八郷の日々
2026年3月9日月曜日
春の猫
春めく日が多くなった昨日、猫たちにノミ、ダニがつかない薬を投与しました。今年になって初めての投与です。
我が家には、猫専用の出入り口が2か所あるので、猫たちは自由に出入りできます。外で過ごす時間も長くなってきました。
ご飯の時間になっても帰ってこない、呼んでも帰ってこなくて、やきもきさせれられる日もありますが、たいていは帰ってきて、うろうろと食事を待っています。
草むしりをしているときなど、どこからともなくやってきて邪魔します。草抜きカマの先をめがけて、動かすたびに手を出すときは、怪我をさせないように要注意です。
おもしろいのは、出入り口から出て行く時と帰る時の猫の態度が違うことです。
先代猫のトラもそうでしたが、出かけるときは扉をそうっと押して音もなく注意深く出かけるので、いつ出て行ったか分かりませんが、帰るときはパタンパタンと大きな扉の音を立てて駆け込んでくるので、「帰ったな」とわかります。
あまりにも急いで駆け込んだときに、何事だろうと見ると、何か怖いことでもあったのか、尻尾を太く膨らませています。
そんな猫たちが無防備でいられるのは、やっぱり室内ですが、外生活が楽しい季節がやってきたのも確かです。
2026年3月8日日曜日
餅は餅屋
私は、左官仕事を苦手としてきました。
それでも、7、8年前までは悪戦苦闘しながら、作業棟の外壁や門の壁の一部など、下塗りだけはすましたところもありました。しかし、道半ばで力尽きて、今では簡単にしゃがんだり立ったりできないので、そのままになっていました。
作業棟の室内は、足場がないこともあって、まだどこも下地のままです。
さて、夫が設計したf邸では、左官仕事を、以前我が家の母屋を仕上げてくれたつかださんにお願いしていたので、久しぶりにつかださんの仕事を見る機会がありました。いやはや凄い!わけなく、あっというまに壁が仕上がっていきます。夫とも相談して、中断している我が家の壁塗りを、つかださんにお願いすることにしました。
以前、我が家に来た建築家の方にあきれられたことがありました。普通、人目につく「顔」である表だけは、何があっても仕上げるものなのに、恥ずかしげもなく下地が見えていたからです。
「春になって、気温が上がったら行きましょう」
と言っていたつかださんが、ついに来てくれました。
1日目に、外壁で下地が見えていたところはすべて下塗りされ、2日目には漆喰で仕上げ塗りされました。
写真は、門の左端です。
壁の右側は坂を上ってきたらまず目に入るところ、植木が邪魔なので下塗りをしてなくて、あきれられた壁です。でも左側部分は、見えないところです。材木置き場の屋根が迫っているので、屋根の上下から塗らなければならないし、面倒だったらそのままでいいと伝えたのですが、つかださんは塗ってくれました。
全く手つかずのところも、下塗りで灰色だったところも、白いしっくい壁になりました。
作業棟の屋根と下屋の屋根の間の壁は、下塗りしたところと下塗りもしてないところがありましたが、今では下塗りされて灰色です。これが、やがて真っ白になったら印象が違うことでしょう。
2026年3月7日土曜日
ユーモアが欠けているよね
木曜日の文化放送の、「大竹まことのゴールデンラジオ」の「紳士交遊録」のゲストは作家の高橋源一郎さんでした。
SNSで発信するたびに炎上するんじゃないかとうっとうしい。動画を見るたびにAIでつくったものかと疑ってしまう。などという話の続きで、源一郎さんが自分が炎上したときの話をしました。
尖閣諸島に中国の人が上陸したことがありましたが、そのとき意見を求められて、
「基本、どうでもいい」
と答えたら炎上したというのです。
当時は原発問題もあり、源一郎さんにとっては尖閣諸島の問題はプライオリティーが低いものだったのでそう答えたら炎上、家族を殺してやるなどという殺人予告までされて、大きなバールを買ったそうでした。
以前、私は夫と話していたとき、
「尖閣諸島も、竹島もお互いに共有すればいいのにね」
と言ったことがありました。国境として線引きするのは、よく考えれば確かにどうでもいいこと、チャップリンの映画に、国境線をまたいでがに股で歩いていく(逃げていく)映画がありました。
パレスチナにしても、イスラエルが武力で占領する前は、パレスチナ人(アラブ人やベドウィン)は、その地に住みたいというユダヤ人を快く受け入れて、仲良く暮らしていたのでした。
さて、高橋源一郎さんによると、鄧小平は、
「尖閣諸島は先送りにすればいい」
と言っていたそうです。どっちも引き下がれないことだから、あいまいにしておくのが一番いいとの考えです。
ところが政治家は看板を下ろせない。国民が許さないというのです。
日韓の間で竹島問題が深刻になったとき、小さい島ゆえ、誰かが、
「爆破して島をなくせばいい 」
と言ったら、当時のパククネ大統領も、
「それはいいね。でも国民が許さないだろう」
と言ったらしい。
源一郎さんは爆破よりいい考えとして、竹島をブルーシートで覆って、海だということにしたらどうだろうと発信したら、これも炎上したそうでした。
覆ってしまうことは、源一郎さんのオリジナルではなく、梱包芸術家のクリストとジャンヌ=クロード夫妻を真似たものです。
クリストとジャンヌ=クロード夫妻は、これまでいろいろなものを覆ってきました。
まだドイツが東西に分かれていたとき、夫妻はベルリンにある旧ドイツ帝国国会議事堂を布で包みたいと申し込みましたがが、ドイツの国会は最初は拒否しました。しかし、それから何度も議論に議論を重ね、僅差で梱包賛成派が勝って実現したのは、企画してから24年後の1995年で、東西ドイツの統一がなされた以後のことでした。
梱包に反対する人の意見としてお金がかかるというものあったのですが、お金は寄付などを集め、クリスト夫妻がほぼ用意しました。
