2026年10月19日月曜日

昭和のお土産もの


昨日のおもちゃ骨董さわださんの店先です。
いつもの、おはじき、ビー玉、ベーゴマ、石蹴り、メンコなどに加えて、自然素材とろくろで挽いた木などを合わせた各地のお土産ものが棚いっぱいに、朝の光を浴びていました。
安っぽくてカラフルで、そして工夫と手間の詰まったお土産ものたちです。


貝、稲穂、松ぼっくりを利用。
手前左は納豆なのか、栗なのか?


松ぼっくり、栗のいが。
果物摘みや田植えの乙女たち、揃えた足が目立ちます。


この写真の中に、下駄が3つもあります。
どれも、温泉町のお土産のようです。頭に手拭いを乗せたり結んだり、そして湯船に浸かっているのまで・・・。
温泉町に、下駄はつきもの、よく似合っていたのでしょう。

さわださんは、大量の人形たちを運んでくるのが大変だったそうです。




 

2026年10月18日日曜日

デザートフォーク


お客さんにお菓子を出そうとデザートフォークを探したら、2本しかありませんでした。
「えっ?」
元々は6本、ついこないだまで4本はあったのに、いったいどこへ消えたのでしょう? 誰がなくしたのでしょう? 


その日は仕方なく、魚の形をしたプラスティックのフォークにしました。


ときおり、まさかこんなところからと思うところから失せたものが見つかることがありますが、2本しかないのでは困るので買い足しました。
柳宗理のデザートフォークは、使いやすいのに北欧のカトラリーに比べると安価だし、何よりも、40年以上前に買ったものと同じものが、しかも1本から買えるのが嬉しいところです。


お菓子用には、真鍮のフォークがあるのですが、和菓子はともかく、洋菓子には小さすぎて使えません。ネットで買ったときサイズをよく確かめなかったのが悪いのですが、和菓子とのバランスはいいものの、洋菓子に小さすぎて無理、それに手にも小さすぎます。


右から2つ目のフォークは、夫の母が使っていたものです。おそらく貰いもの、当時のモダンデザインかもしれませんが、今では昭和を感じます。
お菓子を食べるには、大き目だけど大きさを感じさせない、柳宗理のフォークが、我が家では最適でしょうか。




 

2026年10月17日土曜日

いつの間に?

庭仕事をしていたら、髪の毛が引っ張られたような気がしました。
頭の上なので見ることはできないので、手でぱっと払ったら、カマキリが落ちてきました。


いったい、どうやって私の頭に乗ったのか、木の下を通ったとき、飛び移られたのでしょうか。


通常、成虫になったカマキリは見つかってもじっとしているものですが、羽が傷んだこのハラビロカマキリは、よたっ、よたっと足を運んで逃げていきます。


柱に登りはじめるとお腹の赤い色が見えて、ムネアカハラビロカマキリでした。
中国から竹箒に卵がついてきたらしいムネアカハラビロカマキリに、元から日本にいたハラビロカマキリが駆逐されるのが問題になっているようですが、我が家の庭でも外来種のムネアカハラビロカマキリが年々増えている気がします。
と言っても、9月はずっと雨だったので、今年はいつもの年よりカマキリを見ていません。





 

2026年10月16日金曜日

さすが、大地!




生ゴミ処理のキエーロを使うとき、以前は生ゴミを埋めたら、表面を平らに均していました。
ところが、片側を掘って埋めて、その上に反対側の土を盛っておけば数日で平らになっていることがわかりました。これで、苦労しないで、右左、右左と交互に埋められます。


片側が盛り上がっている土を勝手に平らにしているのは、微生物でしょうか? それとも群生している芋虫たちでしょうか?
キエーロでは、時間が経っても分解しにくいものがあります。鶏の骨、卵の殻、アボカドや桃の種などで、いつまでも分解しないでごろごろしているので、見かけたら取り除くこともありますます。
キエーロだけでは間に合わないときは、畑(と言えるか?)に埋めています。動物性の残滓を埋めると、ハクビシンかアナグマか、あるいはタヌキかアライグマか知りませんが、何者かが抜け目なく見つけて掘り返すので、畑には植物性のものに限って埋めます。


