昨日、中国の竹細工の蛇はどんなだったかを調べようとして、これまでに、中国のおもちゃの本をまとめてUPしたことがなかったことに気づきました。
というわけで、UPしてみます。私の持っている、中国のおもちゃの本です。
中国は、日本、ロシア、インド、メキシコなどと並んで、おもちゃが数多く伝承されている、おもちゃの宝庫の一つです。
『中国郷土玩具』(中国人民美術出版社+美之美、中国カラー文庫、1981年)に載っている郷土玩具たちは、すべて、李寸松さんのコレクションです。
1981年だったか82年だったか、香港の店で、お土産ものとは明らかに違う中国の土人形に出逢いました。
「何だろう?どこでつくられたものだろう?」
そんな疑問に答えてくれるこの本を、何度も見返したものでした。
幌つき馬車、1949年前後 |
子どものおもちゃとして、芸術品(宮廷)に比べると郷土玩具(民間)が、低く見られているのは、どこも同じですが、それに加えて、中国の郷土玩具には悲しい歴史があります。
収集家もいましたが、文化大革命時期に見つけられ、ほとんどが打ち壊されてしまったのです。
阿福、無錫 |
その文化大革命から、コレクションを守った李寸松さんが、中国の子どもたちと郷土玩具のかかわりを、歳時記に乗せて記している文には、おもちゃへの思いが溢れています。
李寸松さんの文は、
「子どもの頃は、正月(春節)が一番楽しかったものです」
からはじまります。
春節になると、 おもちゃの出店がどこにでも出ていて、泥人形、布や革の虎の縫包み、木彫りの馬、焼きものの犬、粘土細工の猫、京劇の隈取のお面など、色も鮮やかに何でもそろっていました。
また、売る方はただ売るだけでなく、おもちゃを小さいのを前に大きいのを後ろに立たせ、輪投げの輪を用意して、それがはまった人形をくれたり、いろいろな趣向を凝らして、子どもたちをひきつけていました。
春節が過ぎると、すぐに灯節、そして端午の節句や中秋佳節などと、それに関連するおもちゃについても、興味深いお話が語られています。
母子、陝西 |
ここには泥人形ばかり転載しましたが、『中国郷土玩具』には、木彫り、縫包み、張り子などのほかにも、漢代、唐代、宋代、明代などの古い陶磁器の人形たちも載っていて、中国の伝統的なおもちゃを知るには、最高の本です。
『中国のかわいいおもちゃ』(島尾伸三、潮田登久子著、平凡社、1997)には、中国好きのご夫婦が、中国に出かけるたびに買い集めたおもちゃが並んでいます。
郷土玩具から工場生産のおもちゃまであり、それらに出逢ったときの、著者のわくわく感がエッセイと写真を通して伝わってきます。
雑誌で読んだのですが、娘さんのしまおまほさんによると、島尾家は、家じゅう中国の雑貨やおもちゃであふれかえっているそうです。
中国の街角の写真もいろいろあり、興味をそそられます。
これは、ままごと遊びをしている女の子たち、通りがかりの小さな女の子が、うらやましそうに見ています。
『中国の民間玩具』(田原(TAIN YUAN)画集、中国外文出版社、1981年)は、郷土玩具の画集です。
郷土玩具に花をあしらった絵は、どれもかわいらしいものです。
この馬車の人形のように、中国には、泥と針金を組み合わせた人形が、数多くあります。
『中国民間玩具に魅せられて』(斉藤真木子著、文芸社、2006年)は、著者の一万点を超えるコレクションの一部を紹介したものです。
山東省臨沂市の土人形 |
著者の斉藤さんは二十代から郷土玩具に関心を持っていましたが、1987年、お連れ合いが中国浙江省の大学に赴任することになって一緒に中国に渡り、以後中国のおもちゃを、集め続けていらっしゃいます。
浙江省の竹細工のミニチュア |
泥人形、ミニチュア、動くおもちゃ、凧などなど収集は多岐にわたっています。
こけし、マトリョーシカなど、外国のおもちゃを真似たものもありますが、おおむね、日本のお土産物より丁寧につくり込まれていて、見事な出来栄えです。
山東省の貝の中の娃娃 |
また、中国は広いので、地域による違いがあるのも、面白いところでしょうか。
陝西省鳳翔の泥虎 |
端午の節句の虎のおもちゃにも、
山東省の皮老虎 |
地方色があります。
浙江省、泥人形のさんざし売り |
3 件のコメント:
「文化大革命」
またまた懐かしい言葉がでましたね、
炭鉱閉山(昭和42年)当時にダブる言葉です。
昭ちゃん
人は食べて初めて生きられるので、食料を生産しない都市生活者を否定することは理解できますが、過去の遺産や庶民の文化を否定するというのはわかりませんね。だから「文化大革命」と銘打っているのでしょうけれど、苦難の時代でした。
『中国郷土玩具』出版に際して、一文を寄せている中央工芸美術学院院長の張氏も、十年に渡った文革の間、李氏がこれらの郷土玩具を守るのがどんなに大変なことだったに触れています。
ちなみにカンボジアのポル・ポトは農村優先社会を目指して、たくさんの人を殺したり餓死させたりする過ちを犯しましたが、遺産や文化的なものの破壊は一切行いませんでした。
そのときに農業の組織もソ連のコルホーズ風に
換えましたね。(ョット名称を忘れましたが)
1947年のライフの報道はすごかったですね。
結局ポルポドの功罪は
報道だけでは分かりませんので差し支えない範囲で。
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