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2026年7月4日土曜日

素敵なアパート

木曜日に、茨城県古河市で活躍している建築家Kさんの設計された家を見学に行きました。
ギャラリー&カフェ、アパート、住宅の3ヵ所を見せていただいたのですが、アパートがとっても素敵でした。
建物は3棟あり、いずれも賃貸、60室あるそうです。


これはC棟のエントランス側。C棟の部屋は一人用、二人用、家族用と3種類の広さがあり、1世帯の駐車スペースは2台です。


屋上への階段。


階段塔の最上部。


そして屋上からの眺め。


さすが関東平野、360度地平線が感じられ、晴れていれば筑波山だけでなく富士山も望めるそうです。


C棟は、裏の駐車場からの眺めが、特にダイナミックで素敵でした。
各戸の玄関への長い通路がない設計で、プライバシーが保たれ、壁が二重になっていることで、夏の陽差しが和らぐとのことでした。


A棟とB棟はすべて同じ間取りで、空いた部屋の内部も見せていただきました。
中はおしゃれ、つくりつけの棚など設備も整っていて、最小限の家具を持ち込んだその日から、前から住んでいたかのように暮らせそうでした。


こんなアパートに住むと、子どもだけでなく大人でもわくわくしそうです。
というわけで、いつも入居率が90%を超えているそうでした。



 



2026年5月8日金曜日

生名島

afさんが、ゴールデンウイークにしまなみ海道をサイクリングしたとFBにUPされていました。尾道から向島、因島、生口島、大三島を駆け抜けたというのです。
因島と聞くと、小さいころのおぼろな記憶が蘇ります。

私が小学校低学年のころ、父の妹一家が因島の隣の小さな島に2年ほど住んでいたことがありました。叔父は若い医者で、その島の病院に勤務していました。島の名前はうろ覚えでしたが、ネット検索すると生名島(いきなじま)とわかりました。


叔父の勤めていた因島病院の分院の生名村診療所は、1952年に設立された結核病棟で、150床ありました。ちなみに、因島病院は、1917年に因島に日立造船所の病院として設立され、のちに総合病院として地域医療に尽力してきました。


因島総合病院の昔の写真は、ネットで見つかりましたが、生名村診療所の写真は見つかりませんでした。
記憶では、緑の木々に囲まれ、海辺に面してひっそり建っている病院でした。

現在の因島総合病院

当時は、私の祖父も元気で、祖父母や母と一緒に、私は何度か生名島に叔父一家を訪ねています。
ある夏休みには、祖母と丸々一夏逗留したこともありました。祖母は、次女を出産した叔母の手伝いに行ったものだと思いますが、子どもだった私は毎日、家から30秒で行ける遠浅の海で従妹と遊んだり、狭い海峡を忙しく行き交う大型船や小舟の絵を描いたり、夢のような楽しい毎日を過ごしました。


生名島までは、住んでいた岡山県の倉敷から尾道まで汽車で行き、尾道からは畳敷きの船室のあった船に乗って因島まで行き、そこから小さな渡し舟で生名島に渡りました。
上の写真は、祖父、母、弟と一緒に叔父一家を訪ねた時のものです。

叔父と祖父、弟と従妹と

残念ながら、叔父一家の住んでいた家や海辺の写真は(あったはずですが)見つかりませんでした。

生名島は子どもの足でも簡単に一周できるようなかわいい島で、人影もまばら、行き交う船の汽笛やセミの声が聞こえるばかりの島でしたが、ときおり、渡し舟で買い出しに行く因島の市場は、いつも人で賑わっていて、別世界でした。
生名島の浜で拾った桜色のナミマガシワには、コインの模様のような、男性の横顔の模様がついていました。
長く大切に持っていましたが、いつの間にか失われてしまいました。




