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2026年9月4日金曜日

実り


稲穂が実り、収穫がはじまっています。
今年は、ヒエが生えた田んぼが多かったような気がします。稲をかき分けてヒエ切りをしていた人もいましたが、おおかたはそのままです。
そして、畦の草刈りをちゃんとせずに草ぼうぼう、畦にもヒエが伸び放題の田んぼもたくさんありました。もしかしてコンバインの性能が良くなって、収穫した米にヒエが混じっていても取り除けるので、問題ないのでしょうか?


3月の水張り、田植え、成長とその変化をずっと楽しませてくれた田んぼもそろそろ切り株とひこばえになって来春を待ちます。





 

2025年8月27日水曜日

八郷の初秋


場所によってはそろそろ稲刈りが始まっている八郷盆地です。
田んぼはどこも黄金色、今年はなぜかヒエが目立つ田んぼが多いのですが、申し訳なくてカメラは向けられません。
今のコンバインは、ヒエごと刈っても簡単に選り分けられるのでしょうか?


稲苗を植えた後は水管理くらいで、農薬か肥料かを撒くのもドローン、あまり人影を見ることはないのですが、右端に畔の草を刈る人、左奥にも畔の草を刈る人と、2人も働いているのを見て、嬉しくなりました。





 

2025年6月15日日曜日

キエーロの今


生ごみを分解するキエーロのその後です。
大野芋を食べるイモと種イモに分けて、クズイモをキエーロに捨てたのですが、5月末にはキエーロの中でクズイモが何本も育っていました。


このとき、地面に植えた種イモの方は雑草取りがまったく間に合ってなくて、芽を出したサトイモがどこにあるかわからないくらいでした。
キエーロの中のサトイモは地面に移しましたが、育つでしょうか? 雑草だらけで草むしりが間に合っていません。


さて、6月中旬の昨日、キエーロにサツマイモとジャガイモが育っていました。


サツマイモは調理するときに上下を切り落とすので、その小さな欠片から芽が出たのかと、一応納得できますが、ジャガイモは皮、しかもピーラーでむいた薄い皮と、包丁で小さく切り取った目だけしか捨ててなくいので、いったいどこから発芽したのでしょう? しかもこれは数本目、前にも目にしたのですが、「まさかね」と、信じられませんでした。

種や卵の殻は分解しにくいので、アボカドの種などは入れていませんが、ビワの種を入れてしまいました。そのうち発芽するかもしれません。


キエーロは日当たりのいい場所に置いてあるので、土は有機物をたっぷりと含んでいるし、育苗箱と化しているのかもしれません。


昨日、雨が降り出す前に少しだけ草むしりした、畑と称しているところです。
コゴミ畑だったのを、昨年イノシシに掘り返されました。他の場所の修復に手を取られていたため、ここは長らく放置していたので、コゴミはすっかり傷んでしまいました。掘り返された根を取り除いて土を均したときに、他の場所で掘り返されたウドを持って来て植え、エチオピアの集いのとき、茨城県里見に住むS子さんからいただいたレモングラスを植えたり、サトイモを植えたりですっかり畑の様相を見せてきました(かな?)。


捨てるに忍びなくて植えた親芋、キエーロの中で育ったクズイモなどなど、今年はイノシシが来ないといいのですが。







 

2025年6月10日火曜日

出来るかな?


少し前に、シイタケの種をいただくことになり、原木でシイタケを育てようと、夫にひょろっと伸びているコナラの木を2本伐ってもらいました。


本当は原木は冬に伐り倒して、春先に種を仕込むのがいいのですが、シイタケの種が余っていてくださるという人がいたので、急遽その気になったのです。


コナラは葉をつけたまま枯らした方がよかったようですが、すぐに玉切りしてしまいました。何もかも定石通りではないので、これではいいシイタケが育たないかもしれません。


伐り倒した木のうちの1本は、倒す角度が悪くてほかの木に引っかかってしまいました。そのため、すぐには枝を落とせなかったので結果的には葉枯らしにすることができました。
直径は20センチ前後のものが多く、100センチに玉切りすると重くて持てそうにないので、85センチで切っています。そして直径20センチ以上の幹は一人で扱えないので、もっと短く切って、薪にするつもりです。