大地はさすがです。
キエーロの中ではいつまで経っても干からびた種のままでゴロゴロしてしまうアボカドの種が、芽を出していました。


畑(と言えないだろう!)で育てているのはレモングラスと、農産物直売所では売っていないし、生協でも手に入らなくなったルッコラだけで、筋蒔きして、間引きした小さいものも全部食べています。









2026年10月15日木曜日

『猫は愛でたし目出たし』


『猫は愛でたし目出たし』(荒川千尋編集・坂東寛司企画、写真、装丁、有限会社風呂猫、2026年発行)は、則武広和さんの猫の郷土玩具や浮世絵のコレクションの本です。


通常、本はハードカバーであれソフトカバーであれ、1枚の紙や布が表から背、裏とぐるっと回してありますが、この本は、短めのカバーを取ってみると、表と裏は別々の厚紙でできていて、いわゆる背表紙はむき出しで、浅く綴じてあるのを見ることができます。


その綴じ方のおかげで、本は綺麗に開き、2ページにまたがっている写真を隅々まで見ることができます。


可愛い猫ばかりで、うっとりしてしまいます。

則武さんのコレクションは立体と平面の版画や絵という両方があり、浮世絵などを見ると人と猫の関係、とりわけ女性と猫の関係、中でも花街の女性がどんなに猫を慰めとしていたかが伝わってきます。

古今比売鑑(ここんひめかがみ)薄雲 芳年画

実際にモデルがいたかどうか、この花魁(おいらん)の猫紋の着物の袖には猫の絵が描かれていて、笄(こうがい)の1本1本に猫がついています。


コレクションは古い猫がおもな中、いまどきさんの丸〆猫たちもいました。





 

2026年10月14日水曜日

読んだ本、読んでいる本、まだ読んでいない本

このところ読んだ本、読んでいる本、ちらちら見ている本、読む予定の本などです。


『沖縄を語りつぐ』(川平朝清、ジョン・カピラ著、岩波新書、2026年)は、ラジオのゲストとして出演したジョン・カピラさんがこの本のことを話していたので知りました。
川平家の親子何代かの歴史から沖縄の歴史を知ることができる本でした。


『ボートの三人男』(ジェローム・K・ジェローム著、中公文庫、1976年)は、『メソポタミアのボート三人男』が名前を拝借している元の本、気鬱に取りつかれた3人の紳士がボートでテムズ川でを行く、イギリスのユーモア小説の古典です。
ジェローム・K・ジェローム(1859−1927)自身、テムズ川でボート遊びをするのが大好きだったそうです。
文庫本なので、布団の中で読むのに最適、毎夜開いているのですが、すぐ眠くなるせいか、昔の本なので展開がゆっくりなせいか、まだボート旅に出発するところまで到達していません。


『サンカ研究』(田中勝也著、新泉社、1987年)は、『篩(ふるい)』の中の「箕」の章で参考文献として載っていた本です。
箕とサンカと呼ばれた職能集団が切っても切れない関係にあったことは知っていましたが、サンカについてはおぼろにしか知りません。しかも、サンカについてはちょっと社会の偏見もあったようだし、是非とも読みたいと買ったのですが、まだ読んでいません。
私が手に入れた中古書の奥付を見ると、
値段は2800円と当時にしては高額であるにも関わらず、初版のわずか1年後の第4刷発行版で、専門書でありながら速いスピードで再版を重ねたことから、民俗学の専門家たちに高く評価された本だったことがうかがえます。