2025年7月10日木曜日

益子散策

M+M家の一人娘のSちゃんは、舞台俳優さん。ロンドンに住んでいますが、今年はアジア公演があり、中国各地やマカオを回り、あとは台湾公演を残すのみというところで2週間の休暇があって、日本に里帰りしています。
Sちゃんから、公演のスタッフなどへのお土産を買いたいのだけれど、この辺りではどこで買ったらいいだろうと訊かれて、
「益子かなぁ」
と答えました。益子には焼きものだけでなく、工芸品の充実したお店もいろいろあります。Sちゃんは、木の匙や劇にちなんだ虎に関するものが買いたいとのことでした。

最近、M+M家の老犬トビーの具合がよくなくて、Mちゃんはトビーを病院へ連れて行ったり看病したりと忙しいので、私が案内役を引き受けて、SちゃんとMくんと一緒に益子をまわりました。
まずはおしゃれな小物の店G+OOへ、Sちゃんは虎のぬいぐるみや猫(虎の代理?)の眼鏡ケースなどいろいろ買い、次は陶庫に行きました。


陶庫に、三輪織物の柳格子の小風呂敷がありました。
三和織物は福島県伊達市にある、機械織りで刺し子したような布をつくる工房です。


この柳格子の「柳」は、三輪織物四代目が、民藝運動の創始者の柳宗悦の甥である柳悦考さんに師事して刺し子織りの開発に取り組んだ経緯があるので、柳さんから名前をもらった「柳格子」だと思われます。
柳格子を手に取って見ていると、Mくんが来ました。
「やっぱり、布が気になるんだ」
「うん。これねぇ、普通機械では織れないような経緯模様(たてよこもよう)を織った布なの。ネットショップで見てもどこも売り切れで、ここで売っているとは思わなかった!」
「じゃぁ、買うしかないじゃん。いくらなの?」
「大風呂敷が7,700円、小風呂敷が2,750円」
「小さいのは、そんなに悩まなくても買えるでしょう?」
というわけで、このサイズの小風呂敷はたくさん持っているのに買ってしまいました。
次は内町工場です。


アルマイトの弁当箱やおかず入れ、ステンレスのおかず入れなどが並んでいましたが、一番古そうで一番安い(これは300円、ステンレスのおかず入れは500円)おかず入れを買ってきました。


ほかのおかず入れは、押さえ金が金属ですが、これは木でできています。


蓋に貼ってあるパッキングは劣化していて、おかず入れとしてはもはや使えませんが、ボタンを入れようと思っています。

最後に、人里離れたもえぎ本店にも行って、いざ帰ろうとしたらSちゃんが、
「今見つけたんだけど、近くに家庭料理屋さんがあるみたいなのでお昼を食べませんか?」
と言います。見るだけ見てもいいかと言ってみました。


こんなところにお客さんが来るのかしらと思われる山奥にあったお店ですが、結構混んでいました。


待つことしばし、家庭料理と名乗っているのに家庭では決してつくらないような手の込んだ料理の数々、おいしくいただきました。


庭には何故か等身大のラクダがいます。遠目には焼きものにしか見えず、どうやってあんなに大きなものが焼ける? といぶかしく思っていたのですが。これは焼きものではなくプラスティック製だとのことでした。


アブダビでMちゃんと一緒に本物のラクダに乗ったことのあるSちゃんが、ラクダに乗ってみました。


益子散策の小さな旅でした。





 

2025年2月26日水曜日

益子散策

写真は佳乃やのをお借りしました

休日に、M+MのMちゃんを誘って、益子「佳乃や」の「美しきものたち」展を観に行ってきました。
美しいものがいっぱいありましたが、中でもガーナのエウェのケンテは素晴らしいものでした。通常ケンテは詰めて織ってあるのでかちっとしていますが、これは糸が細いのか、使い込んだのかとってもしなやか、細く織った布を20本以上つないでありました。
また、通常、別の糸を織り込んで模様織りにするところとそうでないところで横幅が違ってしまってでこぼこしているのですが、ほぼほぼ、同じ幅に織られています。織り手がすごい! 以前だったら買ったかもしれない布ですが、このごろは理性がついてきたのか(?)、見るだけにしました。
マリのドゴンの藍染めの布も素朴で素敵でしたが、それも見るだけでした。布と言えば、ペルーのシピボの泥染めの布もあり、染め色が濃くて黒い線が目立たないもので、テーブルにかけるなど用途があれば買う口実もつけられるのですが、あいにく使いたいところが思い浮かびませんでした。


