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2026年9月17日木曜日

篩(ふるい)

先日、笠間市立図書館に本を借りに行きました。
これ以上本が増えても置くところがないので、読みたい本があったらまず借りてみることにしたのです。
ネットで調べたら借りたい本はありましたが、会員になっていなかったのでネット予約することができません。軽い気持ちで笠間に出向いたのですが、笠間市内には 図書館が3つあり、残念ながら行った図書館のその本は貸出中で、しかし1冊、別の図書館にあったので予約して、後日借りることになりました。


館内をぷらぷらしていると、『ものと人間の文化史61 篩(ふるい)』(三輪茂雄、法政大学出版局、1989年)という本が目につき、借りてきました。
『ものと人間の文化史』のシリーズは、『船』から始まって、『結び』、『ものさし』、『豆』、『猿』、『パチンコ』などなど、幅広いラインアップで、216巻も出版されています。しかも著者はそれ一筋に研究してきた人たちのようでした。
そして、『篩』の著者の三輪茂雄さんは、同じシリーズで『臼』も書かれている大学教授ですが、日本粉体工業協会常任理事であると同時に伝統技術史料調査保存特別委員長という、伝統と最先端事情に詳しいお方のようでした。

まえがきには、
「石器時代から現代まで、一貫して人類の生産活動の原点を担い、エジプト文明にも、徳川幕府体制下にも、ひたすら臼を挽き、粉をふるう大勢の人の汗と涙があった。そして現代も臼はミルの名で、篩はスクリーンと名を変えて活躍している。(中略)臼と篩は次第に人間が動かす道具から機械に変化し、苦しい労働から人間を解放していったが、今も大部分が人目につかない工場の片隅で、近代的装いで生き続けている」
と熱く語られています。

植物であれ、鉱物であれ、砕くことによって物質を生成する方法は人類の物質利用技術の根源的な方法で、それ無くして人類の今日はありませんでした。

馬の毛を網に織っているところ

にはものを通す網が必要です。古来、馬の尻尾の毛、羊毛や絹、竹や柳など植物素材、金網など様々なものが使われてきました。


長い間、手で持ってひたすら前後や左右にゆすって使った篩、単調で重労働でした。


参考文献からの図版は、傷んでいたり、朧げではっきり見えないものなど、著者自身が描き直しているようで、とても見やすいものになっています。


米は籾殻を取り除いて玄米を精白した状態で食べられるのですが、小麦は粉にするので、西洋と東洋では篩の「網」が違いました。しかし、東洋西洋どちらでも、中世になって大量に処理できる篩が出現するまで、ひたすら単純な道具を手で動かしたことに、違いはありませんでた。


食料だけでなく、鉱山でも篩は必需品でした。


この本には機械化された後の篩も各種載っています。
篩の網として使える絹織物を作るためにどう蚕を育てるかなど、ちょっと専門的だし、工業化してからの機械の篩についてはあまり関心はなかったのですが、人間は臼、篩、箕なしではこれまで生き延びてこられなかったと考えると、とても興味深い本でした。
また、この本を読んで、私の祖母(岡山方言)は「ふるい」とは言わず、「とおし」と言っていたことも思い出しました。


さて、我が家の大豆用の篩を、以前UPしたはずだと時間をかけて見返したのですが、見つかりませんでした。
UPしてなかったのでしょうか? 大きくて立派な籠目あみの篩です。






2026年9月6日日曜日

やっと読んだ本


『百年の挽歌』(青木理著、集英社、2026年1月)は、発売されてからすぐ買ったのに、なかなか開くことができませんでした。というのも、私は寝る前に本を読む習慣があるので、読んだら到底眠れないだろうと思って手が伸びず、ただ枕元に置いておく日が長く続いたのでした。

