2020年1月5日日曜日

正月の荒仕事

今年はお正月休みが、一日もありませんでした。
夫は元日から待ちきれず鉄骨作業を開始しました。二日には益子とひたちなかに行きましたが、その日も出かけるまで作業していました。
そして、三日からは私も遅まきながら(?)、霜を踏み踏み、本格的に鉄骨作業を開始しました。


テラスから北へと階段がつきますが、その受けの部分です。
コンクリートに埋め込んだネジが、地面に近いので錆びついていて、ボルトで留めるのは一苦労だったようでした。しかし、我が家にはなんと、ボルトの目立てをする道具まであるのです。
写真左上の、テラスで使う椅子やテーブルを収納するボックスは、年を越してから所定の場所に設置しました。


階段はこんな具合です。


十数年前に松の木でつくった階段は、あまり使わないうちに腐ってしまいました。
今度はしっかりとできそうです。


私はしこしこと、余りの鉄骨を切って穴を開けて、梁に履かせる「下駄」をつくりました。
居間から出たところは、テラスより一段高くなっています。その場所の梁は、鉄屋さんで切ってもらった鉄骨の余りを使うので、ちょっと幅(この場合は高さ)が足りないので、「下駄」を履かせるのです。
設置してから念のため、夫を呼びます。
「高さを見て!」
「あれっ、ちょっと待てよ。低かったかもしれない」
  

「えぇっ、やり直し?」
仕方ない、穴も開けてペンキも塗ったのに、もう15ミリ高い「下駄」をつくり直します。


「今度はどうよ?」
「あっいけねぇ。ごめん、あの高さでよかった。勘違いした」
なんだなんだ、地面に転がっていたため霜で泥んこになった鉄骨の切れ端からつくったものは、無駄になってしまいました。


結局元の「下駄」を履かせ、こんな感じで、居間からの出口の梁を高くしました。


テラスの梁は、階段を除いてほぼできてきました。
階段は、斜めに切った鉄骨をボルトで留めてから、踏み板を乗せるためのL字アングルを取りつけます。


角度が直角でなくなると、頭も腕もすぐ混乱してしまう私は、階段の制作に参入するのはよして、そろそろ、床板の加工に取り掛かろうと思っています。
買ってあるヒノキは、幅も厚みも一定ではありません。幅や厚みを揃えるのは、枚数があるので、ちょっと時間がかかりそうです。


さて、今日は日曜日。いいお天気です。
日曜日は外での作業は休むことにしていますが、夫は止めるのも聞かず、作業着に着替えて飛び出しました。12月最後の日曜に次いで、1月最初の日曜も鉄筋仕事です。一度火がついたら、まっしぐらです。
私はどうしようかなぁ。
お天気はいいし、やっぱり外に出ることにします。






2020年1月4日土曜日

美しかった生活

毎日の生活は昨日の繰り返しにすぎません。
1年、2年単位ではその違いがあまり見えませんが、5年、10年のスパンで振り返ると、とんでもなく違った生活になっているのに気づくことがあります。
ICの開発と普及は、21世紀になって世界中の人々の生活を劇的に変えてしまいましたが、1960年代、日本でいえば高度経済成長期の生活変化にもすさまじいものがありました。
何百年も遅々として変わりのなかった日々の生活が、短期間に激変したのです。

九州北部、炭焼き窯

お正月に、ブログ友の昭ちゃんが、炭焼き小屋の写真を送ってくださいました。
昭ちゃんのお連れ合いは炭焼きさんの娘さん、そのご両親は谷川に近くに、沢の石を拾って石焼き窯を築いて、あたりの雑木を切り出して炭にする、炭焼きを生業にしていらっしゃいました。
雑木を切りつくしたら、また別の土地に移り、そこに窯を築いて炭を焼くという繰り返しだったようでした。
戦前、戦中、戦後は1960年代くらいまでのことと思われます。

さて、高度経済成長期に失われてしまった生活文化を知る書物はいろいろありますが、我が家には、生活を写真で残した本があります。『写真で見る日本生活図引』(須藤功編、弘文堂、1994年)のシリーズです。
その本の中に、炭焼き生活の写真があるかしらと見てみましたが、残念ながら見つかりませんでした。

 

『写真で見る日本生活図引』は、全部で9冊組です。
私はそのうちの、縮小版5冊、『たがやす』、『とる・はこぶ』、『あきなう』、『すまう』、『つどう』しか持っていないので、もしかしたら私の持ってない本に、炭焼きが載っているのかもしれません。
しかし、持っていないのは、『まち』、『たたずまい』、『わざ』、別巻『村の一年』なので、どれにも炭焼きが載っていない可能性もあります。
もし載っているとしたら、『わざ』でしょうか?

