2021年6月29日火曜日

集熱箱をつくっています

昨日は、集熱箱を置くための材木を用意しました。
出来上がり図がいま一つ呑み込めてないし、過不足なく材料が揃えられたかどうかと、並べてみることにしました。


まず、瓦棒10本です。本当はもっと広げて置くのですが、場所の関係で詰めています。この上に金属の枠が乗り、枠の間に9枚のガラスが乗ります。
両端だけが長くて、あとの瓦棒が短いのは、上部で空気を横に動かすためです。


瓦棒の間に通気垂木が1本入ると思っていましたが、最近送られてきた図面を見ると、真ん中に太いのが1本、その間に細いのが2本、合計3本入るようです。聞いてなかったなぁ。
まず、細い通気垂木を並べてみます。
実際は、幅が880ミリあるガラスの下に置いた薄い鉄板の箱(どぶ板)の下の空間を、3本の通気垂木で4等分する形になります。


次に、瓦棒の上に芯木を置いてみます。
芯木の上に金属の枠を取りつけるので、芯木は長くします。


これがいただいた図面、太い通気垂木(という名称かどうか不明)はどうして太いのか、その上に薄っすら線が見えるのだけれど、ここにも芯木を乗せるのか乗せないのか、乗せるとしたらどぶ板の上に乗せるのか?
はっきり理解していませんが、まだ急がないことなので、今回はつくらないことにしました。


太い通気垂木は、切り端を利用して、継ぐことにしました。上からの重さ(しかもどぶ板だけの重さ)を受けるだけなので、問題はないでしょう。
縦方向の材はこれで全部です。結構な数になりました。
次は、上端と下端の横材をつくらなくてはなりません。
測量して防水シートの上に、これらの材木を設置する位置の印をつけるのは、晴れてからです。




2021年6月28日月曜日

みやま染


またぁ?
そう、また染料ビンの話です。
気づいたら、みやま染のビンが、5本もありました。しかも、茄子紺は同じものが2本あります。
ラベルつきのビンを持っていないので、1本ばらしてみることにしました。


紙を破らないで抜くことはできなかったので、ラベルのついた包装紙は破りました。


「えっ?えぇぇぇっ!」
ビンにはラベルが貼ってありません。


おまけに、エンボスもありません。
染料ビンの面白さは、どんな弱小会社のビンにも必ずエンボスがあることです。このような形で、エンボスがないビン。いったいどうしたのでしょう?
残り2本も包み紙を破って確かめたくなりましたが、思いとどまりました。どちらもラベルもエンボスもなかったら、破ったことを後悔するに違いありません。


説明書には、「お得で堅牢なみやま染を選びましょう」と書いてあります。
1ビン30銭ですから、みやこ染の広口ビンと同じ値段、あちらは広口ビン、こちらはコルクビンですが、同時代に売られていたのでしょうか?


「みやま染」とエンボスがあるビンより、心持、背が高いビンでした。


まとめて置いておかないから、持っているのに気づかずに買ったりするので、中身のあるビンを集めて整理してみましたが、それでもまた忘れてしまいそうです。





 

2021年6月27日日曜日

集熱箱工事開始


屋根の北側は、ほぼガルバリウムの屋根を葺き終わっています。
そして、南側は、集熱パネルを置く場所の下地はできているので、その上に防水シートのタイベック(これまで使っていたルーフィングより熱に強い)を敷いて、集熱箱をつくるばかりになっていたのですが、しばらく手をつけていませんでした。もし、作業をはじめたら、タイベックは直接の雨に弱いので、全体にシートをかけなくてはなりません。
集熱箱の完成までには、防水シートの上に木の瓦棒と芯木、通気垂木などを取りつけ、空気をゆっくりと動かすための凸凹に加工された板を設置し、やっと金属のフレームを設置、フレームの間に9枚の、三六のトタン板を箱型に加工した「どぶ板」を置き、その上に強化ガラスを置くという工程があります。
その、一連の流れに一歩踏み出すということ、一気にやらなくてはならないのに、作業工程の中には腑に落ちていないところもあったので、なかなか手をつけられなかったというわけです。でも、機が熟しました。


今回、防水シートは下端で、空気取り入れのために立ち上げた部分を覆わなくてはなりません。


立ち上がりは約17センチ、それを覆って下に折り込めるよう、シートを端から25センチ残しました。


軒先から入って来た空気が、ここで壁にぶち当たり、上に上がって集熱箱の間を通るので、立ち上がりの木の部分も防水・防気しておく必要があります。


垂木があるので、いちいち切り込みを入れてタッカーで留めていきました。


上の方には、温まった空気を室内に送るための穴を開けてあります。


穴を開けたのは、もう3週間も前のこと、断熱材を敷いているときに開けました。


私はこういう作業が好きではないのですが、夫は全然厭いません。気軽に開けてくれました。
何層にもなってい野地板や垂木など、すべてを切り取って箱を収めます。


防水シートを敷くまではこの箱を留めることができなかったのですが、これで固定することができます。


これからは、毎日シートをかけて、防水シートが雨に当たらないようにしなくてはならないので、その時間を見て作業を終えなくてはなりません。


さて、夫は屋根の収まりをやっています。


ただでさえ、いろいろなものがぶつかるところは雨仕舞いも、形の収め方も大変ですが、今回は棟でガルバリウムと瓦屋根が出逢います。いったいどうなるのか、瓦屋根がガルバリウムの上に少しかかってくるようですが。