2011年3月、福島第一原発のメルトダウンからしばらくして、空中に放出された放射能が、事故後の風雨によって、山を隔てて遠く離れた飯館村に多量の放射能をもたらしていたことが判明しました。
原発近くの、放射線量の高い地域に住んでいた人たちの避難所にもなっていた飯館村には全村避難命令が出ててんやわんや、そんな4月11日から12日にかけた夜半に、農業一筋に生きてきた102歳の大久保文雄さんが自ら命を断ちました。

この本は、その大久保家のお話です。

目次は、

序章 衝撃の朝
1章 美しかった村
2章 交錯する生と死
3章 運命を変えた雨
4章 じいちゃんの生涯
5章 「国策」に殺された兄弟
6章 残された者たちの願い
終章 それでも美しい村

となっています。
文雄さんの弟は、第二次世界大戦のおり、召集されて硫黄島で戦死されています。


第二次世界大戦は、たくさんの死者を出しただけでなく、生き残った人たちにも大きな傷を残しました。その傷を抱えて、しかし明るく土と共に生きてきた文雄さんの悲しみ。そんな文雄さんが原発事故で絶望してしまったことに対して、何ができただろうかと悩む、残された家族たち・・・。

悲しみを抱えて生きなくてはならない人をたくさんつくりながら、経済のためとして戦争に向かったり原発を受け入れようとする昨今の風潮に、なぜ人(や他の生物たち)を殺してもお金や権力が欲しい人たちがいるのだろう、人とは何か、人はそれでもなぜ生きるのだろうなどと、考えずにはいられない一冊です。






2026年8月15日土曜日

イラク水滸伝

舟大工に作ってもらった古代の舟タラーデを漕ぐ前から2人目が高野さん、3人目が山田高司さん

『イラク水滸伝』(高野秀行著、文藝春秋社、2023年)を読みました。
イラク南部、ティグリス川とユーフラテス川が交わるあたりのアフワール(湿地帯)に住む人たちの暮らしを紹介しています。


イラクにティグリス・ユーフラテスが流れていることは知っていましたが、大きな湿地帯があり、人々は5000年前と同じように葦で浮島をつくり、その上に葦で家を建てて暮らしていることは、全く知りませんでした。


上は、同行された山田高司さんの描かれたイラストです。繊細にしてかつ味のある絵、山田さんはみんなの似顔絵を描いて引っ張りだこだったそうです。
実はその昔、山田さんにはお会いしたことがありました。山田さんがNGOの一員としてサヘルにいらっしゃる前にお会いして、アグロフォレストリーのお話などしました。

さて、葦では簡易な掘建て小屋だけでなく、大きな家もつくることができます。


上の写真は、高野さんと山田さんが泊めていただいていたゲストハウスの内部の様子です。


この辺りの葦は8メートルにもなり、浮島や家の材料となり、燃料、そして新芽は水牛の餌になります。鯉など魚も獲れて、水牛の乳からゲマール(非常に濃厚な生クリーム)をつくることができ、アフワールの中だけで生活が成り立ちます。
ラクダも戦車も入れない湿地帯は、戦うことを望まないマンダ教徒の住処であるだけでなく、抗争から逃げたい人、反体制の人などの格好の隠れ家となってもきました。


浮島を高野さんたちにつくって見せてくれたのは、船頭のアブー・ハイダル(アブーとはお父さんの意味。アラブでは、長男が生まれると、長男の名前をとって「⚪︎⚪︎のお父さん」と呼ばれる)です。


アブー・ハイダルは、いつも長着や伝統服を着ていますが、それを脱ぎ捨てて浮島をつくってくれました。

過去にほとんど知られていなかったアフワールに、高野さんと山田さんが政情不安定、入局不許可、パンデミックなど、数々の困難を乗り越えながら数年かけて3度赴き(1度に1ヶ月しかいられない)、アラビヤ語のイラク方言だけでなくアフワール方言にも対応しながら、湿地帯の暮らしを観察し、記録したこのご本は、ほとんど謎のなくなった地球上の営みの謎の一角を紹介した貴重な一冊です。
たくさんの登場人物が出てきますが、登場人物たちを水滸伝の梁山泊の好漢たちにたとえているので覚えやすく、より身近にも感じられます。


