毎日の生活は昨日の繰り返しにすぎません。
1年、2年単位ではその違いがあまり見えませんが、5年、10年のスパンで振り返ると、とんでもなく違った生活になっているのに気づくことがあります。
ICの開発と普及は、21世紀になって世界中の人々の生活を劇的に変えてしまいましたが、1960年代、日本でいえば高度経済成長期の生活変化にもすさまじいものがありました。
何百年も遅々として変わりのなかった日々の生活が、短期間に激変したのです。
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| 九州北部、炭焼き窯 |
お正月に、ブログ友の昭ちゃんが、炭焼き小屋の写真を送ってくださいました。
昭ちゃんのお連れ合いは炭焼きさんの娘さん、そのご両親は谷川に近くに、沢の石を拾って石焼き窯を築いて、あたりの雑木を切り出して炭にする、炭焼きを生業にしていらっしゃいました。
雑木を切りつくしたら、また別の土地に移り、そこに窯を築いて炭を焼くという繰り返しだったようでした。
戦前、戦中、戦後は1960年代くらいまでのことと思われます。
さて、高度経済成長期に失われてしまった生活文化を知る書物はいろいろありますが、我が家には、生活を写真で残した本があります。『写真で見る日本生活図引』(須藤功編、弘文堂、1994年)のシリーズです。
その本の中に、炭焼き生活の写真があるかしらと見てみましたが、残念ながら見つかりませんでした。
『写真で見る日本生活図引』は、全部で9冊組です。
私はそのうちの、縮小版5冊、『たがやす』、『とる・はこぶ』、『あきなう』、『すまう』、『つどう』しか持っていないので、もしかしたら私の持ってない本に、炭焼きが載っているのかもしれません。
しかし、持っていないのは、『まち』、『たたずまい』、『わざ』、別巻『村の一年』なので、どれにも炭焼きが載っていない可能性もあります。
もし載っているとしたら、『わざ』でしょうか?
炭焼きだけでなく、どの村にもあった瓦焼きや、鍛冶屋などの写真もありませんでした。
がっかりしながらも、この本を久しぶりに見直したのですが、炭焼きの載っていない不満はすぐ忘れて、これらの写真に見る、生活の隅々までの美しさにほれぼれしてしまいました。
ということで、炭焼きのことはいったん置いておいて、『写真で見る日本生活図引』の中の第1巻、『たがやす』の中から、その素敵な写真をご紹介してみようと思います。
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| 肥だし、秋田県仙北郡、1960年 |
当時は、今と比べると貧しく、労働はきつかっただろうと思うものの、きつい労働によって得られる喜びも今とは比べものにならないほど大きかったのではないか、写真で見る人々の顔は、どれも喜びに満ちています。
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| 代掻き、岩手県岩手郡、1957年 |
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| 柄振押し、秋田県湯沢市、1961年 |
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| 田植え、岩手県二戸市、1957年 |
田植えは、地域によっていろいろな形がありました。
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| 湿田の田植え、山形県赤湯市、1958年 |
湿田に冬のあいだ、山から土を運んで入れている映画を見たことがありますが、土を入れても入れても改善されず、中には胸までつかるような湿田もありました。
田下駄を履かないと田植えができないほどではなくても、膝まで埋もれるような湿田は全国に多く、私も成田で、田植えの手伝いに行ったら足が抜けなくて、これが本当の足手まとい、手伝いどころではなかった経験があります。
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| 田植えの少年、秋田県湯沢市、1963年 |
小中学校には農繁休みがあり、田植え、稲刈りには小学生も大きな戦力でした。
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| たばこ、秋田県湯沢市、1959年 |
「たばこ」とか、「いっぷく」は、たばこは吸わなくても休憩の意味でした。
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| 一仕事終えて、秋田県湯沢市、1958年 |
それにしても、早乙女たちのいでたちの美しさに感動です。ひざ下は濡れているというのに、ものともしていません。
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| 水揚げ、秋田県横手市、1958年 |
稲が育つ時期、田んぼに用水路から水を入れるための水車を踏むのは、おもに子どもの仕事でした。
最初は水の抵抗がないので空回りするので、支えにしっかりと捕まって落ちないようにしなくてはなりませんが、水を揚げはじめたら楽なもの、ぼんやり景色を眺めたり考えごとをしたりしながら踏んでも、水はどんどん田に広がっていきます。
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| 秋の稲田、秋田県湯沢市、1960年 |
刈り取った稲を干したあと、脱穀、籾摺りと続き、稲わらは俵、むしろなどいろいろなものに加工されます。
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| 豆うち、新潟県南魚沼郡、1955年 |
『たがやす』には、田んぼだけでなく畑や焼き畑、蕎麦、麦、稗、大豆、馬鈴薯、除虫菊、三椏などの栽培の写真も載っていましたが、ついつい、もっともなじみの深い稲作の四季を追っていたら長くなってしまったので、このへんでやめます。