またまた、スウェーデンの箱です。
持ち手は、どうついているのでしょう?
板を曲げて、穴に差し込み、
両方に開いて、釘を打ってあります。
その釘は、しっかり表に見えています。
箱は、素人細工ですから、きっちりした楕円になっていませんが、そこが味と言えば味です。
白いパテのようなものが残っているのは、隙間を埋めたものだったのでしょうか。
蓋をひっかける部分。
ひっかけたところ。
心もち外に倒して、蓋を開ける留め具。
蓋を押し入れて、閉めたところ。
縫ってあるところ。
どこも素朴です。
もとは、青い色を塗っていたのでしょう、裂いた木の目に塗料が残っています。
これだけでは、灰緑色だったのか、濃緑色だったのが褪せたのかわかりません。
それにしても、箱と言えば緑というのが、多かったのでしょうか。
デンマークの野外博物館で見た緑の箱たち。
我が家の緑の箱たち。
もっとも、野外博物館で見た箱は、スウェーデンから渡ってきたのではなくてデンマークでつくられたものかもしれないし、我が家の大きい箱はフィンランド製、四角い箱はカンボジア製(まさか、フランス製じゃないよね?)なので、スウェーデンの箱とは関係ないかもしれませんが。
2 件のコメント:
物から住居すべてに先人たちの工夫が残っていますね、
今は亡き友人が震災と戦災を免れた旧目黒区に
住んでいました。
二階の掃き出し口からは涼しい風が畳に這うし、
台所には灯り取りの天窓と土間すべてが昔の匂いでした。
ドラマや新建材では無理ですね。
昭ちゃん
そうなんです。歴史に名を留めなかった人たちの生活の工夫やつくり出したものの美しさに、私は一番関心があります。
洋の東西を問わず、脈々と続いた小さな工夫が消えるようになったのは、電気や機械で何でもできるようになったり、プラスティックができたりという流れの中ででした。
というより、それは人間の歴史そのもので、息子は、「エジプトで文字ができたとき、「ああ、これで記憶というものが衰退した」と嘆いた人もいたそうですが、それからも人間はパンドラの箱を開け続けてきた」、と言います。その度に得るものがあって、失うものがあって...。
大げさに言えば、こんなものを見ても、「人間てなにかなぁ」と思ったりします(笑)。
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