2019年2月23日土曜日

1981年の上海

先日、古いビルマのスライドが見つかりましたが、ネパールや中国の写真もありました。その中の上海の写真も少し、載せてみたいと思います。

1981年の夏に、夫の仕事について上海と北京に行きました。まだ人民服が目立つ時代で、どちらにも新しい建物はありませんでした。今はどうか、当時は移動が禁じられていましたが、それでも上海には人があふれていました。
娯楽も冷房もないなかで、川沿いの細長い公園は人々の憩いの場、夕方からは夕涼みにそぞろ歩く人で、埋め尽くされていました。


古いことで記憶も薄れかけていますが、この写真は、上海郊外の農家です。
上海の街の中心にも、平屋の家が立ち並ぶ路地などありましたが、いつもお目つけ役が目を光らせていて、ちょっとでも近づこうとすると両手を挙げて阻止されたので、たいした写真が残っていません。


お鍋の蓋を取ろうとしているのは、この家の主人ではなく、案内してくれた上海市のお役人だと思われます。
かまどをはじめとする調度品や、台所道具の数々は、もうもう、うっとりするものでした。
このあとで、この家でごちそうになったお料理の数々も、いつものように皿数が多すぎましたが、素晴らしいものでした。


道端の共同水場で洗いものをする男性。
この写真を見て初めて気がつきましたが。左後ろの女の子はおしゃれなサンダルを履いています。
当時はまだあまり色のない時代で、白か紺か黒。みんな、この男性が履いているようなズックを履いているのかと思っていましたが、おしゃれは足元に忍び寄っています。

『中国のかわいいおもちゃ』より

中国のかわいいおもちゃ』(平凡社、1997年)を書かれた島尾伸三、潮田登久子夫妻は、1981年から15年も中国に通われて、おもちゃを集められました。そんなご夫妻から見て、中国では上海が一番おしゃれなところでした。
もののなかった1982年にも、こんなおしゃれな靴を履いていたと、書かれています。


牛の餌になる草を刈って帰る姿です。
籠は、自分の家でつくっていたのでしょうか?
というのも、籠は同じようで網目を見ると全然違います。右の籠が最も丈夫につくられていて、次は真ん中、左の籠はどうなっているのかちょっと不安になるくらいの編み方に見えます。





2 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

春姐さんは早い時期から活躍されていたのですね、
赤い手帳が一息入れた時代でしょー
 その時期こちらでは思想的にそちらの方にチョット
寄っていました。
 国際都市でも近郊はこんな調子だったのですね。

さんのコメント...

昭ちゃん
当時は国際都市ではなくて、半鎖国中でしたね。通貨も地元の人が使っているのではなく外人用のお金で、使えるところは友誼焦点と決まっていて、できるだけ隔離しようとされていました。
でも私は、「火葬場はどこですか?」などと鋭い(?)質問をして、けっこう喜ばれた(?)と思います(笑)。