ガラスではなく磁器でできた、みやこ染の染料ビンです。
第二次世界大戦中、兵器をつくる金属が足りなくて、金属製品の製造が厳しく制限され、製造されないだけでなく、家庭の鍋釜まで「供出」という名目で、地金として取り上げられました。そして、代用陶器と呼ばれる製品が数々つくられました。
家庭で使う鍋、釜、朝顔型ガス台などが、金属ではなく陶磁器でつくられたのはわかりますが、もともとガラスでつくられていた化粧品のビンや染料のビンまで陶磁器に変わったのはなぜなのでしょう?
ガラスの方が、陶磁器より高温で焼成しなくてはならないにしても、陶磁器の窯を焚くのとたいして違わないし、すでにあちこちに設備が整っていたことを考えると、今一つ理解できません。
日本人は同調意識の高い民族ですから、金属が不足している状況を見て、化粧ビンや染料ビンをガラスではなく代用陶器にすることで、世間に対して「戦争に協力しています」「はみ出してはいませんよ」という意思表示をしたのでしょうか?
本当に倹約するつもりなら、化粧はしなくても死なないし、染めものもしなくても生きていける、どんな色の布や毛糸でもそのまま使えばよかったのです。
どんな理由があったか知らないので、私なりに勝手に背景を想像してみましたが、ガラスを陶磁器にする確たる理由も、もしかしたらあったのかもしれません。
私の母は1944年の冬、赤いコートを着て横須賀の街を歩いていて、『朝日新聞』にフォーカスされて、「この戦時下に赤いコートを着ている非国民」という見出しとともに、後姿の写真を新聞に載せられてしまったそうです。
その赤いコートを母から譲り受けたとき、
「戦時下で結婚のための着物を準備するのにも限界がある中で、お茶の先生をしていた叔母が東奔西走して集めてくれた着物で、コートは赤いのしかなかったのよね」
と、ちょっと憤慨しながら話してくれたものです。この赤いコートも、お納戸色で染めたら国防色になっていたに違いありません。
染料ビンは、いろいろなことを見てきたに違いありません。
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