2021年6月7日月曜日

水車のお皿


骨董市で、まことさんの店に、水車小屋の絵の描いてあるお皿がありました。
伊万里ではなく新し目のお皿、薄手で、有田焼に見えました。大正から昭和の初めごろのものでしょうか。


それでも、すべて手描き、今よくある手書き風に見えるけれどプリント、というものではありません。水車模様は初見、使いやすそうな大きさだし、安かったら1枚か2枚買おうと、値段を訊いてみました。
「1枚200円」
「あっ、そう」
300円だったらたぶん2枚だけ買っただろうけれど、200円と言われれば、5枚は買うでしょう。家にはお皿があふれていますが、それとこれは別、まことさんのお連れ合いからは、いつも缶入りクッキーなどいただいているので、1000円でも申し訳ない気分です。
お皿を5枚包みはじめたまことさん、あと3枚残っているのを見て、
「これも、持って行って」
と残りも包んでくれて、結局8枚いただいてしまいました。


うぉぉぉ!どうするんだ。
そうでなくても多すぎて、なかなか出番のない皿小鉢があるというのに、一挙にまた増えてしまいました。


以前、やはりまことさんから買った14枚で500円のお皿、食器棚に収まらないこともあって調理台の上に置きっぱなしにしているのですが、取り皿にも、スイカを乗せるにも、冷凍シュウマイなどをちょっと蒸したり、レンジでチンするにも超便利で、出番のない日がありません。少々飽きていますがとにかく丈夫、頻繁に使っているお皿に限って、欠けもしません。
もし水車のお皿も調理台の上に置きっぱなしにしたら、今後はなます皿や小鉢を出す必要がなくなって、この2種類でほぼ行けてしまいそうです。


買ってきた日の夜、サラダを食卓に運ぶと、買ったばかりのお皿が食卓に出してありました。
「あれっ、これでは無理でしょう」
「大丈夫」
夫は、靴やシャツを買ったときでも、店ですぐ新しいのを履いたり着たりしたがる、新しいもの好きです。


「深さのあるなます皿の方がいいよ。それと小皿」
「これで大丈夫。珍しいから」
というわけで、無理やりこのお皿だけで食べました。ザワークラウトの方はともかく、トマトはほぼ大皿からそのまま口へといきました。
ちなみに、トマトの上に乗っているのは、「ちょっと固くなっているけれど」ともらったルッコラ、小さく刻んだら、美味しく食べられました。


水車、茅葺きの水車小屋、その脇の松や竹も雰囲気が出ています。
しかし、遠くにいる人は何をしているのでしょう?
太鼓橋を渡っているなら、長い持ちものが何かということになります。また、これが橋ではなく舟の舳先で、竿を持った船頭さんが漕いでいると見れば、舟は岩に阻まれて動けなくなりそうです。






4 件のコメント:

karat さんのコメント...

 とってもちょうどいいサイズのお皿ですね。箸も置けるし…。値段もお手ごろだし。
その骨董市の話題が出るたびに行ってみたくなりますが、ただでさえ遠いところに、このコロナ騒ぎで、電車なんか1年以上乗っていません。(働いていないから、高齢者は家とその近辺でじっとしています)(^^;)。
世田谷のボロ市も中止になっていました。
 
お皿の人物、ぱっと見は橋に腰かけて月か飛ぶ鳥を指さしているようにみえたのですが…、手前の水車の遠近感から言っても雰囲気から言ってもあり得ませんね。(^^;)
 橋を渡る人なら、持っているのは薙刀か弓?
船頭さんの方がぴったりくるか?しかし船が不自然…。何か「なぞ」ですね。(笑)

af さんのコメント...

橋を渡ってるように見えました。
昔おばあちゃんに、水路に渡した板を歩かされて、怖い怖いと言ったら、長い棒を渡されてバランスを取りなさいと言われた気がします。違うかな…。

さんのコメント...

karatさん
あまり人が集まると骨董市なら開けないと思いますが、ほどほどの人数なので、開かれているのでしょう。お店の数も少なくて、疲れないで見て回れるほどの広さというのも、散歩がてらでいいのだと思います。
値段が、手ごろですよね。それを買った後は、1枚1000円のお皿でも高く思えましたもの(笑)。
月に2回開催されていますが、第3日曜には、ものすごく素敵な品揃えの器中心の店が出ます。私は、「目の保養をさせてね」と言って見せてもらうだけですが、それも楽しいです。
以前からあるお皿の方、これを契機にしまってしまおうかと思いましたが、何せ手ごろで便利、いまだに使っています(笑)。

さんのコメント...

akemifさん
私も最初は橋としか見ていませんでした。でも棒が気にかかって(笑)。
橋を渡るとき長い棒でバランスをとるって、面白いですね。私もバランス棒を使いたかった。サラワクで丸木橋を渡らなくてはならなかったとき、全部先住民の方に手を引いてもらって渡りました(笑)。

当時は、手本にした絵があったのでしょう。それを、さっささっさと毎日絵つけしていくので、どこかで崩れて、それを写す人が出てきてまた崩れて、そんな感じだったのでしょうね。