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2026年3月3日火曜日

箕の切手

ルーブル美術館収蔵

3月3日、桃の節句ですが、箕の日でもあります。
写真は、ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875年)の出世作の「箕をふるう人」の絵です。
箕をふるう人は、1枚だけでなく複数あります。

ナショナル・ギャラリー・ロンドン収蔵の最初の絵

なぜならば、1848年の官展(サロン)で評価された後、購入希望や注文に対応するため、ミレー自身が類似した絵を複数制作したからです。

オルセー美術館収蔵

「箕をふるう人」の絵を知ったことで、フランスでもちりとり形で取っ手がついた箕が使われていたことを知りました。


フランスのオルセー美術館の「箕をふるう人」は、1971年に切手にもなっています。
切手になった絵を見ると、箕の材料はだったのかと想像されます。 フランスで柳はもっとも使われている籠類の材料です。


さて余談、これは手元にあるフランス名画切手ですが、右のラウル・デュフィ の「赤いヴァイオリン」については、忘れられない思い出があります。


中学1年の教科書に、この絵が載っていました。
中学生になって初めての美術の時間に、美術のO先生が教科書を開いてこの絵も含めて掲載されている絵や彫刻の感想を生徒たちに訊きました。この絵のときは誰も手を挙げてなかったかどうだったか、手を挙げて指された私は、
「黒い縁取りと塗ってある色が合っていません」
と、間抜けな感想を述べました。
すると、ルパシカのようなコーデュロイの上着を着たO先生が目を輝かせながら、私の席の方までつかつかと寄ってきて、
「凄い!いい答えだ。あんた名前は何という?」
と興奮気味に言われたので、私がびっくりしただけでなく、教室中の生徒がぽかんと口を開けて私の方を見ました。あんな、誰でも見ればわかるけれど口にするのもはばかれる感想で、なんで褒められたのかクラスの誰もわからなかっただろうし、私も今でもわかりません。

O先生は、
「文化祭で劇をするので、中国の梅林の絵を描いてくれますか?」
などと、無神経に頼みに行くと、
「あぁ、いいよ」
と言って、模造紙を2枚つなげて、墨と絵の具であっという間にみごとな、白梅や紅梅が続く梅林の絵を描いてくれたりする、真の画家でした。


追記:



あまよかしむさんからフランスの箕の情報をいただきました。横から描いた絵しか知らなかったので、こんな形をしていたと知ってびっくりでした。
というわけで、写真をお借りしました。


円く編んで、一部を平らに、一部を立ち上げています。
昔の人は、東西を問わず力持ちでしたね。







 

2026年1月21日水曜日

お年賀切手の謎

数年前から年賀状はやめているのですが、今年も年賀状が届きました。
そして、やめているくせにお年玉年賀はがきの当選が楽しみで、いそいそとお年玉つきの年賀はがきを、下二桁の番号順に並べて抽選日を待ちます。

長く年賀状を出していないのに、毎年年賀状をくれる学生時代の同級生のKちゃんがいます。私は年賀状を書かないので、そのKちゃんが年賀はがきに記載しているeメールに向けて、昨年の春ごろに、年賀状は書かないけれど元気に暮らしているというメールを書いたのですがなしのつぶてで、今年も2行ほどの手書きを添えた年賀はがきが届きました。


Kちゃんの年賀状は毎年お年玉年賀はがきではなく、自分の作品の写真が印刷されている普通はがきで、年賀切手が貼ってあります。
年賀切手には、長く干支の郷土玩具が使われてきましたが、Kちゃんからの年賀状に貼ってあった切手は郷土玩具ではないみたい、どこでつくられたものでしょう?