梱包された議事堂の周りには祝祭ムードがあふれ、東西ドイツ統一の象徴にさえ見えて、梱包は大成功でした。
その日の「ゴールデンラジオ」のパーソナリティーだったのは、ジャーナリストの青木理さんで、青木さんは共同通信社に勤めていたとき、特派員としてソウルに3年滞在しています。
青木さんのお話では、韓国の人に竹島問題についてたずねたら、素敵な答えをもらったことがあったそうです。
「韓国人にとってはドクト、日本人にとっては竹島、それでいいんじゃない」
今の炎上には笑いがない、人生に大切なのはユーモアではないかというお話でした。
国民より、地球の民になりたいものです。
2026年3月6日金曜日
蔓の籠
ヤフーオークションで見かけた、バケツ形でちょっと楕円形の籠です。
蔓(かずら)で編んでいますが、収穫籠なのか、あまり見たことのない材料と形のものでした。値段は安かったのですが、送料の方が高かった、安いものにはよくあることです。
胴は市販の紐で、すだれや菰(こも)のように編んであります。
底は底で、蔓を楕円形に形づくりながら、紐で押さえて編んで、それを胴に取りつけています。
この写真で、胴の下縁の上に紐が見えていますが、この紐で底を胴につなげているというわけです。
胴の編みはじめと編み終わりはきれいに始末されています。
底をつくってからその円周に合わせて胴をつくったのか、胴を先に決めておいて、あとからそれに合わせて底をつくったのか、わかりません。
稲わらで菰を編んだり、竹や萩ですだれを編むときは、1段編むごとに新しい材料を差し入れますが、これは長い蔓を端(縁)で折り曲げながら続けて編んでいるので、長い蔓の長さが足りなくなったときは、端ではなく途中で新しい蔓を継ぎ足しています。
端で折り曲げながら編んでいるため、縁の始末をする必要はなく、縁は美しい仕上がりです。
この籠を出品されていたのは佐賀県の古道具屋さんです。
九州には蔓だけで籠を編む地域があったのでしょうか? もちろん、この籠が九州のものとは限りませんが、竹の手に入りにくい地域でつくられたのかなと思いました。
右のアオツヅラフジのテゴと比べると、その太さがよくわかります。蔓は葛でしょうか?
蔓は、どんなものでもいいというわけでなく、まっすぐに伸びた、太さが均一なものが必要なので、材料集めが大変です。
この籠は美しく編めているだけに、自家用につくられたものか、それとも売りものとしてつくられたものか、売りものとしてつくられたなら、年中蔓で籠を編む籠師さんがいたのか、それとも冬場の農閑期だけ編んだのか、籠師さんはほかの形の籠も編んでいたのか、などなど想像の広がる籠でした。
2026年3月5日木曜日
スカート
重い箕を扱いながらスカート姿の女性、しかし、20世紀初頭までのヨーロッパには、女性にはスカート以外の選択肢はなかったようです。
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| 『世界の籠文化図鑑』より |
スペインのムルシア地方で、蚕のために桑を摘む女性たち。
脚立に上るとき降りるとき、スカートはすごく邪魔、裾を踏んだりすると危険な目にあってしまいます。
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| 13歳のとき、メアリー・アニングは魚竜化石を発見した。『メアリー・アニングの冒険』より |
さて、メアリー・アニング(1799-1847)は、「天地創造」が生命の起源とされていた時代を終わらせ、博物学から出発した地質学、古生物学が誕生した19世紀のイギリス・ヴィクトリア時代に、イギリス南部のライムで、少女時代から数々の化石を掘り当てた人です。
メアリー・アニングの化石発見は、その後恐竜学の扉を開く礎となり、ダーウィンに『種の起源』執筆を促し、世界中の人々の生命観を大きく変えました。
学者たちや国内外の博物館に頼まれて、化石を掘ることで暮らしを立てていたメアリー・アニングに触発されて、たくさんの人たちが化石探しを目指しましたが、引き潮時でさえ波も荒い危険な崖地で、命を落とした人も少なくありませんでした。
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| ロンドンの自然博物館に飾られたメアリー・アニングの肖像画、『メアリー・アニングの冒険』より |
上は、メアリー・アニングの肖像画です。
滑りやすく、地元の人でも命を落とすような岩場に行く服装としてはかなり不適切な姿、想像しただけで背中がぞくぞくしてしまいますが、当時は宗教上の禁忌などもあり、これ以外の服装は考えられなかったのでしょう。
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| 『百年前の日本』より |
それに比べると、日本には少し自由があったようです。田の草取りの女性たちは着物を短く着て、脚絆を巻いています。
もっともこの写真は、モース(1838-1925)の写真で、モースは19世紀末から20世紀にかけて日本に滞在していたので、メアリー・アニングの時代とは50年以上違うので、単純に比較はできませんが。
モースの写真には、女性が着物の下に股引を履いているものもあります。やがて昭和も戦後になると、着物を短く着てその上からもんぺをはき、さらに脚絆を巻く姿になって、もっと機能的になりました。
『メアリー・アニングの冒険』(古川惣司・矢島道子著、朝日新聞社、2003年)の表紙はサウスケンジントンにある自然史博物館の写真です。
メアリー・アニングが掘り当てた首長竜のプレシオサウルスの標本の下に飾られたメアリー・アニングの肖像画に見入る少女は、メアリー・アニングが初めて魚竜化石を発見した13歳と同じくらいの年の少女でしょうか?