さて、桜の咲くころ植種するのがベストだそうですが、梅雨明けを待って、少し木が乾いたら種を植えつけるつもりです。結果は2年後かな、気の長い話ですが。






 

2025年6月7日土曜日

おそば屋さん

ホームセンターへ建築材料を買い出しに行った帰り道、夫が急におそばを食べたくなったと言い、帰り道に近いおそば屋さんに寄ろうと言いました。
「あそこは金曜はお休みよ」
「えっ、そうか?」 
八郷にはたくさんおそば屋さんがあります。ネットが発達する前からほとんどのおそば屋さんはいわゆる「隠れ家」的な存在で、東京から来た友だちが、
「よくこんなところで商売が成り立つね」
と驚くほど辺鄙なところにあります。
ところが、ネットが発達し、ナビも発達し、つくば方面からのトンネルも開通して、一時どのおそば屋さんにも行列ができるようになりました。しかし、もともと11時ごろから、その日に打ったおそばがなくなる2時ごろまでしか店を開いてないおそば屋さんたち、高齢化が進んだ影響か、週5日開けている店はいい方で、週3日しか開けないとか、なかには不定期に長く休むおそば屋さんも多くなりました。夫が行きたがった店は、金、土、日、月曜と祝日がお休みです。
「まっすぐ帰ろうか?」
「おそば屋さんに行きたい。今日は眺めのいいおそば屋さんがいい」
「じゃぁ、「風」に行ってみようか?」
「そうしよう」
「風」には10年くらい前に行ったきり、5年ほど前に行ったときは閉まっていたので、やっているかどうかは定かでありませんでした。


と、「風」に行くと、暖簾が出ていました。


眺めはいいのですが、以前より近くの木が育って「下界を一望する感」は薄くなっていました。


新潟から移築したという古民家にかかる素敵な照明器具は、田植えのとき、からからと回して苗を植える位置に印をつける農具の「型つけ」を利用したものです。

庄内米作り用具より

「型つけ」は、庄内地方独特のものでしょうか。

『たがやす』(須藤功編、弘文堂、1994年)より

この型つけを回して押しつけた田んぼには、苗を植える場所がはっきりとつけられています。

庄内米作り用具より

ちなみに私はお米をつくっていた10年間、長辺には50センチおきに印をつけた紐を張っておき、短辺に印つきの紐を長辺に張った紐の印に合わせて張り、植え終わったらその紐を動かして、1列は短辺の紐に合わせて、もう1列は前の列との間に目見当で植えていました。岡山県倉敷あたりでやっていた方法です。

『たがやす』より

そしてSくんは、こんな型枠を使っていましたが、今では広い田んぼを借りているので、二条植えの田植え機を使っています。
田植えには、型つけの方法によって、前に向かって進む方法とあとずさりする方法があり、紐やSくんの使っていた型枠を使う場合はあとずさり、庄内の型つけの場合、印が消えないように前へ前へと進みます。

照明器具から、話が田植えに逸れてしまいました。
金、土、日曜日に営業している「風」は、野菜の天ぷらがかりっと揚がっていて、おそばも美味でした。






2023年6月22日木曜日

『常次郎氏の春夏秋冬』


先日コメントをくださった本田さんが紹介してくれた、『常次郎氏の春夏秋冬』(朝日新聞金沢支局、朝日新聞社、1986年)を読みました。
朝日新聞金沢支局の記者が伊藤常次郎さんの1984年4月からの1年間の生活を追って、新聞に連載したものをもとに加筆した本で、最近は寝る前に本を読もうとしてもすぐに眠くなってしまう私でも、すいすいと読み進められた、興味深い本でした。