477ページもある分厚い本ですが、夜寝る前に布団の中で、病院の待合室で、そして机の前で、ワクワクしながら読みました。


望んでいないのに、勝てない戦いにすぐに巻き込まれてしまうイラクの人たち。
「将来は暗い。でも、今日は・・・楽しもう‼︎」
と飛び跳ね、しゃべりまくり、踊り、歌うどこまで陽気なイラクの人たち。
学術的な事柄をしっかり押さえながら、色々なことを実際に経験してみて、経験に基づいて分析し直す、とても素敵な本でした。


 

2026年8月6日木曜日

井上陽水英訳詞集


『井上陽水英訳詞集』(ロバート・キャンベル著、講談社、2019年)を読みました。
英訳といっても、英語圏の人たちを対象としたものではなく、日本人向けの英訳詞集です。
目次は、

 はじめに「井上陽水はうなぎだ」
 第1章 時を彷徨う中で
 第2章 余白に気をつけろ
     A 時の設え
     B 鳥を逃した
     C 愛
     D 同時代性
 第3章 井上陽水英訳詞集

となっていて、多くのページが井上陽水の詞をどう捉えるかに費やされています。
陽水さんはもとより、キャンベルさんも言葉が美しい人なので、とてもおもしろい。日本語が韻を踏んでいるときはどう訳すか、余白と曖昧はどう捉えるかなどなど、英訳しながら、陽水さんの詞を深掘りしています。


英訳詞は50曲、年代順に掲載されています。

これを読んだら、久しぶりに陽水さんの歌が聴きたくなりました。レコードはあるけれどプレイヤーがないので聞くことができませんが、


息子が買ってくれた「井上陽水 SELECTION」という、1991年に活動20周年を記念して出された、それまでの曲が全曲入ったCDがあります。
CDは何枚か持っていたし、もらった時は忙しくて、一度も聞いたことがないものです。


CDプレーヤーは、電池式のものも充電式のものも持っていなかったので、語学練習用の簡便なものを購入しました。
音はよくないけれど、蓄音機やAMラジオで聴くことを思えば、なんでもありません。
DISK1の「断絶」から年代順に聴くと、1979年までの歌はほとんど口ずさめるのに比べて、それ以降のCDには10曲ほど入っている中で、1曲か2曲知っているのがあるだけ、それを何枚か聴いていると、DISK10の「LION & PELICAN」まで聴き進んだら、今度は半分くらい知っている歌が出てきたりしました。この間、私自身がどんな生活を送っていたかがわかる、興味深いものでした。
陽水さんをまったく聴いていないころは、子育ても一段落して仕事やら何やらで忙しくしていて、音楽を楽しむ暇もありませんでした。それに、聴くとしたらガムランやモーラムなどの民族音楽が主、タイのグループのカラワンなども聴いていました。

そうそう、マレーシアの空港の薄暗い侘しい待合室に一人で疲れきって座っていたとき、テレビから流れてくるイスラムのアザーンに心を揺すぶられて、アザーンのCDをいく先々のイスラムの国々で買って、その中の1枚をよく聴いていたこともありました。イスラムの国で、アザーンで目を覚ますのは、何か胸が締めつけられるような、懐かしく、もの悲しい、「こんな遠くにはるばる本当に来ているんだろうか?」と思ったりする、不思議な時間でした。
脱線してしまいました。




 

2026年7月31日金曜日

自然の一部の私たち


6月26日の『東京新聞』に、東京都世田谷区の等々力渓谷の地力再生の記事が載っていました。
2023年にシラカシが倒れて遊歩道をふさいだことから樹木医に調査を頼むと、この数年の暑さで害虫にやられて、水も吸い上げなくなって枯れたとわかりました。他にも傷んだ木があったことから、区は斜面全体の環境の悪化を重く受け止め、環境再生の専門家の高田宏臣さんに相談して、27年度までに総延長500メートルほどの斜面を改善することにしました。