お年玉のついていない別の切手を貼った年賀状もありました。
俵を背に乗せた土人形ですが、これもどこでつくられたものかわかりませでした。

で、今どきのことですからAIで調べてみると、85円の年賀切手は、おもちゃ絵で有名な川崎巨泉(かわさききょせん)の作品から、干支の午にちなんだものを採用していて、料額印面(切手部分)の馬のたてがみには「二〇二六うま」という文字が隠されていて、お年玉マークの中には、「UMA」という文字が隠されている、と教えてくれました。

ところが、目を凝らしてみても、どちらの馬にのたてがみにも「二〇二六うま」が見つかりません。
最近の切手は全部シール式なので、「お年玉マーク」というのは、切手ではない部分についていたのだろうから、はなから「UMA」は見ることができないので、抽選で年賀切手が当たるのを待つ以外ありません。

お年玉年賀はがきの3等の年賀切手は、まったく当たらない年もあったのですが、今年は少ない枚数の中に、3枚も当たり番号の「44」がありました。


ところが、あらら、年賀はがきに貼られてきた切手とは違う、松竹梅のついたダーラナホースではないですか!


当たった切手にはお年玉マークなどついていません。そして、ダーラナホースのシールの「2026」の文字は、いったい何を現しているのでしょう?
返って疑問が増えてしまいました。


それにしても、川崎巨泉のどの絵を使ったのかしらと、『おもちゃ画譜』(1979年発行(初版は1932-1935年)、村田書店)の復刻版をちらっと見てみたのですが、カラーの口絵の中には該当する馬は見つかりませんでした。


で、再びネットで調べたら見つかりました。俵を乗せている馬が、川崎巨泉の『玩具帖』に載っている、尾張一の宮真清田神社の古型俵馬の絵でした。
見比べてみても、年賀切手のたてがみの中に「二〇二六うま」は見つかりませんでしたが。

 





2025年12月23日火曜日

クリスマス切手

2011年12月に、アメリカ、カナダ、そしてイギリスや北欧諸国のクリスマス切手をUPしたことがありました。
そのときUPしなかった切手を、クリスマスが近いのでUPしてみます。
まず、太平洋のニュージーランドの切手です。


1970年、1973年。


1976年。


1986年、91年の切手は、クリスマスの絵柄として意味のあるものかどうか、私にはわかりません。


オーストラリアの1970年と1980年の切手。
10年の違いとは言え、切手の額面が6セントと60セント。後者はエアメール用の切手だったのでしょう。


1984年の切手。
以上、オーストラリアのクリスマス切手でした。

次はカリブ海のアンティグア・バーブーダの切手です。アンティグアもバーブーダも、切手の上ではよく見る名前ですが、日常生活でその名前を聞くことはほとんどありません。
とても小さくて平らな島で、水不足に悩んだり、反対に台風で大きな被害を受けたりしているそうです。


次は中東、ラアス・アル=ハイマは、アラブ首長国連邦の中の、1つの首長国です。

ラアス・アル=ハイマ

石油で経済的に豊かになったアラブ首長国連邦は、今でこそ海外からの労働者も多く、キリスト教徒など非イスラム教徒の人口比に占める割合も高いと思われますが、この切手の発行された1968年は地球上の人の移動も限られていたので、どのくらいのキリスト教徒がいたのでしょう? 
アラブ首長国連邦と、キリスト生誕の地エルサレムはそう遠くありません。


こちらの切手には、クリスマスと書いてないし、年号もありません。
イギリスで印刷したのかしら?


西アフリカのガーナの1981年の切手です。
ガーナ、ナイジェリア、コートジボアールなど、国の南側が海岸になっている国々では、15世紀から17世紀の大航海時代に、海岸地域にキリスト教がもたらされました。
ガーナはその後、イギリスの植民地にされて、海岸地域を中心にキリスト教が広まりましたが、植民支配が及ばなかった北部には、北からサハラ砂漠を超えてイスラム教がもたらされています。
ガーナのキリスト教人口は約70%、イスラム教人口は約17%、あとは土着の宗教(ジュジュと言っていたような?)がいろいろ混在しています。中部の都市クマシの市場には、猿の骨などまじないに使う道具を揃えたお店もありました。