常次郎さんは、1922年に石川県の小原村で生まれました。満州の開拓団に参加、そこで大工仕事を身につけ、終戦後は静岡県磐田に入植、大工のかたわら農業を営んでいましたが、故郷が大日川ダムの建設によって湖底に沈んでしまうことを知り、昭和20年代から故郷の民具の収集をはじめました。
最初は親や兄弟から焼き畑農耕具などをもらい受けるだけでしたが、尾小屋鉱山が閉鎖し、手取川総合開発計画が策定されて、尾口村と白峰村の330戸が水没することを知ると、トラックやジープで過疎化の進む各集落をまわって、鉱山用具、養蚕用具、炭焼用具、生活用具などを購入するようになりました。


1968年に大工をやめ、磐田を引き上げてからは、小松市に古民家を購入して移り住み、長兄に教えを請いながら、次兄夫婦とともに焼き畑と採集を中心に据えた、自給自足的な山村生活を送ります。
そんな常次郎さんの春夏秋冬は、農作業、炭焼き、採集などのほかに、何万点にも及ぶ膨大な資料を寄付した加賀市や小松市での、昔の生活を再現したイベントが加わり、楽しいながらも目が回るような忙しさです。


焼き畑も採集も適期を逃せません。山菜採りもきのこ採りも、スゲもガマも収穫期は短い。ガマは二百十日以前に刈ると繊維が若くて弱く、遅すぎるとカサカサで、脆くなってしまうので、農繁期でありながら適期を逃すわけにはいきません。

常次郎さんが編んだガマのエゴ

『常次郎氏の春夏秋冬』の中で、ちょっと気になったのは記者さんの認識です。

☆☆☆☆☆☆
 ここで断わっておかねばならない。「焼き畑農業」といえばジャングルに覆われた山々を一度に焼き尽くしてしまう東南アジアの焼き畑を思い浮かべる人が多い。それはランドサットから炎の赤い帯が観察されるほどに大規模で、地力を吸いつくしていくことから世界の緑を破壊する元凶の一つとされている。しかしかつて白山麓の各地の村で行われ、今常次郎氏が取り組んでいる焼き畑は、それとはまったく異なるものだ。
☆☆☆☆☆☆

もう一か所でも、東南アジアの焼き畑を非難していましたが、それはちょっと言葉足らずかもしれません。東南アジアの大規模な焼き畑の背後には必ず、日本も含む外国の企業がいて、焼いた土地でキャッサバ、ゴム、アブラヤシなどの換金作物栽培が行われたのですが、それは札束で顔をひっぱたかれたり、追い詰められたりして、他の道を絶たれた農民が行なったことで、東南アジアでも行なわれてきた伝統的な焼き畑とは、厳密に区別する必要があります。
東南アジアの伝統的な焼き畑も、日本の焼き畑に引けを取らない、何世代も持続的に続けられてきた、環境を破壊しない農法です。

歴史の教科書では、人が狩猟採集から農耕牧畜へ、そして現在の都市的な生活(お金があれば何でもできる社会)へと進化してきたと語られてきました。しかし、狩猟採集生活を見た私には「人が生きる」ということにおいて、これは進化ではなくて退化だったと思われて仕方ありません。
というのは、私もたった10年ですが田んぼをつくってみて、農業は頑張ればできるかもしれないと思いましたが、サラワクの狩猟採集民や焼き畑農耕民の方たちと過ごしたときは、これは逆立ちしても狩猟採集民にはなれないと痛感したものでした。
彼らと熱帯多雨林の中で過ごしたとき、360度同じに見える熱帯林の中で道に迷わず、幹に水の入った木を見つけたときは切って、水を飲ませてもらい、
「猿だ!」
と樹上を見上げ、私にはどんなに目を凝らしても姿が見えない獲物を吹き矢で仕留めて、火を起こして焼いて食べさせてもらい、コウモリのいる洞穴では、寝ているコウモリを驚かせて捕まえて食べさせてもらい、村に着いてはサゴヤシのでんぷんを食べさせてもらったとき、あまりにも生きる知恵も技もない自分に呆然としたものでした。
逆に、彼らが都市生活をし、スマホを使いこなすのは簡単です。1カ月もあれば馴染み、数年で何でもこなせるようになり、それまで都市生活をしてきた者とかわらなくなります。つまり一方向へは簡単に行けるけど、逆方向へは、幼いころからの長い経験がなければ行けない、自然と対峙したとき、受動的な生活をしてきた者は、何もできないのです。
『常次郎氏の春夏秋冬』に、焼き畑に適した土地と適してない土地という記述がありますが、熱帯林の中にも肥えた土地と瘦せた土地があり、定住して焼き畑をしている人たちはそれを熟知しているというのも驚きでした。