200年の時を経て、こんな姿でいられるのは、おそらく生命観が変わったことと深く関係があることでしょう。
2026年3月4日水曜日
おしゃれだね!
終日雨だった寒い昨日、久しぶりに近くの温泉に温まりに行きました。
温泉から上がって、ホールの縁台に座って、ぼんやりと遠くに飾られているお雛さまに目をやると、あれっ、五人囃子の前に置かれているのは、和太鼓ではなくてドラムに見えます。
近寄って見ると、確かにドラムでした。
以前も、季節になるとここにはお雛さまが飾られていました。でも、普通の持ちもののお雛さまで、どなたかが寄付されたものだと思っていたのですが、いつからこんなバンドのお雛さまと入れ替わったのでしょうか?
ほかの五人囃子たちも、エレキギターやトランペット、トロンボーンなどを手にしています。
それにしても、楽器がよくできています。3Dプリンターでつくれば、簡単につくれるのでしょうか?
そして、右大臣と左大臣は、なんとミニバイクにまたがっていました!
極めつけは三人官女で、エレキギターを抱え、コンガをたたき、キーボードを演奏しています。かっこいい!
昔ながらの着物を着て、今どきの楽器を演奏しているお雛さまたち、こんなお雛さまがいたとはびっくりでした。
2026年3月3日火曜日
箕の切手
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| ルーブル美術館収蔵 |
3月3日、桃の節句ですが、箕の日でもあります。
写真は、ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875年)の出世作の「箕をふるう人」の絵です。
箕をふるう人は、1枚だけでなく複数あります。
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| ナショナル・ギャラリー・ロンドン収蔵の最初の絵 |
なぜならば、1848年の官展(サロン)で評価された後、購入希望や注文に対応するため、ミレー自身が類似した絵を複数制作したからです。
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| オルセー美術館収蔵 |
「箕をふるう人」の絵を知ったことで、フランスでもちりとり形で取っ手がついた箕が使われていたことを知りました。
フランスのオルセー美術館の「箕をふるう人」は、1971年に切手にもなっています。
切手になった絵を見ると、箕の材料は柳だったのかと想像されます。 フランスで柳はもっとも使われている籠類の材料です。
さて余談、これは手元にあるフランス名画切手ですが、右のラウル・デュフィ の「赤いヴァイオリン」については、忘れられない思い出があります。
中学1年の教科書に、この絵が載っていました。
中学生になって初めての美術の時間に、美術のO先生が教科書を開いてこの絵も含めて掲載されている絵や彫刻の感想を生徒たちに訊きました。この絵のときは誰も手を挙げてなかったかどうだったか、手を挙げて指された私は、
「黒い縁取りと塗ってある色が合っていません」
と、間抜けな感想を述べました。
すると、ルパシカのようなコーデュロイの上着を着たO先生が目を輝かせながら、私の席の方までつかつかと寄ってきて、
「凄い!いい答えだ。あんた名前は何という?」
O先生は、
「文化祭で劇をするので、中国の梅林の絵を描いてくれますか?」
などと、無神経に頼みに行くと、
「あぁ、いいよ」
と言って、模造紙を2枚つなげて、墨と絵の具であっという間にみごとな、白梅や紅梅が続く梅林の絵を描いてくれたりする、真の画家でした。
追記:
あまよかしむさんからフランスの箕の情報をいただきました。横から描いた絵しか知らなかったので、こんな形をしていたと知ってびっくりでした。
というわけで、写真をお借りしました。
円く編んで、一部を平らに、一部を立ち上げています。
昔の人は、東西を問わず力持ちでしたね。



















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