炭焼きだけでなく、どの村にもあった瓦焼きや、鍛冶屋などの写真もありませんでした。
がっかりしながらも、この本を久しぶりに見直したのですが、炭焼きの載っていない不満はすぐ忘れて、これらの写真に見る、生活の隅々までの美しさにほれぼれしてしまいました。
ということで、炭焼きのことはいったん置いておいて、『写真で見る日本生活図引』の中の第1巻、『たがやす』の中から、その素敵な写真をご紹介してみようと思います。

肥だし、秋田県仙北郡、1960年

当時は、今と比べると貧しく、労働はきつかっただろうと思うものの、きつい労働によって得られる喜びも今とは比べものにならないほど大きかったのではないか、写真で見る人々の顔は、どれも喜びに満ちています。

代掻き、岩手県岩手郡、1957年

柄振押し、秋田県湯沢市、1961年

田植え、岩手県二戸市、1957年

田植えは、地域によっていろいろな形がありました。

湿田の田植え、山形県赤湯市、1958年

湿田に冬のあいだ、山から土を運んで入れている映画を見たことがありますが、土を入れても入れても改善されず、中には胸までつかるような湿田もありました。
田下駄を履かないと田植えができないほどではなくても、膝まで埋もれるような湿田は全国に多く、私も成田で、田植えの手伝いに行ったら足が抜けなくて、これが本当の足手まとい、手伝いどころではなかった経験があります。

田植えの少年、秋田県湯沢市、1963年

小中学校には農繁休みがあり、田植え、稲刈りには小学生も大きな戦力でした。

たばこ、秋田県湯沢市、1959年

「たばこ」とか、「いっぷく」は、たばこは吸わなくても休憩の意味でした。

一仕事終えて、秋田県湯沢市、1958年

それにしても、早乙女たちのいでたちの美しさに感動です。ひざ下は濡れているというのに、ものともしていません。

水揚げ、秋田県横手市、1958年

稲が育つ時期、田んぼに用水路から水を入れるための水車を踏むのは、おもに子どもの仕事でした。
最初は水の抵抗がないので空回りするので、支えにしっかりと捕まって落ちないようにしなくてはなりませんが、水を揚げはじめたら楽なもの、ぼんやり景色を眺めたり考えごとをしたりしながら踏んでも、水はどんどん田に広がっていきます。

秋の稲田、秋田県湯沢市、1960年

刈り取った稲を干したあと、脱穀、籾摺りと続き、稲わらは俵、むしろなどいろいろなものに加工されます。

豆うち、新潟県南魚沼郡、1955年

『たがやす』には、田んぼだけでなく畑や焼き畑、蕎麦、麦、稗、大豆、馬鈴薯、除虫菊、三椏などの栽培の写真も載っていましたが、ついつい、もっともなじみの深い稲作の四季を追っていたら長くなってしまったので、このへんでやめます。






2020年1月3日金曜日

令和の招き猫展

1月2日は、毎年恒例の益子のもえぎの「招き猫展」に行きました。
いつもよりちょっと早く、開店時間と同時くらいに到着しましたが、店の外に行列ができているので、びっくりしました。
待つほどもなく開店、番号が読み上げられて、50番くらいまで、札を持った人が順に入っていきます。で、50数番のあとは、札は配られてなかったようで、順次お入りくださいとのことでした。
いったい、何時ごろから並んでいたのでしょう?

