2026年9月24日木曜日

招きハダカデバネズミ


招き猫の棚の掃除をしていたら、ハダカデバネズミの足が取れているのを見つけました。
すぐ気づけば、もしかしたら破片を見つけたかもしれないのに、3.11から15年も経って、今ごろ気づきました。


もっとも当時は破片が散乱していたので、見つかったかどうかわかりませんが。


田坂太郎さんは、素敵な作品を作り続けていますが、2010年ごろ大ブレイクしました。益子の陶器市では初日の朝行っても空っぽの棚があるだけで、何一つ見ることができないという状況が何年も続いています。未明から行列ができて、開店と同時に対応し、昼前には完売してしまいます。
年1回の銀座三越での個展では、毎回完売、三越はじまって以来の現象だと聞いたことがあります。


これは、その陶器市で珍しく棚に残っていたものです。
大ものではなく小もので、似たものをたくさんつくった中の一つだったので残っていた「招きハダカデバネズミ」です。
ハダカデバネズミを検索したら、いやぁ、気持ち悪い奴でした。
最近は、益子の陶器市に行くことも無くなってしまいましたが、


田崎さんのFacebookを見ると、最近の個展で発表した、迫力のある猫神が目に飛び込んできました。



 

2026年9月23日水曜日

大きなポケット


このところ、毎日の温度差が大きいので、箪笥の中に見つけたヴェストで気温調節しています。大きくつくってあり、軽いので着やすい。そういえば星茂子さんはとっても着やすい服をつくっていたなぁと、懐かしく思い出しました。


1990年代のはじめごろ、今のように着物のリフォームが盛んでなかったころ、星さんは「大きなポケット」というブランドで、布(法被や着物など)選びから、解き、裁断、縫い上げと一人でやって、服ができたらデパートに小さな小さな店を開いて売っていました。
星さんが店を開くデパートは2店くらいあったか、売り場は試着室にはそう遠くない通路の一角や階段のわきなどで、パイプでできた洋服掛け1つに服を掛け、その横の椅子に、法被(はっぴ)でつくった洗いざらしの服を着たアフロヘアの星さんがちょこんと座っているというものでした。


上は、星さんと初めて出会ったときに買った、法被をリフォームした服です。
紋を別々にして後ろと前に使い、


右胸にどこから切ってきたものか、赤い花のアップリケをして遊んだりと、星さんらしい服です。


穴が開いたり、かぎ裂きができたところは、表から繕っています。
「私の服は型紙をつくらないで立体裁断するから、着やすいわよ」
と星さんが言う通り、身体に合わせて立体裁断すると言う服は、確かにとても着やすいものでした。ただ、ズボンやレギンスを履くと脚にまとわりついて歩きにくいので、このワンピースには、紅絹(もみ)の裏地を、私が勝手につけてしまいました。

その後、星さんが店を出しているところでもう1度偶然に出逢い、そのときから案内の葉書をもらうようになって、以後半年後、ときには1年後に、服がたまって星さんがデパートに出店するときお会いするようになりました。


今年の夏は、久しぶりにこのワンピースを着る機会がありました。
端午の節句の幟(のぼり)でつくったワンピースで、
「着るとね、ちょうど武将の顔があったところに着た人の顔がくるようにつくったの」
と、星さん。
幟は、戸外で日光や風にさらされて、布が弱っているものが多いのですが、これはいい具合に古びているのに、何度も洗ってもしっかりしています。


星さんの服の中で、これが一番出番が多かった服かもしれません。
蚊絣(かがすり)の単(ひとえ)のコートで、薄くて嵩張らないのに羽織ると暖かいので、特に遠出をするときに重宝します。


所々に型染めの鶴のアップリケがあります。
藍染は、他の色のものと一緒に写真を撮らないと黒くなってしまいますが、実物はもっと美しい藍色です。


星さんの服の中で、おそらく最後に買ったコートですが、これだけはあまり着る機会がありませんでした。


表地が2種類の絣で、裏地に縮緬(ちりめん)を使っているのですが、裏が絹なので滑りやすく、前開きですから、すぐに肩から落ちそうになるのです。着やすい服をつくってきた星さんにしては珍しいというか、私が着こなせなかったのかもしれません。