人工物を取り除いて土中の滞水を防ぎ、健全な循環を促す土留めをして、水や空気が地中深くに届くとともに、湧き水は渓谷に流すよう、逃げ道をつくってやりました。


その記事がきっかけで、新聞を共有しているGさんが、『土中環境 忘れられた共生のまなざし』(高田宏臣著、建築資料研究所、2020年)と、『よくわかる土中環境』(高田宏臣著、PARCO出版、2022年)を貸してくれました。

高田宏臣さんには一度、筑波山麓のCご夫妻の家でお目にかかったことがありました。Cご夫妻は、斜面に立つ家の土中環境の改善を高田さんにお願いしていて、そのお話を聞く集まりがあったのです。三春の友人Wさんも、高田さんを招いて丘の斜面を地域の親子たちと再生させるワークショップを催していたし、いろいろな場所でお名前を聞きます。

というわけで、この2冊を読ませていただきました、
以下は、『よくわかる土中環境』の一節です。

 私たちは自然の一部です。空気を吸い、水を飲み、そして命を食物として摂取する。その循環の中にすべての命が営まれる事実は、どんなに時代が変わろうが、あらがえない事実であります。自然と切り離された現代の暮らしの中で、そのことを忘れ去ってしまっても、人間として、そして生き物として、命のバトンリレーの中で万年億年と刻まれてきたその細胞の記憶の奥に、調和のとれた自然、多様な命の息づくことができる環境を美しいと感じ、心地よいと感じる完成が必ず眠っているものでしょう。
 現代の発展の中で、そして自然と切り離された暮らしの中で、そういう大切な感覚を私たちは見失ってきました。その結果、社会の変化、科学技術の進歩の陰で、環境の問題をより複雑にしてしまい、そしてそれを大きく積み上げてしまったように思えます。
今私たち一人一人が、そんな心の奥にある自然との絆に気づき、それを再び取り戻すこと、そこに豊かで美しく、温かく懐かしい、そんな素晴らしい未来への扉を開く鍵があることでしょう。

 日本には自然の循環を壊さず暮らしてきた長い歴史があります。それを壊してきたのはわずか数十年です。それは、土中を含めた自然の仕組みを知らないからであり、山とか、里、海をつながりから見ていないからです。まずは、そこを知ることから始めてほしいと思います。土の中が見えてくれば、先人の営みが見えてきます。


久しぶりに、畠山重篤さんの『森は海の恋人』(北斗出版、1994年)も手に取ってみました。山が健康でないと海は健康でない。海の健康を取り戻すために山の再生を身をもって実践された畠山さんは昨年逝ってしまわれました。



 

2026年7月19日日曜日

林明子さん逝く

7月1日に、絵本作家の林明子さんが亡くなられました。
息子たちが小さかった頃、福音館書店の『月刊こどものとも』を定期購読していました。ワクワクする本がたくさん届きましたが、中でも『はじめてのおつかい』は大好きな一冊で、その優しい絵を、親子で何度も見返したものでした。

はじめてのおつかい』、『 嬉しい出逢い』、『絵本の中のマトリョーシカ』、『絵本』、『絵本、第2弾』と、林明子さんの絵本はブログで何度も取り上げたこともあり、追悼の文も書かずにぐずぐずしていましたが、やっぱり書こうと本棚を探してみました。


『はじめてのおつかい』は必ず家にあるとわかっていましたが、他はたけちゃんに送ったので、残っているかどうか、探したら1冊だけありました。


『とん ことり』です。
どちらも筒井頼子さんとの共著でした。


小さくて薄っぺらいタイ語の海賊版の、『はじめてのおつかい』(ガーン・ルアンレーク)と『あさえとちいさいいもうと』(ノーン・ハーイ=いもうとがいなくなった)は、2冊ずつありました。


『あさえとちいさいいもうと』は、タイ語の海賊版しか持っていなかったので、新たに注文しました。

ご冥福をお祈りします。






2026年7月17日金曜日

民具これなーんだ?