籠(真ん中の)もつくりがとてもよく、お値段も手ごろ、でもMちゃんに、
「買ってどうするの?」
と言われてしまいました。どうするのと言われたって、持って歩くわけじゃないし、見せる収納にするには小さすぎるし、同じくらいの大きさの籠はいろいろ持っているし、置くところはないしと、冷静に考えて買いませんでした。
Mちゃんが小引き出しを欲しがっていたので、古家具屋さんにも行きました。


そこで、夫に報告したい照明器具を見つけました。
夫がf邸の食卓で使う照明器具を探していて、3つ並べて使うので、小さめのものを欲しがっているのですが、なかなか小さめのものはありません。
金属でできているこれは、ピッタリだと思いました。


しかも、おあつらえ向きに3つあります。直径15センチほどでしょうか。
写真に撮らせてもらって夫に報告したところ、
「これ汚れているの?」
「そうね。ちょっと汚れたり傷がついたりしているよ」
「そんなもの、だめだ、だめだ。コードもまっすぐでないし」
と、一蹴されてしまいました。
あ~あ、残念だなぁ。古いコードも味があるし、無印良品の照明器具より素敵なのになぁ。

そのあとで寄った古書と古道具の内町工場には、土偶の写真集がありました。じっくり見ましたが、本を増やしてもなぁとこれも買いませんでした。
後日、織物教室で土偶の写真集の話をしたら、縄文土器の絵を描いたり、子どもに、縄を綯ったり糸を紡いだり、糸を紡ぐ道具をつくったりするワークショップを開いている、縄文の専門家Sさんだけでなく、土偶好きのKさんからも、
「見たい、見せて」
と言われ、買わなかったと応えるとがっかりされてしまいました。

結局、和菓子の老舗「赤羽」で、草餅や桜餅を買って、むしゃむしゃ食べただけの、益子散策でした。







2025年2月1日土曜日

富士山を見た一日


昨日は、夫が2トン車のロングを借りて横浜まで荷物を取りに行くというので同乗、久しぶりにトラックに乗りました。
常磐高速から富士山はめったに見えないのですが、昨日はよく見えたので何枚か写真を撮ったのですが、標識と重なったりバスに隠れたりで、ろくな写真が撮れませんでした。


やっととらえた1枚。富士山は東京までの間に、右に左にと何度か見えます。
以前は、利根川を渡る時は富士山が(条件がいい日だけ)きれいに見えのですが、障害物が増えたのか、空気の加減か、県境の橋からはあまりよく見えませんでした。


東京に入って、湾岸線からはときおり富士山が見えたのに、この腕の悪さ。


横浜に着いて、まず本牧埠頭の税関に行ったのですが、送られてきた書類の読み違えで、荷物はまだ船の中だと判明しました。夫は倉庫の保管料のところを読んで、そればかり気にして、急げ急げとすぐ受け取りにきたのでした。
突っ走る夫らしい無駄足でしたが、おかげで大きな車でのドライブを楽しみ、春節でにぎわう中華街で、昼食をいただいて帰ってきました。


税関駐車場のおそらく灯油のパイプです。
車に当てられたとも思えない場所にあるのに、何故かぼこぼこになっていました。









 

2024年10月20日日曜日

カンボジアからの古い手紙(5)

古い手紙の紹介は、きりがないのでこのくらいにして、最後は私のしょうもない日常の一端です。
手紙は3年分ありますが、抜粋したものは、はからずも1999年の水祭りのお休みに集中してしまいました。