さて、伊藤常次郎さんが心血を注いで残そうとした資料は今どうなっているのでしょう?
小松市立博物館の方は、所蔵品をたとえば「伊藤常次郎」で検索すると、常次郎さんがつくった「人生儀礼」で使うものが、「エゴ」で検索すると常次郎さんが収集したものが出てきますが、常次郎さんが「生きた山村生活の再現」に力を入れていた加賀市中央公園は今、無国籍のテーマパークのようになっているし、「博物館」そのものの存在も、ネットで調べる限り見当たりません。
加賀市は、2007年の能登半島地震では大きな被害を受けたようです。






2021年2月18日木曜日

自然農


Gさんが、川口さんの記事が載っていたからと、朝日新聞の切り抜きを持ってきてくれました。2021年2月12日の新聞です。
川口さんにはもう長くお会いしていませんがお元気な様子、ほっと一安心でした。手紙でも書けばいいのに、すっかり筆不精になって、なかなか書けません。電話というものも、昔ほどやたらかけるものではなくなっています。さりとてお会いするには奈良を訪ねる以外ありませんが、すっかり出不精になっています。

私が川口由一(よしかず)さんのお名前を初めて知ったのは、南インドででした。
タミル・ナドゥー州の州都チェンナイの近くにあるオーロビルという、理想郷をつくろうと世界から集まった人たちが、自足的な生活を送っているところにある農場を訪ねたとき、そこには田んぼが3枚あって、背の高いオーストラリア人が、片手に籠を抱え、水を張った田んぼの中に種を蒔いてているところでした。
どんな田んぼをつくっているのか興味津々、種を蒔いていた人に尋ねると、
「一枚はこのあたりの在来の方法、一枚はフクオカの方法、あと一枚はカワグチの方法」
と教えてくれたのですが、フクオカは福岡正信さんと知っていても、川口さんは知りませんでした。
それは1990年ごろのこと、農薬や化学肥料を使わないお米づくりを目指すアジアの人たちは、福岡さんだけでなく川口さんもよく知っていたのです。


同じ年だったか次の年だったか、シンポジウムに参加するために来日していたタイ人たちを連れて、川口さんの「赤目自然農塾」を訪ね、農場に泊めていただいたときから親交がはじまりました。以後頻繁に連絡し合い、タイでの農民研修にも来ていただきました。

福岡正信さんの田んぼの不耕起栽培は、稲を刈る前に麦の種を蒔き、麦を収穫する前に稲の種を蒔きます。
そうやって、福岡さんは見事な稲や麦をつくっていらっしゃいましたが、これは万人に出来る方法ではありません。福岡さんには深い知識があって、お天気や温度を読んで、的確な時に種蒔きをするのですが、そんな福岡さんでも、
「今年は失敗した」
ということもありました。稲は夏の草より早く芽を出さないと草にやられてしまうので、播種の日は厳密に選ばなくてはならないし、年によってまったく違うのです。
しかし、川口さんの方法は、苗代をつくって稚苗を移植することによって、誰でも草との競争に勝つことができる方法でした。