星さんは、デッドストックなど、新品の布は使いませんでした。
着古した布の中には、しっかりしているように見えても脆くなっている布もあり、中には解いて洗濯機で洗ってみると破れて、使いものにならなかった布もあったそうです。
ブランド名の通り、どれにも使いやすい大きなポケットがついている、星茂子さんの服でした。




 

2026年9月22日火曜日

やっとだね!

夫が昨日から、
「コンピュータの調子が悪い、お天気のせいか」
と言っていました。
私のコンピュータは問題ないしスマホも問題ないので、問題があるのは夫の古いコンピュータだけじゃないのかと言ったら、4月に新調したのに使ってなかったコンピュータに、やっと重い腰を上げて乗り替えることになりました。
ところが、もう初期設定はしてしまっていたのにパスワードを忘れています。パスワードを再設定しようにも、パスワードを入れないと「設定」の画面が出てこないので、簡単に再設定できません。
そこで、解決方法を調べているうちに行き着いたサポートの画面でチャットをしました。いろいろ訊かれて答えていたら、最後に、「今日は198円いただくけど、会員になって月々6千何がしの会費をいただくことになる。その手続きをしたら解決方法を教える」という、契約画面になってしまいました。いやいや、そんな。ただだと思ってやっていた私がバカでした。
すぐ切って、どうしたらいいか、九州にいる長男に訊きました。これまでWindowsを使っていたのをMacにしたので、Windowsを使っている近くの次男より長男の方が詳しいからです。


息子とメッセンジャーでやりとりしていたら、埒が開かないと思ったのか電話をかけてくれて、電話で教えてもらいながら操作して、やっとのことでパスワードを再設定して、開くことができました。けっこう面倒なものでした。ずっと使っていれば、パスワードをいつも使うので忘れっこないのでしょう、
私も息子も、そして待っていた夫もへとへとでしたが、一安心でした。

ところが、夫のコンピュータの中は、デスクの回りと同じでゴミ屋敷状態です。
「今忙しいから、あとでまとめて片づける」
というのが口癖の夫、その「あと」がいつまで経っても来ません。やたらブックマークをつけていて、それを分類しないでいるのです。
今日はとうとう、何年も前からブックマークしたものをほとんど捨てるよう促したので、我が道を行っているその道は、少しはスッキリした道になったと思われます。








2026年9月21日月曜日

敬老の日

今日は敬老の日です。
敬老の日のルーツとされるのは、1947年(昭和22年)に兵庫県野間谷村(現・多可町)で行われた敬老会で、なんと55歳以上が対象でした。
敬老の日が祝日となったのは1966年、老人の明確な年齢基準はありませんでしたが、1963年に老人福祉法で65歳以上を高齢者の目安としたので、それに準じていました。
老人とは何歳かという話のとき、よく引き合いに出されるのは「船頭さん」の歌です。

♪村のわたしの せんどうさんは
 ことし六十の おじいさん
 年はとっても おふねをこぐときは
 げんき一ぱい ろがしなる
 それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ♪

60歳でおじいさんだって!
今どき、私の周りでは、60歳は若い人です。


井上陽水の1972年に発表されたファーストアルバム「断絶」の中の「人生が二度あれば」があります。

♪父は今年二月で六十五
 顔のシワはふえてゆくばかり
 仕事に追われ
 このごろやっと ゆとりが出来た

 父の湯呑み茶碗は欠けている
 それにお茶を入れて飲んでいる
 湯呑みに写る
 自分の顔をじっと見ている
 人生が二度あれば この人生が二度あれば♪

そして、子どものことだけに生きてきた63歳のお母さんの歌へと続きます。
この歌が発表されたとき、私の父は56歳で母はまだ40代でしたが、私から見ると当時はおじいちゃんとおばあちゃん感がありました。やれやれ、こんな年だったのかと思うと、おかしくなってしまいます。
「人生が二度あれば」が発表されたとき井上陽水さんは24歳、彼にとって65歳は十分年寄りに見えたことでしょう。
そして、竹内俊子さんが「船頭さん」を作詞したのは36歳の時。当時は60歳が年寄りだったかどうかというより、彼女にも60歳はやっぱり年寄りに見えたことでしょう。