1999年11月13日
本日は土曜日です。ちょっと事務所によって、帰りに骨董屋のある市場に行き、なじみの店で前から買おうと思っていた身体をガリガリ引っかくものを買い、ヤシの葉に経文を彫りつけるのに使っていた鉄筆も買いました。

右端は西洋のペストリーカッター、左端は市場の雑貨屋で買った新しいもの

身体をガリガリ引っかくものとは、棒の先に古い銅のコインをつけたもので、形はペストリーカッターに似ています。疲れたとき、カンボジア人はコインの広い方を肌に当て、身体じゅう赤くなるほどこすります。すると疲れが取れるそうです。あと、小さなコップの中をロウソクなどで温め、真空にしておでこなどに吸いつかせ、悪い血を集める方法もよく使います。顔じゅう赤い丸あざのある人を見ても、そういうわけでドキッとしなくていいのです。


鉄筆は黒檀でできていて、大根の形をしています。大根の葉にあたる部分に、両面が顔になっている背中合わせの小さな仏さま2体が彫ってあります。硬い木なのによく彫れるものです。身体をガリガリするものは3つで200円、鉄筆は700円でした。なじみのおばさんが、「鉄筆は高くて悪いわね」ですって。

中略

こちらにいるとお金の感覚がおかしくなります。3ドル(約300円)以上のものになると「高い」という感覚が働きはじめ、20ドルなどと言われたら目が飛び出しそうになります。1袋5ドルちょっとの冷凍の枝豆を買おうか買うまいか何日も迷い、思い切って買うと、7回くらいに分けて食べられるのだから結果的にはそんなに高くないのですが、めったに買いません。スーパーマーケットの日本食売り場(結構品数がそろっている)など、いつも素通りしています。そのくせ、日本に帰ると20万円以上する(注、原則、駐在日本人はコンピュータは個人で調達、私はソニーの
VAIOを持っていたけれど、昔は高かった!)コンピュータをあっさり買ってしまうというのもおかしな感覚です。
その自慢のコンピュータがダメになりました。昨日、トランスフォーマーのスイッチを何気なく入れたら、コンピュータがパチパチ音を立てて煙が出ました。週に3回掃除に来てくれるお姉さんが、なんと100
Vのコンピュータを220Vのコンセントに入れていたのです。おかげで12月の一時帰国時には、壊れたコンピュータを一式と、Uくん(息子)の友人から借りていたノートパソコンも持って帰らなくてはならず、大変です。それよりもなによりも、一応保証期間中ですが、無料でなおしてくれることを祈るばかりです。 

1999年11月20日
夕方、散歩がてら久しぶりに新市場に行きました(注、昨日のブログの村のボンと同じ日の午後)。

プサートゥマイ(新市場)

新市場はプノンペンで一番大きな市場で、家から歩いて15分くらいのところにあります。食材は家から最も近い中央市場で買い、果物やお菓子は事務所の近くのオルセ市場で買い、骨董品は骨董市場でと、これらは頻繁に行くのですが、新市場はとっても久しぶりでした。週末は、以前はオートバイタクシーのおじさんたちを稼がせてあげていたのですが、あまりにも大きな事故を目撃するので、最近は怖くて乗れなくなり、歩いて行きました。ほとんどの運転手が無免許で、めちゃくちゃな運転をします。
市場ではペンケース用のファスナー(なんと12円!)、旅行鞄の鍵(37円)、それに魚の開きの一夜干しを買いました。目刺しくらいの大きさで、4匹目刺しにしてあるのが2本セットで25円でした。
夜は目刺しをあぶったのと冷凍してあったサツマイモの天ぷらをフライパンで温めたもの、ピーナツの茹でたのなどを食べましたが、魚は本当に美味でした。シシャモのようというか、もう少ししっとりしていました。メコン流域の魚は、カンボジア国内だけで600種類もいます。市場で売られている魚もほとんどが淡水魚で、干物にも大小いろんなのがあります。雨季に食べるワカサギのような魚のから揚げも美味、さすがメコン流域国だけのことはあります。タイ人も淡水魚を食べますが、ナマズ、テラピア、雷魚など種類はわりと限られています。