今週は、曇りがちの日が続くようです。雨さえ降らなければ作業できますが、雨だと滑りやすいので、作業はお休みです。

さて、建設業界では木材の値段が半年で1.5倍になった、ウッドショックなるものが起きています。
外国の材に頼っているので当然の帰結ですが、限りのある材木を世界中で奪い合っているので、値段が高騰しているというわけです。
我が家は国産材を使い、しかも材木屋さんのセールのときに必要な材はほぼ買っていたので、ほとんど影響はありませんが、先日、夫が破風板にするために杉の足場板(240×45×4000ミリ)を1枚買いに行ったら、これまで約1700円だったものが、約2500円に値上がりしていたそうです。
国産材にも、もちろん影響が出ているし、材木屋さんには在庫が少なくなって、わりと閑散としているとのことでした。




 

2021年6月26日土曜日

一筋


「この鍋、漏ってるよ」
と夫。
煮物をしているとき、ガス台に何度か水がこぼれていて、
「おかしいなぁ?」
と、前にも調べたことがあったのです。


でも、その時は、1枚板を立ち上げた構造、水が漏れるなんてないよなと思い、そのままにしていました。
「ほら」
と、夫が鍋に水を入れて調理台に置くと、確かにぽたぽたと水が出てきます。


「これだ!」
持ち手を留めたところに小さな穴ができて、そこから漏っているのです。すっきりした持ち手が気に入っているのですが、外からくっつけただけでなく、中まで通して留めていたのに、今まで気づきませんでした。
「もうダメかしらね」
「あぁ、ダメだよ」
35年も使っているのだから仕方ない、同じものを買い替えるかとネットで見ると、もうどこにも売っていません。しかも、EVA-TRIOはEVA-SOLOという会社に吸収されたみたいで、EVA-SOLOはしばらくはEVA-TRIOのお鍋もつくっていたけれど、それもやめてしまったようです。

3年前には蓋が壊れて、新しいものを買っています。3年前にはまだ手に入ったのに、もう手に入らなくなったのです。


途方にくれましたが、考えてみれば、誰かに外からか中からか、穴のところにちょっとステンレスを盛ってもらえばいいのです。いまどき、お鍋の修理屋さんはいません。でも、作家さんがいます。確か、お隣のくみさんのお友だちにステンレス作家さんがいると聞いていました。
いつか、なんとか頼み込むことにします。


蓋の持ち手が壊れても、お鍋に穴が開いても、相変わらず私はEVA-TRIO一筋です。





 

2021年6月24日木曜日

赤ベコ

我が家の郷土玩具たちはみんな、飾られています。箱に入れてしまわれたりしていません。
しかも、何度も引っ越しをしたし、海外にまで旅をした人形たちもいるし、中には傷んで、壊れてなくなってしまったものもあります。
とくに紙でできているものは傷みやすい。たくさんあった凧は、今一つも残っていません。張り子や、紙でできた人形も、壊れやすいものです。


牛若丸、弁慶、風車。これらはみんなあったけれど、みんななくなりました。

亀戸天神で売られている船戸張り子は、藤娘は残っていますが、傘のお化けは残っていません。江戸おもちゃの「ずぼんぼ」や「とんだりはねたり」もいくつかありましたが、もうありません。


松江の姉さまや、鳥取の流しびなは、二代目だったり三代目だったりします。


栃木のきぶなに至っては、四代目くらいです。

さて、学生時代に東北を旅したとき、小さめの赤ベコを手に入れましたが、首を吊るすところが壊れたのか、湿気でペコペコになってしまったのか、ここに来て、荷物を解いたときにはなくなっていました。
赤ベコは骨董市でもよく見かけるのですが、欲しい気持ちになったことはありませんでした。それが先日おもちゃ骨董のさわださんが、店先に4頭ほど並べていて、その中の一番小さい赤ベコが、昔持っていた赤ベコと雰囲気が似ている気がして、いただいてきました。


一口に赤ベコといっても、形も違えば表情も違います。
店頭に並んでいた4匹の赤ベコも、角ばっているのや荷物を運んでいる赤ベコなどいて、鼻も目も、それぞれ違っていました。


