2014年5月7日水曜日

ずんぐり、むっくり


マトリョーシカ続きで、もう一つ。ぷっくりとかわいい、ヨシュカル・オラのマトリョーシカたちです。
一番大きい、青いプラトークを被っているものは、古いセルギエフ・パサードのマトリョーシカを持っていた骨董屋さんが持っていました。なんでも、大阪万博(1975年)で購入された方から手に入れたそうです。
その骨董屋さんは、ほかには大きな為政者マトリョーシカを持っていました。為政者マトリョーシカは、ゴルバチョフのときからつくられるようになったもの、見たのはエリツィンからはじまっていました。
一番外側が、その時の為政者ですから、それは1990年代につくられたものです。


ロシアには、今でもたくさんの民族自治共和国がありますが、ヨシュカル・オラは、その自治共和国の一つ、マリ・エル共和国の首都です。
住んでいるのは、マリ人で、白地に赤、黒、緑などで刺繍した、素敵な民族衣装を着ています(した)。シンプルな表現ですが、このマトリョーシカたちもその民族衣装を纏っているのです。

マトリョーシカの制作は、国営工場で行われていましたが、その工場は1990年には売却され、数年後には閉鎖されました。今、ヨシュカル・オラには工場はありませんが、少数の作家の方たちが、制作を続けているそうです。


一番上の娘が青いプラトークをかぶった、七人セットの中の娘たちです。
『マトリョーシカノート3』を見ると、これとは雰囲気が違うのに、プラトークの色の順番が同じ、青、黄色、緑、黄色、青、黄色、緑のマトリョーシカが載っていました。


この黄色いプラトークではじまるマトリョーシカも、緑、黄色、青、黄色、緑と順番が同じものが載っていました。
色の順番はしっかりと決められていたようです。

このセットはニスが厚過ぎて、一番上の娘のプラトークのてっぺんが剥離しています。
1970年代のものと思われますが、開けたり閉めたりすると、ぷーんとニスの強い匂いがします。


一番小さいのは、五人セットです。


外から二番目の娘たちを比べてみると、一番大きな七人セットだけ、二番目の娘も口は黒い線を引き、その上に赤い丸を三つ描いていました。
ほかのものは、二番目の娘から赤い丸だけの口になっています。


二番目の衣装は、一番小さいセットがもっとも簡略化されています。


ヨシュカル・オラでは、今でも民族衣装を着たマトリョーシカがつくられていますが、とても手の込んだ、装飾的なものです。




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