11月22日
今日は
Uさん一家とコンポンチャムに行ってきました。

コンポンチャム県

車で2時間くらいでした。コンポンチャムで
は今、ODA(政府開発援助)でO建設が橋を架けています。日本はタイ・ラオス国境に、メコン川最初の橋を架けたかったのですがオーストラリアに負け、しかしどうしてもメコン川に橋を架けたくて架けている橋です。幼児と赤ちゃんがいたので、お昼を食べたらすぐ戻りました。

中略

夕食は3日続けての目刺しでした。冷凍庫にはソーセージも日本からのウナギもあったのですが、目刺しを3日間堪能しました。ニガウリでつくったタイ料理も食べ、食後には栗蒸し羊羹を食べました。これはあるコンサル会社の人のお土産です。東京事務所の事業担当を通して、「訪問のお土産は何がいいか。トランクはどうせ空だから」と言ってきたので、栗蒸し羊羹をと指定したものです。「冷凍できるから何本でも
OK」と伝えたのに、日本人は3人いるのに、持ってきたのはたった1本だったので、3等分しました。それなら、トランクが空なんて、言わなければいいのに...。

11月23日(火曜日)
いつもは出発前夜に荷造りをするのですが、今回は修理するのと
Uくんの友人に返すのと2つのコンピュータ、しかも1つは大きいので、壊れたコンピュータをキャリーで機内持ち込みにするか、厳重に包装してスーツケースに入れて預け荷物にするか大いに悩んでいます。コンピュータが壊れた時点で、すでにキャリーにまとめていたのですが、へたをすると機内持ち込み荷物が5個にもなります。今回はタイに1泊もしないから楽だし、オーストラリアのNGOのゴードンという人と一緒なので、彼にちょっと持ってもらえるとしても、機内持ち込み荷物5個はオーバーです。
しかし、機会があるとき少しずつ荷物を運ばないと、帰国時に大変なことになりそうです。例のかぼちゃ織り機の部品各種蓋ものなどなど、ついついものを増やしてしまうからいけないのですが。
というわけで、起きぬけの7時からスーツケースに常時入れてあるもの(お金、冬服、布など)を引っ張り出し、荷造りを始めました。途中、新聞紙を取ろうと流しの下の棚を見ると、いるはずのない蟻がいます。蟻を放っておくわけにいかず、荷造りを中断して棚の点検と掃除を始めました。
台所の流しの下の棚は大家さん(注、役人だけど、絵の店を開いていて、絵も描くし、家の修理もする)につくってもらったもので、奥行き60センチ、幅2メートルほどのすのこに低い4本脚がついています。その脚にはペットボトルを切ってつくった容器を履かせて、容器には蟻が来ないように水を入れています。
棚に乗せてある食料品と、棚の下に入れてある靴や洗濯用たらいなど全部引っ張り出して見ると、1つの脚が水を入れた容器と側面でくっついていて、蟻がそこを伝わってきたものと判明しました。昨日栗蒸し羊羹を入れていたジップロックを後で洗って使おうと、とりあえず蟻の来ない棚に置いておいたのが間違いのようでした。
蟻はどうやって察知したのでしょう? この前はテーブルクロスが床に届いていて、そこから来たし、勤勉な蟻にはかないません。ここは3階なのに。
いろいろひっくり返したついでに、ゴム、糸、文房具、せっけんなどそれぞれまとめようと本棚の整理もしたら、蚊取り線香の箱の下から500ドルの現金が出てきました。いつか出かけるとき、貰ったばかりの給料をちょっとと思って置いて行ったものです。大きいトランクの中のお金を調べて、「ああこれだけあるのか」と確認したのに、大金をすっかり忘れていました。日本にいるときも、いろいろなところからひょっこりお金が出てきたので、私はモズかリスの生まれ変わりなのかもしれません。

中略

今、夜の8時くらいです。もう、外のうるささにいい加減腹が立ってきました。人が歩く音より、車やオートバイ、路上生活者の子どもの泣き声などの方がまだましと気づきました。いったい我が家の前をこの3日間で何万人が通ったのでしょう。昨日など、夜中の11時に花火がありました。いい加減にして欲しいものです。来年はこの時期絶対タイに行くぞと決心しています。

これぞプノンペン!