昨日は、武蔵野美術大学の美術館に、「民具これなーんだ?」展を見に行ってきました。


宮本常一さんが遺した民具コレクションを一度見てみたいと思っていて、たくさんの民具が見られるのではないかと行ったのですが、展示物がは少なめでした。
ウェブ版『美術手帖』(私は見ていない)の同名の連載を「実際のもの」として展示したものだったので、ウェブ版では部分を切り取った写真を見せて「これなーんだ?」と言えても、実物を見せるとなると切り取ることはできないので、この表題では展示方法は難しかったのかもしれません。

「グルグルの民具」。沖縄県那覇市

謎解きの面白さがあったのは、このカヤで編んだものくらいだったでしょうか。蝿帳(ハエがとまらないように料理の上に被せるもの)ではないかと思いましたが、鍋の蓋で、年中行事などのときに、屋外で大鍋料理をしたり、豚の餌を煮るときに使ったものだそうでした。

いわゆる生活用具ではないおもちゃが多かったのは予想外でしたが、楽しみました。宮本常一さんは、おもちゃも好きだったのですね。
そして、会場は写真可だったのですが、帰宅して見ると、私が撮ったのは玩具の写真ばかりで、『民具これなーんだ』と言う本が手元になかったら、まる郷土玩具の展示会だったと思われるほどでした。


「ネコ好きの民具」
後列の高崎張子の猫はどちらもいいお顔をしています。
前列右は岩手県の附馬牛(つきもうし)の「芸者と猫」、初見です。附馬牛土人形は一度途絶えて復活していますが、附馬牛の型はどれも複雑なのに驚きます。


「睦まじさの民具」
睦まじさの民具というものの、なんだか寂しさが漂っているのはなぜでしょう?


「にぎやかな民具」
昔の東京の酉の市の熊手、いつ頃のものでしょうか?
縁起物が好きな私ですが、印刷物やプラスティックの小物で飾られた熊手にはまったく関心がありません。ところが、この熊手は自然素材でできていて、なかなか素敵です。
飾りものは、「七福神」も「鯉の滝登り」もただの平面ですが、生き生きとしています。とくに、おたふくのお顔の美しさに目を惹かれますが、歴史的には熊手にはおたふくのお面だったようです。

『モースの見た日本』より

これは、モースが1882年(明治15年)に浅草で出逢った熊手です。
浅草寺の裏に小さい小屋が立ち並び、小さい米俵、しめ縄、7種類の宝ものを乗せた幸運の舟などと共に熊手が売られていて、大いに賑わい、人力車で駆けつける人たちもたくさんいて、大きな熊手を掲げて歩く人がいて奇妙な光景だったと、モースは書き記しています。


元々、酉の市の熊手は、幸福の女神おたふく(モースの弁)のお面としめ縄や稲穂を飾っていたものだったとわかります。


「卵にまつわる民具」
巻き編みの卵容器は広島県因島で使われていたものだそうです。
世界的に広範に見られる巻き編みですが、日本では竹が豊富だったためか、いづめこ、飯櫃入れなどはあるものの、稲わらやススキなどの草を使った巻き編みの籠は限定的なものだと思っていました。
ところが今回、沖縄の鍋の蓋や因島の卵入れを見て、日本の巻き編みの籠のことを、改めて考えさせられました。
かつて、冬場にご飯を温かく保つための飯櫃入れは日本全国で使われていました。輸送が発達していなかった時代、専門にしろ副業にしろ、巻き編みの籠をつくる職人さんが全国規模でいたのかどうか、知らなかったなぁと気づかされました。

他には、「しろい顔の民具」「ド正面の民具」「脚がステキな民具」「巳年と蛇の民具」「つくりかけの民具」「両手使いの民具」「二重構造の民具」「手のひらの民具」「イヌ好きの民具」の展示がありました。


