2026年4月19日日曜日

庭仕事は楽しい!

やったね!
やっと新らしいコンピュータに写真を簡単に取り込めて、トリミングや色調の調整などができるようになりました。


さて、芝生の草むしりをしていたら、マルがやって来ました。最初は私の足や麦わら帽子に戯れて遊んでいたのだけれど、静かになったなと見ると、呑気に寝いっていました。


「猫の手は貸さないよ。見せるだけ」


「邪魔だねぇ」
「極楽、極楽」
ちなみに、草むしりは古いお風呂の椅子に腰掛けてやっています。








 

2026年4月18日土曜日

庭の木、近くの木

 


食卓の窓の外のカツラの葉っぱは、日ごとに大きくなっています。
細い棒苗を飢えたとき、育った姿が想像できず、近すぎて失敗しました。もうすぐ、食卓は薄暗くなってしまいます。


トチの木(右)は、昨秋の残暑の中で早めに葉を落としてしまったので、枯れてしまうかと、ちょっとだけ危ぶんでいました。
葉をつけて、葉がぐんぐん大きくなって一安心です。


トチの木は、もう蕾が育っています。葉が小さいときは花芽がいっぱい見えていたけれど、今ではほとんど隠れてしまいました。


右の丸いのは、他の人の土地に勝手に生えていたケヤキ、左は移植したケヤキです。
勝手に生えていたケヤキは、覆っていたクズを取り除いてやったら、ぐんぐん大きくなってしまったんだけれど、移植したケヤキは大丈夫かしら?
ケヤキもヤマザクラも芽吹きの時期は個体差があるので、単に遅いだけかもしれません。








2026年4月17日金曜日

試運転

新しいコンピュータが届きました。しかも、長男から勧められて、25年ぶりにマックにしました。

私のコンピュータ歴は、1985年に夫が冬のボーナスを全部はたいて家族用に買ったNECからはじまり、1998年にカンボジアに赴任した当時は、マックのノートパソコンを使っていました。
私の働いていたNGOの東京事務所では、1980年代には手書きか、英文の場合はタイプライターを使い、そのうち各自がワープロなどを持ち込んで使うようになりました。そして、1990年代にはどこかの会社が20台ほどくれた中古の同じコンピュータを使うようになりましたが、海外赴任するときは、それぞれが自前でワープロやコンピュータなどを用意するのが当たり前でした。また、各国の現地スタッフたちも、人数分はありませんでしたが、事務所備へつけのコンピュータを使いはじめていました。


アップルのノートパソコンを持って行ったカンボジアでは、どこもかしこもWindowsばかりで、マックは影も形もない、当時はマックとWindowsの互換性はまったくありませんでした。プノンペン在住の他の団体などから、毎日何通も届くメールはマックでも読むことができましたが、添付資料はそのままでは読めず、すべてテキスト変換するのですがテキストになった書類は読みづらいことこの上なく、しかも変換し切れない書類もありました。添付資料は、当時は森林法が改正されたり、新らしい条例案が提案されたりと、人々の慣習法をなんとかして守りたいと連絡を取り合っていたNGOsにとっては、とても大切なものばかりでした。
約半年後に一時帰国したとき、不便していた私は迷わずWindowsに切り替え、そのときも息子の勧めでソニーのバイオを買って持って行き、それ以来ずっとWindowsでした。


新らしいコンピュータは、取説もついてなくて、電源を入れて出てきた画面に従って進むだけでしたが、なんとか使えるようになりました。古いデータが壊れたコンピュータに保存されているのではなく、新らしいコンピュータに替えてもそのまま使えることを知らなかったら、不安でマックにはしなかったかもしれません。
以前コンピュータを取り替えたときは、確かデータをいちいち移さなくてはならなかった、世の中は日進月歩です。

ところで、新らしいコンピュータでの写真の加工の仕方はまだわかっていません。試しに入れてみた写真は、ちょっと明るくしたかったのですが、一体どうしたらいいのか?
使い慣れていた「Google フォト」アプリをダウンロードして使ってみましたが、「Google フォト」を使うのをやめて、マックに元から入っている「写真」アプリを使えば加工できるのかもしれません。





2026年4月15日水曜日

スピンドル(錘、つむ)

 


織物教室の集まりのとき、さかいさんが、いろいろなスピンドル(錘、つむ)を持ってきて、その中に素焼きのコマ(独楽、盤)のスピンドルがありました。
茨城県の縄文遺跡から出土したスピンドルのコマを模してつくったもので、粘土を掘り出して成形し、野焼きしてつくってあります。棒は竹のかぎ針を利用していますが、木の枝を利用することもできます。
素焼きのコマはちょっといびつですが、糸は問題なく紡げます。これは羊毛で紡いでいますが、縄文の人たちは羊毛を紡いだのではなく(あたりまえですが)、カラムシやアカソの繊維に撚りをかけて、より強い撚糸をつくるために使いました。


