2013年2月12日火曜日

セルロイドの赤ちゃん人形



この赤ちゃん人形たちは、その昔、同じ町工場でつくられたものです。
右の赤ちゃんは製作当時の前掛け服を着ていて、左の赤ちゃんは、人形たちの持ち主だったKコレクションさん手づくりのパンツとシャツを着ています。


二人とも、背中に菱形に大のマーク、その下はJAPANと書いてあります。
 

町工場ではいった何人が働いていたのでしょう。赤ちゃん二人の顔が違うので、少なくても二人の職人さんはいらしたようです。
服は人形の服ばかり縫う工場があったのでしょうか?あるいは、ご近所の女性の内職だったのでしょうか?


瞳の色が薄くて、黒目がちょっとだけ上に描かれているために、一つ上の写真のオリジナルの服の赤ちゃんの方が、下の写真の赤ちゃんより、より西洋人に見えます。


赤ちゃん人形は足が素敵です。
立つことを考えた、脚がまっすぐなセルロイドの人形の足の裏は真っ平らですが、最初から寝かせるか座らせるかしか考えていない赤ちゃん人形の足は、赤ちゃんの足のかわいさをそっくり写しています。


Kコレクションさんがご自分でつくられた服はよく似合っていますが、布端が切りっぱなしというのが、私的には気になります。

そこで、くず繭でできた「冷え取り靴下」(の穴のあいたの)を利用して、上着だけつくることにしました。


おへその下までしかなかったパンツには別布を足して、股上を深くしました。


首のあたりが、ちょっともこもこしてしまいました。
黒い服の時はきりっとして、いっぱしのおにいちゃんだったのに、すっかり幼くなってしまいました。


下半身が裸だった、オリジナル服の赤ちゃんには、くたくたの古布で、同じようなパンツをつくってやりました。


セルロイド人形は、戦後しばらくは外貨を稼いで日本復興に貢献したものの、可燃性が強いことを理由に、最大の輸出国アメリカに拒絶されてから、行き場がなくなり、ほとんど燃やされたりつぶされたりしたと聞きました。
町工場そのものも、もちろん、あっけなくつぶれてしまったことでしょう。
赤ちゃんたち、生き残っていてよかったね。

2 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

春さん人形一つでも歴史を感じます
セルロイドは引火性が強いですからね。
 戦前アメリカ向けに絹の輸出がありました。戦争が始まり日本の落下傘は絹なので「アメリカではできないで困っている」と、、、、すでにナイロンができていました。
「町工場・家内工場」
連綿とつづいておりますね。

さんのコメント...

昭ちゃん
今も町工場はありますが、日々新しいものが取り入れられるたびに、日々古い関連工場が見捨てられます。
最近では、コンピュータが、大工道具、家電、織機などあらゆる分野を変え、たくさんの下請け工場がつぶれていきましたね。
西陣も、ジャガードと言う穴を開けた板紙をつなげたものを織り機につけて、帯などの紋織りの模様を織っていたのですがコンピュータになり、板紙屋、穴あけ屋、ジャガードの設置屋、切り替えられなかった織物工場などなど、みんなでつぶれてしまいました。
セルロイドはどちらかといえば家内完結型ですから、まだ傷が浅かったかもしれませんね。もっとも、当事者は傷が浅いなどと言ってはいられなかったでしょうけれど。