以上、水祭りの休日のてんやわんやでした。

最初に使ったコンピュータはNECでした。そのあとMACを使っていて、カンボジアにもMACのノートパソコンを持って行きましたが、カンボジアでは誰もがWindowsを使っていました。
2000年ごろはまだ、MACとWindowsとの互換性がまったくなく、毎日、何十通も送られてくるメールは読めるとして、添付された書類は、森林条例の改正案、NGO合同シンポジウムの原案、政府への共同提案の骨子などなど大切なものばかりなのに、いちいちテキストに変換しなくては読めず、返還に時間がかかり、テキスト文章は読みにくく、苦労しました。
それで、一時帰国した時、ソニーのVAIOを購入してWindowsになり、以後ずっとWindowsです。職場ではノートパソコン、自宅では長男の勧めでラップトップを使っていて、本体は小さくなったとはいえ、大きなものでした。フロッピーディスクも必需品でしたし、業務連絡などはいちいちプリントアウトして、紙のファイルで保管していました。
長男が、「これからVAIOの一択時代になるよ」と言っていたのに、なりませんでしたね。今は当時の6分の1ほどの値段のDELLを使っています。








2024年10月17日木曜日

カンボジアからの古い手紙(2)

外国にでも行かなければ、親と文通する機会などありませんが、私は幸い親と文通する機会に恵まれました。親は、若いころの手紙も取っておいてくれましたが、それはあまり読む気もしなくて、どこかに突っ込んだままになっています。
カンボジアからの手紙は、「週末にはできるだけ書くね」と書いておきながら、3年で31通、1月に1度ほど書いていたようです。
家探し、クメール語の勉強からはじまって、引き上げるときのことまであれこれ書いているものの、当たり前ですが日記ではないので書いているのは、思いついたことだけです。
今日は、手紙の中の雨のことを書いてみます。



2000年10月11日
今年はメコン川の水位が限界水位より35センチも上がり、プノンペンの洪水が危ぶまれていましたが、予想通り、お盆(9月27~29日)を過ぎたので、水は速い勢いで引きつつあります。


川の岸にある階段で見ると、2週間前には最上段がちゃぷちゃぷと濡れていたものが、今では7段目くらいが水面から出ています。
このところ雨模様でずっと涼しくて、昨日早朝からの雨は、もう30時間以上降り続いています。

2001年6月15日
このところ訪問者も少ないし、普通の日も楽なのですが、やはり週末が来るとほっとします。今日も昨日も朝から晴れ上がって空も青かったのですが、お昼過ぎにはいつものように、ほとんど前触れなしににわか雨が降りました。


ここの雨はたった20メートルほどの距離を走っただけで、パンツまで絞れるほどのドカ雨です。というわけで、しとしと降っていると、カンボジア人は「これは雨とは言わない」などと言います。

2001年8月6日
今日は久しぶりにまとまった雨が降りました。いつもなら、20メートル歩くうちにずぶぬれになる雨ですが、今日のは1メートル歩くと川に飛び込んだようになるやつでした。おかげで、昼休みに家に帰っていたのですが(注、昼休みは2時間、みんな家に帰って昼食をとってから仕事に戻ります)家を出られず、小降りになるのを待ち、30分ほど遅れました。しかし、車(注、事務所から通勤のためだけに借りている10人乗りのバン。自動車修理技術学校で、実技演習のために何度も解体されては組み立てられた車)を使う私がもっとも遅く、オートバイのみんなは雨合羽を着て、ちゃんと時間に到着しておりました。路上はどこも水があふれていて、子どもたちはズボンのすそが濡れるのも構わず、わざわざ水の中を選んで歩いていました。