上の写真は、縄文の布に関心を寄せているさかいさんが、子どもたちを対象に「縄文の糸づくりを知る」ワークショップを開きたいと考えて、初めて手にしたスピンドルと木綿わたのセットです。
説明書を見てもなかなかコツがわからないと思っていたところに、織物の先生だった亡き近藤さんに出会ったのだそうです。


我が家にある、東南アジアの山岳民族のスピンドルです。紡いだ木綿糸が残っています。
さかいさんが初めて手に入れたスピンドルと同じくらいの位置に、コマが収まっています。


このコマは、ココヤシの殻を利用してつくったものです。


スピンドルのコマの大きさはいろいろで、これは直径5センチほど、大きいのは12センチほどのものもあります。コマが小さくて軽いスピンドルでは細い糸が紡げて、コマが大きくて重いスピンドルでは太い糸が紡げます。


『はじめての糸つむぎ』(スピナッツの本棚、スピナッツ出版、2004年)に載っていた「スピンドルのいろいろ」の一部です。
棒に対するコマの位置がいろいろなスピンドルがあることがわかります。


私も一度はスピンドルを使って糸を紡ぐことを近藤さんに習ったのだけれど、全然身についてなくて、すっかり忘れています。
『はじめての糸つむぎ』には、スピンドルも上達すると、紡ぎ車と同じくらいのスピードで糸が紡げると書いてあります。今度、スピンドルでの糸つむぎにしか関心がないさかいさんに習って、ちょっとやってみようと思います。





2026年4月14日火曜日

壊れちゃった

一昨夜のこと、コンピュータがぶつっと切れて画面に白い枠しか映らなくなり、慌てました。
私が使っていたコンピュータは、本体とディスプレイの一体型で、ちょうど九州からきて泊まっていた長男が、
「ディスプレイが壊れただけかもしれない」
と、昨日コードを買ってきてでディスプレイにつないでみてくれましたが動かず、夫のノートパソコンを、私も使えるようにしてくれました。 古いノートパソコンだったので、アップデートに時間がかかったりしましたが、使えるようになり、昨日はブログの下書きしていた記事をUPすることができたというわけでした。

ところで、データは昔のようにコンピュータに保存されているのではなく、どこか(?)のサーバーに保存されていて、コンピュータが壊れてもほとんどのデータが残っていることにびっくりしてしまいました。
写真やe-メール、ブログなどは残っていると思っていましたが、私がブックマークした、こまごました情報は消えてしまっただろうと思っていたのに、ほとんど(すべてかな?)残っていました。


ただ、写真はデータからダウンロードして使っているのですが、前のやり方ではできなくなっていました。
今日はテスト投稿です。



2026年4月13日月曜日

麦茶ピッチャー

麦茶の季節がやって来ました。
私たち夫婦は夏でも熱いお茶派ですが、客人を迎えるときなど、冷たい麦茶が喜ばれることが多いし、簡便です。
ところが、昨年、手持ちのガラスピッチャーを一つ割って、1リットルの大きさのものは、たった1本しかなくなってしまいました。


その残っている1本は、四半世紀前以上にタイ・バンコクのサイアムスクエアにあった東急デパートで買った、フランス製のアルコロック、クワドロピッチャーです。
友だちのところで見かけて、気に入って買いに行ったもので、2本買ったのですが15年ほど前に1本割ってしまいました。


そこで、便利に使いはじめていたネットショップで見かけた、クワドロよりガラスがずっと薄くて軽いガラスピッチャーを、1リットル用を2本、それよりちょっと小さめなのを1本買い足しました。昨年、そのピッチャー大の2本目が割れて小さいのだけになり、麦茶を冷やすのに支障をきたすようになりました。

そこで、ネットで「ガラスの麦茶入れ」で検索したところ、クワドロピッチャーに行き当たりました。


八角形ではなく四角形ですが、ほとんど同じ形のものが値段が3種類あって、高いのは安いのの倍以上していたので、迷わず一番安いのを買いました。
「なんだ、1本しか買わなかったの?」
と夫。639円だし、送料も無料ですから、確かに2本くらい買ってもよかったかもしれません。安い理由はフランス製ではなくて中国製だったからかもしれないし、高いのも、おそらく中国製ではないかと思われます。