今年の招き猫展で、私には目当てがありました。
この数年、招き猫展に行っても見るだけで買わなかったりしていましたが、今年は松本浩子さんの猫を買うと決めて行ったのです。


入ったときは、すでにレジには、目当ての猫を手にした人の長い列ができていました。


松本さんの猫の売り場は、ちょっと探してしまいました。人が多いし、場所がレジ待ちの人の列に隠れたところだったのです。
目当ての猫を手に持ってから、改めて全体をめぐりました。


それにしても、招き猫はいよいよ人気になっているのでしょうか?それとも、招き猫ではなくて猫人気なのでしょうか?
巷の猫人気はすごいと聞いていますが、老若男女がいました。


かわいい猫、ふてくされた猫、繊細な猫、かっこいい猫、いろいろな猫がいました。


3階から、ふと吹き抜けの2階を見下ろして、なぜこんなに混雑しているのか、合点がいきました。
かとうゆみさんが出展していて、ご本人もいらっしゃっていたのです。
ゆみさんの作品が並んでいたとみられるテーブルの上は、開店から間もないというのに、すでに空っぽでした。


奥に見える階段までレジ待ちの列が伸びていますが、私もこの後ろに並んだあと、ずっとゆみさんが見えました。「招き猫展」のレジは、包装も手間取るし、間違えないようにするためか手書きで記録しているので、三人がかりなのにえらく時間がかかるのです。
ゆみさんの前には、色紙やら、すでにレジを済ませた作品やらが次々と持ち込まれ、それにいちいちサインしています。その人波はしばらく途切れることはありませんでした。
「ここに出展されることを、つい最近知ってきました。よかったぁ」
などという、感動の声も聞こえてきました。

陶器市などではすぐに売れてしまうゆみさんの動物たちですが、昨年の「招き猫展」では、出展されることがファンに知られてなかったのか、売り切れてはいませんでした。
しかし、昨年の春だったか、もえぎで個展があったときはあっという間になくなっていましたから、お店としても、ゆみさんの人気を利用しない手はないと思って、今年は宣伝したのかもしれません。
  

さて、私が手に入れた猫です。
働き者の町娘猫といったところでしょうか。


そして、干支のネズミです。


ネズミは全部で5匹いて、全部いればもっと楽しいのにと思いましたがそうはいかず、1匹だけいただいてきました。


レジに並んでいる間に見ていると、ネズミがあと2匹、ご夫婦に引き取られて行きました。


こちらは、松本浩子さんのSNSに掲載されていた「はちわれ猫」です。
かわいいなぁ、賢そうだなぁ。


もちろん、我が家の三毛猫とネズミもかわいいです。







2020年1月2日木曜日

五子十童圖

歌川貞景絵

江戸時代の浮世絵、五子十童圖です。
頭は5人、手足も5人分ですが、腹掛けを見ると10人分、見方によっては10人に見えるだまし絵です。

歌川芳虎絵

五子十童圖は江戸市民に好まれていたのか、いろいろな絵師によって描かれました。


五子十童圖は日本固有のものではなく、中国の連生貴子圖を真似たものです。


では、連生貴子圖(五子十童圖)は中国で生まれた絵かと言えばそうでもありません。

ボストン美術館所蔵品

どうやら、17世紀のペルシャ(現イラン)の「四頭の馬」が発端のようです。
その絵柄がヨーロッパや中国にもたらされ、各国で好みの絵柄で再生されたと考えられています。


こちらは、19世紀のイギリスのパズルカードです。

欠留人物更紗(あくびどめじんぶつさらさ)

しかし、文化が渡ってきては発酵した、どん詰まりの島国日本の、歌川国芳さんはすごい、14人の頭で35人に見えるだまし絵を描いています。








2020年1月1日水曜日

初春


土間入り口に、今年も干支人形を飾りました。


俵乗りネズミたち。
手前は名古屋土人形ですが、後ろの張り子はいったいどこの人形だったか、忘れてしまいました。


大小2匹のネズミは、伏見人形です。


そして、新しく加わったいまどきさんの今戸人形のネズミたち。


小さな小さな木彫りはタイのものです。


右のネズミの細い尻尾は、2013年3月の地震で棚から落ちて折れてしまいました。


ドラえもんも参加しています。


浅草助六の凧屋も飾りました。
夫の母が持っていたもの、凧の色は鮮やかに残っていますが、残念ながら、下屋の屋根の上の看板が失われています。


いつもの獅子舞たち。


明けましておめでとうございます。

追記:
hiyocoさんから飾り台のことを訊かれたので、検索してみたら見つかりました。


私も楽器としては、初めて見ました。
タイやバリ(?)で見た楽器は馬の蹄鉄形をしていましたが、この円筒形がつくりやすく、分解して運びやすいのかもしれません。