なんか、久しぶりに懐かしい赤ベコと出逢えて、嬉しくなってしまいました。


土の赤ベコにお仲間ができました。
土の赤ベコをいただいた当時は、原発事故からまだ間もないころ、郡山にある三代続いたお店を閉めて、別の土地で暮らしていくことも考えていらっしゃったご一家でしたが、今は元の地で元気に暮らしていらっしゃいます。


そうそう、今年は丑年でした。もう、すっかり忘れていました。









2021年6月23日水曜日

みやこ染

1950年代にイギリスで初めてつくられた化学染料は、その手軽さと発色の鮮やかさから、19世紀末には世界中で使われるようになりました。
日本では、1890年(明治23年)に東京日本橋の桂屋が、染色工場向けではなく一般家庭向けの化学染料「みやこ染」を発売しました。古い毛糸を染めたり、古い着物を染めたりできる家庭染料はたちまち普及、桂屋の成功を見て、以後、中小たくさんの家庭向け染料が発売されました。
家庭染料黄金時代は、戦後の昭和30年ごろまで続きました。


そんな、家庭染料のパイオニアであり最大手の、みやこ染の箱です。


運搬に不可欠だったボール紙の箱。もしかしたら使い捨てではなく、通し箱として何度も使われていたのかもしれません。


というのも、蓋がホッチキスではなく、鉄の鋲で留めてあるからです。


ボール紙の箱に入れられていたのは、広口ビンの酸性染料だったのでしょう。
桂屋は、昭和21年に、ラベルを右からの横書きから、左からの横書きに替えています。ゆえに、このビンたちは戦前のものですが、右側のラベルは、ラベルを縁取る白線の内側の唐草模様がありません。
外側に貼るラベルには唐草模様がないけれど、ビンに貼ったラベルには唐草模様があったのかどうか、包装を解いて調べたいところですが、外側を包んでいたセロファンは硬化して、ところどころ剥げていてもろく、固く巻いてある説明書を抜き取ったら崩れてしまいそうなので、取ってみる決心がなかなかつきませんでした。


と言いながらも、外してみました。
セロファンはばらばらになるし、説明書の一部もビンに貼りついて破れてしまいました。



やっぱり、ビンに貼られていたラベルには唐草模様がありました。外のラベルは、「みやこ染」という字を精一杯大きく見せるために、唐草模様を省いたのかもしれません。


それを証拠立てるように、みやこ染を選ぶようにとの注意書きが、外からでも見えるところに書いてありました。セロファンが変色していたので、外してみるまではよく見えませんでしたが。


桂屋では、各種用途に応じた染料や、染めものをするとき必要なものなど、いろいろな商品を商っていたことがわかります。
値段からも年代がわかりそうですが、染料は30銭ほど、昭和のはじめごろでしょうか?


こちらは、植物性繊維も染めることができる、直接染料です。


ラベルのない直接染料のビンは、縦書きのエンボスと横書きのエンボスのあるものを持っていますが、これは普通サイズのビンで、上のラベルつきはちょっと大きいビンです。


といっても、ほんの少し背が高いだけですが。


口が小さい、コルク栓のビンです。


これは、上の写真のビンと同じ形のビンですが、ラベルは上の2つのビンのラベルと違い、真ん中にロゴの灯台を配して、左右に情報が縦書きで書かれています。


発売当初は消費者が中身を知る必要があったので、ラベルに最低限の情報が書いてあったのでしょう。それが、みやこ染が世に浸透してくると、能書きより、数ある家庭染料の中からみやこ染を選んでもらうことの方がプライオリティーが高くなり、「みやこ染」という字を大きくして目立たせたのではないかと推測されます。
また、発売当初はコルク栓が使われたけれど、やがてガラスビンと金属の蓋とをねじ式に加工することが可能になり、より使いやすい広口ビンに移ったものだと思っていましたが、ちょっとわからなくなりました。

桂屋のブログより

というのは、桂屋のブログに、私が「古いタイプのラベル」と思ったものが、「新しいビン」と思っていた広口ビンに貼られていた(黒いラベルのもの)からです。2つのビンが並行して売られていた時期があったのでしょうか?
ところで、この写真のコルクビンのラベルと広口ビンのラベルは、大きさは違います。ということは、左から2つ目の灯台が真ん中にあるラベルは、広口ビンのためにつくられたものということができます。
このことから、2つの形のビンが並行して売られていた時期があったのかもしれないということが想像されますが、それでは3つ上の写真のコルク栓のビンに貼られた、新しいラベルに、疑問が残ります。
あぁ、すっきりしない!
ちなみに、桂屋は関東大震災と東京大空襲ですべての資料を失っているので、何もわからないそうです。上の、左から古い順に並んだみやこ染のビンの写真も、たぶんmaicaさんが桂屋に送った写真だったと思います。


みやこ染はこのように、1箱に12本ずつ詰められていたと思われます。
「みやこ染探偵団」の細腕探偵として、遊んでしまいました。