今日は、TBSラジオで「森本毅郎(87歳)・スタンバイ!」を聴いた後、開局75周年記念の特別番組の、「森本毅郎スタンバイ!特別編」と「荒川強啓(80歳)デイ・キャッチ!特別編」を聴いて過ごします。






2026年9月20日日曜日

祭りだ、祭りだ!

台風が近づいているようですが、昨日と今日は石岡のお祭りです。
咋日、お祭りのことを失念していて、石岡の町にこの季節限定の栗蒸し羊羹を買いに行きました。お祭りの準備に町が湧き立っていたので、帰りは大通りを避けて裏から帰ろうとしたのですが、そうは問屋がおろさず、山車に遭遇してしまいました。
お祭りには、狭い旧市街から、12もの山車が出ます。


信号が青になっても、山車が通り過ぎるまで車は進みません。
山車の格納庫の天井高は限られているのか、山車を引っ張り出しながら上部を組み立てていますが、お囃子が鳴り、おかめやひょっとこのお面をつけた人は、変わるがわる舞台で踊っています。


大通りでは電線が地下に埋められていますが、一歩裏通りに入るとどこも電線だらけ、道幅は狭く、山車を曳く人たちは大変です。


一体、信号を何回待ったでしょう。やっと通ることができました。
山車を曳く人たちは曳くのに一生懸命、お囃子や舞う人は直前稽古に一生懸命、山車を組み立てる人は組み立てるのに一生懸命。
さて、今日は朝から雨で、どうなさっているのでしょうか?


栗蒸し羊羹は、生の栗を使ってお彼岸の頃から約1ヶ月だけつくられる美味しいお菓子、つくるのに5日かかるそうです。



 

2026年9月19日土曜日

眼科に行ってきました

私がO眼科に行くようになったのは、夫が白内障を手術していただいたときに付き添いで行くようになってからです。
夫は別の眼科で白内障が手術の時期に来ていると診断され、手術のできる病院や眼科を紹介されたのですが、その中にO眼科がありました。O眼科では週に3日の手術日(手術は1週間に1度のところが多い)があり、白内障手術に経験の深いお医者さんがいらっしゃいます。
ところが、夫は血糖値(正確にはヘモグロビンA1C)が高く、それを下げるまで手術できなかったので、かなり長く通うことになりました。最初は夫一人で行っていたのですが、白内障が進み、瞼が垂れ下がる症状(のちに病院で手術)も出てきたので私が運転して行くようになり、待っている間にふと私も白内障の検査をしてもらったらどうかと思い、お願いしたのです。
O眼科では、風を当ててからパッと光をあてる眼圧検査と視力検査をしてから、お医者さんの診察がありました。診察室では、検査結果の説明の後、診察室備えつけの機械で目を覗き込まれ、顔はまっすぐ前に向けたまま、眼球だけ動かして上下左右を見る検査を受けました。 その結果、年相応の白内障の症状はあるものの問題ないとのことでしたが、以後2、3カ月おきに定期的に診てもらうことになりました。

昨年の11月だったか、いつもの眼圧と視力検査に加えて別の検査をしました。暗くした部屋で暗い画面を見て、ポッと赤い光が見えたら手に持っているボタンを押して知らせるという検査でした。顔は固定しているのに、眼前の四角い画面はそこそこ広く、赤い光は薄くて小さくて画面のどこに現れるかわからず、すぐ消え、目まぐるしく矢継ぎ早に現れたりそうでもなかったり。しかも検査はあらかじめ知らされてはいたけれど5分間も続いて、集中力は切れるし、反射神経も衰えて、検査が終わった後はへとへとでした。
一体なにを検査されたかわからなかったのですが、そのときの診察で、眼圧が強くなっていたので、左目だけ1日1回1滴だけ、点眼剤を入れることになりました。