『古海忠之 戦犯となった満州国政府高官』(細川清和、NPO中帰連平和記念館内「供述書を読む会」、2023年)は、3月にキルト展を開いたとき、浦和から来てくれて、25年ぶりくらいに会った学生時代の友人の細川さんがくれた本で、写真などをぱらぱらっと見たのですが、なぜ彼が満州国政府高官の話を書くのかという、疑問とともに放置していた本です。
あまり本を読まない夫がこれを手に取り、
「細川の本、「はじめに」と「あとがき」を読んだんだけど、面白いよ」
と言うので、私も「はじめに」と「あとがき」だけですが、読んでみました。
細川さんは、学生時代から才気あふれた人でしたが個人建築家にはならず、大林組に入社後定年まで勤め上げたという、その年の建築科の同級生の中では珍しい人でした(蛇足ですが、私は建築科ではありません)。
細川さんは定年退職時に上海の高層建築設計指導を依頼され、1、2年のつもりが15年も上海を拠点に中国で仕事をすることになり、かたわら中国建築家の大会に日本の第一線で活躍する建築家を連れて行って講演してもらうという役割も引き受けていたので、中国全土の主要都市や大学に行く機会に恵まれました。
東北部に行く機会も何度もあり、日本人がつくった旧満州国の建造物や都市計画を見てまわり、それを機会にと戦跡や各地の抗日博物を訪ね歩いたことから、細川さんは次第に日中戦争や満州国の歴史に興味を持つようになり、2014年に中帰連平和記念館の会員になったあとは、満州各地のスタディーツアーに参加し、ますます見聞を深めました。また、2022年から群馬満蒙開拓歴史研究会にも参加しているそうです。
表紙や裏表紙の急満州国の建物の絵は、細川さんの描いたものです。


『サンカ研究』や『古海忠之 戦犯となった満州国政府高官』を早く読みたいのですが、このところ昼間は『古代日本の紡織』(東村純子著、六一書房、2021年)を読んでいて、これが、これまで謎だった古代の糸づくりや織りものを遺跡の出土品から考察している、すごく興味深い本なのだけれど、論文のような文で(はっきり言えば読みにくくて)なかなか読み進まず、いつ読み終わるかわからないので、他の本まで手が(目が、頭が)回らないところです。
「あぁぁ」





2026年10月13日火曜日

手紙

8月に、学生時代からの友人Kから手紙が届きました。
前はメールでやり取りしていたのに、彼がメールを閉じてしまったので、電話で話すか手紙を書くかしか通信手段がなくなって、1年に1度か2度、思い立ったときに電話で話すくらいでした。


便箋4枚に、近況やら思い出す昔のあれこれが書いてある手紙でした。
メール以前は手紙のやり取りをしていましたが、写真などを送ってくる以外、手紙らしい手紙をもらったのは何十年ぶりだったでしょうか。


記憶の片隅にあるような、取り止めもないことを書き綴ったあと、最後のページに、
「意識が正常なうちに言っときます「さようなら」」
と書いてあったので、ドキッとしてしまいました。その後に、私がこの手紙を見て、夫に、
「『Kもいよいよおかしくなったみたい』と、言うだろうな」
とも書いて、締めくくっていました。私は夫にそうは言いませんでしたが、
「Kはどうしたのかしら?」
と言わずにはいられませんでした。
この数年で親しかった友だちが亡くなってしまったのでそんな気持ちになったのか、それとも深夜に手紙を書いたのか、いったい何があったのかと思ったのですが、電話もせず、やっと返事を書いたのは10月になってからでした。

ところで、この手紙に、彼の住む武蔵小金井では、これまではニーニーゼミやアブラゼミが鳴いていたのに、今年は聴こえるのはミンミンゼミばかりと書いてありましたが、我が家のあたりでは、ニーニーゼミ、ミンミンゼミ、アブラゼミ、ヒグラシは鳴いたのに、ツクツクボーシがとうとう鳴きませんでした。


9月に、長く失せていた私の住所が見つかったからと、叔母(母の妹)から葉書が来ました。
よく気がつく妹が、毎年母の日と誕生日に、きょうだい連盟で叔母に花を送っているのですが、今年は叔母の99歳の誕生日に、これまた優しい弟が「白寿の祝い」に記念品を送ったので、そっけない私にもお礼状が届いたというわけで、もちろん他のきょうだいたちも葉書を受け取ったようです。
叔母の葉書は、表の下半分(半分以上)に16行、裏には12行の、私が一度も書いたことのない小さな字で書いた、見事なものでした。
これもすぐには返事が書けなくて、気持ちを整えて返事を書くまでに、10日ほどかかってしまいました。