タイ人と働いているときは、彼らの時間のルーズさに悩まされてばかりいましたが、カンボジア人はみんな時間を厳守するので、とても気持ちよく働けます。隣の国と言いながら、気性も生活習慣も何もかも違うのに驚かされますが。


来週はストゥントゥレーンという、ラオスのすぐ南の県に、漁民など30人とともに3泊4日で行ってきます。

ストゥントゥレーン県

メコン川を320キロくらい、すべてボートでさかのぼります。プノンペンから途中のクラチエというところまでは、マレーシアのサラワクやサバを行き来しているスピードボートのお古の定期便で行きます。クラチエからは定期便がないので船をチャーターして行くことになります。スピードボートは雨の多いマレーシアから来た船なので屋根があるので安心です。

コンポンチュナン県

7月の終わりにはプノンペンの近くのコンポンチュナン県に行きましたが、訪問する村3ヵ村がすべて舟でしか行けなかったので(雨季で増水したため)、3日で合計14時間も、屋根のない小舟に座っておりました。走っていますから風はありますが、天気のいいときは、隠しきれない足の甲などがじりじりと痛いように焼け、雨が降れば降ったでビニールシートをかぶって、ひたすら小さくなっているしかなく、身体をずらすこともできず(1枚を前後に座った3人でかぶっているから、動くともっと濡れる)、おかげで尾てい骨を痛め、何日も座るのに苦しみました。
そんなとき、ふと、「私はなぜこんなところにいて、何をしているのだろう?」という、哲学的な疑問が湧きあがってきます。5年ほど前、タイ南部で小さな島に行き、夜遅くなって帰るときに雨が降り、漁民の集会に行く人たちとともに船の中でビニールシートをかぶり、真っ暗な海を明かりもつけずに1時間走ったことが、思い出されたりもしました。あのときも、「私は何をしているのかしら?」と思ったものでした。まぁ、ようするにいつも同じことをやっているわけですから、これが普通なのでしょう。


手紙は以上です。

さて、雨季に飛行機からカンボジアを見ると、「これで暮らしていけるの?」と思うほど水浸しですが、このメコン川の氾濫が遊水池をつくり、遊水池が豊富な種類の魚を育て、土壌を肥沃にし、カンボジアの人たちの暮らしを支えています。水かさが増すところに高床の家を建てた人も、わずかに残る冠水しないところに家を建てた人も、雨季には漁民になり、水が引くと農業と漁業の兼業となり、したたかに生きています。


コンポンチュナンに行ったとき、川岸にはどこにも川エビを獲る筌(うけ)と、竹筒のままのウナギの筌がうず高く積み上げられていました。水があふれている時ではなく、引いたときに獲るのだそうです。
ラッキーにもエビの筌はちゃっかりいただいてきましたが、ウナギの筌は走る舟から、よだれを垂らしながら見ただけ、手に入れることが出来ませんでした。
田舎行きは本当に楽しみでした。







2024年9月20日金曜日

糸島の休日

3日目の糸島では、息子の主催している「塾」の人たちのプチ旅行に加えてもらいました。


総勢18人、2台レンタカーして3台で、まず山の上のうどん屋さんへ。


うどん屋さんからの眺め。


前田農場がやっているうどん屋さんで、次々と押し寄せる客たちを、少人数で手際よくさばきます。


予約していたとはいえ、18人が一つのテーブルにつける広さ。


私の注文した、「カボスの冷やしうどん、天ぷらつき」。
手打ちのうどんもおいしかったけれど、何種類もの自家製の野菜の天ぷらが、とてもおいしかった。


暑い日でしたが、外で食べている人たちもいました。


腹ごしらえの後は海へ。


砂がとてもきれいでしたが、遠浅のためかサーファーはいないし、ほとんど貝も見ませんでした。

この後、彼らはバーベキューを楽しんだのですが、私たち夫婦は合流せず、ゆっくりしました。