新旧比べてみると、蓋はまったく同じでしたが、驚いたことに、買わなかったあとの2本はよくよく見たら蓋の形がちょっと違っていました。


夏の麦茶、これで安心です。





 

2026年4月12日日曜日

織り物の歴史のこと

最近、織物教室できくちさんとさかいさんと集まったとき、気がついたら編み物(アンギン)や織り物、というか布の起源についての話に、花を咲かせていることがあります。
人は縄文時代にどんな道具を使って自然から繊維を得たのか、どうやってその繊維を布に仕上げたのか、縄文遺跡から出土した布目のついた土の欠片、織り機だったものの破片、糸に撚りをかけてより強くする道具などなど、
「えっ、そんなところまで!」
とびっくりするほど日本国中の遺跡を歩いたさかいさんを中心に、資料を見たり、スマホで発掘品の写真を見たりして、楽しい時間を過ごします。
それに織りものの知識を加えて、もっと真相に迫りたいと、役立ちそうな本を手に入れてみました。


『織物技術民俗誌』(吉井敬郎著、染色と生活社、1991年)です。
ところが、思ったほど、古代の知識は得られませんでした。というのは、遺跡の発掘と、布・籠など消えやすいものの研究は日進月歩で、この本が書かれた35年前より今の方がずっと進んでいるからです。
古代の織物に関しては参考にはなりませんでしたが、近代の織り物については、たくさんの絵や写真でたくさん紹介されていて、興味津々でした。この本が書かれたころには、まだ手機(てばた)で実際に織っている人たちもいれば、もう織ってはいないけれど織り物について語ることができる古老がいるところもあり、そんな人たちを訪ね歩いて、全国の貴重な記録が紹介されていたからです。

この本を読んで知ったことは、筬(おさ)の役割が歴史的に違ってきていたことでした。筬とは、緯糸(よこいと)を経糸(たていと)に通したあと、それを締めるものとしか考えていませんでしたが、それが「高機(たかはた)」ができてからの常識だったと知りました。
踏み木を踏んで2枚以上の綜絖(そうこう)を上げ下げする高機以前の、綜絖が1枚しかなかった地機では、筬は、緯糸を打ち込むためのものではなく、おもに経糸の間隔を保ち密度を一定にするために使われていたのです。


それが証拠に、地機の原型を色濃く残しているとされるアイヌの織り機では、筬は織り手(この絵では左側に座る)から遠く離れた位置に置かれています。そして、緯糸を締めるためには、筬ではなく刀杼(とうじょ、とうじ。緯打具。アツシペラ)だけが使われている(使われていた)ようです。
大杼のコメントでhiyocoさんが教えてくれたYouTubeでは、結城紬を地機で織るのに、大杼と筬の両方で緯糸を打ち込んでいました。結城紬では、高機を使って筬だけで打ち込むより、大杼を使った方がしっかり打ち込めるので、今でも高機より効率の悪い地機(織るのに倍の時間がかかる)を使い続けているのだそうです。


そして、アイヌの織り機同様、地機も「中筒」を挟むので、綜絖に結んだ紐を足で踏んで持ち上げないときも、経糸は開いた状態(例えば奇数糸が上で偶数糸が下という具合)になっていて、綜絖を持ち上げたら経糸の上下が入れ替わります。
ちなみに、高機では踏み木を踏んでないとき、経糸はすべて同一平面上にあり、経糸は開いていません。


地機ではアイヌの織り機と違って筬は手前にあり、明らかに緯糸を締める目的に使うことができます。

ところが、東南アジアのカレン人やラオス人の場合、刀杼は緯打具としては使わず、おもに経糸の間に通したら立てて、杼を通りやすくする目的で使います。
「用途は判明。使い方は依然として不明」で紹介したデンマークの刀杼は、薄くて、立てるには幅がありすぎると思っていましたが、もしかしたら経糸の間に立てないで、緯糸を打つ道具としてだけに使ったかもしれない、地機の大杼のように、緯打具に特化したものだったかもしれない、と思ったことでした(真相は不明ですが)。

さて、この本にはアサ(大麻)、フジ、シナ、木綿、絹については詳しく書かれているのに、カラムシについての記述がありません。今では、カラムシ(苧麻・ちょま)アカソ(赤苧)は、縄文時代から利用されたもっとも古い繊維として広く知られていますが、著者の吉井さんの各地での聞き取り調査にまったく出てこなかったのが、ちょっと気になりました。
聞き取り調査のほとんどは西日本で行われたもの、第二次大戦後ですから、各地でカラムシの織物はすでに消えていて、新潟県以外には痕跡もなく、カラムシもアンギンもまだ世に知られていなかったのかもしれません。