2019年2月12日火曜日

ちょっと古いビルマ

壊れかけた段ボール箱に入れられて、半雨ざらしになっていたスライドケースの中に、1981年にビルマに行ったときのスライド写真が入っていました。38年前のものだから古びているうえに、管理も悪く、あまりきれいな色ではありませんが、興味深いことに変わりはありません。
コンピュータに取り入れてみました。


私は、当時は家族とタイに住んでいましたが、難民救援のためにタイに来ていたTさんたち三人が、タイのビザを延長するためにいったん国外に出なくてはならなくてビルマを選んだとき、同行させてもらいました。
当時、ビルマは半鎖国状態でしたが、外貨獲得のために、外国人観光客を毎日何人か受け入れてはいました。滞在できるのは一週間だけ、行ける場所も限られていました。そして、どこへ行くのも観光局に届け出なくてはなりませんでした。
私たちは欲張って、ラングーンだけでなく、マンダレー、メイミョー、パガンと回ったのですが、なにもかも興味深く、楽しい旅でした。
どこでも、人々の人懐っこさと、若い人たちの学問への渇望が目立ちました。学校や先生が足りなくて、小学校も、午前午後の二部制になっていましたが、みんな嬉々として学校に通っていました。
当時タイには本屋はほとんどないし、誰も本には無関心、タイ人が本を読んでいる姿を見たことがないくらいでした。
ところがビルマでは読書熱が高く、どこででも読書をしている姿が見られました。列車に乗ると、車内で読む本を貸しに回る人がいて、たくさんの人が本を選んで借りていました。また、パガンの空港では、小さな飛行機にノズルで給油しながら本を読んでいる空港関係者がいました。


この男性も、ラングーンの道端に座って、漢方薬のようなものを売りながら、読書に余念がありませんでした。
商品の中にセンザンコウが見えます。


ビルマの町で素敵なのは、水飲み場がいっぱいあることでした。
素焼きのツボに水を入れると、気化熱で中の水が冷やされておいしくなりますが、街のあちこちにこんな水場スタンドがありました。
タイの田舎でも、家の前に素焼きの壺を置いて、道行く人がのどが渇いたときに飲めるようにしている家がありましたが、街では見たことがありませんでした。


路上で店を広げる行商人の商売道具は、どれもとても美しいものでした。
お蕎麦屋さんは、移動するときは漆塗りの箱に鍋や食器、炭や椅子まで収めて、これを担いでいきます。


豆売りの籠には、漆が塗ってあります。
計量升でもなさそうな、お金入れでもなさそうな素焼きの壺も素敵です。
漆を塗ると防水になるので、お汁粉のようなものをそのまま籠に入れている行商人もいました。


当時、ビルマの若い男性たちはみんな、ビンロウの実とプルーの葉、つまりキンマーと呼ばれる嗜好品を噛んでいました。
タイではすでに、年配の女性しか噛んでいなかったので、驚きでした。
彼はキンマー売り、プルーの葉に石灰を塗り、刻んだタバコやビンロウの実を巻いて道行く人に売ります。


プルーの葉は、市場でもたくさん売られていました。
キンマーは噛み続けていると口の中が赤く染まってしまってとれないという欠点があります。
今でも、ビルマの若い男性たちはキンマーを噛んでいるのでしょうか。それともおしゃれに気を配るあまり、やめてしまったでしょうか。


地方の町に行くと、あちこちで働いている子どもたちを目にしました。


中でも水くみは、毎日の重要な仕事です。
汗疹よけ(?)のタナカーを頬に塗った子どもたちがてきぱきと働く姿はかわいいものでした。


ラングーンの市場の焼きもの屋さんの店先です。
ままごと道具の写真も撮ったのに残念、ピントがぼけていました。しかも、ままごと道具は買ってきていない、私としたことがどうして買わなかったのでしょう?

この女性も、もしかしたら本を読んでいるのでしょうか?
ほかの国ならいざ知らず、ビルマだとあり得ます。今はきっと、みんなスマホを持っていることでしょう。


マンダレーの街角です。
当時はラングーンも含めて、第二次大戦以後に建てられた新しい建物は一つもありませんでしたが、それだけにどこも絵のようでした。







6 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

春姐さんは興味深々な話題が多く
視野が広いなー+
私のスライド歴も古く当時のマウント(フィルムを挟む部分)や
容器が紙製なので中蓋のあるお茶入れに保管してぃましたが
それでもカビが全体にでて上映できなくなりました。
なかなか鮮明ですよ。
 日本に戦後の状態が存在したのは
昭和24年ごろまででしょうか、
(ワイルド&ハングリー)だったです。
 所謂発展途上国も多種多様ですね。



さんのコメント...

昭ちゃん
うちのも、マウントの多くは紙製ですよ。
片付けしていて、ネガフィルムは見ないで捨てました。スライドも複製したのもあったりして、本気で片付けようとしたら、えらい時間がかかりそうなので、そのまま箱に戻して、手付かずです。
ラオス、カンボジア、ヴェトナム、ビルマ、中国など西側に門戸を開く前に垣間見ることができました。貴重な経験でした。と言っても、ビルマも中国もその後は全然見ていないのだけれど(笑)。

昭ちゃん さんのコメント...

 姐さん子供の頃読んだ本で
ビンロウジュをクチャクシャ噛んで処かまわづ
赤いつばを吐き出す描写が
ガム感覚なのですか。



さんのコメント...

昭ちゃん
赤いつばをペット吐き出したのを最初見たときは、てっきり結核で血を吐いているのだとびっくりしました。口の中だけでなくそこらじゅう赤くなりますからね。
ガム感覚というより、噛み煙草に近いのでしょうね。私はキンマーを噛んだことも、塩漬けのお茶の葉(ちょっと発酵している)も噛んだことがありますが、どっちも苦い、噛んでいるうちに病みつきになるのかもしれませんが、もう一回噛みたいというものではなかったです。まだお茶の葉の方がましだったかな。
でも、一番最初にアボカドを食べたときも、「何を好き好んでこんなものを食べるのか」と思いましたが、今では無性に食べたくなる時がありますから、もう少し修行すれば快感になるのでしょう(笑)。口の中が赤く染まらないといいのですがね。ばあちゃんたちがみんなで大口を開けて大笑いしたりすると不気味です(笑)。

昭ちゃん さんのコメント...

連想すれば田舎の高菜漬けでも同じですね、
最高にうまいけれど嫌いな人には
卒倒するような匂いですからね。(笑い)

さんのコメント...

昭ちゃん
匂いはそうありませんよ。まぁ、たばこを噛んだと思ってください。口の中が苦くなります。
しかし、キンマーは刻んだビンロウやたばこだけでなく石灰を食べる、ちょっと想像しにくいでしょう?誰が考え付いたものですか。その昔は大切なお客さんにまずキンマーを薦めるのが最高のおもてなしだったそうです。
まぁ、私だって小さいころは茅の新穂や松のヤドリギの実を大切に噛んでいましたから大きいことは言えませんが(笑)。