南東アフリカのマラウイの1984年の切手です。
マラウイもイギリスの植民地にされたところ、キリスト教徒は人口の約80%です。


ニュージーランドの、意味不明の2枚を除いて、揃いも揃って聖母子の切手でした。









2025年4月18日金曜日

プーミポン・アドゥンヤデート王

昨年、10年ぶりにタイに行ったとき、持っていたタイのお金は全部使ったと思っていたのですが、引き出しの底から封筒に入ったタイのお金が出てきました。


タイのお金には、王さまの絵が描かれています。
ラマ9世、プーミポン・アドゥンヤデート王は2016年に逝去されたので、昨年タイに行ったときには、巷にはプーミポン王の息子であるラマ10世を描いたお札しか出回っていませんでした。
上のラマ9世の3枚は発行年が違うもので、一番下が一番新しいお札です。と言っても、一番上の20バーツ札以外は、私にはあまりなじみのないお札です。一番上のお札は、タイに住んでいたころ(それより後だったかな?いずれにしても1980年代)に新発行されたもので、この時から10バーツ札が廃止され、コインだけになりました。
もっともなじんでいたのは、一番上のお札と、10バーツ札もあったもう一代前のお札で、当時のお金はどれも手あかがにじんだよれよれのものでしたが、いまではきれいなお札、そして最新のお札は紙ではなくプラスティックの、ぴんぴんしたお札になってしまいました。

プーミポン王は若いころからまったく印象が変わらず、年齢不詳で有名でしたが、お札で比べると、違いがちょっとわかります。もっとも、一番下の偽札防止の金属線が入っているお札は、晩年のお姿ではなく、若かったころのお姿に直したものと思われ、印象が違います。王はいつもポーカーフェイスでしたが、これは年齢不詳の上ちょっと微笑んでいるようです。


この2枚は、タイの友人にもらった、古いお札です。
いつごろ使われていたものか、ネット検索してみましたが、わかりませんでした。何でもわかるというわけではないようです。


表情はそう変わらないけれど、プーミポン王はさすがにおさな顔、20代でしょうか。
王は、19歳の1946年から2016年まで70年間在位されていました。
古いお札には、縦半分に折られた折り目があるのが、タイのお札らしいところです。バスの車掌さんは、切符を切るハサミをカチカチ慣らしながら乗客の間を歩き回っているのですが、コインはお腹の前に垂らした袋に入れるとして、お札は縦半分に折って左手の指の間にいっぱいはさんで、ぴらぴらさせていました。しかしこのお札は使用されていた当時は高額だったはず、バスに乗る人(庶民)が持っていたかどうかは怪しいものですが。


コインの裏側(表側?)のプーミポン王のお姿は、左が一番古く、右へ行くにしたがって新しくなります。いまではもちろん、すべて新王の姿に変わっています。


おまけはプーミポン王の切手です。



普通切手はほとんど王さまです。



記念切手にも王さま登場です。
王はヨットとカメラが趣味で、新聞に載っている写真は、いつでもどこでも首からカメラをぶら下げていらっしゃいました。
下段の右は、若いころの得度姿の切手です。

今はどうか、昔は国立大学の卒業式には、王さまが学校に出向いて一人一人に卒業証書を手渡すので、王政に反対してきた学生たちでも、卒業証書を手渡されると、いっぺんに王さまが好きになってしまうという話も聞いたことがありました。








 

2023年7月27日木曜日

上野の切手


しばらく前に北海道ののらさんが本を送ってくれたとき、封筒にこんな切手が貼ってありました。
21世紀になって、記念切手がシートになったことで切手を楽しむという気持ちが失われ、シールになって本格的に切手離れした私なので、この切手が発売されたことも知りませんでした。
つぼやの最中と江戸犬張り子があれば、「江戸東京」シリーズかと思いましたが、金魚と福神漬けは何だろうか、わかりませんでした。


ネットで調べると、やはり「江戸東京」シリーズで、今回は上野特集ということでした。
谷中の大名時計博物館、日暮里の羽二重団子、入谷の金華糖、本郷3丁目のつぼやの最中、谷中のいせ辰の犬張り子、池之端の伊豆栄のうなぎ、同じく池之端の十三やの櫛、入谷の朝顔市はわかりましたが、福神漬けの酒悦は知りませんでした。1675年に池之端で創業した老舗でした。
金魚はあまりにも本物っぽくて、飴細工とは気づきませんでしたが、よく見ると串がさしてあります。千駄木に飴細工屋さんがあって、常時見たり食べたりできるようです。

