2025年3月30日日曜日

八郷の三大変化

八郷に住んで早24年目、私の人生でもっとも長く住んだ場所となりました。
この20数年、八郷にもいろいろ変化がありました。

目に見える変化は、茅葺き屋根の家がいくつもなくなったことです。

国指定重要文化財佐久良東雄旧宅

今でも茅葺き屋根で頑張っている家もありますが、数えるほどになりました。
かつて、茅の屋根はどのくらいの期間で葺き替えたのか、囲炉裏で火を焚いて常に煙でいぶしていた時代には、茅は乾燥し、虫もつかず20年、あるいは30年も持ったかもしれませんが、家の気密性が上がり、囲炉裏もない今では、葺き替えて2年もすると北側の屋根には苔や草が生え始め、10年もすればあちこち傷んで、放っておけば雨漏りしたりするようになります。
そして、葺き替えようとすると、茅を探すのも刈るのも運ぶのも大仕事、葺き替えのときには、かつてはあった近隣の人たちの助けもありません。
茅葺き屋根保存会が活躍してはいますが、葺き替えは高いものについてしまうので、瓦葺きの家に建て替える人が多く、茅葺き屋根の家はめっきり減ってしまいました。


文化財登録をすると、残すことはできるのですが、住む人は部分的な改築ができず、子や孫に不自由な思いはさせたくないと、壊す方を選ぶのが通常です。
瓦葺きの家も、伝統的なつくりの家は豪壮で見ごたえのあるものですが、それもこの辺りの人たちが文化住宅と呼ぶ、ハウスメーカーの建てる家に建て替えられることが増えてきました。古い世代の人にとっては、りっぱな家を建てることが悲願でしたが、若い人たちは住みやすさを選びます。
最近も築地塀横丁の長屋門のある家で母屋を建て替えて、片流れのモダンな家が建ったのを見て、
「素敵な家ができましたね」
と声をかけたら、
「なに、息子が建てているのだから」
と、長老が恥ずかしそうにつぶやいていました。

さて、すっかり消滅してしまったのは、自宅で執り行うお葬式です。20数年前は、どの家も自宅でお葬式をしていました。


八郷のお葬式の写真がないので、似た写真を、「キヌブログ!」からお借りしました。
家の周りに造花の花輪が10本も20本も立ち並び、同じ集落の人は、1軒から1人以上、必ず3日間は亡くなった人の家に出向いて手伝わなくてはなりません。面識がない人が亡くなったからと手伝いに行かないことは許されず、男性の仕事と女性の仕事両方があり、勤めている人は勤務を休んで手伝わなくてはなりませんでした。
私たちが引っ越ししてきたとき、集落とどうつき合うかお隣のひろいちさんに相談した時、互助組織である「組」に参加するなら、つき合いはすべて参加すること、決してお葬式の義務を怠ってはならないし、それができないくらいなら組に入らない方がいいとの助言を受け、結果「組」には入りませんでした。近所に「組」に入った先輩移住者のYさんが住んでいて、お葬式の手伝いに現れないことがあり、村の人たちはいらいらして、しかしYさんに直接文句を言うことはせず、いつもひろいちさんに伝言を頼み、それが度重なり、ひろいちさんはほとほと弱っていたのです。
お葬式は15年くらい前からか、町のセレモニーホールで行われるようになり、それにしたがって、集落の人々の3日間手伝いも消滅してしまいました。


このところ、路上で軽トラックとすれ違う時「おやっ」っと思うのは、女性(おばちゃん)ドライバーが急増していることです。以前は軽トラックを運転しているのはほとんど男性でした。それに冷房がないので、夏にはみんな窓を開けて走っていました。
おそらく、2021年にスズキキャリーがオートマ車を発売したことで、女性ドライバーが一気に増えたものと思われます。窓を開けて走っている軽トラックもあまり見なくなりました。かつて白一色だった軽トラック、今ではシルバーカラーも普及、そのうちカラフルになるかもしれません。





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