afさんが、ゴールデンウイークにしまなみ海道をサイクリングしたとFBにUPされていました。尾道から向島、因島、生口島、大三島を駆け抜けたというのです。
因島と聞くと、小さいころのおぼろな記憶が蘇ります。
私が小学校低学年のころ、父の妹一家が因島の隣の小さな島に2年ほど住んでいたことがありました。叔父は若い医者で、その島の病院に勤務していました。島の名前はうろ覚えでしたが、ネット検索すると生名島(いきなじま)とわかりました。
叔父の勤めていた因島病院の分院の生名村診療所は、1952年に設立された結核病棟で、150床ありました。ちなみに、因島病院は、1917年に因島に日立造船所の病院として設立され、のちに総合病院として地域医療に尽力してきました。
因島総合病院の昔の写真は、ネットで見つかりましたが、生名村診療所の写真は見つかりませんでした。
記憶では、緑の木々に囲まれ、海辺に面してひっそり建っている病院でした。
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| 現在の因島総合病院 |
ある夏休みには、祖母と丸々一夏逗留したこともありました。祖母は、次女を出産した叔母の手伝いに行ったものだと思いますが、子どもだった私は毎日、家から30秒で行ける遠浅の海で従妹と遊んだり、狭い海峡を忙しく行き交う大型船や小舟の絵を描いたり、夢のような楽しい毎日を過ごしました。
生名島までは、住んでいた岡山県の倉敷から尾道まで汽車で行き、尾道からは畳敷きの船室のあった船に乗って因島まで行き、そこから小さな渡し舟で生名島に渡りました。
上の写真は、祖父、母、弟と一緒に叔父一家を訪ねた時のものです。
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| 叔父と祖父、弟と従妹と |
残念ながら、叔父一家の住んでいた家や海辺の写真は(あったはずですが)見つかりませんでした。
生名島は子どもの足でも簡単に一周できるようなかわいい島で、人影もまばら、行き交う船の汽笛やセミの声が聞こえるばかりの島でしたが、ときおり、渡し舟で買い出しに行く因島の市場は、いつも人で賑わっていて、別世界でした。
生名島の浜で拾った桜色のナミマガシワには、コインの模様のような、男性の横顔の模様がついていました。
長く大切に持っていましたが、いつの間にか失われてしまいました。





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