしまうのですが、そんなことにお構いなくうっかり置いてしまう夫には、ちょっと使いにくかったようでした。


親子鍋の出番が減っていたので、使うのを諦めたのかと思っていたら、持ち手が立っていて倒れにくい親子鍋を買いたいと相談されました。
「大小あるけど、どっちにしようか」
「そりゃぁ大きい方でしょう。こぼれにくいから」
と言うわけで、このお鍋がやってきました。
私には関係ないわと思っていましたが、このお鍋、フレンチトーストをつくるのにぴったりだったのです。


牛乳に浸したパンを溶き卵にくぐらせて、バターを溶かしたお鍋に並べたあと、残った卵をまわしかけますが、フライパンより小さいので、卵が流れずにまとまります。


そして、鉄のフライパンより軽くて洗いやすい。
と言うわけで、意外なことに、私が重宝しています。





 

2026年6月10日水曜日

『中国東北部の玩具』


『中国東北部の玩具ー日本に来た旧満州の郷土玩具』という、100ページほどの本があります。
2003年に、兵庫県の龍野市立歴史文化資料館で開かれた同名の企画展のカタログです。


中国東北部の玩具の企画展は、駒井虚峰さん(1912−2000年)が同市に寄贈したコレクションの150点と国内の所蔵機関から借りた400点が展示された、見応えのあるものだったようです。


日本が植民していたとはいえ、旧習を徹底的に破壊した文化大革命などを経て、中国にはほとんど残っていないおもちゃたちが、地球上に残っていることに、安堵の胸を撫で下ろすような、複雑な思いで可愛いおもちゃたちを眺めてしまいます。


中国玩具を代表するものとして布老虎(プゥラオフゥ)があります。
我が子のおもちゃとしてまた魔除けとして、母が心を込めてつくるものですが、当然不器用なお母さんもいたはずです。


一つ上の写真は吉林や新京あたりの布老虎、すぐ上の写真は天津あたりの布老虎、地方色もあり、個人差もあり、興味津々です。


この本に載っている膨大な数のおもちゃたちを見ていると、東アジアや東南アジアのおもちゃのルーツが中国だったことがはっきりわかります。



ゴムで前に進むおもちゃ竹の蛇


さまざまな形の動くおもちゃ、そして土人形。


いつかこれらのおもちゃたちが、中国に残ったわずかなおもちゃと出逢ったり、現在は日本にあるものが旧満州あたりに博物館ができて、そっくり帰還したりする日が来るのではないかと、夢見るものでもあります。


子が健やかに育って欲しいという願いがこもっているのが伝わってくる、中国の昔のおもちゃたちです。







 

2026年6月9日火曜日

椿の花の猫


招き猫の棚にいる、椿の花が描かれた張り子の招き猫です。


後ろ姿です。


底に紙が貼ってなかったら、どこの猫かわからなかったところですが、昼寝子堂の明石美穂さんの作品とわかります。

昼寝子堂で検索しても、20年くらい前の情報が出てくるばかり、今はもうつくっていらっしゃらないのかもしれません。






 

2026年6月8日月曜日

まん丸招き猫


1990年代半ばまで、食堂のショーウインドーの、小判を持った常滑系の招き猫以外、街を歩いていて招き猫を目にすることは稀でした。
私はどこかに招き猫はいないかと、キョロキョロしながら歩くのが常でした。そんな時に手に入れた招き猫かしら? それともお正月に有楽町の阪急百貨店で開かれていた「開運招福まねき猫市」で手に入れたものかしら?
珍重したことはなかったけれど、愛嬌のある招き猫です。


どこを見てもまん丸です。


焦茶色の部分だけ釉薬がかかっています。


記録するのが苦手な私、今となってはどこで手に入れたものか、どなたがつくったものか、まったくわかりません。
継ぎ目がなさすぎるので、もしかしたら型に流し込んでつくった?