私たちも八郷に来てから10年ほどお米をつくりましたが、最初から川口さんの方法でつくるつもりでした。
田んぼには前年の稲わらを全部肥料として戻すのですが、最初の年は稲わらがありません。苗代に必要な稲わらだけはGさんから分けてもらいましたが、田んぼに入れるものは、田んぼに生えていた草のほかには、落ち葉と敷地にいくらでも生えている篠竹ばかりでした。川口さんに尋ねると、篠竹もよい肥料になると言われたので、軽トラックで何度も篠竹を運んで敷き詰めました。
通りがかりのおばあちゃんからは、こんなことをしてお米が採れるはずがないと、せせら笑われました。
篠竹の間の、わらを敷いているところは苗代です。


1月から苗代を準備して、4月に種蒔きした苗代の苗は6月にはすっかり大きくなりました。
篠竹の間からは、ヨシや他の草がいっぱい生えてきました。この借りた田んぼは10年ほど休耕していたので、ヨシ、ガマなどが蔓延っていたのです。


その、丈の高い草を刈りながらそれも敷き詰めて、その間に田植えをしました。
手前はすでに植えた後ですが、まったく目立ちません。苗を1本植えしていたら、また通りがかりのおばあちゃんに笑われました。
かつて手植えだったころから、苗は3、4本まとめて植えるものでした。また、田植え機械は、6、7本あるいはもっとまとめて植えています。


1本植えの稲は扇を広げた形に分結し、8月ともなれば、ほかの田んぼに遜色ないほど緑になりました。


そして、ほかの田んぼの稲刈りがすっかり終わった9月の終わりには、赤米、黒米、緑米、と色とりどりのお米が実りました(右の田んぼは当時は休耕中)。
残念ながら、この田んぼは水抜けがひどくて、7,8年経った頃から水を抜けなくするために耕してもらいはじめましたが、耕した田んぼの方が草では苦労しました。耕さないと耕したでは、まったく違う種類の草が生えるのです。
耕さないときは、セリやオモダカが生えましたが少量で、そのまま放っておけました。しかし、耕したあとはびっしりとコナギが生え、お米の生育が悪くなるので抜くのですが、抜いても抜いても生えてきました。

川口さんに最後に東京でお会いした2003年には、九州や埼玉など、日本各地に自然農のグループができていて、川口さんは忙しく飛び回っていらっしゃいました。


そんな自然農を実践されている、九州の方が書かれた『自然農・栽培の手引き』(鏡山悦子著、川口由一監修、南方新社、2007年)は、お米だけでなく野菜のつくり方もたくさんの絵とともに書いてある、またとない自然農の手引きとなっています。





 

2018年3月18日日曜日

不思議なもの


新手のイノシシ除けです。


ペットボトル利用だけれど、ただぶら下げているのではありません。上の黒いところが何か、気になります。
ソーラーでもなさそう、ビニールで包んでいるのは、見たときには気がつきませんでしたが、にんにくにも見えます。


なにか、イノシシの嫌いな臭いでも発しているのでしょうか?


誰かに訊いてみたいけれど、あたりには、なつっこい猫がいるだけです。
 

このあたり、みんなイノシシ害に困っています。
でも、ものは考えよう、猿、鹿、熊などはいません。

そう言えば、我が家では最近、コーヒーを入れたあとの粉を、手あたり次第庭に撒いていますが、最近はあまり掘り返されていません。少しは効果があったのでしょうか?




2017年7月7日金曜日

七月第一週


しばらく前に、きゅうりフレームにネットを張りました。
七、八年、もしかしたらもっと使いましたが、さすがにぼろぼろ、張りなおしたのです。 



場所は固定したままです。
立てた当初は、うずら豆とともにナタマメ、オキナワスズメウリ、フウセンカズラなどなど、賑やかに植えていましたが、この数年、うずら豆だけを蒔いています。 