早速郵便局に買いに行ったのですが、3月の発売、とっくに売り切れていました。






 

2022年9月20日火曜日

エリザベス女王の切手

昨9月19日には、イギリスのエリザベス女王の葬儀が執り行われました。
私は、切手コレクターではありませんが、いろいろな経緯があり、世界の切手をつまみ食い的に持っていて、中にはエリザベス女王の切手もいくつかあります。
エリザベス女王の切手は、イギリスだけでなく、英連邦やかつて植民地にされていた国にも見受けられます。


まずはイギリスから、イギリスの普通切手(右上だけ記念切手 )です。
切手を整理するとき、最も面白くない切手の数々、値段によって色が違う、1色刷です。


イギリスの記念切手には、すべてにエリザベス女王のシルエットが入っていて、フランケンシュタインや「バスカヴィル家の犬」の(気持ちの悪い)切手などにも入っています。


在位25周年の記念切手。


女王60歳のお誕生日の記念切手。
ちなみに、イギリスは自分が「切手」というものをつくったという自負を持っているので、切手には国名が書かれていません。


私の持っているエリザベス女王の一番古い切手は、1937年発行の英植民地オーストラリアの切手です。
エリザベス女王の即位は戦後の1952年ですから、まだ女王になる前です。オーストラリアがイギリスの植民地だったころのものです。オーストラリアは独立してからも長く英連邦に入っていたので、女王の切手がたくさんあります。


左1953年、右1957年。


左1959年、右1966年。
ニュージーランドにも、女王の普通切手があるのですが、私は1枚も持っていません。

カナダも英連邦だったので、エリザベス女王の切手がたくさんあります。


左1953年、右1954年。


左1963年、右1979年ごろ。


1971年~79年。


1972年の切手は、いつもとはちょっと違うデザインです。


1988年に何故、カナダでエリザベス女王の切手が発行されたのか、背景はわかりません。
もう英連邦ではなくなっていたし、この年の、女王によるカナダ訪問もありませんでした。


アジアでエリザベス女王の切手が最もたくさん発行されたのは、何といってもホンコンです。


ホンコンの普通切手は、長くエリザベス女王の切手でした。


ホンコンの切手には、一般的におしゃれな切手が多いのですが、スナップ写真をそのまま切手にしたようなエリザベス女王の切手は、あまりいただけないものです。


この切手など、もっと何とかならなかったのと思う表情です。

東南アジアのマラヤ連邦は複雑な歴史を持っています。
スルタン(王)のいる各州はイギリスの保護区だったり植民地だったりしましたが、1963年にマラヤ連邦はシンガポール、北ボルネオ、サラワクと統合して、マレーシアとなりました。そして、1965年にはマレーシアからシンガポールが独立しました。


イギリスの保護国であった北ボルネオの切手です。
北ボルネオとはサバ州の旧称ですが、先住民が住んでいるにもかかわらず、大々的に熱帯林を伐採することが「開発」と取られていた時代の写真です。
皮肉なことに、比較すると大木が少なかったサラワクの伐採はサバに遅れましたが、まだブルドーザーなどの重機の発達が未熟だったころのこと、サバの伐採の多くは人力に頼ったので荒らし切らず、今ではサバの方がサラワクより豊かな自然が残っています。


シンガポール・マラヤ連邦のエリザベス女王の切手は、1種類だけ持っています。
1950年代の切手です。

以下は英連邦の切手です。



アンギラは、西インド諸島にある小さな島国です。


左はバーブーダ、右はアンティグア。
両国合わせて、アンティグア・バーブーダとも呼ばれています。


カリブ海のグレナダは英連邦の国、エリザベス女王の写真はないけれど、王冠とE・Rは、英連邦を示しているのかもしれません。


さて、これは、REVENUEと書いてあるけれどPOSTAGEとも書いてあって、収入印紙なのか切手なのかわからないものです。

以上、エリザベス女王の切手でした。