 

2026年6月7日日曜日

起土人形


高さ140ミリの、左手を挙げた起(おこし)土人形の招き猫土鈴です。
起土人形の特徴で地塗りの胡粉に雲母を混ぜているので、パールのような輝きがあります。

 

起土人形の中には、背中は白いままのものもある中、招き猫は背中側も丁寧に彩色されていて、紅白の水引きも似合っています。
ねこれくと」を参照させていただくと、起土人形は愛知県一宮市(富田村が起町に編入され(中略)、現在は一宮市)の中島家によって明治初期に創始され、おもには大日山美江寺でお蚕祭りの時に授与された蚕鈴をつくっていました。
養蚕と招き猫を含む猫信仰の関係は各地に見られますが、養蚕の最盛期であった昭和の初め頃でさえ、お蚕祭りで授与される蚕鈴は宝珠や米俵を形取ったもので、猫土鈴はなかったのが、なにか面白いところです。


底には前の持ち主のラベルが貼ってあり、「62年(1987年)3月15日」、「富田招き猫土鈴」、「起土人形」と書かれています。起土人形は富田土人形とも呼ばれていました。
これは5代目の中島一夫さん(1925−2004年)のつくられたものです。


首紐から下げているのは、宝珠と鈴2つでしょうか?


挙げた左手は、元々の型がずれていたのかちょっと太くなっています。起土人形は足など凹凸が深いので、型抜きも難しかったようです。

現在は、中島一夫さんのお連れ合いの中島一子さん(99歳)が6代目として制作を続けていらっしゃいますが、残念ながら後継者はいないそうです。







 

2026年6月6日土曜日

獅子?


我が家のおもちゃたちや民具はガラス扉のない棚に並べていますが、1つだけガラスのある棚を置いていて、布でできたものはできるだけその棚に並べるようにしています。
ちょっと見たいものがあって扉を開けてみたら、繻子(しゅす、サテン)地に刺繍したぬいぐるみの動物がいました。
どこで、いつ手に入れたかまったく覚えていません。



中国製でしょうか、たて髪のような刺繍があるので、ライオン(獅子)に見えます。


200と書いたシールが貼ってあるということは、骨董市で200円で売られていたってことかな? 


繻子織りは、綾織よりももっと長く糸が表地に現れるように織ってあるので、光沢が出ますが、張りのある布になります。
切り口がほつれやすく、とても縫いにくい。どんなことがあっても絶対に縫いたくない布です。


そんな、ほつれやすい布で、中国の人はよく細かい仕事をするなぁと、改めて感心してしまいました。
象牙多層球もすごいし、米粒に南無阿弥陀仏と書くのもすごいけれど、お土産物として数をこなす仕事でさえ、すご腕を発揮しています。



追記:


別件で過去の記事を見ていたら、この獅子は、のらさんを訪ねて北海道に行ったとき、のらさん行きつけの骨董屋さんの「豆電球」で買ったものと判明しました。その時買った食紅のことはよく覚えていたのに、記憶というものは途切れ途切れだなと思った次第でした。










 

2026年6月5日金曜日

金魚のおもちゃ


ブリキとセルロイドを組み合わせたおもちゃです。立てると、金魚と枠がくるくる回りながら降りてきます。


縦棒がねじってあり、それに平たく穴を開けた小さな円盤が通してあるので、重力でブリキの枠と金魚も一緒にくるくる回りながら降りてきます。


枠や金魚の穴は、丸く大きく開けてあるので、ねじれ棒への抵抗はありません。


セルロイドの金魚たちは、成形するときに上下に穴を開けてあるので、このおもちゃ用につくられたものです。桃色のセルロイドで成形して、顔を赤く塗って目を入れ、尻尾をブルーグレイに塗ってあります。


おそらく、金魚だけでは重さが足りないので、枠をつけたのでしょう。その方が、枠も回っていっそう華やかになりました。
ただ、ねじれ棒が短かすぎて、あっという間に金魚たちは降りてしまいます。もう少しねじれ棒を長くすることも考えたと思いますが、コストや輸送の問題などもあり、この長さに落ち着いたのでしょう。


降りてくるおもちゃなら、ぴんぴん鯛やぱたぱた鳥の方が楽しさが持続しますが、セルロイドといいブリキといい、新素材を駆使した新しいおもちゃとして売られたのでしょう。


セルロイドの金魚や鯉たちと。