八郷の地元で伝えられたうずら豆、七月の第一週に蒔かなくてはなりません。
毎年、「まだまだ、まだまだ」と思っているうちに、七月第一週がやってきます。


昨年は、平年以下の収量だったけれど、おいしくいただいたし、Yさんに種をおすそ分けすることもできました。


欲張って、フレームの内と外の両側、四列蒔きました。
蒔いたところをしっかり踏み固めて、これで私の夏が来ます。


それにしても、トチ、カツラ、ヤマボウシ、スモモなど大きくなりすぎ!
ちょっと枝を落とさないと、家の周りに暗闇が出現しています。

今年は、Uさんにいただいた、やはり八郷の在来大豆の「青御前」も、蒔かなくてはなりません。
七月第一週は、飛ぶように過ぎていっているんだけれど.....。






2017年6月3日土曜日

楽しい道具

インドから友人夫妻が来ているので、一夜、有機農業の草分け的存在であるUさんをお招きしました。すると、
「畑を見に来ませんか?」
というお誘いを受けたのですが、私は何度か見せていただいたことがあるし、家に残って食事の準備をするつもりでした。
 

ところが、採れたての野菜を届けてくださったおりに、こんな冊子をくださいました。


開いてみると、全ページ、おもしろそうな道具が、楽しいイラストつきで満載されていました。
これは、食事の支度そっちのけで、行って見なくてはなりません。
というわけで同行、いろいろな手作りの道具を見せていただき、田んぼを見せていただき、畑も見せていただき、楽しいひとときを過ごしました。


これは畑の道具、「コロコロ」です。
Uさんの家には、たくさんの消費者が援農に訪れます。
初心者もいるし、まっすぐ種や苗を植えることができず、曲がってしまう人もいます。
そんなとき、このコーキングのキャップを利用したコロコロで穴を開けると、誰でも正確に種穴を開けることができます。
コロコロはいろいろなサイズのがあり、前後左右の間隔や穴の深さを変えられます。
規則正しく植えると、あとの草取りが楽になります。


その草取りの道具の、「土郎丸」二連です。
市販の草引きに、長い竹の柄をつけています。普通、草取りはしゃがんで作業をしますが、これだと立ったまま作業できます。
また、竹の柄は軽いので長時間使っても疲れず、傷んだら容易に取り換えられます。
土郎丸って、もしかしたらラグビーの五郎丸と、野球の一郎を組み合わせたものでしょうか。

苗はできるだけ直播を避けて、温床でつくり、耕して草をなくした畑に植えると、その時点で作物が草より一歩先を行くので、簡単に除草できるそうです。


こちらも草引き、熊手ならぬ「猫の手」です。
これは、アングル(金物の一種)を切断してつくってあります。Uさんは、金属の切断も溶接も、道具作りを通じて腕を上げてきたそうです。
 

こちらは田んぼの道具、「草取りジョーズ」です。
「サメの歯」に「上手」をかけた、素敵なネーミングです。

田んぼの草取り機は、各種ありました。
田植えしてから、約一週間過ぎたころから約一か月半まで、一週間に一度の割で使うと、苗の周りの草も徹底的に混ぜ返すので伸びる余地がなく、やがて稲の穂が茂って草が生えなくなるので、あの腰を曲げての、米作りで一番厳しくて辛い「田の草取り」をしないで済むそうです。
「これだと、田んぼに入らなくても済むしね」
「田んぼの真ん中の方はどうするんですか?」
「それは、実際に見て」
ということで、田んぼに行きました。
  

こちらの田の草取り機は、アングルを切った刃ではなく、古いホースを利用したものがついています。


草取り機を、田に入れました。


そして、引っ張りはじめます。
子どもでも引っ張れるほどの軽さ、稲は一時的に寝ますが、一時間ほどで起き上がります。
  

そして、端からぐるぐる回って、次第に田んぼの中へと、草取り機を進めます。


汚れず、軽く、速く作業が進みます。


Uさんは、この方法が日本中、世界中に広まればいいと思っています。
 

ほかにも、簡単に大根が洗える道具、里芋が洗える道具、コンテナが洗える道具などなど、道具たちはどれも、楽しい工夫に満ち満ちていました。


ちなみにこの日は一週間で一番忙しい出荷の日とかで、お連れ合いのMさんと息子さんご夫婦は、箱詰め作業で、大忙しでした。
Uさん、お忙しい中、ありがとう。