「これなーに?」の他に、「民具・集めると見えてくる」と言う表題の展示もあり、写真はいろいろな竹籠の展示と、後ろは同じ形でデザインが違う凧の展示です。
奥のテーブルに見えるのは魚籠ですが、手前のテーブルの籠はいろいろでした。


いけ簀籠と魚籠。他に、買いもの籠(市場籠)、豆腐籠などの展示もありました。
「集めると見えてくる」と言うのは私の得意とするところ、私は「双子だとかわいさが増す」と言っていますが。







 

2026年7月9日木曜日

加藤徹さん

夜、お布団に入ってから本を読むのを日課としていました。
ところが最近、3ページも読まないうちに眠気が襲ってきます。本を落としそうになって慌てて読み直してもすぐ朦朧としてしまいます。眠るのを忘れて読んでいたころが懐かしい。
というわけで、お布団の中での読書は難しいものになっています。


『西太后』(加藤徹著、中公新書、2005年)は面白く読んでいるのに眠ってしまって、しおりを挟んであるのに既読のところがうろ覚え。仕方なく前夜眠りながら読んだところをもう一度読み返して、新たにちょっとだけ読んだら、また眠さに負けてしまうことの繰り返しで、遅々として進みません。

「中国理解なら、この本が一番」
と中国人の友人に勧められて、加藤徹さんの『貝と羊の中国人』を読んだのは半年ほど前のことでした。
次に『漢文力』を読んで、近代の中国の政治を知るなら『京劇』でと書いてあったので、


『京劇』(ちくま学芸文庫、2025年、元は中公業書2002年)を読んだのはしばらく前のことでした。
様々な史実に基づいたエピソードをつなぎ合わせて、京劇とそれを取り巻く近代から現代の中国社会が立体的に浮かび上がる面白さ、たくさんの京劇俳優の名前が出てくるので、覚えたり整理するのに苦労しましたが、文盲率が高かった時代、為政者が京劇を通して人々に影響を与えるさまは、革命軍にまで引き継がれた面白さ。また、文革の時は京劇俳優はどんな目にあったかなど、初めて知ることばかりで、あっという間に読んでしまいました。
『漢文力』が漢文を知るだけの本ではなかったと同様、『京劇』もまた京劇を知るだけの本ではありませんでした。
エピソードの一つに、観劇に明け暮れ、死の2日前にも長時間観劇した咸豊帝(えきちょてい)にも負けず劣らず京劇が好きだったという、咸豊帝の妻の西太后のエピソードも紹介されていました。
男尊女卑の中国社会の中で48年間という長期間政治権力をふるった西太后とは一体どのような人だったのか? それが、『西太后』を読むことになったきっかけでした。


アヘン戦争や日清戦争という激動の時代を生きた西太后は、特A級の悪玉として、現代中国からはまったく評価されていませんが、西太后の時代につくられた政治システムが、今の中国の政治システムとなっているそうです。

それにしても、著者加藤徹さんの頭の中はどうなっているのでしょう?
主要参考文献一覧を見ると、漢文であれ、京劇であれ、政治であれ、先行著書・研究は膨大な数のところ、言及、依拠、参照したものだけ最小限載せたと書いてあるのに、たくさんたくさん載っています。
文献からの考察もすごいし、日本文化との比較も面白い。

そろそろ、寝る前と病院の待ち時間だけでなく、日中も読書をする習慣をつけたいと思います。

追記:

病院に行くことや、久しぶりに電車に乗ることもあって、『西太后』を読み終えました。
一旦カリスマとなると、みんな手も足も出ない。いろいろな噂がたたないよう、衆目の面前で気に入らない人を殺させたり、税を湯水のように使ったり、帝を幽閉して、帝の名においてめちゃくちゃ権力を振るった西太后が、大昔ではなくついこの間の人だったことに、やっぱり衝撃を受けました。



 