埼玉県の藤田眼科医院の絵をお借りしました

その後、O眼科を訪れるたびに、またあの長い検査をするのかとビクビクしましたが、いつもの検査だけで点眼薬もそのままでしたが、眼圧は落ち着いていると知らされていました。
そして咋日、検査の時に初めての機械の前に座らされました。それは虹彩と角膜の間の隙間、隅角(ずいかく)を拡大して写真に撮る機械だったのです。
隅角は、正常だと24度くらいあります。ところが、私の隅角は、右目が13度、左目が9度と狭く、放っておいても何事も起こらないかもしれないけれど、もし急に眼圧が上がって隅角が塞がると急性緑内障発作を起こし、ひどい頭痛や吐き気で、それはそれは大変な思いをするとのことでした。
では、どうしたらいいか?
二つあって、一つは白内障の手術です。視力は左右とも裸眼で1.2あるので、視力の面で白内障の手術をする差し迫った必要はないのですが、白内障の手術をすると膨張している水晶体が萎むので圧がなくなり隅角が塞がる心配がなくなります。もう一つは、虹彩に穴をあける手術です。こちらは白内障の手術に比べると、急性緑内障発作予防への確実性は劣るそうです。
どちらの手術もそれなりに大変な手術なので、ゆっくり考えて結論を出したらと言われましたが、お医者さんにいろいろ質問したりしながら心は決まり、白内障の手術をすると伝えました。白内障の手術は、説明会や血液検査などを経て手術前日、手術日、その翌日と3日続けてかよわなくてはならず、両目一度に手術するので、特に術後は自分で車を運転することができません。夫は元気、お願いすることができます。
いざ手術かと勢い込んでいると、
「では、執刀するO先生とも調整するので、次の予約は11月にしましょう」
と言われて、ちょっと肩の力が抜けました。


まぁ、お任せしてのんびり進みましょう。予期せぬ不具合も出てきはしますが、身体は今もしっかり動いてくれていて、ありがたいことです。

あのとき、ふと白内障の検査をしてもらおうかと思わなかったら、またその後も定期的に診てくれるO眼科で診てもらわなかったら、眼圧が上がって隅角が狭くなっているとは知らないで過ごしたところでした。なんでもないかもしれないけれど、大変なことになっていたかもしれません。
遠視だった人が隅角が狭くなるとか、遠視の皆さまご用心です。






2026年9月18日金曜日

やってきた!

お知らせです。
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9月6日から、新しいコメントが「最新のコメント」欄に表示されていません。何度も、GoogleやAIの指示に従って操作してみているのですが、問題ないはずですが、一向に改善されません。
ただ、管理画面には新しいコメントが表示されるので、昔の記事にコメントをくださった方にも返信できているので、よろしくお願いします。
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さて、長い間憧れていたスウェーデンの餌をついばむ鶏を手に入れました。


円の直径は15センチ、バガロツカエのついばむ鶏、クローチカよりちょっと大きめです。


スウェーデンのものは、シンプルな美しさがありますが、首と顔や尻尾を比べてみると、バガロツカエの鶏は、轆轤で引いたあとナイフで削って一手間かけています。


ところで、台所の流しで、ビニール袋をセットして生ゴミを入れるシンプルな台を使っています。
これに、餌をついばむ鶏を乗せてみたらどうかと思いつきました。


スウェーデンの餌をついばむ鶏。


ロシアの餌をついばむ鶏と、鳩に餌をやる少女。


そして、ポルトガルとバリ島の餌をついばむ鶏です。

スウェーデンの餌をついばむ鶏を手に入れることができて、願っていれば手に入るものだなと感慨深いものがあります。
これで餌をついばむ鶏にこだわっていた思いも一段落しました。