2026年9月2日水曜日

鞍馬寺の阿吽の虎

郷土玩具は、民間信仰と深く結びついています。
「玩具」と呼ばれていますが、単に子どもが持って遊ぶおもちゃというより、安産、子どもの成長、病気平癒など、いろいろな信仰や祈願を込めたものの方が多いのです。
節句飾りのように、「人形」と呼ぶこともできますが、人形は「ひとがた」由来なのですべてのものに使えるわけではない、呼び方は難しいものです。 
純粋におもちゃに見える土笛も、土を舐めることで疳の虫(かんのむし、乳幼児が理由もなく激しく泣いたり、夜泣きや癇癪(かんしゃく)を起こしたりする状態の俗称)を抑えるものであったり、身近な鈴やでんでん太鼓は、音を出して祈願や魔除けをするなど意味があります。

さて、水戸に住んでいらっしゃった片山龍男さんは、鞍馬寺の阿吽の虎を手にしたことから郷土玩具収集をはじめられたとのことでした。私自身は阿吽の虎に思い入れはありませんでしたが、一人の学生が下駄履きで歩いて鞍馬山まで行って、張子の虎に出逢ったという物語を知ると、ちょっと興味が湧いてきます。


『日本郷土玩具辞典』(西沢笛畝著、岩崎美術社、1964年)を見ると、
「鞍馬寺の本尊の多聞天、すなわち毘沙門天にちなんで昔から土焼きの虎を売っている。その他宝塔を背負った虎や竹の柄にさした虎の首人形などがあり、大正時代に一刀彫式の木彫の虎に彩色したものも売られた」
と書いてあり、片山さんが出逢ったという張子の虎についての記述はありません。
片山さんは1909年生まれ、当時の学生が何歳ごろなのかわかりませんが、16歳から20歳くらいとすると、片山さんが学生だったのは大正末期から昭和にかけてにあたります。


全国の郷土玩具一覧』の『京都府の玩具』を見ると、
「鞍馬寺の本殿前には阿吽(あうん)の虎が置かれていて、山科毘沙門堂には虎の張子面があったが廃絶し、かわりに小さな首振りの虎が授与されている」
と書かれています。まさしく片山さんの手にした、阿吽の虎でしょうか? それともただの首振り虎でしょうか?

ところが、現在の時点でですが、山科毘沙門堂の授与品を検索しても阿吽の虎などは授与されてなくて、かたや鞍馬寺の授与品には、土焼きの阿吽の虎や2匹がくっついた虎土鈴、絵馬などがあります。鞍馬寺は左京区鞍馬本町にあり、山科毘沙門堂は京都市山科区安朱山科稲荷町にありその距離20キロ。片山さんが間違えるはずもなく、私の頭にははてながいっぱい残ってしまいました。


土焼きの阿吽の虎です。


わりと大ぶりで重さもある阿吽の虎は、元々土づくりのものだったというより、木取りをするのに適した形、木彫だったものを土焼きにした感じが強くします。


鞍馬寺では古くから一番上の写真の土焼きの虎が授与されていて、大正時代に木彫りの阿吽の虎が加わった。しかし木彫りで量産は難しい。続かなくなって、一時、山科毘沙門堂の張子の虎をつくっていた方を毘沙門つながりで教えてもらって、つくって置いた。でもそれも何らかの理由でなくなり、木彫りで人気があった阿吽の虎を土焼きでつくることになった。

勝手に、そんな妄想をしてみたりしています。
知らんけど。







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