2026年7月3日金曜日

東京で売られた箕

7月3日、箕の日に勝手に協賛です。


明治物売図聚』(三谷一馬著、中公文庫、2007年)は、江戸風俗の資料画を描いては第一人者の画家三谷一馬さんが、街の風物詩であった明治の物売りを、当時の雑誌や様々な資料をもとに模写復元した労作で、300余点の絵に詳細な解説を加え、文明開化による急速な変化に直面しながらも逞しく生きる庶民の姿を鮮やかに描き出した興味深い本です。

道具の章では、ほとんどは東京や京都など都市の物売りの絵なので、農村を中心とした箕のみの行商の絵は、はなから期待できませんが、1枚だけ箕も含まれている絵がありました。


東京のざる売り。
江戸時代は担荷でしたが、明治になると車が使われました。車輪は鉄輪で、ゴム輪は使っていません。
原画は、明治35年に発売された『風俗画報』に掲載された山本松谷さんによるものです。箕は左端の方、売り手の頭の近くにあるものでしょうか?

以下は、この絵の解説、原画の説明文を引用しています。

笊類はその種類によって生産地が違います。
「先ず笊類は武州八王子在と新宿新町辺を上等品として、之に次ぐのが上総地方から輸入する品だ。乃で此笊のみでも目笊、味噌漉、亀の子笊、米揚笊、紙屑籠、塩笊等で、其の大小も一番二番等がある(略)。米揚笊の上等は甲州で、並品が武州蕨在、横曽根と云ふ所で製造するのだ(『太平洋』、明治37年)」

箕の物売りはこの絵のみですが、籠売りの絵も1枚ありました。

原画は『風俗画報』。明治38年、佐藤一林画

山梨地方の籠売りだそうです。解説には、原画の説明文として、
「肥籠と称し肥料を背負ふ籠なり。往来で呼び、或いは戸毎にゆきて用不用をたづねて売る。平生依頼者を待ちて制作に従事するも、注文品なきときは暇にあかして、何個もつくりおく。あらかじめ使用時に先だち、あまた背負い出して販売するに、行先々でそれぞれの新しい注文を受く、一挙両得の行商なり。もっともこの外にこれより大なる木の葉籠あるも、道路嶮悪にして運搬に困難なるより持ち来らざる趣なり」







 

2026年6月30日火曜日

柳の小さな籠


横幅20センチの、柳で編まれた持ち手のついた籠です。
20世紀前半に、ハンガリーでつくられました。


この籠はフレーム型と呼ばれる技法でつくられていて、太い材でフレーム(枠)とリブ(肋)をつくり、細い材で「織り編み」で形づくりながら編み上げるものです。

ターシャ・テューダーの『暖炉の火のそばで』より

中でも、最初に頑丈な素材でフープ(輪)の枠をつくり、それから思い描いた形に編んでいくいくヘン・バスケット(雄鶏の籠)と呼ばれる形は、ケルト時代のスコットランドで考案されたと信じられていますが、世界中で似たタイプの籠が制作されています。


水で湿らせているとはいえ、硬い柳でこれを編むのは大変ではないか、編んだことのない私は、考えただけで肩が凝ってしまいます。


左はイギリスの籠です。
フレーム型の籠はとても頑丈で、かつては石炭など重いものを運ぶのに使われました。


最初に頑丈な材でフープ(枠、縁)をつくり、持ち手も取りつけ、リブ(肋)を揃えて、それから細い柳で編んでいます。


このリブ(肋)を一点に集めているところ、どうやって硬い材を収めているのか、きれいに収まっていることに感心してしまいます。
対象のきれいな形をつくるために、両側から編み進めて、真ん中で終わるように編むそうです。


イギリスの籠(右)の持ち手は、太い材を2本フープ(枠)に固定し、2本を合わせて割った平たい材で巻いてあります。
ハンガリーの籠は小さい籠にもかかわらず、持ち手として太い材を3本も使っていて、持ちやすいのだけれど、バランスとしては「太すぎるんじゃない?」と思われる仕上がりです。


世界中にあるとはいえ、日本にはない編み方の籠です。